「I Know You Know?」
かつ、かつと響いてくる音に、王様は顔を上げました。
階段を登りきり、空の扉が開かれます―――ぎぎぎいーッ
「ウフフ」
かつん。
「やっぱりここにいたのね、相変わらずねえ」
「―――何の用だ」
ふわりと、炎のような色の髪をかき上げて、現れたのは女王様でした。
黒いヒールの足元も艶かしく、つかつかと物怖じしない足取りで近づいてきます。
白い肌、八頭身、豊かな乳房と匂い立つような色香を振りまくその姿を眺める、王様の目はあくまでクールで冷ややか、それもそのはず、王様は女性というものにあまり興味がありません。
「面倒臭い」というのがその理由です。
女王様はもちろん、その事を知っていましたから、こちらも特に何の意識もせず、ごろりと寝そべった王様のすぐそばに立って顔を覗き込みました。
「オイ、見えるぞ」
「不感症の貴方でも、なにか感じるものがあるのかしら?」
「―――迷惑だ」
「あら、失礼しちゃうわ」
命がけでシャッターを切る輩もいる、女王様の挑発にも王様は全く動じる様子がありません。
そっぽを向いて愛用のパイプを燻らせているので、女王様はまたウフフと笑いました。
「そんな事より貴方」
「何だよ、暇つぶしの相手ならお断りだぜ」
「イヤだ、バカにしないでちょうだい、わたし操は堅いのよ」
王様も知ってるさと横顔で笑います。
「フン、冗談だ、けど休業中の俺に何の用だよ」
「職務怠慢の間違いでしょう」
「どっちだっていいだろ、お前、わざわざからかいに来たわけじゃあるまい」
「ウフフ、そうね」
女王様は王様の鼻の頭に赤い爪の先をスッと突きつけました。
「―――玖隆あきら」
眠そうにしていた王様は、はたと瞳を開きます。
「9月の末にここへ来た転校生、貴方のクラスメイト、よね」
「ああ、そうだ」
「カテゴリーAに該当する存在、本来ならば、我々が早急に対処しているはずの人物」
「―――何が言いたい」
段々険悪な雰囲気に変わりつつある王様を、女王様は楽しげに眺めています。
その唇には、余裕の微笑。
不意に身体を起こして、そしてまたウフフと笑いました。
「彼女、可愛いわねえ」
王様が一瞬、固まりました。
瞳をますます大きく、丸く開いて、まじまじと女王様を見上げます。
口元が緩み、落ちたパイプは先端の紙巻と分離して床に硬質な音を立てて転がりました。
紙巻の火は、その衝撃で消えてしまいました。けれど王様は気づきません。
「な」
だいぶ時間をかけて、やっと一言話すことができました。
「なん、だと?」
ウフフ。
「貴方が入れ込むのもわかるわ、あんな子、そうそうお目にかかれないものね」
王様は呆然と座り込んでいます。
何を話したものか、どう反応したものか、いや、何故その事を女王様が知っているのだと、頭の中身が高速回転しているのだろうと、女王様にはとっくの昔に想像がついていました。
だから次の反応を楽しみにするように王様を見下ろしています。
王様はようやくソワソワし始めると、手を伸ばし、パイプを探り当てて、それを口に咥えて初めて紙巻がなくなっていることに気づきました。
慌ててそちらも拾い上げ、差し込んで火をつけます。オイルライターはなかなか着火しません。
風が吹いてふわりと女王様のスカートがめくりあがり、刺激的な下着が露になった瞬間、ようやく煙が上がりました。
王様は忙しなく香りを吸い込みながら、女王様の姿がまた見えるのを待ちました。
「ウフフ、失礼」
女王様は乱れた髪を直しながら、スカートの裾を軽く押さえるフリだけします。
「そんなことより」
王様はまだ動揺しているようです。
「お前、何故それを」
「あら、あの子は水泳部の部員でしょう?部長のわたしが知っているのは当然だわ」
「そ、そういう事でなくてだな」
言いかけてはたと言葉を区切ります。
「―――シャワー、か?」
「ご明察」
ぐしゃりと髪を握り締めて、王様は深い、深いため息を吐きました。
その様子はなんだか滑稽で、女王様は噴出しそうになってしまいました。
王様は、自分で問題を起こして、自分で結果に後悔しているのです。
(バカねえ)
男性の、そういった愚かな部分は決して嫌いでないので、女王様はただ黙ってニコニコと眺めていました。
「クソ、まさかお前に知られるとはな」
