R-style 44

 

 空はどこまでもどこまでも青い。

果てしなく青い。

吸い込まれそうなほどに青い。雲ひとつない。

冬の昼少し過ぎ、遠すぎるスカイブルーと、そこに差し込む白い光。まぶしい影。

木枯らし吹く只中で、それでも隣を見れば知っている姿が同じ様にぼんやり上を眺めているので、思わず微笑んでしまった。

天香学園は今、冬季長期休暇中だ。

普段生徒達の喧騒であふれる校舎の中は、がらんとして物音一つない。

期間中は本来なら許可なしで校内に入ることは許されないのだけれど、副会長は特権を利用してこっそり屋上に上がってきた。彼の、一番大切な相棒と二人きりで。

「やっぱちょっと寒いな」

ぽつりと呟くと吐息は白く濁り、大気へ溶けていく。

コートを着たままより添っていると分厚い布地分邪魔だからと、相変わらず大胆不敵な相棒は副会長のコートを半ば強引に脱がせてしまった。

自分もコートを脱いで、それを羽織り、彼にも羽織らせて、その下から腕を差し出して腰に回す。

仕草が愛し過ぎて思わず笑って、ついでに仕方ないなと自分でもいやになるほど甘い声で囁きながら、肩に腕を回して抱き寄せた。

馬鹿みたいだと笑う。

こんな自分もいただなんて、馬鹿みたいだ。俺自身知りもしなかった。

「お前って、いい匂いがするな」

胸の辺りで聞こえた優しい響きは、そのままストンと心と体に染み渡る。

いつも咥えているパイプのせいかもしれないと思い、「ラベンダーか?」と尋ねると、髪がこすれて軽く首を振っていた。

「違うよ」

「そうか?」

「それもあるけど、でもそれじゃない、もっと別の匂いだ」

「一体何だ」

自分のことなのに人に訊くなんてと、直後に気づいた。

結局、俺なんて人間は自分の事すらよく判っちゃなくて、最後に一番大切な事だって、教えてくれたのはここにいるこいつだ。

地上に戻って一発ぶん殴られて、それでようやく目が覚めた。

俺は、本当の意味で、俺自身になった。

多分まだまだ迷ったり戸惑ったり、くじけそうにもなるだろうけれど、でもこれからは何度でもちゃんと前を向いて歩いていける。そのつもりだ。

何故なら―――もらった贈り物は、こいつが今耳をそばだてている、この奥にしっかりと刻まれているから。

髪を撫でると少し硬かった。

笑い声で肩が揺れている。

「おまえの匂い」

「は?」

一瞬、体臭の事を言われたのかと思って、僅かに動揺しかけた。そぶりも見せなかったけれど。

でも考えてみれば汗もかいてないし、昨日はちゃんと風呂にも入ったし、他に臭いの原因になりそうなものも思いつかないから、きっと違うと思いなおした。体臭など殆ど無い体質のはず、だ。

「いい匂いがするんだ、あったかいし」

人肌が好きなんだよと囁く、言葉が少しだけ気に食わなくて、副会長はむくれた眼差しを向ける。

声がまた笑う。

「ゴメン、間違えた、俺はこの匂いと、この温度が好きなんだ」

首元で髪の毛がクシャリとこすれる。

いい匂いがふわりと漂って、アウトロー気味な普段の素振りと180度逆向きの、とろけてしまいそうな微笑で、不機嫌面がもう治ってしまった。

どうせ誰もいないし、こいつにも見えてないから、ならいいだろう。

(照れ臭いとかそういうんじゃないからな)

誰に言い訳しているのかわからない言葉を胸の中で唱えて、目の下の黒髪に鼻先をうずめた。

やっぱりいい匂いだ。

俺も、この匂いと、この温度が、たまらなく好きだ。

「なあ」

「ん?」

「もうずっとこうしてたいな、なんか、何だかさ」

―――だな」

クスクスと聞こえてきて、つられて笑い、気づけば二人でアハハと声に出して笑っていた。

うららかな冬の日。

ここに、何のしがらみも、柵もない。

あるのは果てしなく続く青空と、差し込む日差しと、そして、心地よい香りと温度だけ。

触れ合う全てが好ましくて、このまま溶けてしまいたいと思う。

あの琥珀色の甘すぎるとろりとした粘液みたいに。

「俺たちって馬鹿みたいだ」

日差しに手をかざす。節くれだった骨っぽい、傷だらけの手。

ざらついて、あちこち痣だらけで、それでも何よりも愛しい形をした、彼の手。

「かもしれないな、っていうか、馬鹿だろ、実際」

捕まえて、唇で触れる。

「長かったけど、短かったかな?」

「短かったよ」

「そうかな?」

「短すぎだ」

もっと、ずっと―――けど、それは言えない。

お前が言う言葉だって、希望込みの幻だ。それはわかってる。理解もしてるし、受け止めるつもりもある。

けど。

「なあ」

指先がするりと逃げ出して、副会長の柔らかい髪をクシャリと握った。

そのまま軽く一梳きして、眼を合わせて、笑う。

空を見上げる。

「こんな綺麗だとさ、飛べそうな気がするよ」

夢みたいな事ばかり言う現実の身体を後ろからしっかり抱きしめて、低い声も耳元で囁いていた。

「俺も、そう思う」

 

―――空は青い、そして、果てしない。

ブルースカイ、スカイハイ。

飛べそうだと思った冬の日。

あの青の向こう側では、未来と永遠が待っているのだろう。

今は、まだ、遠く見送る君の、いつか出会う約束の言葉と共に。

 

(了)