R-style 19

 

「ねえ、甲太郎?」

「アん?」

ベッドに寝そべっていた女は、少し困った顔で笑っている。

「あたしと一緒にいる時位、楽しそうな顔できないわけ?」

楽しそうだろうがと言い返すと、そんな風には見えないよと答えられた。

「大体甲太郎ってさ、ここにくるのって、エッチするためか、ご飯食べるためか、寝るためしかないじゃない、もっと普通のカップルみたいに」

遊びに行ったり、旅行したり、一緒にぶらぶらしたりとかさ。

「青山においしいカフェができたんだよ、今度一緒に―――

「めんどくせえ」

ごろりと背中を向けると、女は黙ってしまった。

少し経って、小さく声が聞こえる。

「まあ、甲太郎にそんなこと期待しても無駄か」

なら聞くなよ。

うつらうつらしていると、お腹すいたでしょ、カレー食べる?と尋ねられた。

「ああ」

「じゃ、すぐ用意するね、待ってて」

「どうせインスタントだろ?湯を沸かすだけじゃねえか」

「フフン、今日はちゃんと作ってあるんだから、甲太郎の好きな野菜カレー」

なんだ、珍しいこともあるじゃないか。

振り返ると女はシャツだけの上からエプロンをつけて、台所に立っている。

目の前でコトコトと鍋が煮えていた。

 

「ねえ、甲太郎?」

「ん?」

「アタシね、好きな人ができたんだ」

二人で向かい合ってカレーを食べている。

少し驚いて女を見詰めて、それからふうんと唸った。

「だからね、もうここには来ないで欲しいの、甲太郎なら他にも泊まれる所、あるでしょ?」

「ああ、まあ」

「じゃあ、それ食べたら出てって、ね?」

ニッコリと微笑まれて、返す言葉も無かった。

黙々とカレーを平らげて、服を着なおすと、そのまま玄関へ足を向ける。

ドアの前に立ってからちらりと振り返って、女に向かって手を上げた。

「じゃあな、達者で暮らせよ」

何それ、女が笑う。

「甲太郎って年寄り臭いよ、気をつけないと、またフられちゃうよ?」

「慣れてるさ」

「またまた、心にもないこと言って」

急に背中を強く押された。

「ほら、早く出て行って、私片付けとかしなくちゃいけないから」

「ああ、悪い、じゃあな」

「甲太郎も達者で暮らせよっ」

「ありがとさん」

ドアの外に追い出されて、そのままガチャンと鍵のかかる音が真夜中の空気を震わせる。

甲太郎は頭をボリボリ掻いて、そのまま歩き出した。

ドアの向こう側、すがるようにして、女が泣いているような気配がしていたけれど、それが何故なのかわからなかった。

ポケットを探ると所持金が底をついていたので、仕方なく自宅に足を向けながら溜息を漏らす。

「めんどくせえなあ」

ただひたすら、両親がまたうるさいだろうとか、それくらいのことしか考えていなかった。

 

暗い。

 

瞼を数回パチパチと上下させて、ぼんやり辺りを眺める。

肩に触れるものがあって、振り返ればそれは髪の毛だった。

そこからすぐ下、同じ年頃の男が静かな寝息を立てている。

「晃」

名前を呼んでも気付かない。余程深く眠りの淵に沈んでいるんだろう。

ここは晃の部屋で、俺は一緒に寝ているんだ。暗いのは夜だから。今見えていたのは寮の天井だ。

―――ってことは、さっきの光景はあの頃の夢か。

思い出を繰り返してみる事が厳密に夢といえるのかどうか定かでは無いけれど、寝ていたことには間違いない。

こめかみをポリポリ掻いて、体の向きを晃と向かい合うように変える。

薄闇の中、微かに浮かぶ姿を見つめて、その髪に、肌に、そっと触れていった。

今の俺なら、あのときのアイツの気持ちがよくわかる。

アイツは多分俺が欲しかったんだろう。

俺は混沌の中を彷徨っていて、それは今もあまり変わらないけれど、あの頃より世界は少しだけ明るくなったような気がする。

それは、こいつが―――晃が、現れたせいだ。

こいつがなんだかんだ騒いで、俺を振り回して、気付けば光の下まで引っ張り出されていた。

足元に闇はまだ絡みついたままだけれど、降り注いでくる温もりはまがい物なんかじゃない。

俺は変わった。

変えたのは晃だ。

誰かと共にあることの喜びを俺に教えてくれた。

そして―――それを失う恐怖も。

手放したくない。

けれど、こいつはいつか俺から離れていってしまう。

ならいっそ、こっちから突き放してやった方が傷は浅くて済むじゃないか。

「アイツは、勇気があったんだな」

甲太郎は寂しげに微笑んでいた。

俺はそんな勇気すら持てない。

だから、いつまでもウソばかり並べて、少しでも長く晃の傍にとどまろうとしている。

俺はバカだ。

あの頃も、今も、何も違わない。どこまで行っても情けない臆病者だ。

「それでも、もう少しだけでいいんだ、晃」

頬を撫でる感触に晃がウウンと顔をしかめる。

抱き寄せて、額にキスを落とすと、眠そうな声がなんだよと呟いた。

「なんでもない」

「なら、寝ろ、明日も学校だ」

「行かないぞ」

「行くんだよ、俺と一緒に」

そのまま再び寝入ってしまうので、甲太郎はやれやれと苦笑していた。

守りたいと思う以上に、離別の恐怖に怯える。

―――あの女は暗闇の中で何を考えたんだろう。

その答えを、俺はすでに知っている。

「寝るか」

腕に在る温もりを手放さないようにしっかり抱きしめて、瞼を閉じるその瞬間まで晃の姿を見つめていた。

忘れないように、無くさないように。

ドアの向こう側から聞こえる泣き声は誰のものだろうか。

それは彼女のモノでも、俺のモノでも、同じように闇を濡らす旋律だ。

最後の鍵の音が鳴り響くまで、どうか、このままで―――