R-style 20

 

 階段を上りきった所で腕をつかまれて、晃は屋上まで連行された。

「先輩!」

9センチ下に夷澤 凍也の怖い顔が見える。

「アンタとのあのときの勝負、そういやまだ付いてませんでしたよねえ?」

「勝負?」

「オイオイ、まさか忘れてんじゃないだろうな、響が絡まれてたときのことだよ!」

うーんと少し唸ってから、晃はポンと手を打った。

「ああ、あのときの不良の」

「そうっすよ!」

「そういえば俺はとんでもない誤解をされてるみたいなんだよな、真里野を締めたとか、墨木にヤキ入れたとか」

「ほぼ本当の事っしょ」

「だから困るんだよ、俺は別に暴力とかが好きなわけじゃないんだから、あの時だって仕方なくで、本当は」

戦いたくなかったという言葉を遮って、凍也が吼える。

「何でもいいっすよ!そんな事より俺と勝負しましょう、先輩!」

「勝負?」

めんどくさいと切り返すと、ますますもって怖い顔で睨みつけられた。

「どっかの誰かみたいなこと言ってんじゃねえよ、先輩、それともビビリ入ったンすか?」

「ビビリじゃなくてめんどいんだよ、そんなことで体力消耗したくないって言ってるんだってば」

「同じじゃねえか」

「同じじゃ無いだろ、国語は苦手か?」

途端、凍也はいきなりファイティングポーズを構えた。

晃はぎょっと目を剥いて、慌てて両手を前にかざしながら、止め止め、そんなつもりないぞと二三歩後に下がる。

「アンタは今俺をバカにした、だから、俺にはヤり合う理由ができたってことッすよ」

「お前なあ、理数系が得意なら、ちょっとは冷静になれよ!」

「ゴチャゴチャうるさいっすよ!いい加減、覚悟を決めやがれ!」

そのまま拳が飛んできた。

職業病で咄嗟に防御を取りつつ迎撃の姿勢を取りかけた瞬間。

「あっちゃん危ない!」

ダカダカと歩幅の広い足音が聞こえて、ガツンと何か衝撃音のようなものが響いた。

「ぐおっ?!」

―――晃の目の前で、拳が止まっている。

正確にはここまで届かなかったというべきか。

顔の脇から長い腕がニュウと伸びていて、そのずっと先に顔面を押さえ込まれた凍也の姿があった。

静まり返った屋上に、背後から億劫気な足音が近づいてくる。

「おい、晃、こんなところで何遊んでんだ」

「甲太郎、それに、カッちゃん」

晃は背後の鎌治の姿と、隣に立った甲太郎を交互に見ながらポカンとしていた。

「あっちゃん、大丈夫かい?」

「あ、ああ、平気だけど」

凍也は眼鏡ごと顔をつかまれていて、そのまま動く様子がない。

「二人とも、どうしてここに?」

「君が連れて行かれるところを見かけたんだ、そしたら、たまたま近くを皆守君が通りかかって」

「お前が大変だって騒がれてな、まあ、騒ぐって言っても取手のことだから、ギャーギャー喚かれたわけじゃないんだが、ともかく一緒に来てくれって言われてここまで来てやったんだ」

