ワサワサと揺れていた極彩色の羽。
綺麗だった―――本当に、息を呑むほどに。
漆黒の闘技場に踏み込んだ直後、あたしたちを出迎えたのは、たくさんの小さな化人たちと、その奥で鎮座ましましていた、伸し餅みたいにノペッとしたしゃもじのオバケだった。
一番高いところに大きな目玉がついていて、体のあちこちからわちゃわちゃと手が生えてて気持ち悪い。
「不気味だな、僕の趣味じゃない」
「あたしだって趣味じゃない、クラウス、行くよ!」
「お任せあれ」
走り出すあたしたちから少し遅れて、八千穂さんと双樹さんがついてくる。
正面から繰り出される刃を逃れて、背後に回ったあたしは、思い切り刀剣をぶん回した。
これでも喰らえー!
「悪いが、秘密道具を使わせてもらおう」
クラウスがポケットから取り出した紙を宙にばら撒くと、それは一個一個が鳥みたいな形になって、しゃもじのオバケに突撃していく。
「クラウス、なにそれ!」
「従姉さんに頂いたお土産」
「あーちゃん!」
振り返れば、周囲でワサワサいっていた小さな化人をあらかた片付けて、八千穂さんが指をブイにして笑っていた、双樹さんもすぐ側でウィンクを投げて寄越してくる。
「頑張って、こっちはもう大丈夫!」
ようっし、待ってろしゃもじ、ブッ潰す!
あたしがトドメの一撃を背面に叩き込むと、気持ちの悪い叫び声と一緒に、しゃもじのオバケは姿を消した。
ようやくシンと静まり返ったけれど、闘技場に漂う異様な気配は消えない。
「嫌な感じだ」
クラウスもそれは、わかったみたい。
双樹さんが体を抱くようにしてあちこち油断なく見回してる、その隣で、八千穂さんだけ不思議そうにあたし達を伺っていた。
うん、平和だよねえ。
まあ、とにかく先に進まないと。
あたしはちょっとだけ元気を取り戻していた。
実は―――しゃもじを見た瞬間、違うなって直感したんだ。
理屈なんてわかんない、けど、とにかくこいつじゃない。
これは甲太郎に繋がっていない。
その途端、本気でかなりガッカリした。
でも、しゃもじを倒しても、まだこの部屋はすっきりしない。
だから望みは切れてないかもって、そう考えちゃうのは不純かな。
あたしはぐるっと見回して、入り口と反対のドアのすぐ近くに、壁から生えた不自然な蛇を見つけた。
これ、遺跡で沢山見たよね、仕掛け発動のレバーだ。
動かしたら何が起こるんだろう。
考えてても仕方ない!
腕を伸ばして「えーい!」景気よくレバーを引き倒す!
直後に床が盛大に揺れて、目の前がぶれて、一瞬天地不明になって、そして―――
(―――寒い)
ようやく体勢を整えたあたしは、振り返った。
(寒い)
「姉さん!」
「あーちゃん!」
(凍えてしまう)
「あかりちゃんッ」
(寒い、寒い、寒い―――寒い)
現れたのは―――
広がっていく極彩色の羽。
(誰か)
どす黒い肌、ザンバラに伸びた長い黒髪。
(私を)
長く伸びた爪と、しなやかな女の人の上体、でも、下肢は―――
(お願い、私を)
はさはさと羽根みたいな形状の何かが降り注いで、閉じていた双眸が、ゆっくりと開かれた。
(―――ウケケケケ!)
唇らしき箇所がニイイッて歪む。
笑ったんだろうな、多分。
あたしの背筋を冷たいものが駆け抜けた。
(悔シカモ、速ク来マサズ、吾ハ黄泉戸喫シツ、然レドモ愛シキ我ガ汝兄ノ命、入リ来マセルコト恐シ、カレ還リナムヲ)
これは。
(シマラク黄泉神ト論ハム、我ヲナ視タマヒソ)
古事記の一説、ってことは、このざんばら化人は。
キョロッと動いた目玉が、あたしを見つけた途端、大きく口を開けて威嚇する。
覗いた口腔に歯が見つけられなくて、急に怖くなった。
『吾ニ辱見セツ!』
「伊耶那美、ね」
いつの間にか隣にクラウスがいて、髪をかき上げながら、フッて意地の悪い笑みを浮かべていた。
「随分凝った趣向じゃないですか、でも残念、姉さんは伊耶那岐じゃない」
オオオオオオオオ!
「さて、僕にオーダーをくれないか、姉さん、そろそろ飽きてきた」
「何よ、それ」
「僕の用事はもう済みました、だからこんな場所に長居したくないって、そういう意味だけど」
やっぱり!
(こいつが何の見返りもなしに、協会の要請を引き受けるわけが無いと思っていたけれど)
裏があったのか、しょーもない。
でも一体用って何よ?
