「Sein Name ist…」
「ここが、屋上だよ!」
錆付いた蝶番を軋ませて、ドアが開く。
青空の下に先に踏み出して、あとから続いて出てきたあたしを振り返って、八千穂君がニッコリと笑いかけてくる。
「風が気持いいでしょ?」
「ホントだ」
少し肌寒いような、でもすがすがしい風。
詰襟の隙間から少しだけ内側に入り込んできて、首筋がちょっと寒い。
ブルッて震えたら、八千穂君は不意に(あれ?)って顔して腕を伸ばしてきた。
「寒い?玖隆君」
「あ、いや、大丈夫!」
そう?って覗き込んでくる、八千穂君はあたしより背が高くって、ちょっと茶色がかった髪の毛がサラサラこぼれて目にかかった。
その下の鳶色の瞳がこっちを見て、なんだか心配そうにしてる。
「それならいいけれど、もし、寒いようだったらちゃんと言ってね?」
「うん」
「君ってなんだか小さくて可愛いから―――って、あわわ!」
はい?
僕なに言ってんだろって大慌てしてる、ここは、オトコノコとしては怒る場面だよね?
小さくて悪かったなって膨れて見せたら、そんなつもりじゃないんだよって苦笑い。
まあ、仕方ないとは思うけど。
(だって本当は女の子ですもの)
ナイショ、ナイショですけどね、ハイ。
「それよりさ、あの、ホラ、柵の向こう見てみなよ!ここから下見ると、天香学園が全部見渡せるんだ」
さりげなく手を掴まれて、そのまま引っ張って連れてかれた。
八千穂君って案外、積極的で行動派なのかも。
「ほら、あそこ!」
「何?」
「温室だよ、あっちが僕達の寮で、その隣に広がってるのが先生達の家、こっちの陰気そうな森の奥に少しだけ見えるのが墓地、さっき話したよね?」
「うん」
「結構墓石の数が多いよね、あの下には行方不明者の持ち物が埋められているって話だけど、実際何が埋まっているのか、誰も知らないらしい」
「そうなの?」
「墓守がいてさ、校則でも禁止されている場所なんだけど、それ以上に近づき辛いんだ」
「そうなんだ」
―――それはそれは、めんどくさそうなことで。
(でも、まあ、仕事は仕事だから)
いい情報を聞かせてもらっちゃった。
探索の時、その墓守とやらには十分注意しておくか。
「でもさ」
「うん?」
たとえ、死体が埋まっているわけじゃないとわかっていても、墓場が敷地内にあるなんて不気味だと思わないって、八千穂君は至極まっとうなことを言う。
そうだよね、確かに、それに関してはかなり同感。
だって関係なく生活している人にとっては、多分、立ち入り禁止の墓地が住居のすぐ傍にあるなんて、積極的に不快事項だもん。
まあ、判りやすく怪しくて、あたしとしては大助かりだったんだけどね。
だから、そうだねって答えたら、サッと風が吹いて、またちょっとブルッと来た。
そしたら間をおいてから、八千穂君が背中をポンポンって叩いてきた。
「大丈夫だよ」
見上げた先に、ニッコリ笑顔。
「何かあったら、僕に言いなよ」
「え?」
「あ、ほら!雛川先生にも言われてるし、それに、ここでは僕のほうが先輩だから、その、困ったこととか、判らないこととか、色々、不安とかもあるだろう?」
八千穂君の顔が赤い。
「だから、僕でよかったら、力になるから」
「うん」
なんだか判らないけれど、凄く嬉しそうにニコニコして、またポンって、今度は肩を叩かれた。
八千穂君は物凄いお人よしだ。
早速彼とお近づきになれて、もしかしなくてもあたし、かなりラッキーだったかもしれない。
(まあ、最初から疑ってかかるのもなんだし、当分は好意に甘えておこう)
お仕事の障害になるようであれば、いつでも排除させていただきますけれど、なんて、ウフ。
まあ、それはともかくとして、八千穂君は親切で良い人なもんだから、あたしもつい嬉しくってニコニコしてたら―――急に、声が聞こえてきた。
「ふァ〜あ、うるせェな」
んん?
振り返った八千穂君が、辺りをキョロキョロして、貯水槽の影に歩いていく。
「皆守!」
覗き込んで声を上げた。
隣に駆け寄って、あたしもぴょこっと覗き込んだ。
(うわ、人だ)
気配がまるでしなかったぞ。
うむむ、警戒、警戒―――
「転校生ごときで盛り上がって、おめでたい野郎だ」
だるそうに頭の後ろで手を組んで、だらりと体を放り出して、塗装の剥げかかったタンクに凭れかかっている。
頭モジャモジャ、血色の悪い、不健康そうな男の子。
背丈は多分、八千穂君と同じくらい。
でも、八千穂君は爽やか好青年で、血色も良いから、何というか正反対のタイプだ。
(名前知ってたって、知り合い?)
