R-style 2

 

 キスも、随分慣れたと思う。

唇をついばむように重ね合わせて、それからだんだん深く交わらせる。

入り込んでくる舌先を絡め取ると喜ばれる事を最近知った。

もっとも、ここへ来てからそんな関係になるまでに、殆ど時間もかからなかったのだけれど。

そういえば、と思う。

以前何かで「つり橋の法則」というものを聞いた事がある。

足元の危ういつり橋の上で出会う男女は恋に落ちやすいという、怪しい統計学に基づいた説だ。

それは、生命の危機に直面した際の動悸を、恋愛のそれと見誤るために起こるいわば錯覚のような恋愛であるらしい。

初めそれを聞いたとき、くだらない、バカらしいという感情しか起こりようがなかった。

心拍数上昇という事象だけ見ればそれはそれだけのことであり、ただの身機能異常でしかない。

けれど、そこに関わってくる心情といえば話は別だろう。

生命の危機と恋愛を錯誤していては、いくらあっても身が持たない。

それに第一恋愛なんてそもそもが錯覚みたいなものなのだから、勘違いを「間違っている」と指摘された所で閉口するくらいしかできないだろう。

その程度のことだ、つり橋の法則など。

「おい」

唇が離れて、至近距離から瞳を覗かれた。

甲太郎は少し不満そうにこちらを睨んでいる。尋ねる前に、彼が自分で理由を言った。

「こんなことしてる最中に、他のこと考えるなよ」

晃は苦笑して謝る。

「ゴメン」

「何考えてたんだ」

「んん、いや、つり橋なのかなと思って」

「は?」

頭に疑問符を浮かべた甲太郎を見て、晃は改めて笑った。

笑いついでに少しだけ表情を真顔に戻す。

「お前、さ」

「なんだ」

「俺の仕事のことは、知ってるよな」

何を今更という視線を読み取って、晃はうんと頷いた。

「俺は、俺の依頼主の依頼を受けて、ここに来た」

「ああ」

「依頼内容は知ってのとおりだ」

天香学園地下に広がる遺跡の探索と、そこに連なる真実の追究。秘宝の発掘。

共に活動するバディとなってもらう前に全部説明した。

それは、命がけで仕事を手伝ってもらう対等な関係の人間が知っておくべきことであり、また教える責任があると判断しての行為だった。

その結果、情報の漏洩、彼自身が何らかの特殊機関に属していた場合の裏切りなどの不安要素も否めないとは思ったが、こちらが絶対の信用を示さなければ互いの生命の危機に関わってくる。

