R-style 33

 

「ったく、あのバカが、どうしていつもいつもあんな調子なんだよッ」

苛々と髪を掻き毟る。

甲太郎は今、怒っている。

原因はつまらないけれど、とても重要なことだ。

それは昨晩、一緒に遺跡に潜った時。

大丈夫大丈夫と笑って、ギリギリまで突っ込んでは敵に切りかかって。

同行していた甲太郎や奈々子が動くよりも先に、殆ど一瞬で殲滅していく。

危ないと避けさせようとしても、全然間に合わなくて苛々して。

いい加減腹に据えかねて文句の一つでも言ってやろうと肩を掴んだ瞬間、手に何か滲んだ。

「なッ、お前、怪我してるじゃねえか!」

晃はバレたかと苦笑いを浮かべた。

「無茶するからだ、大体、今日に限ってどうしてそんなに焦る」

「や、今日の俺は臨戦態勢というか、やる気爆発なだけだからさ」

「そんな話は聞いていない、何のために俺達が同行していると思っているんだ」

「こんなの唾付けとけば治るよ」

「晃ッ」

キッと睨みつけると、アハハと苦笑いで流されてしまった。

晃はまだ先に進むつもりでいるようなので、甲太郎は一人、くるりと踵を返して歩き出したのだった。

「帰る」

「えっ」

「俺はもう付き合いきれない、今日は帰って寝させてもらう」

「ちょ、ちょっと待てよ、帰るって、無茶言うなよ、ここからお前ひとりで帰れるわけ」

「黙れ、うるさい、俺は帰る、お前は勝手に宝捜しでも何でもやってろ」

「甲太郎!」

―――本音を言えば、別に甲太郎はそれ程帰りたいわけでもなかった。

ただ、強行すれば、晃は帰らざるをえなくなるから。

案の定困り果てた彼は、結局これ以上の探索を断念したようだった。

奈々子と一緒に急いで追いついて、お前は本当にわがままなんだからと、ぼやきながら先導して歩き始める。

「バディの注文に振り回されるハンターなんていないぜ、ったく、お前って本当に世話が焼けるよ」

「そりゃ、どっちの話だ」

フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いて、それでもまだ苛々は収まらなかった。

晃の肩に滲む、べっとりと黒い大きな染み。

下は結構大きな傷だろう。痛がったりしていない様子を見ると、我慢しているのか。

よく見ればそちらの腕には力が殆ど入っていないようだった。手にも、何も持っていない。

バカやろうと胸の内で呟いて、それでも出入り用のロープを自分の力だけでちゃんと登攀していくものだから、思わず唸り声が漏れてしまう。

地上に戻ったとき、染みは盛大に範囲を広げていた。

さすがに見かねた奈々子が手当てをしたいと言ったのだけれど、晃は笑顔で断って、今日は解散と一言だけ残してさっさと寮に帰ってしまった。

残された甲太郎と奈々子だけ、墓地の闇に立ち尽くしていた。

「あーちゃん、どうしたんでしょうねえ?」

「知るかよ」

腹立たしいまま湿った土を踏みしめて、甲太郎も寮へと帰った。

今朝はその理由を問いただしてやろうと思っていたのに、少し遅れてきた晃は話を曖昧に誤魔化して、どうやらちゃんと答えるつもりは無いようだった。

一体何なんだ。

ムシャクシャして、とても教室にいられるような気分じゃない。

気晴らしもかねて、昼食を取りに一人でマミーズを訪れて、今、空のカレー皿の隣で突っ伏している。

もう正午の授業は始まってしまっただろう。

あいつは教室で真面目な生徒のフリでもしているのだろうか。

―――あらあ、まだご機嫌斜めですか?」

カチャンと食器のなる音と、知っている声。

黙ったままの甲太郎に、奈々子はフウと溜息を漏らしている。

「その様子だと、あーちゃんとも仲直りしてないみたいですねェ」

「うるさい、ほっとけ」

そんなこと、誰かに心配される筋合いは無い。

カレーもたらふく食べて、腹も膨れているというのに、全然気分がよくならない。

