R-style 30

 

 皆守ィ、と呼びつけられて、不機嫌そうな顔が振り返った。

廊下を、ニヤニヤと感じの悪い笑みを浮かべながら凍也が歩いてくる。

三年生になってもあまり身長の伸びていない彼は、一つ年上の甲太郎を見上げながらやけに気安い雰囲気でぽんと肩を叩いた。

「よお、今帰りか?」

「何か用か」

「いーや、別に?ただクラスメイトとして、話でもしたいなと思ってさ」

直後に甲太郎の顔があからさまにしかめられていた。

 

―――皆守甲太郎は、周囲の予想通り、規定の高校生活三年間で卒業する事ができなかった。

「もうちょっと真面目に学校に来てたらよかったのに」

明日香にまで突っ込まれて、留年が確定した時にはかなりへこんだ。

ダブりなんて格好悪いことこの上ないし、いくら自分の責任とはいえ、こんなつまらない場所一刻も早く離れてしまいたかったのに。

そして、何より。

甲太郎は、卒業を前提とした上で、大切な人と、大切な約束を交わしていた。

もうこうなったら中途退学してやろうかなどと思い詰めながら、いよいよ迎えた卒業式。

桜散る校庭を去っていく姿を、式典に参加するのも苦痛で、屋上からぼんやり景色を見送っていた甲太郎に、聞き覚えのある声が呼びかけたのだった。

「甲太郎」

ビクリと震えて振り返った先には、誰よりも何よりも大切なその人―――玖隆晃が困った顔で微笑んでいた。

 

今、その時の光景を思い出すと、心底身に抓まされるような気がする。

情けなくて、これまでの自分は何て愚かだったのだろうと改めて反省することしきりだ。

咥えたアロマの香りを鼻腔に感じつつ、思いを馳せていると、オイと少し乱暴に呼びかけられた。

「あァ?」

「てめえ、皆守、無視してんじゃねえよ!」

いきり立っている凍也に、醒めた眼差しがじろりと向けられる。

「何人の名前気安く呼んでんだ、勘違いも大概にしろ」

彼は全く意に介さない様子で、逆に眼鏡の奥の瞳が強気な色を浮かべて睨み返してきた。

「勘違い?オイオイ、誤解するなよ、お前は俺とタメだろうが、クラスメイトにタメ口聞いて何が悪いんだよ、ええ?ダブりの皆守センパイ」

ぐ、と奥歯を噛み締めて、甲太郎は苦々しく凍也を見下ろす。

自分の留年は殆ど全ての人間が予見していたようだけれど、同時に彼らは、甲太郎がそのまま高校を辞めてしまうだろうと考えていたようだった。

平素から学校生活にそれほど意義を見出していたわけでもなかったし、色々と絡みついていた鬱屈の種が殆どすべて払拭されてしまったから、ここに残り続ける理由が見当たらないと、そう思われていたらしい。

事実、甲太郎自身もこんな面白味も何もない日常など願い下げ立ったけれど、それでも我慢して毎日毎朝きちんと登校して、授業を受けて、下校するという、以前の彼を知るものからすれば驚異の日常サイクルを一学期初日からきちんとこなし続けている。