「授業を休講て、昼寝してりゃ、屋上で大声出しやがって、うるさくて寝られや―――」
大あくびしながらめんどくさそうにもごもご喋っていた、男の子の視線とあたしの視線がバチッてぶつかった。
途端、急に怪訝な顔をして、こっちをじーっと、おおう!見てる、見てる!
「あ、そうか」
隣で八千穂君が呟いた。
「皆守、今日転校してきた玖隆あきら君だよ、ほら、お前も転校生の話くらいは聞いていただろ?」
「ああ」
「今、学内を案内していたんだ」
八千穂君の手が背中にそっと添えられて、さりげなく促されたような気がしたもんだから、あたしはペコリと頭を下げながら「よろしく」って挨拶した。
なんだか保護者と子供の気分、うーん。
「なるほど、お前が」
皆守とか呼ばれた男の子は、胸元から何か取り出して、金具の先端に紙で巻いた筒を差し込むと、おもむろに金具部分を口に咥えて、紙巻の端に火をつけた。
フワリと立ち上った煙を見て、八千穂君が「皆守ッ」って声を上げた。
(煙草?)
そう思ったんだけど、でも、風に乗って漂ってくるこの香りは―――
「何だよ」
「お前、それ!」
「フフン、アロマだぜ、いわゆる精神安定剤って奴だ、何か問題でもあるのかよ」
いや、大有りだと思うんですけど。
(ここでの規則がどうなってるかなんてわかんないけど、煙草もアロマも、紙巻にして火をつけてる地点で一緒だよねぇ)
吹かしてるか吸引してるかってトコで、でも煙を楽しむんだったら、アロマも煙も同じじゃないの?
更に言ってしまえば、多分健康上の問題だけを取り上げて禁止されてるわけじゃないよね、多分。
子供で煙草なんか吸ってる人間に、大概、ろくなのはいない。
煙草が悪いっていうんじゃなくて、要はスタンスの問題。
八千穂君が心配か警告かわからないけれど、良くないとか、先生に見つかったら退学処分だとか、一生懸命警告しているのに、皆守君はまるで聞く気がないみたいだ。
涼しい顔して煙をプカプカ吹かしているから、どうでもいいみたい。
「そうだ、オイ、転校生」
はい?
「お前もこれ、試してみるか?」
皆守君がパイプを差し出してきた。
「こらッ、玖隆君にそんなもの薦めるなよ!」
八千穂君が間に割って入ってくる。
「別にいいだろ」
「良くない!」
「おい、転校生、堅めの杯って訳じゃないが、俺なりの歓迎だ、どうだ?」
「ダメだ、皆守、玖隆君もう行こう」
「いちいち口を挟んでくるな、八千穂」
「皆守が煙草を吸うのは勝手だけど、玖隆君を巻き込むのは見逃せないからな、まだ転校してきたばかりなんだぞ」
「関係ないだろ、保護者ヅラしやがって、大体、何でお前がそこまでムキになって庇う」
「そ、それは」
「ほら、玖隆」
ううーん、これで、案外仲のいい2人?
腰を浮かせてパイプを差し出してきた皆守君をブロックしようとして、伸ばした腕の下から更に抜けていこうとした皆守君の腕に反応した、八千穂君の足元が危うげにぐらついた。
「あっ」
「うわッ」
(はわッ)
つられて、皆守君もバランスを崩す。
うわあ、やばい感じ!
大男二人がいきなり押し寄せてきたもんだから、あたしも咄嗟の反応が遅れて―――
『うわ、うわわ、うわわわわーッ』
3人で、ドンガラガッシャンッて、揉みくちゃになりながら倒れこんだ。
い、痛い。
息が苦しぃ。
ギュって瞑った目を開いたら、あたしの上に八千穂君、そして、脇に皆守君。
「い、イタタタ」
「くそ、八千穂、てめぇ」
「み、皆守が無理矢理勧めようとするから!」
ううーってジタバタしてた、あたし、はたと気がついた。
「ん?」
皆守君の声。
あれ?
なんだ、この感じ。
「なんだこりゃ―――」
はたと目が合う。
あたしの―――あたしの、胸に当たっている、皆守君の掌。
モミモミ揉まれた。
変な顔してる。
さらしは巻いて、あるけれどーッ
(ふわ、あ)
「―――お前」
(ぎゃ、ぎゃああああ!)
