「R-style 25」
「アロマがうまいぜ」
おなじみの台詞を吐き出しつつ見上げる空は青い。雲ひとつない。
眠気と気だるさをいい塩梅で配合した色にまどろむ瞳は夢と現の間をフワフワとさまよっている。
このままゆっくり眠りに落ちていく瞬間が、この上なく心地よい。
ラベンダーの香りにゆったりと魂を弛緩させて、今、最上級のひとときが訪れようとしていた。
その時。
(ピンポンパンポーン)
「三年C組玖隆晃君、至急生徒会室まで来てください、繰り返します、三年―――」
甲太郎はまるでバネ仕掛けの人形のようにガバリと起き上がっていた。
まだ少しぼんやりする頭を振って、せわしなくパイプをふかす。
「何だってんだ、どうしてあいつが、あんな場所に」
考えるほどぐるぐると思考が混濁していくようで、クソッと吐き捨てながら髪を掻き毟る。
次の瞬間にはもう立ち上がって、コンクリートを蹴るように扉へ向かい駆け出していた。
何か、特に考えがあって行動したわけでは無いけれど。
(様子を見に行くだけ、それだけだッ)
言い分ける対象もなく呟いて、甲太郎の姿は屋上の扉から室内へ見えなくなった。
無言で睨みつける扉の色は、他所よりどこかくすんで見える。
それは、個人的な感傷でしかないとわかっているけれど、少し心を憂鬱にさせる。
屋上にいたときの事を思い出して、つい溜息が漏れていた。
ドアノブに伸ばしかけた手をピクリと止めて、一瞬聞こえた音にふと顔をしかめる。
扉に耳を押し付けてみた。
―――笑い声?
勘違いかと思って更に集中して窺ってみても、やっぱりそれは談笑する声だった。
しかも、二つ。
どちらも聞き覚えのある、片方は威圧的な低い声。
もうひとつは、耳触りのいい柔らかな声。
ぎょっとして、ドアノブを開いて、隙間から中を覗き込んだ甲太郎はそのまま硬直してしまった。
「でな、その時俺が絶対トリガーを引かないと思っていたらしいんだよ、でもな」
「お前は引いた、と、そういうわけだろう?」
「ご明察ッ、さっすが生徒会長は違うよなあ!」
「今の話の流れであれば、皆がそう思う、俺が特別なわけではない」
「まあいいや、阿門はそういうところ結構奥ゆかしいもんな、でさ、結局賭けには俺が勝って、あいつは俺の口座に大量の弾薬代を」
阿門がくるりとこちらを向いた。
甲太郎はビクリと肩を震わせる。
「ん?」
晃も振り返り、甲太郎の姿を見つけた途端、ビックリしたように両目を丸く見開いていた。
「甲太郎!お前、そんなところで何やってんだ?」
「―――お前こそ」
こうなってしまった以上やむを得ず、腹をくくって部屋へ入る。
しばらく訪れるつもりの無かった場所だ。
最近は、招集がかかるから時折足を運ぶけれど、まさかここで晃と鉢合わせるとは考えたことすら無かった。
阿門は定位置のソファに腰を下ろしていて、その隣、入り口から丁度背もたれの背面が見えるように設置されている方のソファに晃が腰を下ろしている。
その、晃の背後まで近づいて、殆ど真後ろに立ちながら甲太郎はアロマの香りをゆっくりと吸い込んだ。
ようやく少しだけ平素の自身が戻ってくる。
「何してんだ、こんな所で」
背もたれに体を預けて、上を向いた晃の顔がニコリと笑う。
「見ての通りだ、生徒会長とお喋り、呼び出し食らったからさあ」
甲太郎は晃の顔を見下ろして、フウとアロマの煙を吐き出した。
ケホケホむせながら前を向く彼の背後から、気付かれないように視線で阿門に真意を質す。
相変わらず仏頂面の生徒会長は、一瞬フッと笑ったように見えた。
「こ、甲太郎、それやめろって言ってるだろうが、お前ってばホントいい根性して」
「玖隆には」
言葉の途中を重厚な一声が打ち消す。
「少し、気晴らしにでもなるような話しを聞かせてもらおうと思っただけだ」
「気晴らし?」
そうだと頷く阿門と甲太郎を交互に見て、気を取り直したらしい晃がそうなんだよとまた笑いかけてくる。
「最近は、執行委員も減っちゃって、仕事多すぎでメチャ大変らしいから、息抜きしたかったらしいぜ」
オイオイ、それをお前が言うのか?