無論、課題物の類も全て提出しているし、校則に違反するようなことも何一つしていなかった。

アロマだけ、相変わらず精神安定剤だとごまかして咥え続けているけれど。

唯一の怠慢は生徒会の仕事を相変わらず何もしていないことだけだ。

帝等は、高校卒業と同時に天香学園の理事長に就任して、その権限を利用して生徒会長を指名してきた。

最初は甲太郎に話が来たけれど、彼が断固として断ったため、今ではその役職は何と―――響五葉が就任している。

書記と会計に新たに優秀な人物を選出して、甲太郎は再び副会長の役に据えられた。

そして再び、特例的に、役職を引き受ける交換条件として、副会長は補佐役を選任させた。

新生徒会のメンバーや帝等が選んだのはやはり―――夷澤凍也であった。

だから凍也は以前にも増して、甲太郎の事を目の仇にしている感がある。

甲太郎といえば、新三年生の面々より多少学力は上だし、そもそもやればできるタイプだったから、最近ではメキメキと頭角を現して、学内に彼を慕う女子生徒も多い。

成績もそこそこよろしいし、教員達の内申点も徐々に上がりつつあるようだった。

一方高校生活の有終の美を飾るべく、華々しい一年間を期待していた凍也の方は、相変わらず代わり映えしない日々の中でめっきり影が薄くなってしまっている。

それが、心底気に食わないらしい。

何かにつけ絡まれて、逆恨みもいいところだとはっきり言って迷惑していた。凍也を選んだのは俺じゃない。

―――まあ、気持ちだけなら、何となく程度に、わからないことも無いけれど。

「なあ皆守、アンタさ、最近真面目にガッコ来てるようだけど、それってアレ?卒業証書が欲しいワケ?」

うるせえなあとぶっきらぼうな声が答えた。

甲太郎はアロマの煙をゆっくりと吸い込む。

「まあ、就職するなら最低でも高卒の証書くらいは無いと、世の中結構厳しいからさァ」

「ふん、お前に言われるまでもねえよ」

「なんだ、わかってんだ、へえ、ダブってるからてっきり知らないのかと思ってた」

わざとらしく目を丸くして見せた、凍也の姿にいい加減一言言ってやろうかと思った、その時だった。

「あれ、着メロ鳴ってるぜ」

顎でしゃくって示しながら、凍也はニヤニヤと揶揄するような笑みを浮かべている。

「センセーからの呼び出しじゃないんですか?皆守センパイ」

甲太郎は口を真一文字に結んだまま、取り出した携帯電話のボタンを操作する。

暫らく画面を見た後で、不意に口元を緩めて、何だか見ているこちらがこそばゆくなるような笑みを浮かべた。

様子を眺めていた凍也が怪訝な顔で眉を寄せる。

「オイ、何だよ」

ちらりと視線を投げて、今度は甲太郎がニヤニヤと凍也を眺めていた。

「別に、何でもないさ」

「気持ちの悪い顔しやがって、女かよ」

ああ、悪いと断りながら、モニタを閉じた携帯電話が再びポケットの中に戻される。

「いつものが来ただけだ、女なんかじゃねえさ」

「何だよ、いつものって」

「大したことでもない、ただちょっと―――晃から、メールが届いただけだ」

「な?!」

凍也は思い切り動揺して、目を見開いたまま固まってしまった。

今こいつは何て言った?

晃だと?

同名で、皆守甲太郎がこんな顔をして語る人物など、世界にたった一人しかいない。

黒い髪、頼もしい背中、穏やかな表情、暗翠色の瞳。世界を股に駆ける、腕利きのトレジャーハンター。

―――玖隆晃。

凍也も先輩と呼び親しんで、密かに好意を寄せていた彼だけだ。

急に鼓動が早くなる。

懐かしい面影が脳裏にちらついて、とても冷静でなどいられなかった。

「な、何で、マジかよ、何であの人からアンタにメールなんて」

あたふたする様子を尻目に、甲太郎は消えかけたアロマの先端に火をつけた。

「四月からこっち、俺が留年するって決まってからな」

再び立ち上る煙をゆっくりと吸い込んで、肺を満たしてゆく。

「毎日メールが届くんだ、学校行ったか、授業受けたか、今日何をした、何を食った、そんな事を細かく聞いてくる、まったく、信用が無いってもんだ」

「毎日、だと」

「そうだ、毎日必ず送ってくる、ま、約束もあることだし、あいつも心配してるんだろう」

「や、約束?アンタあの人と一体どんな約束してるってんだよ」

甲太郎はやおら、視線を向けた。

吊り上った口元が勝者の笑みを滲ませる。

「ちゃんとここを卒業して、一緒に世界中のお宝を探し回るってな」

「そ、れって、まさか」

「専属バディ契約ってヤツだ、アイツ、卒業式の日に俺を迎えに来るつもりらしい、まったく、面倒な話だぜ」

半分捏造込みの話に、凍也はあっけなくノックアウトされてしまったようだった。

さっきまで調子に乗っていた姿が今では見る影もなく萎れ、ふらりと背中を向けてしまう。

そのままおぼつかない足取りで去っていく様子を眺めながら、甘いラベンダーの香りを楽しんでいた。

 

―――あの、卒業式の日、申し訳なくて半ば縋るように詫びた甲太郎に、晃はやれやれとぼやきながら小指を差し出したのだった。

「じゃあ、もう一年だけ待ってやるよ」

「晃」

「だからちゃんと卒業して、証書を俺に見せること、それが専属バディ契約の条件だ」

春の日差しを受けて、ニッコリ微笑んでくれた。その光景を今でも昨日のことのように鮮明に思い出せる。

全ては晃との約束を果たすため。

俺は、あいつと一緒に新しい一歩を踏み出す。

前へ―――

こんな甘い考えは、もしかしたら依存しているのかもしれないけれど、それでも人生を歩くのに一人より二人のほうが、可能性の幅も広がるはずだ。

そのための準備期間として今があるのなら、逃げたり目を背けたりせず、ちゃんと乗り切ってやろうと、小指を結んだ時、自分の中で決めた。

学生時代は可能性を詰め込んだ小箱なのだと、昔読むか聞くかした言葉が近頃やけに胸に響くようだった。

甲太郎は桜舞う屋上で晃と指切りをして、その日以降毎日メールが送られてくるようになって、今に至る。

 

「ったく、あいつも大概マメだよなあ」

何年も培ってきた怠け癖がそう簡単に治るはずも無いから、多分それを見越してのメール攻撃なのだろう。

もう一度、文字の一つ一つを慈しむように追って、最後にスッと瞳を細めていた。

「そんなに心配しなくても、ちゃんとやってるよ」

こちらからの返事は滅多に返さない。

話したいこと、伝えたい事が多すぎて、こんな短い文章ではとても伝えきれないから。

けれど、どれ程の距離も空間も飛び越えて、俺の思いは届いているはずだ。この声も、きっと伝わる。

ううんと伸びをして、携帯電話をしまいながら踏み出す足取りは以前よりずっとしっかりしていた。

今も、どこかの遺跡を廻っているだろう、彼に向けて。

外を見ると日差しが眩しい。この空の下、俺にだけ送られてくるメール。

結んだ糸は解けない。

それはきっと、まだ見ぬ日々まで繋がっている。

桜舞う中で晃と再会する日を夢想するだけで、心はいつでも晴れやかな青に染まっていく。

「まあ、その日を楽しみに待ってろってんだ」

また笑ってしまいそうで、緩む口元を引き締めながら甲太郎は歩いた。

見慣れた灰色の風景が、一歩踏み出すたび、鮮やかな色に塗り替えられていくようだった。

 

一応お断りしておくと4とか15の続きじゃありません、続けてもいいけど(笑)

その辺は個人の妄想ない補完にてよろしくよしなに。