玄室に掲げられた四方の紅蓮が、よりいっそう大きく燃え盛っている。

「うおォォォ―――ッ、我の体が、我の体があァァァ!」

崩れる、崩れてしまうとのた打ち回る巨魁。

あたしと甲太郎は、共に肩で息を繰り返しながら、辛うじてまだ立っている。

すでに弾薬の類は底をついて、防具も何もボロボロだ。

甲太郎が共闘してくれたから、こうして今があるんじゃないかなあって思う。

もし、これがあたし一人だったら、正直どうなっていたのか分からない。

自ら冠した神の称号は、伊達じゃなかったみたいだ。

あの八つの柄を持つ剣も、体に突き刺したのを引き抜いたら、それまで蓄積されていたダメージとあわせて、粉々に砕けて無くなってしまった。

甲太郎もボロボロで、それでも、お互い致命傷を受けずに済んだのは、上手に連携できた証拠だって考えるのがいいよね。

甲太郎はまた、たくさんあたしを助けてくれた。

そのことをぼんやり思い出しながら、ズキズキしている頬の辺りを軽く手の甲で拭う。

血がついていた。

あたしは、顔をしかめて、とりあえず見なかったことにしておく。

「おおお、おおおおッ」

荒吐神はもがき苦しんでいる。

いや、こいつはその名を抱く神そのものじゃない。

苦しみの果てに、自ら『神』に存在を置換する事で、ようやく意義を見出せた哀れな犠牲者。

憐憫の底に蔑みをこめて思うんじゃない。

ただ、悲しいと―――感じていた。

望んだわけでないのに。

欲したわけでないのに。

与えられた力は、ただの副産物。

代わりに奪われた様々なものは、二度と彼の手に返される事はない。

何故だか涙がこみ上げてくるようだった。

ふらつきながら甲太郎が近づいてきて、やっぱりあたしの隣に立つと、そっと肩を抱いてくれた。

振り返ると苦笑い。

甲太郎も傷だらけだ。

後で手当てしなくちゃねって、心の中だけで囁きかける。

「再生せよッ、我が体よ、再生するのだッ」

苦しみ続ける異形の足元に、静々と歩み寄っていく白岐さんの姿が見えた。

まるで、御霊を慰める巫女のように。

どこか神々しい姿に、あたしたちはただ黙って、あたしはまるで、神代の時代に紛れ込んでしまった異邦人のような気持で、彼女を見送った。

「ううう、我、は」

「もう終わったのよ、長髄彦」

「我、は」

「貴方は、解放されたのです」

「かい、ほう?」

「そう」

―――その様子は、どこまでも優しい。

応じる『神』も、まるで子供みたいだ。

甲太郎の掌が、あたしの肩先を包み込んだ。

あたしは、甲太郎にちょっとだけ凭れかかるようにして、情景にスウッと瞳を細くする。

「還りたい」

長髄彦が泣いている。

「私は、夢を見ていた、悪い夢を―――還りたい、あの頃へ」

視界が少し滲む。

触れている甲太郎の掌から染み出すぬくもりが、心を慰めてくれている。

「還りたい」

還りましょう、と白岐さんが言った。

長髄彦はつられるように、ゆっくりと頭上を見上げた。

その、途端。

(地震?)

足元に微かな揺れを感じて、あたしはハッと我に返った。

(違う!)

大気も含めた、石室全体が震えている。

ぱらぱらと降り注ぐ細かな破片に、あたしたちも頭上を見上げた。

「ヤバいッ」

甲太郎の呟く声。

突然、どおん、どおんと連鎖して鳴りだした破壊音。

空から、大小さまざまな形状の塊が、石室めがけて落ちてくる。

「うわあああッ」

慌てて飛びのいた、さっきまであたしたちが立っていた場所に、一メートル近い大きさの塊がドスンと鈍い音を立てて突き刺さった。

息を呑む暇もなく、降ってくる瓦礫をかわして逃げる。

白岐さんは同じ場所でまだぼんやりと立ち尽くしていた。

見上げる長髄彦の姿は、すでに陽炎のように曖昧になって、向こうの景色が透けて見えだしてる。

「白岐さん!」

咄嗟に駆け出す。

腕を掴んで取って返すと、彼女のいた場所に、大きな石が着地を決めた。

ヤバい。

この玄室は、もうすぐ壊れてしまう。

遺跡そのものが崩れた際の地盤沈下なんかの損害を考えると、地上に戻っても安全という確証は無かったけれど、まずはここから脱出しない事には、最悪、生き埋めっていう事態にもなりかねない。

