R-style 10

 

「悪いな皆」

エプロン姿の晃が苦笑いを浮かべている。

調理室の丸椅子に腰掛けて、四人はそれぞれ思い思いの格好で卓についていた。

「気にしなくていいよ、あっちゃん」

鎌治が青白い顔にかすかな微笑を湛えて首を振る。

その隣で八千穂も大きく頷いていた。

「そうだよ、こういう特訓なら断然付き合っちゃう、私すっごい楽しみなんだから!」

「お前は飯なら何でも楽しみだろうが」

顎だけ卓の上に乗せて、甲太郎が気だるげにアロマをふかした。

「何よ、そんなことないもん」

「どうだかなあ」

「もう、皆守君!」

まあまあと笑いながら大和がなだめにかかる。

「それくらいにしておけ、こいつも、なんだかんだ言っても楽しみなはずだ、なあ甲太郎?」

投げやりな声がうるせえと答えた。

「しかし、生活技能の特訓とは、また一体どういう風の吹き回しなんだ、晃」

フライパンに菜箸片手の晃は、振り返ってうんと頷いた。

彼は今流しの前に立っている。

目の前には食材一式、用具一式、これから、四人の好物を作ろうという算段だ。

所要時間は一時間、彼らには、無理を言って授業をサボってもらった。

もっとも、甲太郎と大和に関してはヒマだからと勝手についてきただけなのだが。

「ちょっと事情があってね」

遺跡に同行している鎌治と明日香、甲太郎はその理由を知っている。

闇深い場所に不釣合いな、そしてそこにあるのが当然のような、不思議な女性、マダム・バタフライとのトレード用の一品を晃は作りたいのだった。

けれども今の調理技能ではとても太刀打ちできなくて、そのための特訓というわけだ。

ただ一人事情を知らない大和は、それでも他に誰も詳しい話を聞こうとしないので、そんなものかと折り合いをつけたようだった。

学生服の上に淡いブルーのエプロンで、台所を駆け回る姿はなんだか妙に可愛らしい。

一同は目を細めて彼の動向を見守っている。

こうして傍で見ていると、晃は、なかなかどうして手際がいい。

それはトレジャーハンターとして必要な技能なのかもしれないが、それにしても様々な作業を同時にすいすいこなしていく様子はなかなかの主夫ぶりだった。

「晃君!」

明日香がニコニコと呼びかける。

「ねえねえ晃君、なんだかお母さんみたいだね」

ソースの味を小皿に注いで確かめながら、振り返った晃が困り顔で笑う。

「お母さんかァ」

「おい八千穂、もっとましな喩えはねえのか」

甲太郎がうんざりした声を洩らす。

「いや」

鎌治がそれを遮った。

「実は僕もそう思ってたよ、あっちゃんには悪いけど、なんだかその」

「ふむ、新妻みたいでもあるな」

大和の一言に周囲の全員が振り返った。

小皿の中身をぐっと飲み込んで、晃がむせている。

「ちょ、ちょっと、夕薙君、何言ってるの!」

「うん?」

当の大和は涼しい顔だ。

「何かおかしかったか?俺は思ったままを言ったまでだが」

うーんと明日香は腕組みして唸る。他三名は脱力しながらそんな二人を見ていた。

「そういうのが外国風なの?あっちの人はみんな積極的だって聞くけど」

「バカ、そんなわけねえだろ」

突っ込みを入れる甲太郎に、振り返った明日香がこそっと囁きかける。

「ライバル出現?」

「はあ?!」

明日香は頑張ってねと付け足して、ウィンクまでおまけに寄こしてくる。

頭を抱え込んだ甲太郎を、労わるように鎌治が見詰めていた。

大和は肉の焼き加減はレアでと晃に頼んでいた。

「血の滴るようなのが好みなんだ、なるべく柔らかくな」

晃はうんと頷きながら、野菜を炒め始める。

ふと鼻先をくすぐる香りに、顔を上げた甲太郎が晃を呼んだ。

「おい、晃」

「何だ?」

「タマネギは後から入れろよ、溶けるからな」

「了解」

「あれ、ジャガイモじゃないの?」

炒め物の必要な調理は今回カレーだけなので、察した明日香が首をかしげた。

甲太郎はフンと鼻を鳴らす。

「それが素人の甘いところなんだ、いいか、カレーってのはだな」

「あーいいよ、皆守君のカレー話は長すぎるから」

片手をヒラヒラ振られて、ぐっと言葉に詰まる甲太郎を横目で伺い、晃は苦笑した。

ミルクと溶き卵を混ぜて、温めておいたもう一つのフライパンにバターを落とす。

「ああ、それはオムレツだね」

鎌治が嬉しそうな声を上げた。

「あ、晃君!あたしのは?」

晃はくるくるとよく動き、炒めた中身を深鍋に移して、同じフライパンで軽く熱した水をそこに足した。オーブンでバンを焼き、その間に下味をつけたひき肉を丸く平たく整えてラードで焼きながら、千切ってあったレタスの水気を綺麗に拭き取っていく。