優秀はハンターは人を見て、自分を信じるように人を信じ、その力を借りる。

だから晃は甲太郎を信じることで自分を信じた。

今のところその判断は正解だったと思う。

「お前や、他のみんなにも手伝ってもらって、仕事自体は順調に進んでるんだけどさ」

彼以外にも手を貸してくれるバディは学園内に多数現れていた。

行く手を阻んだ人間も何人か手を貸すと名乗りを上げてくれている。

そのおかげで、想像以上に作業の進行具合は早いようだった。

「ここで、俺が真実を見つけ出したら―――

もしくは、来年の三月になったならば。

「もうキスは、出来ないんだぜ」

悪戯っぽく笑って見せたのに、甲太郎は神妙な表情になってしまった。

そんなことわかっていただろうと、晃は身勝手に思う。

俺たちは、本来なら出会うことの無かった人間同士だ。

ここに遺跡があったから、たまたま俺が担当員に選ばれたから、そして、偶然お前がここに居合わせたから、だから、全部が繋がった。

キスをするようになったもの、それ以上のことも、なにもかも極小の可能性の上に成り立った奇跡的な事実に過ぎない。

だから離れるのは当然のことで、ずっと傍にいられると考える方がどうかしている。

俺も、お前も、それぞれの人生があって、それは本来距離のあるものだから。

この一瞬が過ぎれば、二度と交わらない。

またどこかで出会うことがあっても、その時は他人の顔だ。

「晃」

甲太郎の瞳が近づいてきて、晃はすっと瞼を降ろした。

唇に触れる感触が、より深く表面を吸い上げてくる。

水音を立てるような激しいキスの後で、舌先が濡れた唇の雫をぺろりと舐め取った。

「お前みたいな人間はな、晃、明日の事なんて考えるもんじゃねえだろ」

離れた先の瞳が深い色を湛えていた。

それは寂しさなのか、悟っているのか、それとも、ただ強い思慕の想いなのか、晃にはよくわからなかった。

「どのみち俺らは卒業したらバラバラだ、だがそうなるまでにはまだ少しばかり時間がある、だから、それでいいだろ」

「甲太郎」

「明日がどうなるかなんて誰も知りゃしねえし、知ったところで仕方ない、そんな事グダグダ考えてるくらいなら、寝てたほうがまだマシだ」

「お前には、将来の設計図とかそういう考え方は無いのか?」

晃が笑うと、甲太郎はケッと吐き捨てて言った。

「お前に言われたくねえよ、どうせ最後はそこら辺の遺跡でくたばるくせに」

「そんな事があるわけ無いだろ、自慢じゃないけど俺は結構腕が立つんだぞ」

「十分自慢だよ、バカ」

今度は表面についばむように。

キスをして、甲太郎はニヤリと笑う。

―――お前が腕が立つことくらい知ってるよ、そうでもなきゃ、誰が好き好んであんな場所までついてってやるんだ」

「お前はただの変わり者かと思ってたんだけど」

「ふざけろ、あのな、それは」

言いかけて、ふと視線を逸らす。

多分何か言いづらいような真面目な事を言おうとしたのだろう。

そういう仕草も最近知った。キスが上手くなるのと同じように、一つ一つ、この男の事を知っていく。

晃は不意に甲太郎に抱きついていた。

「お、おい、どうした」

背丈が殆ど変わらない彼の、肩口に額を寄せて、小さく呟く。

「好奇心は、猫を殺す」

「は?」

「知りすぎると痛い目にあうんだ、それは」

よくない。

本当に離れられなくなるのはゴメンだ。

この先、まだまだこんな出会いがあるのかと思うと何故だか泣きそうになった。

そんなはずは無いのに。こいつなんかどうせただのつり橋効果なのに。

「俺だけ必死なんて、バカみたいじゃないか」

胸の中で言ったつもりだったのに、最後の一言だけ口に上っていた。

何か言いかけた気配の甲太郎は、少し置いて、ポンポンと晃の背中を何度か叩いた。

そしてそのまま抱きしめてくる。

優しい、力強い両腕で。

「俺だって必死だよ、晃」

耳元で聞こえた。

「お前を見失わないように必死だ、面倒なことこの上ないぜ」

―――あの遺跡、結構広いからな」

「そうだな、俺一人じゃ戻ってこれなくなっちまうだろうな、気味の悪い化け物もでやがるし」

「バカ」

「バカはお前だ、体力バカのくせに、頭使おうとするんじゃねえよ」

肩口でそのまま、晃は声を殺して笑った。

甲太郎も笑っている。

そのうち、我慢できなくなって、二人して抱き合いながら盛大に笑い合ってしまった。

笑って、散々そうやって、ようやく波が引いた所で体を離して顔を覗き込む。

今度は晃からキスをした。

甲太郎は少し驚いたようだった。

「あのなあ、フェイントはやめろって、言ってんだろうが」

「隙をつくのが俺のやり方だ」

「それは戦闘中だけにしておけ、俺にゃ迷惑だ」

見詰め合って、もう一度キスをして、離れ際に甲太郎が囁く。

―――そん時まで、せいぜい楽しくやろうぜ、なあ」

相棒。

晃も笑っていた。

未来のことなんて誰も知らない。

俺にだってわからない。なんせ、世界は広いんだから。

出会いがつり橋の上だろうがなんだろうが、起こることは間違いなく起こるのだから。

「そうだな、それまで、よろしく頼む」

「おう」

「言っておくけど、俺の足引っ張るなよ、相棒?」

「余計なお世話だ」

笑っていると余計なうやむやも吹っ飛ぶようだった。

偽者も、本物も、決めるのは自分が信じるかどうか。

大切な真実がまた一つ、心の中に増えていた。