「ウフフ」
「―――オイ」
腕の影から、非常に鋭く、また警戒心にあふれる威圧的な視線が突然女王様を睨み上げました。
王様はとても厳しく女王様を警戒しているようでした。
理由はよくわかっていたので、女王様はまるでなだめるかのように、柔らかな笑みだけ浮かべていました。
王様は不安に思っているのです。
その理由はたくさんありすぎて、多分王様自身にも整理がつかないのでしょう。
本当に困ったひとです。
女王様はもう少しからかってやろうかという気持ちを、ちょっとだけ我慢してあげることにしました。
「大丈夫、心配しなくてもいいわ」
「何?」
「わたし、あきらくん約束したの、黙っていてあげるって」
あんな可愛らしい子との約束、破るわけがないと付け足してあげました。
王様はそれでもまだいぶかしんでいるようでした。
ずいぶん警戒心の強い事ですが、それも仕方ないのでしょう。女王様は微笑んでいます。
「本気か?」
「ええ、もちろん」
王様の聞きたがっていること全てに対して、女王様は答えました。
それは、ちゃんと伝わったらしく、王様はまたちょっとだけ驚いた顔をして、それからようやく、今度はさっきよりもっと深く重い溜息をつきながら、自分の髪の毛をぐしゃりと握り締めて呟きました。
「―――まったく、とんでもないぜ、これだから女って奴は」
うふふ。女王様は笑います。
「女は怖いのよ?貴方も、よく肝に銘じておくことね」
「お前くらいだろう、それは」
「あら、わかっていないのね」
指先がさらりと髪をかきあげて、くるりと後ろを向きました。
「貴方の知らないような秘密を、こっそり隠し持っている可能性だってありうるのよ」
「オイ」
それはどういう意味だと、声を背中に聞きながら、女王様はすでに歩き出していました。
相変わらず縋り付きたくなるような妖艶な雰囲気ですが、けれど、やっぱり王様は不感症のままです。
―――王様が、喉から手が出るほど欲しい相手は、ただ一人きり。
そして最近はその傍らを常に独占して、夜毎腕の中に引き込んでいることも、女王様はもちろん知っていました。
以前その痕を見たのです。色の白い肌の上に散る、桜色の花びらの模様を。
黒いヒールの足元が途中で立ち止まり、首だけ振り返りました。
「そうだ」
王様は中途半端な表情で固まっていました。
「―――あの子、程々にしてあげなさいよ?最低でも避妊くらい気をつけてあげないと、責任取れなくなっちゃうわよ」
瞳がパシパシと瞬きをして、不意に、ふてぶてしい笑顔に変わりました。
ようやく、普段の王様らしい、ひねくれ者で天邪鬼な、実に意地の悪そうな笑顔です。
「フン、それこそ余計なお世話だ」
ピンとアンテナが立って、女王様は少し瞳を見開くと、肩をすくめて再び前を向きました。
「なるほど、ね」
かつん、かつん
「蜘蛛の巣に一度かかった獲物は、逃げられないって事ね、可哀想に」
「関係ないだろ」
「そうでもないわ」
ぎぎぎいーッ
「そうね、だったら―――私はあの子の天使になろうかしら?」
「何?」
扉の隙間からちらりと見えた瞳がキラリと輝きます。
「じゃあね」
バタン
取り残された王様は、その言葉の意味を考えつつ、なぜかさっきとは違う種類の不安が胸に沸き起こっていました。
女王様の気質は、王様とよく似ています。
関連性ができてしまった以上、何かとてもよくない事が起こりそうです。
王様はガリガリと後頭部を掻いて、考えてみようとしましたが、でも、結局―――そのままごろりと寝転がっただけでした。
「まあ、何かあれば、どうにかするさ」
近頃はこっそりナイトのつもりもある王様です。
大切なものを守るためならなんだってしてやります。
ルール無用、人権無視、マナーだって関係ありません。道徳も常識も踏み潰してやりましょう。
ようやく捕まえた好みの獲物を、逃がしたり譲ってやったりするほどお人よしでもありません。
(とにかく、余計な手出しはさせない)
それだけ自分の中でちゃんと確認しなおして瞼を閉じました。
浮かび上がった姿に、口の端が少し綻んでしまうようで、眠りの帳はいつものように緩々と優しく彼を包んでくれるようでした。
まるで、あの腕の中のようです。
女王様の香りが、辺りにほんの少しだけ残っているようでした。