モヤモヤがわだかまって、そもそも味わって食べられなかった事が非常に悔しかった。

カレーに八つ当たりだなんて最悪じゃないか、それもこれも全部晃のせいだ。

「皆守クン」

奈々子は、用事が済んだはずなのにまだ傍にいるようだった。

早く皿を持って引っ込めと、甲太郎は伏せた顔の下で舌打ちを洩らす。

「あの、ですねえ、関係ない話かもしれないんですけど、ちょっと小耳に挟んだ事があって」

えーと、と呟いて、奈々子はためらいがちに話し始める。

「前の探索の時、皆守クン、怪我したそうじゃないですか」

―――それは、確かにそんな事があった。

踏み込んだ石の玄室、晃が敵をなぎ倒していく様子を後ろで見守っていたら、化人の加賀智が彼の死角を伝って横から飛び掛ったのだった。

甲太郎は考える間もなく殆ど生理反射のように足を蹴り上げて、何とかはじく事はできたのだけれど、その時開かれていた顎の牙が脛に刺さって負傷してしまった。

それほど大した傷でもなかったのだけれど、戦闘終了と同時に駆け寄ってきた晃の動揺ぶりは尋常ではなかった。

真っ青な顔をして、何度も大丈夫かと訊いてくるので、逆にこちらが困ってしまったくらいだ。

震える手で包帯を巻いて、いらないと言っているのに強引に肩を貸して、結局まだいくつか達成していない依頼が残っていたにもかかわらず、探索はそのまま終了になってしまった。

帰る途中、何度か窺った表情は強ばっていて、目元が少し潤んでいたような気がする。

晃はそのまま寮の自室まで甲太郎を送り届けてくれた。

翌朝、案の定傷口はほとんど治りかけていて、それでも早朝からわざわざ様子を見に来た彼に怪我の具合を確認させてやると、本当に心底安堵したような顔で笑われたのだった。

内心、心配性な奴だと少しばかり呆れていた。

晃は自分の怪我はかなり酷くても泣き言一つ言わないのに、俺のこんな小さな怪我でバカみたいに動揺して、一体何なんだと怪訝に思ったりもしていた。

―――その時の事をぼんやりと思い出す。

「あーちゃん、皆守クンのこと、凄く心配したそうじゃないですか」

「アレは、バカなんだ」

「でも自分の事みたいに辛そうだったって、明日香ちゃんが」

アッと呟いて奈々子が口元を押さえた。

甲太郎は軽く溜息を漏らす。

「えーと、ですね、それでその、私、昨日のあーちゃんを見ていて、ちょっと思ったんですけど」

―――何だよ」

「あーちゃん、もしかして私達に怪我をさせないように、あんな無茶をしてたのかなーって」

甲太郎はむっくりと起き上がっていた。

あからさまに怪訝な顔をして奈々子を見上げると、彼女も困ったように眉をハの字に寄せている。

「まさか」

灰皿の上のパイプを取り上げる。

「じゃあ、何か、アイツが先走ってたのは、俺が原因だって言うのか」

「違いますよォ、そんなことは言ってません!でも、あーちゃんは優しいから、もしかしたらそうなんじゃないかなーと思っただけで」

バカらしい。

遺跡ではまず第一に自分の事を考えろと、偉そうに忠告したのは他ならぬ奴自身じゃないか。

人に言うだけ言っておいて、自分自身がそうでなくてどうする。

ますます苛々が募ってくるようで、甲太郎はアロマの先端に火をつけた。

「私や皆守クンって、宝捜し屋さんでも何でもないでしょう?なのにあんな危ない所に一緒に出かけたりしてるから、実はものすごーく気を使われているんじゃないかなあって、私も昨日、あの後でちょっと考えちゃったりしたんですけど」

すいませんと声がして、奈々子は慌てて振り返った。

「はーい!あ、じゃあ、失礼しますね―――と、皆守クン」

慌しい彼女を甲太郎は見上げる。

「あーちゃんきっと寂しがってると思います、早く仲直りしないと、だめですよ?」

そのままパタパタと去って行く姿を見送って、ラベンダーの香りを深く吸い込んでいた。

「アイツが、気を使っていただと?」

じゃあ何か、俺達は信用されていなかったってことか?