っていうか阿門も何こんな場所に晃なんか呼び出してんだ。
あまりに突っ込みどころが多すぎて、正直腹の奥がむず痒くて困る。
けれど、一応色々とお互い黙認している部分もあるので、あえて口を閉じたままでいた。
―――まだバレたら困る秘密もいくつか残っていることだし。
「それで、わざわざ放送なんかで呼び出したわけか」
「あ、そっか」
急に晃がポンと手を打ったので、甲太郎は怪訝な顔で覗き込む。
「何だ」
「いや、後でいいよ」
そんなことより。
晃は真っ直ぐ阿門を見る。
「さっきから俺ばっかり話してて、ズルい、この世は等価交換なんだぞ、そろそろあの話を詳しく教えろよ」
「フ、まだそれに拘るのか」
「当然!」
傍で聞いている甲太郎には話の主旨が見えてこない。
「オイ、晃、一体何の話だ」
「んん?ああ、あのなあ」
晃は再び背もたれに頭を乗せて、顔と視線を仰向けた。
「俺ってば生徒会の皆さんと目下抗争中だろう?」
「なッ」
ギョッとして目を剥く甲太郎を気にするそぶりも無く話し続ける。
「生徒会を構成するのは執行委員と役員、執行委員はまだわからないけれど、役員の事は前にお前が教えてくれたじゃないか」
「あ、ああ、まあ」
甲太郎は気づかれないように阿門の様子を伺った。
両腕を組んだ彼の姿はまるで瞑想しているように、瞳を閉じて動作する気配すらない。
「会長の阿門、書記の双樹、会計の神鳳、副会長補佐の夷澤」
晃は首を戻して指を折る。
「んでな、誰か知らないけど、副会長」
薬指を上下に動かして、また背もたれの上に後頭部を乗せた。
引き攣りそうになる表情筋を何とかごまかして、甲太郎は今度こそ内心の動揺を隠し通すのに細心の注意を払わなければならなかった。
確かに、誰だって疑問に思うだろう。
会長、書記、会計、そして、副会長の補佐役までいるというのに―――肝心の副会長の姿が見当たらないのは何故か、と。
それは、仁や義に厚い生徒会長の配慮が絡んでいるのだけれど、詳しい事情はやはり話せない。
いつか知られることだろうけれど、今はまだその時では無いと思う。
それは、最近では半ば祈りのようになりつつある、身勝手な願望だった。
どうやら気付かずにいてくれたのだろうか、晃はフイと前を向き直るとテーブルの上のカップに手を伸ばした。
そこで、初めて彼の前に紅茶が出されていたことに気付く。
見れば阿門の前にもコーヒーカップが置かれていた。
という事は気晴らしに呼び出されたというのは事実らしい。何だか少しだけ、気が抜けた。
「俺としては、情報収集できる場所でそのチャンスを逃がしたく無いと思ってさ、話さなかったって事は、お前は知らないんだろ、甲太郎?」
「あ、ああ―――まあ」
「だよな?だから生徒会長にダイレクトインタビューしようと思って、こうして誘いにも乗ってやったわけなんだけど」
くるりと阿門を振り返る。
「生徒会長は案外口が堅くて、あ、この紅茶はおいしいんだけど」
ゆっくり瞼が上がって、その下から覗いた深い色の瞳が晃を見ながらフッと笑う。
様子がどことなく穏やかで、甲太郎もわずかに毒気を抜かれるような気分がした。
「でもまあ、教えてくれないなら自力で推理しちゃおうかな」
また馬鹿な事を言っている。
背後で溜息を吐いた甲太郎を他所に、阿門は興味深そうに少しだけ身を乗り出した。
「ほう?お前はどんな副会長を予想しているのだ、宝探し屋よ」
「おう、聞いて驚け」
晃は得意げに胸を張る。
「補佐なんて付いてるくらいだから、仕事もしない、責任感も無い、やる気も無い、怠惰で、だらしなくて、モノグサな、面倒臭がり屋だろう、ズバリ!」
直後、ぱあんと大きな音がして、それは晃が後頭部を思い切り叩かれた音だった。
一瞬うずくまってから、振り返りざま甲太郎を睨みつける。
「甲太郎!お前、何するんだッ」
「おー悪い、虫がとまってたんだ」
「虫?」
「ああ、まだ蚊でも生き残ってたのかもな、今の時期に出るやつは毒が強いから、まあ感謝することだ」
「だからってあんなに強く殴らなくってもいいだろ、ったく、もう」
ぶつぶつぼやきつつ、再び阿門に向き直る。
「―――それで?」
「ああ、何だ、無責任ってのは言ったよな、んで、お前も放任してるし、あの夷澤って後輩がおとなしく補佐なんてしてるくらいだから、相当ヤバイ人間、そうだな、怒ったら器物破壊、職権乱用、命乞いする相手も容赦なく殴り倒すような、極悪非道、血も涙もない冷血漢の、悪魔みたいな奴なんじゃないか?」
ぱあん!
