R-style 45

 

 時刻は正午過ぎ、場所は寮の晃の自室。

部屋主はスプーン片手にしみじみとしている。

目の前には甲太郎の姿。

やはり同じ様にスプーンを握り締めて、こちらの視線などには気づきもしないでがつがつと貪り食べている。

それは、カレー。

けれど、ただのカレーじゃない、特製だ。

(調理技能SS評価になったお祝いというか、記念の力試しのつもりだけだったんだけどなあ)

すっかり空になった皿を無言でずいと差し出されて、はいはいと答えながら受け取った。

何だかんだでこれで二皿目、今よそってきたのは三皿目だ、腹の具合は大丈夫なのだろうか?

返された皿を、やはり無言で受け取って、再びがつがつと食べ始めた。

カレーに関してのみ、こいつは異常だ。

趣味や好物の範囲を超えて、はっきり言って変質的だと思う。

黒塚や七瀬のことなんて言えないじゃないか。

オタクという一点において彼らは完全にリンクする。甲太郎はカレーオタクだ。

まあ、平和的ではあるか。

晃は自分の皿の上の残りを片付けた。

流しに置いて水につけて、ポットを火にかけながら、その隣でクツクツ笑っているカレー鍋の中に視線を落とす。

「晃」

呼び声に、振り返ってまた皿を受け取り、再びよそって甲太郎に返した。

これで四皿目。そろそろ止めたほうがいいか?

(まさかそこまでバカではあるまい)

おひつのサフランライスもそろそろ切れてしまうし、イエローカードくらいは切っておくか。

おいと呼ぼうと思った矢先、ふとくだらない事を思いついて、晃は開きかけた口をつぐんだ。

自分に濃い目のダージリン、甲太郎にはブラックのアメリカン。

カップを二つ用意して、両手に持ってテーブルまで戻る。

カレーバカは相変わらずがっついていた。

邪魔にならない程度の近くにそっとカップを置いて、自分用のダージリンの表面を何度も吹いて少し飲む。

「なあ、甲太郎?」

「ん?」

甲太郎はやけにゆっくりした動作でスプーンを下ろした。

満腹中枢自体はすでに満たされていたのだろうか、それとも咄嗟で反応が遅れたのか、微妙にわかりづらい。

晃は勤めて普通の表情で、それとなくを装って、目の前の彼を見詰めた。

「そんなにカレーが好きなのか?」

一瞬間の抜けた表情が、直後に得意げな笑顔に変わる。やっぱりバカだ。カレーマニアだ。

「ああ、そうだぜ、カレーに関しちゃちょっとばかり俺はうるさいぞ」

カレー以外でも何かとうるさいくせにと心の中で補足しておいた。

甲太郎は、基本的には淡白だけれど、感心の持ったものに関してはとことん粘着質な男だ。

特に、最近は、俺。

こいつが他の誰かと一緒に騒いだり笑ったり構ったり世話を焼いたりする姿を今までに見た事がない。

どんな鈍感な人間でも、ここまで露骨ならさすがに気づくだろう。

甲太郎の執着心はあからさまだ。

本人にその自覚がないのが一番いただけない。

それに、その辺を突っつくとムキになって怒り出すものだから、つくづく扱いづらい。

(まあ、他に色々理由とかもあるんだろうけど)

とりあえず今だけは、それは別のお話だ。

「なるほどね、カレー博士って訳か」

「フン」

スペシャリストめいた名前が気に入ったらしくて、そんなものはやっぱりバレバレだった。

晃はばれないように腹の中だけで笑う。

「じゃあ、カレー博士?博士にちょっと聞きたいのですが」

「これ食ってからにしてくれよ、冷めたらまずいだろう」

「本場のカリーならちょっと冷めてるんですよ、知ってるだろ?」

でも彼は日本人だし、なら郷に入ってはなんとやらの格言どおり熱々のカレーを火傷しながら食べたってなんら問題は無い。

けれど博士は、知識の部分を攻められて少し戸惑ったようだった。

なんだよと不本意気に訪ねてくる声にニコリと微笑み返して、両腕をテーブルの上で組む。

「甲太郎はさ、俺と、カレーと、どっちが好きなわけ?」

「は?」

一瞬何を言われたのかよくわからないような目でじっと見詰めて、甲太郎はもう一度「何?」と繰り返した。

晃は再びニコリと微笑んで見せる。

これが非常に効果的だと知っている。案の定彼は少しだけひるんでいた。

「だからさ、お前、これからの人生で俺とカレーとどっちかを永久に諦めなきゃならないとしたら、どっちを選ぶかって聞いてるんだよ」

今度はあんぐりと口が開いた。

ドライに装っている割には表情豊かな男だ。見ていて飽きる事がない。

そういうところが好きなんだろうなと、しみじみ姿を見つめて思う。

「はい?」

選べよと晃は瞳を覗き込む。

「俺はカレーにヤキモチやいてるんだ、だから正直に答えてくれ、甲太郎にとって、俺とカレーとどっちが大事?」

―――半分くらい本当で、半分確実に嘘の、その言葉は想像通りの混乱を彼にもたらしたようだった。

半分くらい持ち上がったままだったスプーンをかちゃんと皿の上に落として、甲太郎は前髪を掌でクシャリと握り締める。

その手の肘を卓の上に載せて、少し俯きがちに、何か考え込んでいるようだった。

ついでに深々と溜息も漏らすものだから、彼にとってはかなり深刻なクエスチョンだったのだろう。

見ていると段々複雑な気持ちが込みあがってくる。

何でそんなに悩むかな。

どうせなら、いやいっそのこと、すぐにカレーとか言われた方がなんぼかマシだったかもしれない。

(失敗したかな?)

