「フィル君って、何だったんだろうねー」
お昼休み直後の廊下を、あたしは八千穂さんと一緒に歩く。
クラスの子達はフィルが急にいなくなって驚いていたみたいだったけれど、天香学園の特性みたいなものだからって、すぐに割り切れちゃったみたい。
何だか少し怖いけれど、こっちとしては助かる風潮だ。
八千穂さんの口調もすっかり世間話テイストに落ち着いている。
あたしはまだ多少わだかまりが残ったまま、けれど、全ては闇の中。
結局のところ、フィルの話してくれた言葉だけが残されて、本当の思惑とか、裏の事情とか、察する要素すら殆どないから、あるがままを飲み込まざるを得ない状況だ。
フィルは本当に、迦奈の依頼を果たすためだけに、あんな事したのかな?
(わかんないよ)
廊下の途中で八千穂さんと別れた。
昼食を兼ねてのミーティングに参加しなくちゃならないんだって、一緒にご飯が食べられない事、凄く残念そうに両手をギューって握られた。
ううーん、こっちの問題は、まだ解消されていないみたい―――
(き、気にしない!)
あたしは途中購買部に寄って、適当に買い物をしてから屋上を目指す。
階段を上りきった先にある、蝶番の錆付いたドアを軋ませながら開くと、四角く切り取られた景色の向こうに、フェンスに凭れる見慣れた背中があった。
「皆守ッ」
振り返る横顔。
口元でアロマがふわりと昇って、軽く片腕を上げる。
「よお」
あたしが駆け寄っていくと、向けられる柔らかな笑顔。
(うッ)
立ち止まったら不思議そうに目を眇められた。
(いかん、いかん!)
あれ以来どうも調子が出ないんだよなあ。
皆守のこと、妙に意識しちゃって、自分でも変だなって思うんだけど。
何となく頬が熱いのを感じながら、手に持っていたビニール袋を突き出した。
「これ」
「ん?ああ、昼飯か」
「みっ、皆守は、もう、ご飯、食べたの?」
「いや、まだだ」
「そっか」
言葉と一緒に、ついニッコリしちゃう。
(うわわ)
おかしい。
あたしは慌てて袋の中に手を突っ込んだ。
「あ、あのね、パン買ってきたんだ、一緒に食べる?」
「ああ」
皆守の声って、こんなに格好良かったっけ?
(変だな、やっぱりちょっと、ドキドキするよ)
―――遺跡から戻った直後、女子寮の手前まで双樹さんを見送って、その後あたしも含めた男子組は、男子寮のあたしの部屋に集合していた。
フィルは話があるからって来たんだけれど、何故か皆守まで一緒になってついてきたんだ。
不思議だったけど、あたしは別に、嫌じゃなかった。
フィルも苦笑いで許したみたいだった。
話の間中、難しい顔で黙りこくって、ずっとあたしの傍に石造みたいに座り込んでた。
フィルは、アルやクライス、迦奈の近況と、あたしのリクエストでカールの話も、相変わらず皆大変みたい。
でも、カールが元気で活躍しているって聞いて、すっごく嬉しい気持ちになったな。
ニコニコしてたら、皆守がやたら不機嫌なオーラを立ち上らせていて、謎だったけれど。
「あきら」
急に真面目な顔をして、フィルが最後にしてくれた話は―――話じゃなくて、彼が独自に所有している情報筋から手に入れた、かなり深刻な『警告』だった。
「レリックの奴等が、ここをかぎつけたらしい」
「えッ」
驚いて目を瞠ったけれど、内心、半分くらいは予測の範疇内だなって気分もしていた。
これだけ大規模な古代遺跡の情報を、うちだけが所有しているとも考えづらい。
(情報社会だもんね、どこからでも、幾らでも、調べられたらつかまれちゃうもん)
まあ、もしかしたら今まではずっと様子見をされていたのかもしれないけれど―――
ここまで封印が解けて、ついに、乗り込んでくるつもりなのかな。
とにかくあたしは気を引き締めていた。
不安だけれど、こうなったら一刻も早く、天香遺跡に秘められた『秘宝』を手に入れるしかない。
黙り込んだあたしと逆に、今度は皆守がフィルから話を聞きだそうとしていたけれど、こっちは全部煙に撒かれちゃったみたい。
やっぱり、どれだけ踏み込んでいたとしても、皆守は部外者だからなあ、まあ、仕方ないよね。
少し悔しそうに黙り込んだ奴を気にかけるそぶりすら見せずに、フィルはあたしにだけ「頑張って」と言い残して、部屋を出て行った。
直後に天香学園転入の際に保存されたありとあらゆる自身に関する情報を消去していったらしくて、感じからすると夜が明ける前には撤収完了させていたみたい。
その時、皆守も、フィルが部屋を出て行ってから、それほど時間を置かずに自室へ帰っちゃった。
見送るとき、ドアの前で、迂闊にも名残惜しく感じたりして―――ホントあたし変だ。
凄くおかしい。
部屋の中で一人きり、仕事の事を考えて、全部終わったら撤収するんだなって思った途端、胸の奥がズキンとして、何にも考えられなくなりそうだった。
フィルに強制送還の話をされたときと同じ痛み。
皆守と離れたくないっていう、意味不明の感情。
これって何?