考えて、不意に溜息が漏れる。

―――そうじゃない。

そんな事は無いことくらい、俺にだってわかっている。

アイツが俺達に向けている好意は本物だし、信頼だって、していなければ同行なんて認めないだろう。

晃は情に流されて何かするようなタイプでも、自身の分を超えた行為を進んで行うようなタイプでもない。

なら、どうしてあんな事をしたんだ。

どうして俺達を必要以上に気にかける。

怪我をして、無茶をして、それなのに誰にも何も言わないで、一人きりで抱え込んで。

不意に、昨晩の晃の笑顔が思い出されていた。

いつも大丈夫だと言って、強気な笑みを浮かべる奴の顔。

人の怪我であれほど青ざめて震えていたくせに、俺は肩に触れるまで怪我をしていることに気づけなかった。

それでも、手当ても無しにちゃんと戦って、誰の手も借りずにロープも登って、別れ際もつらそうな様子など微塵も見せなかった。

胸の辺りを、言葉に出来ない感情が貫いていくような気がする。

心配や、気遣いなんて真っ平ゴメンだ。ましてや庇護してもらうほど弱くもない。けれど。

「クソッ」

立ち上がって店を出る。

午後の授業を丸ごとサボってしまったから、マミーズの外は夕暮れ色に染まり始めていた。

下校時刻だからだろうか、校舎からたくさんの人間が吐き出されてくる。

寮に戻る途中で、晃と出会うかと思ったけれど、結局どこにも影すら見つけられなかった。

踏み出す足元はいつもより気ぜわしくて、部屋に戻っても全然落ち着かないようだった。

着替えて、支度をして、ベッドの上に寝転がって、携帯電話を握り締める。

あのバカのことだし、多分今日も遺跡に潜るのだろう。

―――連絡は来るだろうか?

