「Lady GO!
Darling?」
ザザッとノイズが入り、トランシーバーの向こうから声がする。
「ハニーより通信、Over?」
「こちらダーリン、Over」
ふざけたコードネームだと、我ながら多少赤面する思いだけれど、皆守はあくまで冷静を勤めた。
簡易設置した保護色のテントの下、簡易椅子にテーブルを用意して、咥えタバコでモニタリングするのは妻の姿。
けれど、魅力的なボディラインや綺麗な顔はどこにも見えず、今はモニタ上のたった一つの赤い点だ。
幾ら見慣れた姿とはいえ、さすがにコレでは味気なくてつまらんと、内心舌打ちを漏らして、強化ガラスの表面を指先でコンコンと突付いた。
ここは、中央アメリカ、グアテマラ、グアテマラシティ郊外の密林の中。
皆守が今いる場所よりもっとずっと奥まで潜っていってしまった妻のサポートが本日の仕事。
ロゼッタ協会からの依頼は、新たに発見されたマヤ文明のものと思しき遺跡の調査。
ついでにオーパーツも発見したなら、それも持ち帰って来いと言う。
(ホント、人使い荒いよな)
高校三年生のとき、運命的な出会いを果たした現在の妻と、共にロゼッタ協会に籍を置くようになってからもう何年過ぎただろうか。
初めは右も左も分からず、彼女の足手まといにならないようにとだけ必死になっていた自分も、随分成長したと思う。
それでも、目下のところはサポート主体の活動だ、皆守は妻と同じ仕事をするためのライセンスを所持していない。
本音を言えば、どこまでもついていってあらゆる危険から守ってやりたいと、切に願っているというのに。
―――ライセンスを取ってしまったら、皆守自身に依頼が回されるようになる、そうなれば一緒に仕事が出来なくなってしまうから、我慢しているのだ。けれどかなり歯がゆい。
「遺跡周辺に敵影あり、やっぱり墓守がいたみたいね、協会の情報力も時々は当てになるじゃないの」
「大丈夫か」
「あたしを誰だと思ってるの、タイムは恐らく10分、超過した場合Type Sの対応を」
「Over」
ブツ、と、入ったときと同じくらい、あっけなく通信は切られてしまう。
皆守はモニタの上で相変わらず点滅を続ける赤点を眺めながら、灰皿にタバコを押し付けつつ、短いため息を漏らしていた。
「ダーリン、ハニーより、Over」
「タイム8分だ、殲滅か?」
「当然、まあ、血生臭いのはイヤだから、猛獣用の睡眠弾をたっぷりお見舞いしてあげたわ、今日はもう目が覚めないわね」
「相変わらず甘いな」
「あたしなりのスタイルがあるのよ、それより、これから遺跡内部に侵入するから」
「壁面に金属反応があるな、通信が難しくなるかもしれない」
「なら、アルファコード使用、あたしのHANTにバイオリズムリンクを」
「ちょっと待て―――いいぜ、準備できた」
「それじゃ、いってきまーす」
皆守の妻は、恐ろしく腕利きのハンターだ。
一仕事終わるたびに依頼が舞い込んでくるから、はっきり言って盆も正月もない。
彼女に言わせれば「イースターすら休めないだなんて、ショック」とのことだが、日本人である皆守にはその感覚は良くわからない。
ただ、彼女について日本を飛び出して以来、季節感のない日々を送っていることだけは実感としてあった。
殆ど毎日、埃に塗れ、泥に汚れ、汗に濡れて、命の危険と隣り合わせの日々。
恐れや、不安を、僅かも感じない日は、殆ど無い。
このままでは神経が磨り減ってしまいそうだとつくづく思う。
(禿げそうだな)
緩やかなウェイブのかかった自前のネコッ毛をポンと叩いてため息を漏らした。
けれど、それでも今の自分が示せる最大限の愛情表現といえば、彼女の全てを受け入れて、それを信頼して見守り、でき得る限り、使える限り、あらゆる全てを駆使して、そのサポート役を完璧にこなす事だけ。
妻と共にこの業界に身を置く事を決めたとき、その覚悟も同時に決めた。
ただ、俺は通信関係よりも、肉体労働のほうが得意なんだけどなと、新しいタバコに火をつけながらぼやく。
(この仕事が終わったら、絶対休暇をもぎ取らせてもらうぞ)
フウ、と紫煙を吐き出して、モニタ上を移動する赤点と、皆守の端末に表示される数値化された彼女の状態を交互に眺めながら、計器の類を調整していく。
