端末の専用ダイヤルを回す。

呼び出し中の表示が画面に現れて、さほど間をおかず、回線が繋がった。

meine lieben Sohn!」

相変わらず元気な声に、玖隆はうんざりと眉間の間に縦皺を寄せる。

「相変わらずだな、アル」

「君から連絡だなんて、どうしたんだ、珍しい、今日はいい日になりそうだ、僕はディナーにシャンパンを開けるぞ!」

「好きに祝ってくれよ」

「どうかしたのかい?」

「んー」

思わず言葉に詰まり、モニタの前で黙り込んだ。

ここは、ロゼッタの南米支部が所有する宿舎の中の一室。

先の仕事の報告書も無事提出が済み、了を告げられて、ついでにラボの所長から散々嫌味と小言をくらい、便乗したマリアからも頭ごなしに叱られて、玖隆はしげしげと、次の仕事に取り掛かる準備と、つかの間の休息の最中であった。

伸び切っていた髭もそり、髪も理髪店で適当に整えてもらった。

今はランニングとジーンズ一枚の格好で、日に焼けた木製の机に着き、端末から伸びたイヤホンを耳にはめ、液晶画面と向き合っている。

時折、開いた窓からこの地方特有の熱風が、少しぱさついた黒髪を揺らしていた。

「聞いたよ」

嬉しそうな声が、唐突に切り出してくる。

「えっ」

「ナスカとインカを繋ぐ秘宝、凄いじゃないか」

「ああ」

玖隆は苦笑いをもらす。

「早いな、相変わらず」

「だから、言っているだろう?僕は個人的に君の情報を」

「ったく、そのせいで妙なところにまで俺がアルの息子だって事が伝わってたんだぞ、勘弁してくれ」

「誇らしいじゃないか」

「面倒なだけだ」

「―――そんなに心配してくれなくても、いいんだよ」

「え?」

端末の向こうから、微かな笑い声が聞こえた。

「君個人から派生した余波が僕らに及ばないよう、気にかけてくれているのだろう?」

思わず口を閉じる。

すぐに、唇の両端を吊り上げて、笑いながら「そんなわけあるか」と小さく呟いた。

「父さんこそ、妙な推測をするんじゃない」

「ハハハ」

「それより、話があるんだ」

「うん」

「あのな、ううん、その、何と言えばいいのか」

逡巡して、言に詰まって、ようやく本題を切り出した。

「父さん」

「なんだい?」

「父さんの見立てで、誰か、俺の仕事に役立ちそうな技師は、いないだろうか?」

「えッ」

「ラボからは全面的に同伴を拒否されてしまったんだ、学者は学問こそが本分らしい」

それでもコンラートは、今後もし自分の力が必要になれば助力を惜しみませんと笑顔で約束してくれた。

ラボの外に連れ出すことはできないが、将来有望なエリートが懇意にしてくれるというなら、これほど心強い事はない。

「今後の作業に差支えが出るかもしれないし、もし、手頃な人間がいるなら、アポを取りたいんだが」

「そうか!」

イヤホンの向こうで、大声が鼓膜にキンと響く。

玖隆は一瞬目を閉じて、顔をしかめた。

「うふふ」

「何だよ」

「君もようやく、その気になってくれたというわけだね?」

「何が」

「以前話しただろう?僕は、君のために、最高の相棒を育成中だと」

「そういう事じゃない、相棒だなんて、そんなものは俺には」

「けれど、一人でできることには、限界がある」

口調は急に真摯な気配を帯びる。

「君にいつか話したことがあるね?―――僕と彼、二人はいいコンビだった、彼が現役を退いて、僕が研究一筋になっても、僕らの友情は変わらない、僕らはただ仕事上のパートナーというだけでなく、僕は多くの事を彼から与えられたし、僕からも彼に与えられただろうと思っている」

ぬくもりに満ちた声色が、語られない部分まで、深く結び合った関係性を肯定しているようだ。

「君が宝物を増やす事に臆病な気持は、僕なりに理解しているつもりだよ」

玖隆の胸元でリングが小さく音を立てる。

「けれど、その上で、僕はあえて言わせてもらう、君は一人でも生きていけるだろうけれど、人生は誰かと共に歩む方が何倍も楽しい、1足す12にならないのさ、可能性は無限大だ」

