R-style 13

 

「あれ、あーちゃん、なんかいい匂いが」

明日香が首や胸に顔を近づけてくるので、晃は仰け反りながら両肩をやんわりと押し戻した。

「ちょ、ちょっと明日香ちゃん、さすがにそれはヤバイよ」

「え、何で?」

当の本人にはまったくその気がないので困ってしまう。

無邪気さは彼女の美点だと思うけれど、それでも時々度が過ぎるようで、晃は困り顔で微笑み返した。

「そんなことよりあーちゃん、なんかいい匂いがするよ?」

「え?」

明日香はまだ鼻をクンクンとさせている。

「ねえねえ、香水?何の匂い?」

「ああ、これかあ」

晃はニコリと笑顔を浮かべた。

「これはアザロのピュアラベンダー、甲太郎がくれたんだ」

「皆守君が?」

「そう」

甲太郎と香水のイメージが結びつかない様子で、明日香は難しい顔をする。

「何で何で?どうして皆守君があーちゃんに香水プレゼントしてくれるの?」

「うん」

色々あってと説明されて、彼女の瞳の奥の好奇心がにわかに輝きだしたようだった。

何で、どうしてと問い詰められて、晃はいよいよ困ったように眉をハの字に寄せる。

「特別な事情なんてないさ、ちょっと甲太郎が気にしすぎなだけで」

「皆守君が何を気にしたの?ねえねえ、教えてよォ」

「うーん、そうだな」

仕方ないなと前フリをして、晃はようやく重い口を開いたのだった。

 

―――二、三日前のことなんだけれど」

 

オイと呼ばれて振り返ると、廊下の向こう側から甲太郎が歩いてくる。

晃はといえば、ついさっきまで話しこんでいた咲重と別れたばかりだった。

後姿を見送っていたら声をかけられたのだった。あたりにふんわりと、彼女の微香が漂っている。

「よお甲太郎、どうした」

すぐ傍までやってきて、甲太郎はアロマをひと吹きするとあからさまに顔をしかめて見せる。

「臭い」

「え」

「何だよこの匂い」

「ああ、さっきまで双樹さんがいたから、彼女の香水じゃないかな」

嫌味のない、さらりとしたいい香りだった。

彼女のキャラクターとは少し違うイメージの、女性らしい清純な香水だ。

「いい匂いじゃないか」

晃も周囲の匂いを香って、ニコリと微笑んで返す。

「お前はこういうの嫌いなのか?」

甲太郎は無言のまま、少し機嫌の悪そうな表情で急に肩口に顔を寄せてきた。

「ちょ、ちょっと、オイ」

慌てて体を引こうとすると、そのまま捕まえられて髪や、制服の匂いをかがれる。

「甲太郎、お前、なにするんだ、放せよっ」

抵抗しても甲太郎は離してくれない。

仕方無く諦めてなすがままにされていると、ようやく気の済んだらしい彼が顔を上げた。

「お前、匂いが移ってるぞ」

「え、そ、そうか?」

慌てて自分でも制服を嗅いでみたが、周囲の香りと混同してどちらの匂いなのかよく分からなかった。

困り顔で甲太郎を見ると、アロマの煙をひと吹きされて、むせこんだ晃にくるりと背中を向けてしまう。

「お前、なにするんだっ、この」

抗議の声にもそ知らぬ素振りで、そのままぶらぶらと行ってしまった。

―――そんなにこの香りが気に入らなかったのだろうか。

「だからって煙吹きかけること無いだろ、あのバカ」

軽く毒づきながら、晃の鼻先に香水よりも強いラベンダーの香りが残っていた。

 

そして、その翌日。

 

