R-style 16

 

 たわいもない言葉を交わす、甲太郎の携帯電話が鳴り響く。

モニタに表示された着信名を見て、ふと表情を曇らせていた。

「どうした?」

―――悪い、急用が出来ちまった」

隣の晃にお前は先に帰れと告げて、夕暮れの校舎を歩き出す。

いつも気だるげな彼の、足取りはいつになく重たかった。

階段を登り、廊下を進んだ先、扉の一つで立ち止まる。

一瞬ためらってから、遠慮なく戸口を開いた。

扉には生徒会室と記されていた。

 

「あら、貴方が最後よ」

「夷澤は」

「彼は単なる補佐です、本人が出向いてきたのですから、召致の必要は無いでしょう」

―――役員会議を開始する」

一同が掛けているソファに、彼は座らない。

「貴方もこちらにいらしたらどうですか?」

「歩くのが面倒だ、俺はここでいい」

「とかなんとか言って、誰かさんに義理立てしているんじゃないの」

妖艶な笑い声がクスクスと響く。

重厚な声が、それを制する。

「議題は件の問題についてだ」

「彼、ですか?」

「なかなかにやり手のようね、これまでの相手とは少し勝手が違うのかしら?」

「こちら側の人間がすでに数名敗れています、侮る事はできないかと」

「確かにそうね」

「お前はどう思っているのだ」

闇に紫煙がフウっと立ち上る。

「今はまだ、様子見だ」

「あらあら、悠長なことね、いつになく職務怠慢じゃない」

唇が赤い上弦の月を形作る。

「貴方はこちら側の人間なのよ」

どれだけ足掻こうと。

虚ろな日々、魂など、とうの昔に捨ててしまった。

ようやく差し込んだ光はまぶしすぎて、俺は逃げ出したから二度とここから逃れる術は無い。

そう思っていたのに。

「俺は」

薄暗い室内は少し肌寒かった。

あの笑顔の隣はいつだって暖かい。

まるで、枷も鎖も、檻すら存在しないと錯覚させるほど。

「自分がどういう人間かぐらい、わかっているつもりだ」

取り巻く闇が嘲う。

「そう、それならいいのだけれど」

女の言葉に低い声が続く。

「それは、時が来れば必ず動く、余計な詮索は無用だ」

「随分と信用されてるんだな」

「それが我らとお前の契約だ」

―――なら、信任厚い俺はもう行ってもいいか?こういう集まりは苦手なんだ」

「ウフフ、あの子が待っているの?」

「奴なら帰ったさ、とっくに」

「あら、残念ね」

煙が揺れて、踵を返した。

返事も待たずに歩き出す、扉の前で、背中に声が響く。

「お友達ゴッコも程々にしておかないと後が辛いわよ」

「そうだな―――肝に銘じておく」

部屋の外は西日で赤く染まっていた。

まるで血の色だ。

ここは、生涯生まれ出ことのない胎児たちの楽園。

ぬるい母体の中で、俺たちは異分子を葬り去っていく。

後ろ手に扉を閉じると、足早に歩き出していた。

―――浅ましい、俺は何を期待しているんだ。

深紅の産道が陽炎のように揺らいでいた。

 

「晃?」

昇降口でぼんやり佇む後姿に見覚えがあった。

振り返った晃を見て、靴箱の並びの奥から甲太郎は驚いた視線を向ける。

―――バカ、お前、何でまだいるんだ」

駆け寄ると申し訳なさそうに笑いかけられた。

「悪い、あんまり時間がかかるようなら帰ろうと思ってたんだけど」

「ったく、前に忠告しただろうが、放課後の校内で何が起こったって文句は言えねえんだぞ」

「だって」

晃は口を尖らせる。

「そしたらお前、ひとりで帰ることになるだろう?」

「だから何だよ」

「そんなのつまんないじゃないか、一緒に帰りたかったんだよ」

「バッ」

バカ野郎と、つい声が大きくなってしまった。

「俺のことなんてどうでもいいだろうが、お前は」

「どうだってよくないから待ってたんだろ」

「何言ってんだお前、俺は」

―――その先は、続けられない。

俯く甲太郎を晃が覗き込んでくる。

「甲太郎?」

「いや―――何でもない」

「俺と、一緒に帰るのは迷惑か?」

「迷惑じゃねえよ」

よかったと微笑む、その姿が眩しくてまた目を逸らす。

傷なら浅い方がいい。

これ以上触れ合う前に、差し出す手を掴もうとしない俺なんか見捨ててしまってくれたなら。

(それこそ、俺の身勝手だ)

どうせ幾ら突き放した所で、お前はこうして待っていてくれるのだろう。

だから離れられない。俺は自分を知っている。

「なあ甲太郎、マミーズ寄ってかないか、俺ちょっと小腹が減ってて」

「今の時間じゃ大腹だろうが、夕飯食うぞ」

「お、大将よくわかってますな」

「ぬかせ、ほら、チャッチャと歩け、日が暮れちまうぞ」

吹いて来た北風が寂しくて、甲太郎は笑っていた。

ここは牢獄だ。抜け出す時は、俺が死ぬ時だ。

死刑執行日は着実に近づいている。逃れる術は無い。

見上げた西日が瞳を貫く。

眩しすぎて、視界が濁るようだった。