「R-style 43」
化人の攻撃で、目の前が緩くぶれた。
必死に引き絞ったトリガーから確かな感触が伝わり、反動で体が飛んだ、と思ったのだけれど―――
「九ちゃん!」
どこか遠い、甲太郎の呼び声。
九龍の体はスローモーションのような動作で、傍らの水路の中へ落ちていった。
「九ちゃん、九龍!」
直後に飛び込んで、沈んでいく九龍の片腕を懸命に捕らえる。
打ち所が悪かったのだろうか、彼は意識を失っているようだった。
甲太郎は必死で岸までたどり着くと、まず九龍の身体を水から上げて、その後自分も石畳の上に這い登り、まだ半分沈んでいる九龍の全身を全て引きあげて仰向けに寝かせた。
最後の一撃が残り一体の化人を葬り去ったため、辺りに敵影は無い。
―――その点に関してのみ言うならば、さすが、プロと賞賛すべきだろうか。
「九龍!」
甲太郎の緩いパーマのかかった髪は含んだ水分のせいでぺったりと頭部に張り付き、先端から眼下の白い綺麗な顔に水滴が零れ落ちている。
同じように水に濡れた制服はずしりと重い。
「九龍!」
必死に覗き込んだ顔の、瞼は閉じられたままだ。
ぱたぱたと、濡れた雫がまるで涙のように見えて、甲太郎は唇を噛み締めていた。
まず胸元に耳を押し当てて、心音を確認してから、口元に耳を近づけると、呼吸が止まっている。
(くそッ)
―――落下の際、水を飲みすぎたのだろうか。
青ざめて意識のない姿を見詰めて、甲太郎は九龍の腕をグッと握り締めた。
「―――九龍、待ってろ」
低い、呻くような声。
骨張った指先が九龍の顎に添えられる。
そのままグッと持ち上げて、口から喉にかけてを水平にすると、甲太郎は一瞬息を詰めて、それからそっと―――唇を重ね合わせた。
隙間ができないようにぴったり合わせて、呼吸を喉の奥に強く吹き込む。
顔を上げて、再び肺を空気で満たすと、もう一度口づけた。
(九龍)
こんな状況だというのに、興奮している自分は不謹慎だ。
相手は同性で、状況は緊急を要しているのだから、俺のこの感情はおかしいのだと、何度自分を言いくるめようとしても、胸の鼓動は収まるどころかどんどん激しさを増していく。
内側で、炎のような感情が燃え上がるようだ。
そっと襟元に指先を忍ばせて、不必要なほどボタンを外した―――苦しくないように。
(それだけだ)
頭を支えて、顎を押さえて、深く、強く唇を交わらせる。
吐息を注ぎ込んでいく。
九龍の白い肌が視界の端に映る。
それだけで、もう堪えきれないほどの劣情を感じて―――まるで今、自分は九龍と性交しているのではないかと―――
(バカな!)
ふざけた考えを一蹴して、もう一度喉の奥に空気を送り込むと、九龍の体がビクリと震えた。
「九龍?」
顔を上げた甲太郎の目の前で、グッと呻き声を洩らし、直後に口腔内から大量の水がゴボッと吐き出される。
「九龍!」
ゲホゲホと、激しく嘔吐と呼吸を繰り返し、あらかた肺の中の水を吐き出したらしい九龍が、まだおぼつかない様子で弱々しい視線をそっと上向けた。
「こ、うた、ろ?」
「―――九ちゃん、無事か?」
「は、あ、あれ、俺、どうして」
状況が把握できてない様子に、ハアと溜息を漏らしながら、甲太郎は傍らで胡坐を組んでいた。
胸の辺りを探って、先ほど飛び込む直前に突っ込んだパイプを探し出して、それから紙巻の入っているシガーホルダーを取り出して中を覗き込む。
「くそ」
中身は全部びしょびしょに濡れてダメになってしまっていた。
あとで新しいものを巻きなおさなくてはと、しかめっ面の甲太郎を窺うようにして、九龍はヨロヨロと上半身だけ起き上がらせた。
「えーと、あの、甲ちゃん」
「何だよ」
「俺、どうしちゃったのかな?」
「フン、状況をよく見ろ」
甲太郎は恨めしそうに九龍を睨みつける。
「どっかの馬鹿が水路になんか落ちやがったおかげで、お節介にも助けに飛び込んだ俺のアロマが全滅だ、どうしてくれる」
「ご、ごめんなさい」
慌てて頭を下げる様子を横目で見ながら、甲太郎はパイプとシガーケースをやむを得ず制服のポケットに戻した。
オイルライターは多分無事だと―――信じたいのだが―――どちらにせよ寮の自室に戻らなければ、何もできないし、アロマなしでこれ以上ぶらつく気にもなれない。
すっくと立ち上がった甲太郎を、九龍はまだ座ったまま見上げていた。
ずぶ濡れの濡れ鼠の癖に、彼の漆黒の髪や瞳は水気をはらんでやけに艶かしい。
思わずゴクリと喉を鳴らして、甲太郎はその仕草を隠すようにくるりと背中を向けた。
「これじゃやってられないぜ、俺はもう帰る」
「えっ」
「お前も帰るんだろう?」
「でも俺は」
「友達をびしょ濡れのまま、あちこち連れまわそうだなんて、そんな甲斐性のないことは言わないよなあ?なあ、九ちゃん?」
「―――あう」
まるでいたずらを叱られた子供のように、気まずそうに顔をしかめて、結局九龍は「ハイ」と立ち上がったあと、多少しょぼくれながら帰り路に足を向けたのだった。
「ごめんね甲ちゃん」
背後に甲太郎も続く。
「ったく、これでプロだなんて、よく言うぜ」
「ハイ、すいません、反省してます、それと―――ゴメン、俺のせいでびしょ濡れにしちゃって」
「今日は俺以外バディ同行してないからな、やむを得ず、だ、他に誰かいたらそいつに任せてるさ」
「それでも嬉しいよ」
振り返った九龍は、その物騒な本職に見合わない、肌の白い、綺麗な顔で微笑みかけてきた。
「アリガト、甲ちゃん」
「フン」
甲太郎はアロマを燻らせようとして、それがしけって使い物にならない事を思い出し、上げかけた手を所在なさげに結局だらりと下に降ろしていた。
地下だからだろうか、遺跡は、墓地にいるよりはまだ若干暖かい。風が無いのも理由の一つだと思う。
それでも前を歩く九龍がくしゃみなどしているから、背後で甲太郎は、気づかれない程度に嘆息する。
寮に戻ったら、このまま部屋に連れ込んで、温かい飲み物でも飲ませてやろう。
風邪をひかせたり、熱などださせたりしたら、それこそ寝覚めが悪い。
―――再び鼓動がトクンと鳴っていた。
本当の理由がそんな事でない事くらい、とうの昔に理解している。
先ほどおこなわれた一連の行為を九龍は知らない。だが。
(知らないままでも―――いいさ)
自分よりいささか背の低いハンターの背中を見詰めながら、下ろした腕が再びそっと口元まで持ち上がり、指先で、まだ内側に熱を帯びたままの唇をなぞっていた。
(了)
※こちらはリクエストいただいた千早さんへの捧げモノですvどうぞ、お受け取りくださいませ。