R-style 1

 

 煙るような空色の中を白い雲が漂っている。

九月の終わり近くはどこまでも高く遠い青が続いていて、寝転びながら見上げているとそのまま吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。

ふいに耳障りな金属音がして、首をめぐらせて見ると知った顔がひょいとこちらを覗いていた。

「晃」

甲太郎は半身だけ起こして名前を呼んだ。

晃は、やっぱり、という様子の笑みをわずかに浮かべて、丁寧に屋上のドアを閉じるとこちらへ歩いてきた。

「どうしたお前、今はまだ授業中だろうが」

時間割とは無縁の日々を過ごす自分と違って、転校生の彼は真面目に毎時間の授業を受けている。

もっとも、一般的に言えばそれはごく当たり前のことであり、そこから逸脱している自分のほうが異端なのだろう。甲太郎にとってはどうでもいい事だった。

晃は屋上の縁を囲むフェンスにもたれかかりながら、身を乗り出すように空を見上げた。

そのまま視線をすっと下げて、墓地の方角をじっと眺めている。

中肉中背の、引き締まった体、姿勢もよく、凛とした面立ちは人目を引く。漆黒の髪と、暗翠色の眼は火にあたると赤く染まる、程よく日焼けした肌、それなのに、睫毛が長いせいでどことなく幼い気配が漂う。

腕力のありそうな腕の、指先だけが繊細でアンバランスなイメージだった。

彼が学生服を着ていること自体どことなく違和感を覚えている。

そんな風に考えるのも、彼の素性を知ってしまったせいなのだが。

 

世界を股にかけるトレジャーハンター。

それが彼の正体だ。

 

初めて聞いたときには性質の悪い冗談だと思った。

けれど、墓地の穴や、あの遺跡、そこで見かけたあの異形の化け物たち―――化ける人とかいて、化人と呼ばれる、人によく似た気味の悪い何かを凌駕するほどの戦力を携えた晃の姿を見て、甲太郎は半ば観念するようにその事実を認めざるをえなかった。

闇を友とし、恐怖を乗り越え、命を懸けて何かを追い求める背中はいつだって頼もしいのに、こういう瞬間、晃はこのまま消えてしまいそうな儚い雰囲気を垣間見せる。

自分と同年齢でこれほど特殊な職についているということは、彼は相当優秀なのだろう。

けれど、そのせいで無くしてしまったものも多いような気がしてならない。

まるでそれは、自分と同じように。

そんなものは個人的で勝手な思い込みにしか過ぎないのだろうか?