崩れていく遺跡に、ほんの少しだけ、胸が痛んだ。

血相を変えてこちらに来ようとしていた甲太郎に、阿門君の確保を頼む。

あたしは、白岐さんの手を引いて、二人の傍まで走っていく。

「あきらッ」

「急いで脱出しないと」

「ああ、分かってる」

「白岐さんはもう平気?少し走るけど、ついてこれる?」

「私のことなら、心配しないで」

「よかった」

阿門君は―――そう言いながら振り返った先、目と目が合って、あたしは思わず言葉を飲み込んでいた。

「阿門?」

甲太郎も様子に気付いたらしい。

阿門君は死にそうな表情を浮かべながら、弱々しい笑みを唇に滲ませていた。

「俺のことなら、気遣い無用だ」

「阿門」

「墓守としての我等の役目は潰えた、ならば、俺もまた、この遺跡と共に滅ぶのが道理だろう」

「何言ってんのよ、阿門君、時間無いんだよ?」

「ああ」

「だったら」

「言ったはずだ、俺は、滅びるべきなのだと」

お前たちだけで逃げろと、そう言った。

阿門君の様子は嘘でも冗談でもない、もとより、そういう洒落っ気のある人じゃない。

白岐さんが俯いていた。

甲太郎も、苦しげに顔を歪ませて、正面より僅かに逸らしている。

あたしは一瞬、呆然としていた。

けれどすぐ気を取り直して、説得しようと考えた。

最悪、気絶させて、甲太郎と二人で強制運搬する腹積りだ。

まさか「ハイそうですか」なんて、彼一人残して脱出なんてできない。

あたしはコートを捕まえる。

「阿門君!」

「俺に構わず、行け」

「そんなこと言わないでよ、遺跡が崩れるからって、阿門君まで共倒れになることないじゃないッ」

「それが、俺の宿命だ」

「運命とか宿命とか、馬鹿らしい、人の命は、そんなものと秤にかけられるわけないでしょッ」

「フッ、お前らしい言い分だな」

「阿門君ッ」

「皆守」

振り返った阿門君が甲太郎を見詰めた。

その途端。

「うわ!」

すぐ傍にドスンと塊が落ちてくる。

あたしはかなり焦って、阿門君のコートをぐいぐい強く引っ張った。

その手を。

(えッ)

甲太郎が掴む。

「甲太郎?」

「あきら、もういい―――もう、やめてやれ」

どういう事?

一体。

「ここから逃げ出すのに、全員一緒っていうのは、ちょっと厳しいかもな」

あたしと白岐さんを交互に見て、甲太郎もどこか、悲しい笑みを浮かべている。

「俺も―――さすがに調子が良すぎるだろう」

(何?)

あきら。

髪をそっと、撫でられる。

「そんな顔するな、お前の、いや、お前達のことだけは必ず、俺が地上まで送り届けてやる」

お前たちって、それ、どういう事?

「こうたろ」

「不肖の参謀だったが、最後くらいは付き合うぜ、会長」

甲太郎は阿門君をちらりと横目で見て、言った。

「この命で、過去を清算しよう」

血塗られた歴史を。

犯した罪を。

(何を)

思う間もなく手を引かれる。

甲太郎が引っ張っている。

「早く」

あたしは動けない。

「どうした、あきら」

お前は死なないんだろうって、声がした。

その通りだ、死ぬつもりなんて無い。

でも。

「玖隆さん」

白岐さんに触れられる感触。

「急げ、もうあまり時間が無い」

だけど。

「俺の力にも限界がある、埋もれる前に逃げるんだ、あきら、動け」

「甲太郎は?」

「―――俺のことはもう構うな」

できれば忘れて欲しい。

瞳が何かしらのメッセージを囁いて―――

そうしてそっと、微笑まれた。

塵芥に濁る景色の中で、あたしの心が、爆発した。

 