「心配してくれたのか?」

「うん」

「俺はたまたまつき合わされただけだ、お前みたいな野郎をどうして心配する必要がある」

甲太郎は素直じゃないなと言うと、鎌治がそうだねと答えた。

二人して頷きあう隣で、甲太郎はそっぽを向いてアロマをふかしていた。

「お、オイ」

地獄の底から響くような声が、彼らの間に割って入る。

「アンタ、こんなことしてどういう了見だってんだってんだ―――

「あっ」

三人の視線が鎌治の腕の先に集中する。

晃は、スルリと凍也の射程範囲から逃れて、困り顔の鎌治を見上げた。

「あっちゃん、どうしよう、僕は手を放すべきかい?」

「ううん、でもめんどくさいからなあ」

「テメエ、いい加減にしやがれ!アンタもあの世にぶっ飛んどくかア?!」

頭を抑えられているせいで前のめりになって、そのまま腕を振り回している凍也を眺めて、晃は鎌治と再び顔を見合わせて溜息を漏らした。

甲太郎だけが面白そうにハハと笑っている。

「おい、夷澤」

「その声は―――皆守 甲太郎ッ」

「お前、威勢がいい割には格好付かないな、もっと頑張らねえと晃にゃ追いつけねえぜ」

「なっ」

「少なくとも背丈くらいは越さねえと、なあ晃」

肩を抱かれて晃は閉口する。

「うるせえ!大体この手はなんだ、放しやがれ!」

大暴れする凍也を、それでもがっちり押さえ込んだままの鎌治はいよいよもって困惑気味だった。

「ど、どうしようあっちゃん、僕もうそろそろ限界だよ」

「手が痛いのか?」

「そうじゃないけど、指を痛めたく無いから」

なるほどと唸る晃の声を受けて、凍也がなるほどじゃねえと怒鳴る。

「なんならこの指へし折ってやろうか、アア?」

「あ、あっちゃん!」

「ゴメンカッちゃん、もういいよ、有難う」

「う、うん」

ぱ、と手を放されて、体勢を立て直すより先に晃が懐に飛び込んでいた。

一同目を瞠るほどの機敏さで、何がなんだか訳のわからないうちに、気付けば凍也の眼鏡を掌中に納めている。

いきなり視界が悪くなって、眼鏡がないことに気付いた凍也が大声を上げた。

「お、オイ、誰だ、俺の眼鏡取った野郎は!」

「俺だ、夷澤」

晃は眼鏡をかけてみた。

「似合う?」

甲太郎と鎌治のほうをくるりと振り返って、フレームを指で押し上げる仕草をする。

「先輩、勝負しましょう!」

「似てるよあっちゃん、眼鏡もとってもよく似合ってる」

嬉しそうな鎌治の隣で、甲太郎もニヤニヤとパイプをふかしていた。

「そういうのも悪くねえな、まあ、ゴーグルよりはましだ」

「お前なあ、あれは俺の仕事道具だぞ、バカにするなよ」

「眼鏡の姿も素敵だね、なんだかとっても賢そうに見えるよ」

「有難う鎌治、お前はどこぞのアホと違っていい奴だな」

「アホってのは俺か、大体、そんな微妙な褒められ方をして喜ぶな」

「そ、そうかな、あっちゃん、気にした?」

「甲太郎がバカなだけだから心配ないよ、かっちゃん、俺は十分喜んでるから」

よかったと鎌治は安堵の溜息を漏らす。

晃は眼鏡を外しながら、これは度がきつすぎるとぼやいて眉間を揉み解していた。

放置されたままの凍也が、瞳を眇めて一生懸命晃の居場所を確認して、怒鳴り声を上げる。

「あんたら、俺を無視すんのもいい加減にしろよ!」

「夷澤、お前って目が悪すぎだな」

「そんなことアンタにゃ関係ねえだろ!いいからそれ返せよ、オイ!」

「甲太郎、かけてみるか?」

「いらねえよ」

「無視すんなっつってんだろ!聞いてんのかコラ!」

「カッちゃんは?」

「僕も遠慮しておくよ、目が悪くなったら困るし」

「確かにそうだな」

「聞けよ!」

うるさいなあと晃は振り返って、不意に凍也に近づいた。

あまりにふらりと寄っていくので鎌治があっと声を上げる。

それで、一瞬気を取られた凍也の顔に眼鏡が素早くかけられた。

「あっ」

直後に晃の拳が鳩尾に食い込む。

「うぐっ」

ずるり、と屈みこんで、そのまま崩れ落ちる凍也を支えて、コンクリートの床に乱暴に投げ出してから晃は両手をパンパンと叩く。

「ミッションコンプリート、やれやれ、世話が焼けるなあ」

―――お前って、そういうときには何気に容赦ないよな」

甲太郎の隣で、鎌治もうんと頷いていた。

「男にする手加減なんてあいにく持ち合わせがないんだ、悪いな」

晃は笑う。

「まあ、そんなに強く殴ってないから、三十分くらいで気付くだろ、教室戻ろうぜ」

丁度頃合よく、チャイムの音が鳴り響いていた。

「夷澤君、大丈夫かな?」

「眼鏡返してやったし、平気だろ?」

「そういう問題じゃねえよ」

「でも、どうしてあっちゃんに喧嘩売ろうとしたのかな、何か理由があるんじゃないのかい?」

さあ、思い当たることないよと答える晃の隣で甲太郎はアロマをふかす。

彼だけ、その理由に気付いていたけれど、説明してやる義理もないから黙って横顔で笑っただけだった。

―――まあ、惚れた相手が自分より上をいってりゃ、何とかして認めさせてえよなあ」

「甲太郎、今何か言ったか?」

「いや、別に」

三人は、凍也だけ残して仲良く屋上のドアに向かった。

戦いに敗れた屍は、拾うものもなく雨ざらしにされたのだった。

フレームの歪んだ眼鏡が、整った顔の上に情けなく乗せられていた。