夕陽に長く伸びる影がある。
逆光に目を細くして、背後から呼びかけた声に、二人は同時に振り返った。
「アル!」
ニッコリと手を振るアリア。
娘を肩車して、やはり笑顔を浮かべた玖隆。
水代は、嬉しそうに笑いながら近づいていく。
「アリア、楽しそうだね、見晴らしはどうだい?」
「遠くまでよく見えます」
「それは素敵だ」
「父さん、仕事は」
「ああ、まだまだ、やる事だらけさ、皆守君にお願いして、少しだけ抜けてきた」
それなら暫く滞在する事になるんだなと、尋ねた息子に、父親は苦笑いで「うん」と答える。
「まあ、資料は全て揃っているからね、後は調理するだけさ、君の次の仕事の着任日までには必ず間に合わせる」
「助かるよ、有難う父さん」
「なんの、君の手伝いができるのならば、僕にとっては喜ばしい事さ」
「アル、あのね」
アリアの声に、水代は、蕩けそうな笑顔を向けた。
「なんだい、僕のプリンセス」
玖隆は苦笑いを浮かべる。
「パパが、色々な国のお話をしてくれたのですよ」
「そうか」
「アリアはカナと一緒に色々な国に行きました、でも、パパのお話はとても面白いです」
「フフ、君にそう言ってもらうのが一番嬉しいよ、エンジェル」
「アリアもパパが大好きです」
ギュッと抱きついて、こめかみにキスをしたアリアに、玖隆はDankeと微笑み返す。
「―――僕の事はどうなのかな、アリア」
脇から恨めしげな声が聞こえて、振り返ったアリアは笑顔でアルも好きですよと答えた。
そうか、そうかと頬を赤らめる父親の姿に、玖隆は再び苦笑いする。
「アルまでそんな調子でどうするんだ、またカナに呆れられるぞ」
「君に言われたくないぞ、晃、大体君はもう僕に好きだと言ってくれないじゃないか」
「は?」
「昔はあんなによく言ってくれたのに」
「おいおい、俺は幾つだ、勘弁してくれ」
「パパはアルが好きじゃないのですか?」
「―――好きだよ」
アリア、君は素晴らしいぞと、水代は孫娘の頭をグリグリと撫でる。
耳元で笑い声を聞きながら、玖隆は微かにため息を漏らしていた。
「それで」
水代博士は息子の顔を見た。
「皆守は、どうだ?」
「ああ、勿論、僕の可愛いもう一人の息子は、君と同じくいい男に育っているよ」
「そうか」
微笑んだ父親の様子を、アリアが脇からじっと窺っている。
「引き続きよろしく頼む、まあ、アルが師事しているのなら、何も心配はいらないだろうが」
「勿論さ、彼は優秀な技師になるぞ、この僕が太鼓判を押そう」
「楽しみにしているよ」
「みなかみさんのお話ですか?」
うん?と玖隆は娘を横目で見た。
「そうか、アリアは、みなかみさんとお話ししたんだったね」
「はい」
「彼をどう思った?」
「みなかみさんは、がんばりやさんです」
アリアはニコリと笑みを浮かべる。
「お約束したから、ぎしになるんだって、アリアに教えてくれました、みなかみさんはちょっとだけパパみたいです、アリアはみなかみさんが好きです」
「そう」
「パパは、みなかみさんが、好きですか?」
水代が微笑む。
玖隆も少し笑って、それから、静かに答えた。
「好きだよ」
胸元でチェーンに通したリングがカチリと音を立てた。
「ああ、晃、そろそろ時間だ、カナが待っている」
時計を見て水代が告げる。
途端、唇を硬く結んだ愛娘を、玖隆は肩から下して、両腕に抱えなおす。
「そうか」
「君はどうする?」
「二人と戻るよ、空港までは一緒に行くつもりだ」
「本当?」
「ああ」
ニコリと笑いかける父の姿を見て、アリアは心底嬉しそうに笑った。
その様子に、水代がふと切ない表情を浮かべていた。
「ん?」
玖隆が振り返る。
「どうした、アル」
「いや―――そういえば君も、よくこんな顔をしていたね」
「ハハハ、アル、俺はすでに一人の子持ちだぜ」
「でも君と、僕の繋がりは、生涯変わることはない」
「わかっているよ、俺だって、一時たりとも忘れたことなどないさ」
すっかり成長した息子と、その娘の姿に、父親は改めて瞳を眇めて微笑んだ。
玖隆とアリアも笑い、水代は孫娘の小さな手とお別れの握手を交わす。
「カナによろしく、愛していると伝えておいて」
「はい」
「君のことも愛しているよ、僕の可愛いプリンセス、次に会うときはもっと素敵なレディになっているんだろうね、楽しみだ」
「はい、アル、アリアもアルが大好きです、みなかみさんにも好きって伝えておいてください」
「喜んで」
「それじゃ、父さん、また」
「ああ、またね」
二人とも愛しているよ!の声が夕陽の中で響く。
玖隆の腕に抱きかかえられて、水代の姿が見えなくなるまで手を振って、角を曲がると、アリアは父親の横顔をじっと見上げた。
「パパ」
「なんだい?」
「みなかみさんは、パパの大切な人ですか?」
ふと立ち止まり、玖隆は娘を見詰め返した。
幼さの中に知性の煌きを灯した瞳はキラキラと輝いていて、まるで胸の奥まで見透かされているようだ。
父親は少し黙り、苦笑して、それから、とても真面目な顔で肯く。
「そうだよ」
「アリアも、パパもみなかみさんも、大好きです」
「うん、俺も、好きだ」
「みなかみさんを助けたおいしゃさんは、パパですか?」
(まいったな)
再び歩き出しながら、どうだろうねと玖隆は答えた。
そして、アリアに、今度皆守さんに会っても、パパの名前を教えちゃダメだぞと釘をさしておく。
「どうしてですか?」
「まだその時じゃないからさ」
「その時?」
「アリアは、誕生日までプレゼントの中身を教えてもらわないほうが、嬉しいだろう?」
「はい」
賢い娘はそれで全てを了解したらしい。
視界の先にジープを見つけて、玖隆はアリアに微笑みかける。
「さあ、カナがお待ちかねだ、急ぐぞッ」
地面を蹴り上げて、勢いよく走り出した。
腕に抱かれたままのアリアは、散々揺られてキャッキャと楽しげな声を上げている。
地平線の向こう、太陽は半分まで埋まっている。
今頃施設の一室で、懸命に資料と向かい合っているだろう姿を思い浮かべて、ますます胸躍るような心地に、玖隆の足はいっそう弾むようだった。