「イヤだ!」

 

腕を振って振り解く。

甲太郎が、白岐さんが、阿門君が、ギョッとした様子であたしを見ている。

「あきら」

もう一度、掴もうとした掌を、今度は叩き落してやった。

あたしは甲太郎を、阿門君を、睨み付ける。

「イヤだ、そんなの、絶対にイヤだ」

「駄々をこねてる場合じゃないだろ、お前だけは」

「イヤッ」

嫌だ、嫌だ、嫌だ。

そんなの絶対、ガマンできない。

みんなのいない世界なんて耐えられない。

甲太郎のいない世界なんて―――意味が無い。

「皆で帰るんだよ」

阿門君を見る。

「一緒に、帰るんだよ」

白岐さんを見る。

誰も犠牲にならなくていい。

もうこれ以上、誰も傷つかなくていい。

―――この瞬間だけ、あたしは、自分の立場も目的も、全部忘れ去っていた。

皆を助けたい。

誰の事も、見殺しになんてできない。

あたしは天香で出会ったみんなのことが好き、だから。

「誰の悲しむ顔も、辛い思い出も、もう見たくないし、作りたくないよ」

目にゴミが飛び込んできて、涙がこぼれた。

こんなに簡単に諦めちゃう、こいつらの事が悔しい。

阿門君は馬鹿だ。

甲太郎も馬鹿だ。

どうしてわからないんだろう。

白岐さんの腕を、そっと引っ張り寄せた。

「それならあたしも、あたしの命をかけて、白岐さんのことだけは絶対地上に連れ帰る」

「あきら」

「でも、甲太郎と阿門君が残るなら、あたしも一緒に残る」

「バカ、何言ってるんだ、俺はお前を」

「グダグダ口論してる暇なんてない、あんたたちみたいな馬鹿に分からせてやるために、あたしは残るんだからね」

そうだ、思い知ればいい。

悔しい、悔しくて、堪らない。

「もし一緒に死んだら、末代まで呪ってやる」

「あきら」

「そんな風にしか考えられない、甲太郎なんて嫌い、だいっ嫌い、阿門君も嫌いッ」

甲太郎がビクリと体を震わせて、馬鹿みたいに片腕を伸ばしかけた格好のまま、呆然とあたしを見ていた。

阿門君は口を真一文字に結んでいる。

あたしは白岐さんの腕を引いた。

「さあ、早く行こう」

「玖隆さん」

「白岐さんは気にしなくていいよ、大丈夫、あたしが地上までちゃんと送り届けるから」

「でも」

いいんだ、あたしは自分の選択肢に後悔なんてない。

多少呆れるけどね、我ながら、どうしてこう体張ることしかできないんだろうって。

「好きになった相手がね、馬鹿だったのよ」

だから、仕方ないよね。

苦笑いしたら、白岐さんは頑なな表情を浮かべていた。

「玖隆さん」

「白岐さん?」

「それなら、私も―――一緒に残るわ」

えっ?!