見上げるあたしの怪訝な視線なんかまるきり無視で、クラウスはニコーッと笑いかけてくる。
「My Master、Please Give me
order」
「気持ち悪いからやめて」
「でも、命令してもらえないと動けないよ、僕は、なんたってバディなんだから」
なんちゃってバディの間違いなんじゃないの、ったく。
あたしは溜め息混じりに剣の柄を握り直す。
とにかくこれ、ビンゴだ。
やっぱり説明できないけど、あたりって感じがする、甲太郎に関係しているかどうかは別として。
(関係していたら、嬉しいんだけどな)
ヤル気も倍増なんだけど。
あたしが天香遺跡を調査している時、いつも側にいてくれた姿を見つけられないのが、もうずっと寂しい。
何だか急に心細さまで沸いてくるよう―――でも!
(平気、大丈夫!)
あたしはそんなに弱くも、脆くも、無いんだからねッ。
「ようっし、クラウス、オーダーするよ、バッチリ受け取れ!」
「Roger」
「見敵必殺、Search &
Destroy!Over!」
「YES!Master、Ich verstehe
alle!」
こういうときばかりは頼もしい、実はあたしの自慢の弟、エヘン。
見れば、ざんばらと一緒に登場した化人たちは、八千穂さんと双樹さんがまた担当してくれているようで、サンクス!ホント助かります!
クラウスを従えたあたしは、不気味な伊耶那美との戦端を切って落とした。
極彩色の羽根が散る。
ざんばらの髪を振り乱して、異形が叫んでいる。
きいやああああああああ!
あたしは、肩で息をしながら、その様子をじっと眺めていた。
クラウスが開戦直後に渡してくれた従兄さんのお守りが、あたしの剣に黄金の力を宿してくれた。
これ、よくわかんないんだけど、どうやら色んなものに効果覿面らしいって、そういう話らしい。
(まあ兄さんの力だったら分かる気もする、なんとなく)
でも一回使いきりっていうのが、かなり勿体無い。
それと負荷が凄いみたいで、元の刀剣は半ば崩壊しかけてる。
思い切り振ってみたら、案の定、先端からボロボロと始まって、柄まで一気に崩れちゃった、ありゃ。
伊耶那美は苦しみ続けている。
「終わったね」
シャツの襟元を直しながら、クラウスが駆け寄ってきた。
「やれやれ、まさか、胞子を飛ばしてくるなんて、おかげで気分が悪い」
八千穂さんと双樹さんも、片付け終わってこっちに来る。
見上げていたざんばらが、金魚みたいに口をパクパク動かしていた。
(アァ)
「えッ」
(やっぱり私は、一人なのね)
いきなり耳の奥に響いた。
誰?
なんなの、一体誰の声?
(誰も愛さない、誰からも愛されない、私を必要としてくれる人は、誰もいない―――)
消えていく化人がゆっくりと目を閉じていく。
降る羽根の一枚があたしに触れて、クラウスの驚いた声が聞こえた瞬間、幻が見えた。
降り積もっていく、白い白い雪。
仄かに鼻先を掠める海の香り。
寒い、凄く寒い、星空が近い。
悲しい青色、綺麗な文字、そうだ―――あれは。
「手紙」
姉さん大丈夫ですかって、気付いたらクラウスの腕に抱きこまれていた。
「あまり近づかない方がいい、体にどんな害があるかわからない」
「だいじょぶだよ」
「そういう問題じゃない、僕がイヤなんだ、貴女はいつもそうだから」
女神の名前をつけられた化け物は完全に消えちゃった。
もうどこにもいない、気配も無い。
終わったんだって、そう思った途端、足元からキラキラした光が立ち上ってきた。
(何?)
見下ろしたら、さっき砕けた剣の欠片が光ってる。
光は徐々に広がっていって、そのうちあたり一面を覆いつくした。
「これは」
驚いた口調のクラウスが、急に何かに気付いたように「そうか」って呟いた。
「―――だから従兄さんはこれを僕に」
何のことだろう。
よくわかんないけど、光の中に、青く輝く球体が幾つも浮かび上がってきた。
これは、クリスマスイブの夜にも見た。
遺跡に捕らわれていた想いの欠片たち。
光が上がっていく。
それに併せて、青い球体も、ゆっくり空に昇っていく。
あたしはまた、ああ、と、思っていた。
これでようやく安らぐんだろう。
天香遺跡は、本当の意味で、古代の呪から開放されたんだ。
良かったねって呟いたら、キュウッて強く抱きしめられた。
ニヒルなこいつも、ちょっとは感動してるのかな?
あたしは、有難うってクラウスを押し退けて、歩き出す。
「―――行かなくちゃ」
「どこへ?」
「屋上」
そうだ、間違いない。
やっぱりあの手紙が、全ての始まり。
無言で進むあたしに、声をかけてくる人はいなくて、あたしたちは光の消えた薄暗い空間を、ただ黙々と歩き続けた。
(続)