フワフワした卵をくるんと楕円に整えて、皿に乗せるとひとまず一品完成した。

「はい、オムレツ出来上がり!」

いつのまにか出来上がっていたデミグラスソース入りのトマトソースには刻んだ野菜がたくさん混ざっていて、とろりとした赤色が映える非常においしそうなオムレツだった。

一同は思わず感嘆の声を洩らしていた。

「これは明日香ちゃんの」

直後にハンバーガーも出来上がってくる。

歓声を上げるその向こうから香ばしい肉の香りがして、大和が次は俺かなと言いつつ甲太郎をちらりと見た。何となく、悔しいような気がする。

「ふん、旨いカレーはな、時間がかかるんだよ」

すぐ傍で明日香がおいしいを連呼している。

「すごいよ晃君!これなら本当にお店開けるよ!」

それほどでもないと晃は照れ笑いを浮かべていた。

次に出来上がってきたのは、大和の予想通り、やはりビフテキだった。

「あっちゃん、ありがとう、すごくおいしいよ」

卓に料理を運んできた晃に鎌治が微笑みかける。

「そうか、取手に喜んでもらえて嬉しいよ」

「晃君、私は?私は?」

「明日香ちゃんにも喜んでもらえて嬉しい」

明日香も無邪気に喜んでいる。

「おお、旨そうなビフテキだ」

大和はすでにナイフとフォークを持って、臨戦態勢に突入していた。

甲太郎は呆れ顔で様子を眺めていた。

目の前に置かれた料理を、ガツガツと食べる姿は想像以上にワイルドだ。

「甲太郎?」

呼ばれて振り返る。

「なんだよ」

「お前の分はもうちょっと待ってくれ、すぐ出来上がるから」

「おう」

多分、もう気付いてるかもしれないけれどと、前置きをして晃は言う。

「今日のカレーは」

「わかってる、チキンカリーだろ、匂いと具材を見ればわかる」

「やっぱりばれてたか」

当然だと答えられて、晃はニッコリ微笑んでいた。

「飛び切り旨いの作るから、ご指導よろしくお願いします」

「ああ、カレーのことに関しちゃ俺はうるさいからな、バッチリしごいてやる」

思わず微笑みかけて、周囲の視線が集中していることに甲太郎は気付いた。

「な、なんだよ」

「別にー」

明日香は何だか楽しそうにニマニマと笑っていた。鎌治と大和は少し複雑な表情をしている。

「何だかなあと思って」

「何がだよ」

「新婚さんだなあって」

椅子もろとも甲太郎はひっくり返りそうになる。

「お前なあ!」

何とか体制を整えて、そのままの勢いで怒鳴りつけた。

「何でそんな頓狂な考えが思いつくんだっ」

「だってねえ」

晃は笑いながら鍋の傍へ戻ってしまった。

直後に明日香もその気をなくして、食事に集中してしまう。

憤慨した甲太郎だけ、空腹と一緒に取り残されて、ふてくされながら明後日の方角を眺めていた。

カレーの香ばしい匂いと、アロマの香りがわずかに心を慰めるようだった。

「できた!」

しばらくして晃の声が聞こえた。

「待たせたな、最後の一品だ」

深皿によそって、出てきた料理は本格的なネパール風チキンカレー。