シーツの波間に沈み込んで、あの滑らかな肌の上を小船ですべり、奥深くまで堪能したい。
柔らかい唇を吸い上げて、乳房を揉み、皆守自身を穿ちたい。
(今回の仕事のせいで、いったいこっちはどれだけお預け食らってると思っている)
胸中で愚痴りつつも、しかし仕事だけはきっちりとこなす夫は、彼の基準でいけば「恐ろしく長期」
けれど、実際には数日抱いていないだけの妻の身体を思い浮かべつつ、作業に没頭した。
「こ―――ら、ハニー、聞こ―――る?O―――ve」
「ああ、聞こえている、Over」
「だ―――ぶ、奥まで潜ったわ、今どのくらい?」
「深度200メートル、Over」
「そう、じゃあ、そろそろ目的地かな」
一時間ごとの定時連絡を受けながら、皆守は精確なナビゲーターを務めていた。
今度の通信で6回目。
つまり、妻が遺跡に潜入してからすでに六時間経過している計算になる。
つまみを調節して音声を拾いつつ、めぼしいものは見つけたかと尋ねてみると、バッチリ、と頼もしい返事が返ってきた。
「解析は戻ってゆっくりしてもらうつもりだけど、壁面の絵画が文字のない文明、つまり、マヤのものであることだけは確実みたい、秘宝みたいなものはまだ見つかってないけれど、資料は大量にデータ保存しました」
「結構な上がりじゃないか」
「まあね、さて、そろそろ秘宝とご対面―――キャア!」
唐突な叫び声に、皆守の肝が一瞬でサッと冷える。
「おいッ」
「甲太郎、Type T!」
通信が切れた。
Type Tは、トラップ発動の緊急コードだ。
数分して連絡がない場合、すぐ救助に向かう必要がある。
(くそッ)
慌ててガンホルダを確認しつつ、脱ぎ捨てていたジャケットを羽織って、睨むように画面のモニタリングを続けた。
連絡があって欲しいけれど、反面、今すぐ遺跡に駆け込んで行きたい衝動に苛まされる。
1分、2分、3分
(待てるかッ)
原則5分待機だが、それほど悠長に構えてなどいられない、4分過ぎて連絡が無かったらすぐ行動開始しようと身構えていた、皆守の汗ばんだ手の中でトランシーバーがブツ、と繋がった。
「だ、ダーリン、おーばぁ?」
「ハニーッ、無事か!」
「ご、ゴメン、何とかなりました」
途端、肩の力が抜けて、崩れるように椅子に座り込んだ耳元で、いつもの明るい声が申し訳なさそうにアハハと笑う。
「笑ってんじゃねえよ、バカ」
「はい、そうだよね、すいません―――」
「で、首尾は」
「やっぱりこの先に一番奥の部屋に通じる通路があるみたい、たどり着いたら連絡します、Over」
「十分気をつけろよ、Over」
「Over、エヘヘ、ありがと」
通信が切れる。
そのたび、どれほど不安な気持ちになっているか、きっと半分も伝わっていないだろう。
勿論皆守は妻の宝探し屋としての実力を疑ったりしているわけじゃない、夫ならば、いや、愛する者に対して誰もがごく一般的に持ち得る類の心配をしているだけだ。
(けど、こういうのを過保護とか言うんだろうなあ)
我ながらうんざりするけれど、惚れてしまった弱みなのだから、仕方ない。
次の通信は30分ほどで入ってきた。
「ハニーよりダーリン、Over?」
「Over」
「見つけました!秘宝、これは水晶髑髏の類かな、でも髑髏じゃなくてネコみたいね」
「へえ、お手柄じゃないか、お疲れさん」
嬉しそうな口調につられて、つい微笑を浮かべながら、山積みの吸いさしの中でまだ吸えそうな一本に火をつけた。
6時間待っている間に4箱もキャメルを吸い潰してしまった、見つからないように処分しないと、吸いすぎには厳しい妻から叱られてしまうだろう。
「戻りはどのくらいになりそうだ?」
「2時間程度かな、何も無ければそれくらいで戻れるよ、来た道帰るだけだから」
「そうか、気をつけろよ、帰りだからって定時連絡忘れるんじゃねえぞ」
「はいはい、Over」
「後でな、Over」
安堵しかける気分を、まだ早いと引き締めて、皆守は再びモニタと向き合った―――
それから、2時間。
「遅い」