やばい、やばい、やばいってこれは!
「ふんがーッ」
上に乗っかったままの八千穂君のお腹の下から、気合一発、這いずって抜け出した。
これでも結構力持ちなんです、そんでもって、いつまで上に乗ってるの!
大慌てでどけてくれた八千穂君はごめん、ごめんって顔を真っ赤にしてぺこぺこしてたけど、遅い!
そんでもって今は君に構っている場合じゃありませんッ
「ちょ、ちょっとお前!」
むんずと皆守君の襟を捕まえて。
「何だぁ?」
八千穂君からも「玖隆君?」ってビックリした声、でも無視!悪いけど!
そのまま皆守君を引きずるように屋上の隅まで連行していく。
八千穂君には聞かれるわけにいかない。
物凄く不満げな顔の皆守君の、肩をガシッと抱きこんで、あたしは顔を近づけて思いっきりヒソヒソ声で喋った。
「今の」
「お前、今のアレは何だ、まさかお前」
「黙れ、この事は他言無用、話したら」
「何だ」
「タダじゃおかない」
フン。
笑い声。
ハッと見上げたあたしの目を真っ直ぐ睨むようにして、皆守君は不敵な笑みを口元に滲ませてる。
「ふざけるな」
なッ
「それはこっちの台詞だ」
「何」
「まあ、いい、今は八千穂もいることだし、見逃してやろう」
あたしは一瞬、ホッとしかけた。
「だが」
―――はい?
「あとできっちり説明してもらおうか、玖隆、でないと今、ここで騒ぎにするぞ」
(きょ)
脅迫?ウソでしょ、こいつー!
(信じらんない、なんつー不敵な男!)
ニヤニヤして様子を窺っている風の皆守に、ホント凄く、すごーく腹が立つけど、あたしの答えなんて一つっきゃないに決まってる。
「わ、かった」
小さく呟いたら、頭をポンと叩かれた。
「よし」
「玖隆君?」
背後から心配そうな声。
慌てて振り返ったら、なんだかちょっとションボリした姿の八千穂君。
いけない、そういやすっかり無視してたんだっけ!
「どうかしたの?」
「う、ううん!」
「別に、どうもしないぜ」
起き上がった皆守君、いや、皆守が、もうこんな奴呼び捨てで構わん!とにかく、奴が、アロマのパイプを咥えなおして、先端の紙巻がくしゃくしゃになってるのに気付くと、あからさまに嫌な顔をした。
「くそ、お前らのせいで俺の大切な休息が台無しだ、俺はもう行くからな」
「え?あ、ちょ、ちょっと待て、皆守!」
「うるさい、八千穂は適当に転校生でも連れて学校案内でも何でもしてろよ、俺は新たな寝床探しだ、じゃあな」
呼びかける声なんて完全無視して行こうとして、途中でふと足を止めた皆守が、あたしをチラッと振り返った。
「転校生」
「は」
「―――いや、玖隆とか言ったか、また、な」
ニヤリ。
ぞわわって、鳥肌立っちゃう!
(う、クソ!)
ドアが軋んで、皆守の姿が消えて、それでもまだ仁王立ちしていたあたしの肩に、不意にポンッて何か乗っかった。
「玖隆君」
振り返ったら八千穂君が、少し困り顔でニコッと笑う。
「その、さっきはごめん、怪我とかしなかった?」
「あ、う、うん」
そういや、さっき盛大に皆で転んだんだっけね。
ただ、まあ、この程度、あたしにとっては事故でも何でもないから、全然気にしてなかった。
「玖隆君、髪の毛がくしゃくしゃだ」
手櫛で梳いてもらって、あたしはようやく自分の格好に思い至っていた。
八千穂君って、ホント、親切でいい人だな。
「ねえ、君、今さ」
「うん?」
「皆守と、その」
んん?
「―――いや、何でもない」
フルフルッて首を振ると、八千穂君はまたニッコリ笑った。
「そろそろ教室に戻ろうか?まだ少し時間もあるし、買っておいたパンがあるんだ、一緒に食べない?」
「あ、うん」
「じゃあ、行こう」
促されて歩き出す。
たった数十分の間に、随分色々な気懸かり事項が出来ちゃったって、あたしは八千穂君と相変わらず他愛もない会話を続けながら、内心激しく動揺していた。
さっきの皆守、妙な事にならなきゃいいんだけど―――ハア。
(続)