首をめぐらせた甲太郎は思わずおおっと歓声を上げる。

ハンバーガーをすっかり平らげてしまった明日香も、同じように瞳をキラキラと輝かせて皿の中を覗いていた。

「すっごい、おいしそう!」

「ああ、なかなかの見栄えだな」

「どれどれ?」

大和も覗き込んできた。

見れば、皿の上のビフテキはすでに跡形もなくなっている。脅威の完食速度だ。

鎌治はまだフォークでゆっくりとオムレツを食べている。

けれど、やはりカレーが気になるようで、目だけでこちらの様子を伺っていた。

「ねえねえ、晃くゥん」

おねだりのポーズで、明日香が晃を見上げた。

「明日香も晃君のカレー、食べたいなあ」

「お前、これは俺のだろうが」

呆れる甲太郎に、晃はいいよとあっさり答える。

「たくさんあるからみんなで食べよう、そのつもりで作ったし」

飛び跳ねる明日香を恨めしく眺めて、振り返ると視線の先の晃は困り顔でちょっと微笑んでみせた。

その目がゴメンと言っていた。

「今日はもう一品晃の作った飯が食えるのか、こりゃあラッキーだ」

嬉しそうな大和の傍に、ようやく食事を終えた鎌治もやってきた。

「おいしそうだね、あっちゃん、僕もご相伴にあずかってもいいのかな?」

「もちろん」

甲太郎だけ何となく面白くないような気分だった。

結局、俺だけ一品なのかと、胸の内でつまらなく呟いてみる。

別に食事に関して不満があるわけではないのだが。

用意した五つの皿にカレーを盛りつけながら、晃が全員に着席を促した。

おとなしく、椅子の上から期待に満ちた視線をよこす一同の中で、甲太郎だけ反対側に首を曲げてアロマをふかしていた。

「じゃあ、みんな、目を閉じて」

皿が行きわたった直後、晃が声を上げる。

甲太郎を除く全員が不思議そうに振り返った。

「え、え、何で?」

卓に並ぶ面々を見回して、晃は微笑みながら口の前に人差し指を立てる。

「今からカレーがもっと美味しくなる魔法をかけるんだ、これは極秘だから、見られてたら効果がない」

「そうなの?」

驚く明日香に、大和が楽しげな笑い声を洩らす。

「随分と粋な事をするじゃないか、晃」

鎌治はすでに目を閉じていた。口元に、うっすらと微笑が浮かんでいる。

「ほら、みんな、目をつぶって」

おとなしく指示に従う様子を眺めて、ますますうんざりしていると、お前も目を閉じろと言われて甲太郎はあからさまに不満をぶつけた。

「何で俺まで」

「いいから」

強引に押し切られて、不承不承に目を閉じる。

こうバカらしいと腹を立てる気すら起こらない。

気配を窺えば、どうやら何かを注いでいるようだった。

カチャン、カチャンとガラスのぶつかるような音がするから、多分コップか何かを用意しているのだろう。

やがて晃はそれを一人ずつ配り始めたようだった。

三人分配って、気配が甲太郎の隣にやってくる。

卓上にグラスを置いて、移動するのかと思っていると、そこで動作が一瞬止まった。

妙な予感が胸をかすめる。

そして、不意に。

 

(?!)