「ちょ、ちょっと待って!」

「あなた方だけを残して、私もここから帰れない」

「白岐さんッ」

「私が好きになった―――私の大切な友達も、好きな人のために命を投げ出してしまうような、馬鹿な人だから」

ニコリと微笑まれて、あたしは何も言えなくなってしまった。

ただガラガラと、石室の壊れていく音だけが聞こえている。

濛々と白濁した大気の中で。

今だけ、時間の流れがやけに遅い。

あたしは白岐さんと見詰め合ったまま固まっている。

あたしのすぐ傍には甲太郎が、そして、阿門君が同じ様に立ち尽くしている。

壊れた柱の残骸や、天井部分が次々に降り注いでいた。

あたしたちは―――あたしは、これはもう覚悟を決めた方がいいかもしれないと、少しだけ思った、その時だった。

「は、ははは、ははッ」

振り返る。

「何だよ、この状況」

甲太郎の声。

甲太郎は笑っていた。

「遺跡が崩れかけているってのに、誰も逃げようとしないだなんて、どういうことだ?俺達は―――俺は、馬鹿か」

ニュッと伸びてきた腕が、半ば無造作にあたしのゴーグルをむしりとった。

「お前も馬鹿だ、あきら」

「なっ」

なんだとーッ

「これじゃ、想いを伝えた意味がないじゃないか、俺はお前に惚れてるんだぞ」

「だから何よ」

「お前を見殺しになんて、できるわけがない」

ポツリと呟いて、甲太郎は急に、困ったような表情を浮かべる。

「どうしても、嫌なのか?」

「嫌よ」

「生き残らなくちゃ、ダメなのか」

「当然でしょ」

「そうか」

少し黙る。

ややして、それなら仕方ないと、頭をグリグリ撫でられた。

「裏切り者が今更どれだけ卑怯な態度を取ったって、責められる事に変わりは無いだろう」

だったら、俺も、逃げてやる。

甲太郎がニヤッと笑う。

「お前を助けるには、それしか方法が無いみたいだからな」

「甲太郎!」

「阿門、悪いな、更に前言撤回だ、気絶させてでも連れて行くぞ、覚悟しやがれ」

「皆守」

向かい合う甲太郎と阿門君。

あたしは周囲を見渡しながら、脱出経路の算出を開始する。

白岐さんの手を引いて、少しだけ引き寄せた。

 

『還りましょう』

 

―――声が降り注いでくる。

あたしたちは、咄嗟に動作を止めて、全員で頭上を見上げた。

 

『還りましょう』

 

落ちてくる瓦礫に混ざりだす、青い光。

埃まみれの空間で、キラキラ、キラキラと。

 

『あなた方が救ってくれた、あなた方が、導いてくれた』

 

頭上で燦然と輝いている、一際大きな二つの光。

あたしは目を凝らした。

光は少女の形をしているようだった。

(双子?)

手を繋ぎあって、微笑んでいる。

 

『今度は、私たちがあなた方を導きます』

『その煌きを失うのはあまりに惜しい』

『繋ぎましょう、明日へ』

『導きましょう、未来へ』

『銀色の、夜明けへ』

 

ぱああーっと、周囲に青が広がっていく。

崩れかけた壁も、壊れた柱も、降る石片も、全て綺麗なブルーに染まる。

あたし達の体も、気付けばブルーで覆われていた。

優しく、心地よいぬくもりに包み込まれて、爪先がフワリと浮かび上がった。

「あきらッ」

伸びてくる掌。

あたしの腕を捕まえる。

いつの間にか手放していた白岐さんと阿門君の姿が空に向かってぐんぐんと昇っていく。

あたしは甲太郎の胸に引き寄せられて、抱きしめられながら彼等と同じ様に上昇を始めていた。

漆黒の奈落から、天へ。

傍を幾つも光球が昇っていく。

綺麗。

双子の光に先導されるようにして、遙か彼方の空には、厚く垂れ込めた雲が大きく開き、そこから暖かな輝きが降り注いでいた。

(還っていくんだ)

あたしの内側に、そんな言葉が唐突に浮かび上がっていた。

(皆、還るんだ、光の中に)

もう痛くない、苦しくもない。

怒りも悲しみもない。

スルリと何かが頬を伝う。

甲太郎に寄り添って、背中に回された両腕が、あたしをしっかり抱いてくれていた。

「あきら」

愛しい声。

汚れたTシャツの表面に顔をごしごしこすり付けて、顔を上げる。

「違うよ」

ちょっとだけ笑った。

「そんな名前じゃないんだよ」

きょとんとしている甲太郎の顔。

―――胸の奥から、こみ上げてくる。

好き、貴方が大好き。

そしてあたしは、ようやく、最後の封を解き放った。

 

「玖隆あきらじゃない、あたしのなまえは、水代あかり、初めまして、皆守甲太郎君」

 

幸せが、雪のように降り注いでいた。

 

続く