「アル」

「僕の助手は、順調に育っているよ」

ふと記憶の糸を辿り、以前父が興奮気味に話していた男の存在を思い出す。

「へえ」

玖隆は笑う。

「そうなのか?」

「ああ、彼はとても筋がいいし、先見性もある、洞察力も見事なものだ、何より、記憶力が素晴らしい」

「例えば?」

「彼には忘れられない人がいるんだそうだ」

思わずプッと噴出してしまった。

「それは記憶力の内なのか?」

「なかなかできない事だよ、学生のころ、ほんの数ヶ月一緒に過ごしただけで、相手は望みを叶えるためにすぐ去ってしまったらしいのだが、彼にとってはその人こそが運命だったと話していたな、件の人物が灯した胸の炎だけを頼りに、祖国から遠く離れたこんな場所まで単身追いかけてきたそうだ」

「情熱的だな」

「素敵だろう?」

「話し振りからして、再会はまだ果たせていないのか」

端末の向こうの少し苦い笑い声が答えだった。

なるほど、と玖隆は呟いていた。

「根性だけはありそうだな」

「その点に関して、僕は太鼓判を押すよ」

「アルの見立てなら間違いないだろう」

そいつ、名前は?

―――何気なく問いかけてみただけだった。

イヤホンの向こうで、楽しげな気配はますます膨らんでいく。

温かな風が首筋をするりと撫でて通り過ぎた。

銅線を通じて届けられた遙か遠方からの音声が、その名を玖隆の耳に告げる。

「皆守 甲太郎君だよ」

 

一瞬、時間が止まったように感じた。

 

いや、止まったのではない。

長針と短針が物凄い勢いで回転して、数年前のあの頃に戻っていく。

脳裏に蘇ってくる姿。

忘れたことなど無い、そもそも、忘れる事などできない。

首から下げた、思い出の残滓。

鎖と触れ合い、微かに聞こえた金属音が、はっと意識を現実に引き戻した。

途端、暑さが蘇ってくる室内で、玖隆は瞠目したまま動けない。

音声を聴覚が認識し、大脳が処理を施すまで、現実的にはそれほどタイムラグも無かったのだろう。

けれど、恐ろしく長い時間が経過したように感じられていた。

筋張った、喉仏の張り出した太い首の、咽頭の辺りがごくりと微かに嚥下した。

『皆守』

同じ名前の東洋人を、一人だけ知っている。

(どこかで、元気にやっているだろうとは、思っていたが)

学園から飛び立って、自分とは関係ない、交わることの無い道を歩んでいるものと思っていた。

邂逅はそれほどまでに一時のものでしかなかったから。

互いに想いを刻みあった仲だけれど、彼がこちら側にくることを望むなど考えもしなかった。

指先で触れたリングの感触が、さっきよりも熱を帯びているようだ。

玖隆はほんの僅かの間、18歳の少年の頃に戻っていた。

漸く落ち着いてきた感情の波をひとまずリセットさせるように、少し息を大きく吸い込む。

努めて、平時を装って、回線の向こう側に尋ね始めた。

―――確認と、今の彼のことを。

「東洋人なのか?」

「そうだよ、格好いい名前だろう?」

「髪の色は」

「勿論黒さ、瞳の色も、吸い込まれそうなほど真っ黒なんだよ」

「背は、高いのか」

「今年の健康診断では、確か180だったと言っていたかな」

「まだ勝ってるな」

「え?」

「そいつ、専攻は」

「無論考古学さ、僕の仕事を手伝ってもらって、現場の知識も叩き込んでいる」

「結婚は?」

「いいや」

声が笑う。

「そんな暇無いそうだよ、運命の人に追いつくことが、今の彼の最重要項らしいからね」

「なるほど」

「まあ、実を言うと僕もあまり詳しい話を聞いていないんだよ、彼も話さないし、大切な思い出なのだろうからね」

「それで、考古学専攻か」

「彼の想い人は、ひょっとして考古学者なのじゃないだろうか?」

「違うよ」

多分、と付け足しておく。

「そうか―――まあ、判らない事は憶測しかできないからね、それで」

「うん?」

「話は戻るけれど」

「ああ」

「彼なんか、どうかな」

「皆守か?」

「そう、知識を与えるそばから水のように吸収してぐんぐん伸びる、僕の期待の有望株だよ、君に是非推薦したい、僕の自慢の二番弟子だ」

「二番?」

「一番は君だよ、晃」

「フフ、なるほどな、他に候補はいないのか?」

「ないね、是非とも兄弟子のお供にすえて差し上げたい、僕の希望は叶うだろうか?」

「―――そうだな」

皆守甲太郎。

胸の中で繰り返す。

同姓同名の他人だなんてサプライズは、恐らく無いだろう。

それにもう十分驚いた、これ以上の衝撃は御免だった。

(アイツなら、これくらいはやってのけるかもしれないなあ)