 

「はい、目を開けていいよ」

全員の瞳が同じタイミングで見開かれていた。

「わあ、これ何?」

一番先に騒いだのはやはり明日香だった。

先ほどまでカレー皿しかなかったはずなのに、そのすぐ隣に白っぽい飲み物の入ったグラスがそえられている。

晃はニコニコと笑っていた。

「それはラッシーだよ」

「ラッシー?」

「カレーによく合う飲み物だ、食べながら飲んでみるといいよ、多分おいしいはずだから」

ゴクンと一口まず飲んでみて、それからカレーを食べて、明日香は瞳を大きく見開いていた。

「おいしいっ」

鎌治と大和も、同じように食べて、飲んでみて、おいしい、旨いと声を洩らす。

「うまくいっててよかった」

ようやく一段落ついたような声と共に、晃は椅子に腰を落ち着ける。

「本を見ながらだったから、上手にできたか自信がなくて」

「なんだ、俺たちを実験台にしたのか?」

「悪い、でもそのための調理訓練なんだから、な?」

仕方ないなと笑いつつ、大和はふと甲太郎に視線を移した。

「おい、甲太郎?」

「んあ、ああ」

お待ちかねの一品がようやく出てきたというのに、甲太郎はまだスプーンすら持っていない。

片手の指で唇に触れて、呆然と座り込んでいた。

覗き込んだ明日香が、顔が赤いよと驚いたように声をかける。

「大丈夫?熱かな」

「ば、バカ、そんなんじゃねえよ」

額に触れようとした手を思わず跳ね除けてしまった。

明日香は少しむくれて、それだけ元気なら心配ないかと、すぐに笑顔で機嫌を直した。

「ぼんやりしてないで食べなよ、皆守君、楽しみだったんでしょ?」

「んなこと誰も言ってないだろうが」

「嘘はイカンな、甲太郎」

「皆守君、あっちゃんのカレーは、不満かい?」

どいつもこいつもうるせえなとぼやきつつ、甲太郎はスプーンでカレーをすくい上げる。

そのままパクリと口に含んで、味わいながら飲みこんだ。

「甲太郎」

振り返ると晃がこちらを見ていた。

ドキンと鼓動が鳴って、甲太郎はソワソワしながらオウと短く返事を返す。

「どうだ」

「な、何が」

「旨いか?」

「ああ、まあ、結構やれてるほうじゃないか?」

そうかと笑いかけてくる、その姿にますます戸惑いを覚える。

自分でもわかるほど両頬が熱くて、それを誤魔化すために、もう少しスパイスを足した方がいいだの、隠し味はあれがいいだのと、とってつけたような批評を並べ立てていた。

明日香や大和は興味が湧かなかったようで、すでにカレーを食べるのに夢中だ。

鎌治は、不思議そうに首を傾げて、それでもやはり話の途中で食事にかかりきりになってしまった。

晃だけが最後までちゃんと聞いて、話し終わるまでスプーンも持たずに待っていた。

「ありがとう」

全部言い終えて、自分で何を話していたのかよくわからなくなっている甲太郎に微笑みかける。

「甲太郎」

「な、なんだよっ」

まだなにかあるのか。

いい加減このカレーを静かに食べさせて欲しい。

情けない顔をする甲太郎に、晃は笑顔で囁いたのだった。

「魔法はどうだ、満足してもらえたかな?」

がちゃんと、危うく皿をひっくり返しそうになって、何やってるのよと明日香が軽く目を三角にする。

そんな声も聞こえないくらい、視界には晃の姿しか映らなくなっていた。

悪魔は尻尾を揺らしながらニコニコと感想を待っている。

甲太郎は言いかけて、言葉に詰まり、唸り声を洩らし、そして―――ついに観念したのだった。

「ま、満足した、よ」

ラッシーのグラスを取って、明日香が首をかしげている。

鎌治と大和はあまり興味が無い様子だった。

こいつらが、俺だけに配られた秘密の内容を知ったら、どんな顔をするんだろうか。

確かに目を開かれていてはかけられない魔法だ。

甲太郎限定の特製スパイス。

それは、ほんのり甘い味がした。

彼の言葉どおり、カレーは更においしくなったようだった。