「ホレ」

差し出された小包に、きょとんとする晃を面倒くさそうに眺めながら、早く受け取れと甲太郎が急かす。

夕刻、寮の自室入り口にて、向き合う二人は私服姿だ。

「なんだよこれ、プレゼントか?」

「ああ、一応そうだな」

「俺の誕生日は九月なんだけど」

「知ってる」

「今日は何の日なんだ?」

「年賀郵便特別扱い開始日だ」

ますます混乱しながら、包みを破くと箱が出てきた。蓋を開けると、洒落たガラスの小瓶が入っている。

「これって?」

尋ねると、甲太郎はアロマを吹かしながら横顔でニヤリと笑った。

「ロリスアザロのピュアコレクション第二弾、その名もピュアラベンダーだ」

「えっ」

「お前にそいつをやろう、大事に使えよ?」

「ちょ、ちょっと待てよ甲太郎、いったいどうして―――

言いかけて、晃はハッと思い出していた。

「お前、まさか昨日の」

アロマパイプから白煙が昇り、ラベンダーがほのかに香る。

天香高校着任以来、常に傍らにある、慣れ親しんだ良い香りだ。

「その香水は男物だ、女物の匂いがつくよりずっといいだろ」

甲太郎は何でもないように言って、またパイプをひと吹きする。

「お前にはラベンダーの方が似合う」

「え?」

「だから、明日からはそれつけてこい、余計な臭いが付かないようにな」

「ちょ、ちょっと待てよ甲太郎、それって」

「確かに渡したぞ、つけてこなかったら口きかねえからな、じゃあな」

バタンと扉が鼻先で閉められて、晃は呆然と立ち尽くしていた。

手には、甲太郎からの贈り物の香水。香りは多分名前のとおりだ。

蓋を開けると甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

晃好みの、良い香りだった。

―――強引だなあ」

捨て台詞の幼稚さに呆れながら、それでもなんだかおかしくて、思わずクスリと笑いがこぼれていた。

「そうだな、とりあえず、嫌いじゃないし」

部屋に戻りながら、少量を手に取って首筋にこすり付けてみる。

フローラルな香りの中に馴染んだ匂いがほのかに漂った。

「口、きかないとか言われたら、つけないわけにもいかないか」

やれやれと呟きながら、晃は小瓶を大切に机の引き出しにしまいこんだ。

これで当分甲太郎を喜ばせることになるのかもしれないとふと思う。

けれど、まあそれでもいいかと微笑みを浮かべた。当分はオシャレな高校生を気取ってみるか。

「プレゼント、サンキューな」

室内は、甲太郎の部屋よりも薄いラベンダーの香りに包まれるようだった。

 

―――そういうわけで、まあ甲太郎のワガママに付き合ってるだけなんだけど」

 

晃の話途中、既にお腹いっぱいになっていた明日香は話し終えた気配を悟って慌てて愛想笑いで頷く。

「へ、へえ、そうだったんだァ」

明日香ビックリーと適当な台詞でお茶を濁そうかとも思ったが、そんな冗談すら言う気がしないほどの食あたり気分だった。

まさか、こんなアホらしい裏事情があったとは。

(皆守君やるなあ、けど、晃君って相当ボケてる)

遺跡探索時は本当に頼もしいのに、日常生活では誰も予想しないほどの鈍感ぶりを時折発揮してみせる。

それが彼の魅力なのかもしれないけれど、おかげで甲太郎にはいいように手玉に取られているようだった。

今日日そこら辺の恋人同士でも、こんなベタな真似はしないだろう。

送り主の意図にも気付かず、ラベンダーの香りを纏って晃は平和そうに笑っている。

明日香はこっそり嘆息していた。

「オイ」

呼び声が聞こえて、二人して振り返ればそこにいたのは件の策士だった。

相変わらずいつものようにアロマパイプを吹かしながら、晃の隣まで来ると口の端が分からない程度持ち上がった。

明日香だけそれに気付く。

「お前ら何やってんだ」

「ああ、甲太郎、お前に貰った香水、明日香ちゃんがいい匂いだって言ってくれてさ」

「へえ、そりゃよかったな」

「ちょっとちょっと、皆守君!」

明日香は何となく一言いわなければ収まらないような気分になっていた。

「どういうつもりなのよ?晃君にラベンダーの匂いなんかつけて、それって何だか」

「八千穂」

言葉の途中を甲太郎の声が遮る。

「晃に似合いの、いい匂いだろ?こういう殺伐とした野郎には癒しの香りが丁度いいんだよ」

正しくは晃の職業が殺伐としているだけで、晃自身はむしろふんわり、あったかな性格をしている。

明日香はさらに言い返そうとしたが、無言の重圧がそれ以上の追求を許していなかった。

「そんなことより晃、マミーズ行こうぜ、腹減った」

肩を抱くようにして背を向けられて、何だかもうどうでもいいような気がしてくる。

「えっ、ああ、いいぜ」

気安く笑い返して、晃は首だけ振り返りながら、明日香にじゃあまた後でとすまなそうな顔をした。

「ちょ、ちょっと二人とも、授業はどうするのよ!」

「揃って食あたりだ、そう言っとけ」

「ご飯食べに行くのに、食あたりな訳ないでしょーっ」

ゴメン明日香ちゃん、よろしく頼むと苦笑いする晃を連れて、甲太郎はどんどん歩いていく。

二人の背中を多少憤慨しながら見送って、何気なく振り返った近くの窓の外は今日もいい日和だった。

「癒しの香り、ね」

何だかすっかり疲れてしまった。

教室に向かって踵を返すと、鼻先で香水がほんのりと香る。

晃のつけていたラベンダーベースの甘い香り。

アロマパイプから漂う煙もいつだってラベンダーだ。

「癒しというより、いやらしいよね、まったくもう」

仲のよすぎる二人をいぶかしみつつ、そんな明日香もやっぱり鈍感なのだった。

策士はただ一人、着々と獲物を手の内に絡めとりつつ、ニヤリとほくそえんでいたとか、いなかったとか。

 

真実は香りに秘められた。

 

話中の香水は実際に売っています、詳細は…ググれ!(笑)