VS更紗さん そのに」

 

 ロゼッタ協会に『ウィザード』という通り名で呼ばれる女性がいる。

本名を知らない人間の方が圧倒的に多い、彼女の名前を『藍住更沙』という。

(まあ、それすら本名ではない可能性のほうが高いんだが)

端末をいじって、ちまちまと報告書の直しをしながら、玖隆はぼんやり藍住の面影に想いを馳せていた。

自分だって玖隆晃なんて名前は偽名もいいところだから、そんなものはお互い様だ。

どうせ、名前なんて単なる記号でしかないし、個人が識別できれば、玖隆自身何と呼ばれようがさして気にならない。

もっとも、気に食わない呼び名に関しては、完全無視を決め込むのだが。

「大人気ないかねえ」

しかし、この報告書っていうのが所属持ち唯一の難点だよな。

記憶力はいいほうだけど、微細なところまでは失念しかけている、仕事内容をあれこれ思い返しながら、玖隆の姿はいつの間にか風景の一部と化していた。

物置みたいな部署部屋の、隅のソファの、しかも一番端に腰掛けて、背中を屈めて小さな端末の画面とにらみ合っていれば、自ずとそうなってしまうだろう。

どうして『ウィザード』のことを思い出していたのか―――

それは、書類束のビル郡が広がったデスクの向こう側から聞こえてくる、瑣末な噂話が原因だった。

 

「まったく、ウィザードには困ったものだ」

「腕の覚えのあるくせに、非協力的もいい所だからな、始末に終えないぜ」

「正直、俺は常に彼女の存在自体が協会にとっての不安の種なんじゃないかと思うよ」

「あの気まぐれでレリックなんぞに行かれた日には、たまったもんじゃないからなあ」

「可能性が全くないって訳じゃないからな、あの性格なら十分有りうる」

 

(いや)

相変わらず画面を睨みつけて、文章の推敲に集中しながら、玖隆は心の中で『ナイ、ナイ』と彼等に手を振り返す。

『ウィザード』がロゼッタ協会を抜ける事は、まずもってありえないだろう。

少なくとも―――『彼』が在籍する以上、彼女もここを離れない。

2人の間にどんな繋がりがあるのか、聞いた話では保護者代理のようなものらしいけれど、そんな簡単な言葉で済ませられるようなものじゃない事くらい、部外者の自分でもわかる。

誰もがその関係性に気付いているかどうかは怪しいが、それでも玖隆は内心呟いていた。

『九龍』がロゼッタのハンターであり続ける限り、『ウィザード』は彼の傍を離れない、と。

(だから、むしろ心配すべきは、あいつがフリーになっちゃわないかどうかだと思うんだが)

難しい顔をしていた玖隆の口元に、一瞬だけ笑みが滲んだ。

デスクの向こうの2人組みは、いつの間にか藍住更沙という『女性』に関しての話題で盛り上がっていた。

 

「確かに見掛けはいいが、いい女って訳じゃないだろう?」

「ハハハ、確かに」

「まず抱く気になれない」

「そりゃそうだ、あんな怖い女、抱くとしたらアーミーの現場で慣らした強面男くらいなもんじゃないのか」

「女なら何でもいいってか?流石にそれでもお断りされるだろうさ」

「まあなあ」

「俺はもうちょっと媚があってもいいんじゃないかと思うんだがね、ああいういい女は、男の財産みたいなもんだろ?噛み付いてやらせないんじゃ、女としての価値がないんじゃないのか?」

「お前、それは言いすぎだろう」

「何だよ、じゃあ、あの『ウィズ』が、可愛い顔して突っ込んでくださいって言ってきたら、お前、どうするよ?」

 

そりゃ、やるな。

ハハハと笑う男達の声を聞きながら、玖隆は最後の仕上げにかかっていた。

(よし)

マリアから指摘された資料不足も、アーサーから指摘された説明不足も、全部補った。

正に完璧な報告書の出来上がりだ、今度こそ。

(コレで赤点食らったら、俺こそフリーのハンターになってやる)

マリアの端末宛に全文送信して、さて、と息をついた、その時だった。

(ん?)

―――急速に、場の空気が冷え固まっていく。

先ほどまであれほど雄弁に語り合っていた、2人の声が聞こえない。

コツ、と靴音が聞こえて、デスクの向こうから覗いた顔に、玖隆は「あれ?」と呟いていた。

「やあ、ウィザード」

「お久しぶりね、晃君」

ええッ、と奥から小さなどよめきが伝わってくる。

玖隆はソファから立ち上がって藍住の後ろを覗き込んだ。

(今更だぜ、コレだから本部勤めの下っ端は)

男たちは、ギョッとした顔をしていたけれど、それ以上に焦燥感の滲んだ目で玖隆に釘付けになっていた。

(まあ、そりゃ、そうだろうな)

下世話な話の当事者が現れて、しかもその話をいつから聞いていたのかわからない人物が部屋の奥にいたことに全く気付いていなかったのだから、内心の動揺は計り知れない。

玖隆はすぐに視線を藍住に戻すと、ニッコリ笑ってお辞儀をした。

「如何されたのですか、姫君、この憐れな奴隷めに何か御用でも?」

「奴隷?」

「貴方への恋の奴隷です」

フフ、と、笑ってもらえたから、嬉しくなる。

聡い彼女の事だ。

ついさっき現れたばかりで、彼らの話を聞いていなかったのだとしても、恐らく雰囲気で察しただろう。

くだらない輩のくだらない話にいちいち目くじらを立てるほど暇人でもないけれど、親しい人間を愚弄するような言動は、何より許しがたい。

冷え切った気配が自分に対してのみ僅かに緩和された事に内心少しだけホッとして、玖隆は藍住と他愛のない会話に興じる。

 

「晃君ならここだろうと聞いて、少しお顔を覗きに来たのよ」

「本当に?光栄だな、貴方みたいな美人にそんなことを言われたら、俺は明日から世界中の男を敵に回すことになる」

「フフ、本当に冗談が好きね」

「だから、冗談じゃないって言ってるだろう?今だってウィザードをお茶に誘う、うまいセリフを必死に考えていたところなんだ、もっとも、貴方さえ構わなければ、だが」

「お茶くらいならいつでも、ご馳走していただけるのかしら?」

「レディにコインを出させるなんて、男の意地にかけてもできないよ」

「それなら、話は至極簡単だわ」

 

行きましょう、と踵を返す、藍住の視界に、すでに2人の男は認識すら外されているようだ。

サラサラ流れる長い髪の、いい匂いにうっとりとしながら、玖隆はすれ違いざま、ちらりと横目で彼等に囁きかける。

「安心しろ、お前達には一生縁のない、いい女だ」

サッと通り過ぎて、あとは振り返らなかった。

背後で2人がどんな顔をしているのかと思うと、おかしくて声に出して笑ってしまいそうだ。

(まあ、殴られなかっただけでも、感謝する事だ)

―――あの部屋に藍住が現れなければ、報告書を仕上げた地点でそうする予定だった。

「ウィザード」

前を行く彼女に呼びかける。

歩く速度が少しだけ落ちて、綺麗な横顔がちらりとこちらを窺った。

「お茶にケーキは如何ですか?」

「素敵ね」

フフ、と笑う表情が、やはりとんでもなく魅力的だ。

本物の良さは、贋物にはわかるまいと、内心こっそり優越感に浸りつつ、玖隆は魔法使いの隣に満足げに陣取っていた。

 

(了)

※途中の下卑た会話内容(苦笑)気に障るようでしたら、容赦なくご指摘ください。

もっと控えめな表現に直します…すんません(汗)