甲太郎はアロマパイプに差し込んだ紙巻に火をつけ、一吸いした。

「なあ、晃」

振り返った姿に風が吹く。

黒髪がなびいて、指先が頬にかかった数本を除けるようにして押さえた。

吐き出した紫煙がかすかに鼻先をかすめる。穏やかな、ラベンダーの香りだ。

自分はずっとこれに頼ってきた。

こんな、儚いものに。

「お前、さ」

そのまま空を見上げると、相変わらず仄暗い青が広がる。

もっとも、それはこの目だけに映る色なのかもしれない。

「一目ぼれって信じるか?」

「何?」

視線を戻した先の晃は、少し困惑下な表情だった。

甲太郎はアロマを吹かす。

「なんだよ、もう老化か?一発で聞き取れよ、一目ぼれを信じるかって聞いてんだよ」

「なんだよそれ」

「なんだもなにも、そのまんまの意味だ」

言葉の応酬の末に、晃は益々怪訝に眉を寄せて、甲太郎の顔をじっと注視した。

「そんなこといきなり聞かれても、俺だって困るよ」

「なんで困るんだ」

それは、と言いかけて、晃がアッと目を大きく見開いた。

これは何か思いついたときの顔だ。

遺跡を探索している最中、何度も見かけた。謎解きや、ワナ解除の時こんな顔をよくする。

黒い瞳がキラキラと輝いて益々魅力的な表情だと思う。

甲太郎の眼がスッと細まる。

「お前、ひょっとして、好きな子でも出来たのか?」

次の瞬間、盛大にむせこんでいた。

大丈夫かと近づいてくる晃は多分アロマにむせたのだと思ったのだろう。冗談じゃない。

「バカ、んなわけねえだろ!」

必死に叫びながら睨みつけると、二三度瞬きを繰り返した先の表情がアハハと罪無く笑った。

「悪い悪い、だっていきなり変なこと聞くからさぁ」

「ったく、お前こそ唐突だろうが」

自分の事を棚に上げて、甲太郎は抗議する。

「大体俺はただ質問しただけだぞ?妙な勘ぐりするなよ、いい迷惑だぜ」

「なんでそんなこと聞くのかぐらい気になるだろ?質問の内容が問題なんだってば」

「うるせえ、いいから答えろっ」

最後は半ばやけになって怒鳴りつけると、晃は驚いたように目を丸くして、それからニッコリ微笑んだ。

「しょうがないなあ」

甲太郎の胸の奥がわずかに高鳴る。

「そうだな、ええと、一目ぼれね、ううん」

晃の整った顔が、すっと空を見上げた。横顔の頬骨の繊細さに瞳を奪われる。

顎から喉にかけて、学生服に消えていく肌の色を追いかけながら、そこに触れてみたい衝動が指先をかすかに震わせていた。

「俺は、そういう感覚はまだ知らないから、はっきりしたことは言えないんだけれど」

―――何だよ」

「うん、でも、それもアリなんじゃないかな、と」

動揺をごまかすように、甲太郎はアロマを吹かしていた。

「アリか?」

「うん、そもそも人を好きになるっていうこと事態が理屈じゃ割り切れないだろう?」

「利害が一致した時のことは?」

「そういうのは今お前が聞いてる好きとは違うだろ?」

大体、そういうときに一目ぼれはしないんじゃないかなと、晃は笑う。

「一瞬で判別する場合は、大概その人の根底に直結している問題だ」

「根底」

「そう、殺されそうな瞬間、怪我しそうな瞬間、そういう時、人間が決断するのは一瞬だ、それは直に命の有る無しに関わってくる問題だから、いちいち考えてる余裕なんて無いんだよ」

こういう言葉はこいつが喋ると重みが違う。

そんな事を考えながら、甲太郎は揶揄するような笑みを浮かべた。

「なら、一目ぼれも生き死にに関わってくるってのか?」

「極論だけどな」

晃も悪戯な笑顔に変わった。

「理屈じゃなくてさ、本能的に、その人が欲しいって思った瞬間、一目ぼれするんだと俺は思うよ」

「欲しいってのはつまりその」

柄にも無く照れている。甲太郎はそんな自分に苛ついて、何でもない様子を装った。

「ヤりたいって事か?」

晃は一瞬驚いたような表情を見せた。

そして彼もどこか照れたように、困り顔で少しだけ微笑んだ。

「子孫繁栄って意味では、生き死にに直結してるだろ?」

「なるほど」

納得入ったような反応を返したので、晃も話題の終了と判断したようだった。

また柵の方に戻っていくので、その背中に一声かける。

「おい、今夜も潜るのか?」

振り返った晃はそのまま頷いた。

吹いてきた風が、また彼の髪や制服の裾を揺らす。

自分よりもずっと危地に慣れているはずなのに、守りたいと思うのは何故だろうか。

「そうか」

甲太郎は再びゴロリと横になった。

見上げた空は相変わらずさえないのに、気持ちは少しだけ高揚している。

「なら、俺にも声かけろよ、お前一人じゃ心配だからな」

わざわざ付き合ってやるんだ、感謝しろよというと、声だけがありがとうと返ってくる。

吹かしたアロマの煙が青色の奥へと吸い込まれていく。

「子孫繁栄、ね」

どう判断したものだろう。

そういう意味じゃ、これはその範疇には収まらない。

理屈云々では無いという解釈の方がいくらか納得できるようだった。

わかる、わからないは抜きにして、現実に起こった出来事を今更否定することも出来ないのだけれど。

甲太郎はもう一度、今度はほんの少しだけ体を起こして柵の方を見た。

墓地を見下ろす晃は、今夜の作戦を練っているのだろうか?

大して役に立っているとも思えないけれど、一緒に行かなければまたアロマの世話になるだけだ。

そんな夜は過ごしたくない。

暗い部屋の中、他人の身を案じてやきもきするなど俺のすることじゃない。

チッと舌打ちして寝転がりながら、甲太郎の口から無意識の言葉が飛び出していた。

 

―――鈍い奴め」

 

晃が振り返ったような気配がしたが、その時にはすでに目を閉じていたので実際の所はよくわからなかった。

ラベンダーの香りがいつもより甘い気がする。

理由は知れなかった。

多分、このバカみたいな思い込みのせいだろうと判断して、満足する。

見えていなくても、この先にあるものは青空だ。

明日も明後日も、ずっと青空に違いない。

それはわずかに興奮するような、おかしな気分だった。

瞼の裏に思い描く背中は、何より強い思慕を呼び起こすようだった。