「もしメールも何も寄こさなかったら、こっちから出向いて一発殴ってやる」

ジリジリと待ち構えて、途中で腹が減ったから夕食も食べた。

甲太郎はまたベッドに寝転がって天井を見上げる。

いつもならこの姿勢でいれば十分も経たないうちに眠くなってしまうのだけれど、今は異様に目が冴えて仕方なかった。

掌にじっとりと汗が滲んで、何度か服でぬぐっていると、突然携帯の着信音が静かな室内でけたたましく鳴り響いた。

甲太郎は急いで画面を開いて、通話ボタンを押しながら身体を起こす。

「甲太郎」

声は、晃のものだった。

なぜかホッとしている自分に戸惑いながら、甲太郎は低い声で答える。

「何だ、何か用か?」

「うん、その、今から少し時間あるか?」

「墓地に行くのか」

「そうだ、よければ同行を頼みたいんだけど、お前、大丈夫か?」

―――ああ」

電話の向こうの、安堵したような吐息。

「なら、今から三十分後、いつもの場所に集合だ、今日は寒いから暖かくして来いよ」

「フン、言われなくてもそうするさ」

「じゃあ後で」

「ああ」

終話ボタンを押す。

携帯を握り締めて、溜息を漏らして、ベッドの上から降りた。

「とりあえず、コーヒーでも飲んどくか」

ポットを火にかけて、クロゼットに防寒具を取りに向かう。

待ち合わせの時間まで、する事が何も無かった。

琥珀色の飲み物に時折口をつけつつ、時計を睨んでジリジリと時間が経過するのを待った。

―――晃の連絡を受けて、きっかり四十分後、人目に付かないように男子寮を抜け出す。

月明かりに照らされた夜闇に目を凝らしながら歩くと、墓地に人影が立っていた。

「よお」

吐く息が白い。

待っていたのは晃一人きりだ。

「他の奴は?」

「黒塚にも連絡取ったんだけど、支度に時間がかかるらしい、もうちょっとしたら来る筈だ」

「そうか」

「お前も遅刻だぞ、三十分後ってちゃんと言っただろうが」

ったくと呟いて、晃が笑う。

その様子が昨晩の姿と重なって、急に腹の底がイラッと沸き立っていた。

「オイ、晃」

「ん?」

怪我をしていたほうの肩を掴む。

「イテテ、ちょ、甲太郎ッ」

まだ治っていないようだった。

当然だけれど。

「お前、こんな状態で仕事だなんて、バカなこと言ってんじゃねえ、今日は諦めろ」

「うーん、でも依頼受けちゃったし」

「ふざけろ、そんなもんは反故だ、いいから帰るぞ、黒塚にも連絡入れろ」

「嫌だよ」

「晃」

晃は不意に真剣な表情をした。

普段はあまり見せない。柔らかな雰囲気が一転して厳しく変わる。

同年代で同じように決意に満ちた顔をする人間など、他には生徒会長くらいしか知らない。

「俺は仕事をしにここに来たんだ、だから仕事をする、悪いけど、お前にだって口出しはさせない」

甲太郎はグッと掌を握り締めた。

そんな事は俺だって知っている。晃は天香学園に学生として在籍しているけれど、その目的はあくまで地下に広がる遺跡の探索であって、勉学や学生生活などではない。

それらは全部ついでだ。

俺たちだって、ここでたまたま出逢ったから、ついでで。

そう思うと、悔しくてたまらなくなる。

俺が想うほどのウェイトはお前にも同じようにかかっているのか。

心配ばかりされて、あてにもしてもらえないだなんて、そんな状況納得行かない。

確かに、俺は諸手を上げてお前の側に立てない人間だけれど、それでも他の奴らと同じに、いや、それ以上に、お前を守りたいと思っているのに。

「甲太郎?」

晃が困った顔をしていた。

俺はまた、不機嫌な様子に映っていたのか。

悔しさともどかしさを奥歯で噛み潰して、甲太郎はパイプを手に取った。

「晃、なら俺からも言わせてもらうが、俺は興味本位や物見遊山でお前と一緒に行動しているわけじゃない、そもそも、こんな危なっかしい場所、どれ程の甘言を囁かれたって断固お断りだ」

けれど、お前の誘いだから。

その言葉は胸の中で囁く。口になんて、とても出すことなどできない。

「他の奴らもそうだがな、それでも俺達は―――俺は、お前の携帯一本で、のこのこ出て来ちまってるんだ、その意味をもうちょっとちゃんと考えやがれ」

「甲太郎」

「お前ばっかり一杯一杯なんて顔、させねえぞ、こっちだって体張ってんだ、気を使うにしても、もっと違う使い方をしろ、余計な不安は迷惑だ」

大切な人が怪我をして、ぼんやりしていられるほど無神経じゃない。

俺だっていつも後ろで肝を冷やしてるんだ、どうしてそこに気づかない。

甲太郎は苛々とパイプの端を噛んだ。

ラベンダーの香りがしないので、ようやく火が消えていることに気が付いた。

それでもすぐには点火する気になれなくて、そのまま金属の感触を歯の間でギリギリとかじり続ける。

晃は僅かに俯いて、何事か考え込んでいるようだった。

自分のことには殆ど迷わないくせに、他人が絡むと必要以上に慎重になる。こいつの悪いくせだ。

様子を見守る甲太郎に、ふと顔を上げて、そうだなと苦笑いを浮かべた。

「悪い、妙な気、使わせたみたいだな、ゴメン」

「詫びる必要は無い」

「でもゴメン、俺、ちょっと軽率だったと思う、うん、これからはもっとあてにさせていただきます」

―――ああ」

「でも俺のことも気遣い無用だからな」

「そんなもん、最初からしていない」

「そっか」

晃は笑う。

夜の闇の中で。

こいつの周りだけ、いつでもキラキラと星が降る。

「アリガトな、俺、やっぱりお前のこと好きだよ」

「なッ」

「じゃあ早速だけど、今日は怪我してるし、降下作業手伝ってくれよ、俺のことロープで括って降ろしてくれ」

―――ったく、どうしても探索は諦めないって訳か」

「当然だろ、けど、甲太郎、本当にやってくれるつもりなのか?」

「お前一人くらい支えるのなんてわけないぜ」

「そうかそうか、俺、スリムだもんな、良かったな甲太郎」

「よかねえ、言ってろボケ」

仕方ない、今日は特別だ。

本当はおおっぴらには手を貸せないけれど、いつもよりは奮発してやろう。

甲太郎は眠たげに欠伸を洩らす。

暗闇の向こうから、駆けて来る足音が響いてきた。

「黒塚だ」

呟いた晃をちらりと窺いながら、甲太郎の口の端に微笑が滲んでいた。

矛盾だらけの俺だけど、今だけはお前の味方だから。

だから―――今夜だけは怪我なんてさせない。絶対に。

「ごめんよ晃博士、僕の子たちを磨くのに手間取ってしまって」

「いいよ、じゃあ、そろそろ行こうか」

「ああ」

腰から外したロープを晃の手元から奪い取って、甲太郎は手際よく杭を打ち込み降下準備を整えた。

晃のバックルに端を通して、固定して硬く結びつける。

きょとんとしている彼を穴の淵に立たせると、アロマのパイプを口元で揺らした。

「行くぞ、晃」

―――今日は何だか皆守君の方が宝捜し屋みたいだねえ」

「まあ、世話の焼ける奴だからな、仕方ない」

「な、何だよそれ」

僅かに顔を赤く染めた晃に、甲太郎は瞳を細くした。

「いいから早くいけ、ホラ」

先ほどまでの苛々は、いつの間にか優しい感情に変わってしまっている。

危なっかしいお前。

けど、当分は俺が守ってやる。

地底深く潜行していく彼らを、銀色の月が天空高くから見守っていた。

 

(了)