吸いさしすら吸い潰して、灰皿を吸殻入れに利用している皮袋に吸殻ごと突っ込んで、口を縛ってイライラしながら計器とHANTのバイオリズム、それに、定時連絡のないトランシーバーを睨みつける。
いや、一時間前にはちゃんと定時連絡は入ってきた。
その時、妻は、その前の通信直後に墓守の化け物に襲われて、辛くも撃退できたけれど、予想外に時間をとられてしまったから戻りは少し遅れそうだと、事務的な口調で告げて通信を切ってしまった。
妙に切羽詰った様子が少しだけ気になっていたところへ、今度はそろそろ一時間経過しようというのに、定時連絡が入らず、皆守の不安は焦燥感へ変わりつつある。
時間にはとてもきっちりしている彼女が、連絡を入れてこないとなると―――
(考えられる状況は、Type D)
緊急に救助が必要な状況、つまり、連絡をしてこないのではなく、出来ない状況なのかもしれない。
心臓が急にバクバク鳴り出して、それでも皆守はモニタリングされているバイオリズム数値を確認しながら落ち着けと自分に言い聞かせる。
妻は、数値だけ見れば、命に別状は無い。
けれど。
時計を睨む。
焦れている間に一時間経ってしまった。
計器の類を素早く片付け、崩したテントで覆いをかけて、皆守は脱いでいたジャケットを再び羽織っていた。
ガンホルダを確認してから、遺跡のある方角を振り返ると、唐突に『どん』という音がして、黒煙が上がる。
「!」
妻の名前を叫んで駆け出した。
彼女が通ったときに切り分けていったのだろう、他より丈の短くなった草むらの道のような場所を抜けて、木立の合間、濛々と立ち込めている煙塵に口を押さえながら、状況確認を急ぐ。
―――何の気配もしない。
煙が薄れてきて、ようやく視界がクリアーになってきた、その時。
「うはははは!ざまぁみろ!」
豪快な笑い声と、強気のセリフ。
安堵と混乱がいっぺんに押し寄せてきて、思わず草むらから転がり出た皆守の目に遺跡のようなものが見えた。
その、入り口らしき場所のほんの手前で、妻が片手に手榴弾、片手に鞭を持って仁王立ちしている。
「お、お前」
「あれ、甲太郎?」
目が合った途端、いつもの調子できょとんとした彼女の周囲には、妙なマスクを被った人々の姿。
ただし、立っている者は一人も無く、全員地面に横たわったまま、ぴくりとも動かない。
見渡してきょとんとする夫に、妻は強気の笑顔をニッと向けていた。
「大丈夫、寝てるだけだから、死んでません!」
「そ、そういう話じゃなくてだな―――大体、さっきの爆発音は」
「変なのがいっぱい追いかけてきたから、手榴弾投げて全部中に追い返してやったの」
「だ、大丈夫、なのか?」
「なあに、あたしのコントロールを疑ってるの?大丈夫に決まってるでしょ、ハンターが遺跡壊してどうするのよ、これからロゼッタの調査班とかも入る事になるんだろうから、そんな事したら怒られちゃうじゃない」
「―――違う」
「え?」
はーッとため息をついて、皆守は「もういい」と答えた。
遺跡の事など、自分にとってはお前のついで程度なのだと、未だに理解してもらえていないらしい。
「この、仕事バカめ」
小声で毒づいて、軽やかに駆け寄ってくる妻を迎える。
仕事の後はいつだってこうだ。
どうせ元気に戻ってくるのだけど、心配してしまう。
もうこれは性分みたいなものだろうと、皆守も半ば諦めている。
傍に立った彼女は、その可愛らしい顔を真っ黒に汚して、バックパックから取り出した妙な形の秘宝を得意げに見せてくる。
「ほら、凄いでしょー」
「―――ネコ?」
「他に何に見えるって言うのよ、それより、甲太郎、テントはどうしたの?」
「あー、ちゃんと偽装してきた、計器の電源も落としてある」
「そ、じゃ、撤収しましょ」
「おう」
行くわよ荷物持ちと肩を叩かれて、歩いていく妻の体のあちこちに怪我を見つけながら、夫は一段楽したら最初にすることを決めていた。
それもいつもの事だ。
結局、今日もつつがなく任務は成功した。
(けど)
「やっぱり休暇が必要だ、このままじゃ―――俺の身が、とてもじゃないが持たない」
彼のぼやきが果たして現実のものとなりうるのか。
それは、妻と、神のみぞ知る。
(終)