よくわかる言葉を、あえて、見逃している気がする。
(どういうこと?)
胸の奥がグニャグニャして、どうにも落ち着かない。
皆守の事ばっかり考えちゃう。
これじゃいけないって、わかってるつもりなんだけど。
『支払い』のしすぎで、どこかおかしくなっちゃったのかな?
「―――きら」
えっ
「あきら」
「え?」
振り返ると、皆守の顔。
「どうしたんだ?」
「なな、何でもないッ」
気付けばここは天香学園の屋上で、あたしたちは北風から身を守るように、寄り添いながらパンを食べてる。
「お前、最近、妙じゃないか?」
「エッ」
「ぼーっとしてるな、そんなことじゃ」
「わ、分かってるよ!」
喋りながらどんどん顔が熱くなるのが分かる。
凄くドキドキしてるんだけど、離れたくない。
これって何?変じゃない?
皆守は、不意に視線をあたしから、よく晴れた冬の空に移した。
「まあ、分かってるなら、いいんだがな」
風に混じるどこか遠い声。
横顔をあたしは何となく見上げている。
「―――足元、すくわれないように、もっと気を張っておけよ」
「う、うん」
「レリックドーンとかいうのは、何者なんだ?」
皆守はずっとそのことを気にしていたみたいだった。
あたしは聞かれるままに、レリックの話や、フィルの事なんかも、教えられる範囲で答えた。
「じゃあ、そいつらはテロリストみたいなもんで、お前の商売敵って訳か」
「そうだね」
「トレジャーハンターって言うのも、なかなか因果な商売みたいだな」
「大変なんだから」
「まあ、お前を見ていればわかるさ―――怪我ばっかりしやがって」
不意に掌が髪をよけて、あたしのこめかみにキスをする。
途端に凄くドキッとして、慌ててパンを食べたら、耳元で囁くような笑い声が。
「そんなに一気に食うと、詰まるぞ」
ムグ!
げほッ、ゲホゲホゲホッ
「ほらみろ」
背中をトントン叩きながら、紙パックのジュースのストローを唇に添えられた。
あたしは慌てて咥えて、中の液体をグーッと飲み込むと、ようやくホッと一息つく。
「食い意地張ってるからだ」
「う、うるさいなあ、違うもん!」
「どうだか」
「ほッ、ホントにちが」
う、の声は、キスで塞がれていた。
唇が離れると、固まったままのあたしに笑いかけてから、皆守は残りのパンをぱくついていた。
うららかな冬の正午過ぎ。
寒いけれど、あったかい。
悔し紛れにジュースを飲んで、そのまま皆守に凭れかかってやった。
ずっとこうしていたいって思っても、今だけは、仕方ないよね?
(だって気持ちいいんだもん)
相変わらず早いビートを刻み続ける心臓に、でも、体があったかくなって丁度いいかな、なんて気楽な事を考えて、あたしはちょっとだけ笑う。
皆守は黙々とパンを食べ続けていた。
晴れ渡った風景に二人きり、でも、二人でいるのって、結構いいかも。
あたしは一人で幸せな気持ちに浸りきっていた。
だから―――
全然、気付けなかったんだ。
何も言わない皆守が、隣でどんな表情をしていたか、なんて。
どこか予感を孕んだ風に瞳を細くしながら、あたしと皆守は始業のベルが鳴るまで、いつまでも、一緒に同じ空を見上げていた。