人生に飽いた暗い瞳を装いながら、その実誰よりも強い情熱と生命力に満ち溢れていた男。

瀕死の両腕を必死に伸ばしていた、その腕を、自分が捕まえて引き上げた。

彼が生きることに貪欲であったからこそ、同じくらい貪欲な自分と感応しあったのだろうと思う。

あの頃はまだ、自分で飛ぶ羽根を持たない雛だった、けれど―――

「そう、だな」

もう一度繰り返す。

窓から再び、ぬるい風が吹き込んできた。

Danke, vater

空は快晴だ、雲ひとつない。

「なら、そいつ、アルが納得するまで鍛えて、使い物になるように仕上げて欲しい」

「晃!」

「最後は本人の自由意志に決定権があるが、とりあえず話だけでもしてみたいからな、目処がついたら連絡してくれ」

Ja、了解したぞ!」

「一応言っておくがな、ビシビシ扱いてやってくれよ?ハンパな覚悟じゃ生き残れないからな」

「他ならぬ君のお願い事だ、僕は何だって聞くよ、覚えているかな、君が10歳の時のクリスマス―――」

「それはわかったから、宜しくお願いします、父さん」

「勿論、僕はそういった部分では一切手抜きをしない主義さ」

「有難う」

「なんの、これでまたひとつ楽しみが増えてしまった!」

端末の向こう側で、小躍りでもしていそうな声だった。

「僕は、君と、彼の成長を、一時に楽しめるのか、何て素敵なんだ、シャンパンは2本に変更だ!いや、3本あけても構わないぞッ」

「カナと飲むのか?」

OhIch bin unglücklich、残念ながら僕の女神は傍にいないんだよ」

それはご愁傷様と、苦笑いで返す。

「けどアル、ひとつ言っておくけれどな、俺はすでに育ちきるほど育っているぞ」

「なんの、その程度で満足なんておこがましい」

君なんてまだまださと、貫禄と温もりに溢れた人生の先輩は、後輩を諭すように伝える。

「一人の翼で飛んでいるつもりが抜けないうちは、いつまでたっても半人前だよ」

続いて聞こえてきたのは、やけに浮かれた笑い声だった。

陽気で幸福なアルフレートの雰囲気に、玖隆も楽しい気分がこみ上げてくる。

皆守はどれほどのものに仕上がるのだろうか。

(今度は手抜きなんてさせないからな)

他に、家族の近況などを聞いて、通信を切った。

「一人の翼じゃない、か」

首から下げたリングを外す。

左の薬指に通して、頭上に翳した。

キラキラ光る黄金の表面に刻まれた文字の片割れ。

託して見送ったはずだったのに、密に後を追ってついてきていた。

必死で羽ばたく拙い雛鳥の様相を思い浮かべて、仄かな笑みが浮かび上がる。

こみ上げて噴出してしまいそうなほどの喜びと興奮に、わざとゆっくり手を下すと、薬指の付け根の約束の証に唇の表面だけでそっと触れる。

「甲太郎」

その名を呼ぶのは本当に久方ぶりだ。

「お前、バカだなあ、追いかけてきたのか」

ただ一度のキスしか交わしていない、こんな薄情者の背中を頼って。

「バカだなあ」

もう一度呟いて、笑う。

そのまま、気付けば思い切り声を上げ、腹を抱えながら、体をくの字に折って激しく笑い続けていた。

今日はなんていい日だろう。

(アル、俺も、ディナーにシャンパンを開けるぞ)

皆守なら多分、勝手に祝ってくれと苦笑いするだろう。

その彼だけが何も知らない。

皮肉な現実が尚おかしくて、同時に、祈りを捧げずにいられない気分だった。

「お前となら」

漸く起き上がると、目の端に浮かんだ涙を拭いつつ、窓辺に立つ。

「きっといいコンビになれる」

どうか、その翼が強靭なものでありますように―――

我侭な願望も、一度くらいなら聞き届けてもらえるだろうか。

何かの予感を孕んだ風が、胸の奥にまで吹き込んでくる。

「待ってるぜ、相棒」

眇めた赤い瞳を向けた先、澄み切った青を縫って、渡り鳥が二羽、連なるように飛び去っていった。

 

続く