再びうずくまってから振り返ると、甲太郎は自分の手をヒラヒラ振りながら見ていた。
「あ、悪い、また虫が」
晃はムッスリ睨み付けると、もう一度阿門に向き直った。
まだ後頭部をさすっているところを見ると、どうやら今の一撃は結構効いたらしい。
「で、だな、学校の奴が誰も副会長の事何も知らないなんてのも変だ、会長や書記、会計が有名で、副会長だけハブってのは納得いかない、だから、それでもって相当存在感の無い人間だろうと思うぞ」
「なるほど」
「存在感がないってからには、登校拒否、引き篭もりって言うのか、それだな、部屋で日がな一日テレビ見て、たまに学校に来ても午前様、誰かと話すより、一人で妄想するほうが好きなタイプだ、っていうかそいつって役員なのか?俺が会長だったら、ちょーっとお仲間には入れたく無い人間だと」
晃は唐突にソファにめり込む。
甲太郎が背後から、容赦のない鉄拳を脳天に落下させた結果だった。
ごっちんといい音を立てて頭蓋を震わせて、前屈みになって頭を押さえ込み、次の瞬間には物凄い勢いで振り返りながら睨みつける。
「甲太郎!お前、げんこつパンチとは何事だ、そんなに鉛弾喰らいたいかオイ!」
「フン、バカの話を聞くに堪えなかっただけだ」
「何だとコラ!」
立ち上がると晃の方が実は一センチほど身長が高い。
それで、微妙に視線の位置が逆になりながら、睨み合う二人の様子を眺めていた阿門がフウと溜息を漏らす。
「バカとは何だバカとは、俺は推理しろって言われたから思うところを述べただけだぞ!」
「ンな事言われて無いだろ、大体人権侵害にも程がある、お前は副会長の何を知っているって言うんだ」
「知らないさ、何も!だから想像してみたんだろうが、なんでお前に殴られなきゃならないんだよ!」
「うるさい、虫だって言っただろ、それより想像でも言っていい事と悪い事がある、お前の言葉は人間としての本質を疑いたくなる、聞くに堪えない」
「何だと!サルはお前だろうが、このスケベ、ムッツリアフロ!」
「ば、だ、誰がスケベだ、大体アフロじゃねえ、パーマだ!」
「じゃあこのエロパーマ!ワカメ!アロマの中身は本当はムスクだろ!」
「てめェ、どうやら本気で俺に蹴り入れられたいらしいな」
「おー上等だやってみろ、お前にこの無敵のトレジャーハンター様が倒せるもんならやってみやが」
れ、の声と共に、ゴホンと咳払いがひとつ、響く。
「お前達」
互いに胸倉をつかみ合ってにらみ合っていた晃と甲太郎は揃って阿門を振り返った。
「喧嘩をするなら、外でやれ」
ひどく威圧感のある声で言われて、お互い、グッと言葉に詰まってしまう。
どちらからとも無くそろそろと手を離し合って、晃がすとんとソファに腰を降ろすと、阿門はやれやれといった様子で組んでいた両腕をサイドの肘掛に戻した。
「宝捜し屋、いや、玖隆よ、お前の推理、中々面白かったぞ」
「それは、どうも」
甲太郎は相変わらずそっぽを向いたままでいる。
ただ気配だけ、抜かりなく二人の会話に耳を澄ませているようだった。
「で、どのくらい当たりはあった?」
「そうだな、それは、また機会があれば話してやろうか」
「今じゃなくてか」
「そうだ」
ちぇーっとつまらなそうに口を尖らせて、晃は冷めかかった紅茶を一気にごくりと飲み干した。
「結局全部秘密だなんて、詐欺だ、俺は阿門に昔話をして、甲太郎と喧嘩するためにここに来たのか」
「―――俺はそんなつもりなかったんだが」
振り返った晃が甲太郎の腕をつねる。
直後に頬をつねり返されて、二人はまた激しくにらみ合った。
やめろと阿門の声が再び響いた。
「そのように言うのであれば、玖隆よ、今日の話の礼に、一つだけ教えてやってもいい」
「何ッ」
先に反応したのは甲太郎のほうだ。
怪訝に見上げる晃の視線を感じて、言葉尻を濁しながら咳払いをする。
瞳が、気付かれないようにちらりと阿門を窺った。
固く結ばれていた口の端が笑いの形に緩む。
「玖隆」
「おう」
「生徒会副会長は、男だ」
「男?」
「そうだ、男子生徒だ、以上」
エッと晃の呟きが聞こえて、生徒会室は一瞬静寂に包まれた。
「―――今のだけ?」
「そうだ」
「他は?」
「無い」
「ヒントも?」
「無い」
やっぱりケチじゃないか、鬼、などとぼやきながらうずくまる晃を見下ろしていた、甲太郎がふと阿門に視線を移す。
阿門は、やはり同じように晃の姿を見ていたけれど、顔を上げて薄く笑い返してきた。
―――こいつも中々、意地が悪いな。
半ば呆れ気味にアロマの煙を吐き出して、眼下の様子にまた目を向けた。
「もう、いい」
疲れた、とぼやきつつ、晃がソファから立ち上がる。
「阿門は意地が悪いし、甲太郎はアホでバカでスケベだから、俺はもう寮に帰る」
「何だと晃、今なんて言った、オイ」
ムッとする甲太郎を無視して、そのままフラリと扉に向かって歩き出していた。
「オイ晃、待てよ、ったく」
慌てて後を追おうとして、一瞬振り返った二人の視線がぶつかる。
生徒会長は―――ただ、静かな目でこちらを見ていた。
まだいいという事か。
甲太郎はそれで、ちょっとだけ、困ったように笑って見せたのだった。
「晃、待てって」
「玖隆」
不意に晃は足を止めて振り返った。
阿門も席を立ち、窓際に移動しながら、背中越しの声がただ一言だけ。
「また、来るがよい」
晃の口元に、フッと笑みが浮かぶ。
「―――気が向いたら、な」
それだけ答えて、再び踵を返して歩き出していた。
追いついた甲太郎が隣に立つと、もうふてくされてなどいない。
晃は、いつものように強気で明るい、生気に満ち溢れた顔をしていた。
扉を開いて、退室して、ノブを戻す。
廊下を歩き出した直後に、思い出して甲太郎は隣を振り返っていた。
「なあ、晃」
「何だよスケベ」
「お前なあ、いい加減その呼び方を」
「だったらお前の日常生活の態度を改めろ、特に、夜の」
「―――うるさい、そんなことより晃、さっき、って言ってもちょっと前だけどよ」
「どっちだよ」
「あァッたく、前だ前、生徒会室でのことだ、お前、わかったって言っただろ」
晃が振り返る。
「わかった?」
「そうだよ、放送の話をしたときだ」
「ほうそう」
「放送だよ、お前、後で話すって言ってただろ、それって何だ、まだ後じゃないのか?」
「ああ」
あれか。
呟いた口元が、不意に微笑みの形に変わる。
「何だったんだよ、結局、何が分かったって言うんだ?」
「あのな、それはな」
コイコイ、と指先で耳元を要求されて、顔を近づけた甲太郎に少し勿体つけながら晃は囁いた。
「それは―――」
お前。
俺のこと心配して、生徒会室まで来たんだろう?
「ば、バカやろう、んなわけあるか、うぬぼれるな!」
仰け反りながら否定する甲太郎を眺めて、晃は嬉しそうに笑っていた。
その顔は、卑怯だ。
「えっへへー、でも本当のことだろ、知ってるもんね、このバカ、やっぱりお前ってスケベだ」
「黙れ、そんなんじゃねえ、俺は」
「俺は?生徒会長に直談判に来たってか、それとも阿門と友達か?ん?」
「ッつ、この!」
睨む視線を軽く受け流して、微笑で反撃しながら晃は廊下を少し前のほうまで走って行って振り返る。
「お前の気持ちなんてバレバレだ、いい加減観念しろ!」
日差しに照らされる姿に、アロマを大きく吐き出しながら、甲太郎は苦笑いを浮かべていた。
どうにも、敵わないよなあ。
仕方なく傍まで行って、それでも悔しいから軽く蹴りを入れてやった。
「痛っ、甲太郎、お前!」
怒って追いかけてくる姿から、のらりくらりと逃げだす甲太郎も笑っている。
なあ、晃。
さっきのが本音かどうか知らないが、副会長の正体なんて、そんなに気にするようなもんでもないぞ?
いずれ―――分かる事なんだから。
「けど、お前の推理よりずっとイイ男だってのは、確かだけどな」
ぽつりと呟いた、その声は晃には聞こえない。
今は、まだ。
その他大勢の中にまぎれながら、じゃれあう二人は今だけ「ただの」男子高校生の顔をしていた。
(了)