笑い飛ばして終わり程度の質問だと思っていたのに。

甲太郎は暫らくその状態で固まって、カレーが完全に冷めるまで動かなかった。

不意に、左手のスプーンが皿とぶつかって小さく音を鳴らす。

殊更緩い動作でライスとカレーを掬い取って、口に含むと、ちょっとだけ眉間を寄せてから、のんびり咀嚼した。

飲み込んで、まだ多少湯気の昇るコーヒーを一口含んで、ようやくこちらをちゃんと見る。

「あのなあ、晃」

もう一回溜息をついて、更にもう一回、あのなあと続けた。

「お前、その質問は俺がお前に俺を選ぶか仕事を選ぶか、聞くようなもんだぞ」

「おっ」

そう来たか。

―――なるほど)

うまい例えだ、確かに、それなら深刻な表情もあの長考もそれなりに納得いく。

確かに仕事は大事だけど、実は甲太郎の事だって、俺にしてみれば結構なウェイトを締めているのだ。

これでも、最近は、特に。

もう少し考えてみて、やっぱりちょっと納得行かないなと思い直していた。

仕事と甲太郎の比較はともかく、じゃあ何か、俺はカレーと同義だってのか。

「なるほどな」

甲太郎が冷たいカレーをまずそうにまた口に運んだ。

「なら、優先順位は?それくらいは決められるだろう」

「お前は仕事と俺と、優先順位が付けられるのか?」

そんなもんは仕事だといいかけて、慌てて口をつぐんだ。

何か察したらしい瞳が俄かに鋭い光を帯びて、残りのカレーを一気に平らげてコーヒーを一口含む。

「先に、言っておくけどな」

「なんだよ」

皿とカップを重ねてずいと押し出された。

受け取った晃が立ち上がるのと、甲太郎が灰皿のアロマパイプを咥えるのとは殆ど同じタイミングだった。

ついでに自分のカップの紅茶も冷めてしまったから、まとめて淹れなおしに持っていく。

「俺は、二番なんて絶対に認めないからな」

背中に聞こえてきた声に、晃は少しだけ足を止めた。

流しにつけておいた皿とあわせて、水に浸してポットを火にかける。

「じゃあお前は俺が一番なのか?」

「バカ言え、一番はカレーだ、当然だろうが」

カップを洗った。

皿は後でいい。水気を切ってタオルで拭いて、ティーパックとインスタントのコーヒーをそれぞれ入れる。

「じゃあ俺もお前も、結局は永遠の2位キープって事か、ならしょうがないかな」

ふわりと漂うラベンダーの香りと、ふざけるなの一声。

晃は火を止めて、カップに熱湯を注ぎこむ。

「今言っただろうが、俺は二番なんて認めないぞ、いちいち覚えて恨むからな」

温かい紅茶とコーヒーが出来上がった。

ティーパックをあげて、コーヒーをかき混ぜて、余計な力が入り過ぎないように持ち手を掴む。

振り返るとアロマを悠々と漂わせながら、甲太郎がこちらを見ていた。

特に笑ってもいない、普通の顔をしていた。

晃は傍まで歩いて、カップを丁寧にテーブルの上に置くと、立ち上がって甲チャンと微笑みかけた。

「何だよ」

「あのな」

直後に容赦のない蹴りを叩き込む。

甲太郎はその素晴らしい回避率で避けようとして、けれどそんな事はお見通しだったから足技をそのまま横になぎ払った。

仰け反った体が思う様床に倒れる。

勢いをつけてもう一発蹴ってやりたかったけれど、むせながら起き上がった彼が何するんだと凄い勢いで怒鳴るので、やめた。

「なにするんだじゃねえ、この、ボケッ」

「なッ」

体の上に馬乗りに乗り上げて、アロマパイプを取り上げながら、晃は鼻先に顔を近づけて覗き込む。

「わがままばっかり言うな、お前が一番くらいの甲斐性を見せろ、この、カレーバカッ」

「う、うるせえ、お前だって人の事が言えるのか、この仕事バカ!」

―――さすがに、ここまで暴虐無人だと、堪忍袋の緒だって切れる。

大体言い方ってもんがあるじゃないか、どうしてその辺りの気を利かせられないんだ、思いやりとかそういう言葉はおまえには無いのか、コノヤロウ。

ギリギリにらみ合っているうちに、またひらめいてしまった。

片手のアロマパイプをちらりと横目で見て、晃は壮絶な笑みでニコリと微笑みかけた。

「甲ちゃん」

甲太郎の体がビクリと震える。

「な、何だよ」

「なるほど、じゃあお前は俺よりカレーが好きだけど、俺はお前が一番で仕事が二番じゃないとダメって、そういうわけなんだな」

―――ああ、そうだ」

頬に僅かに朱が差していた。

今更照れたのか、バカめ。

「じゃあ」

パイプを構えて、その先端を甲太郎の眉間の少し上に定めた。

「インド人にしてやる」

「は?」

「それならカレーが一番でも納得してやろうじゃないか、なんたってカリーの本場だからな」

近づけようとした手をガッと捕まえて、甲太郎は俄かに目を剥いた。

結構本気だ。

察したのだろう、シャレにならんと表情からゆとりと朱色が消えている。

そのかわりサーッと擬音付で青くなって、今度はかなり真剣に慌て始めた。

「や、やめろッ、晃、お前、何考えてるッ」

「俺はハンターだから、仕事が一番だ、なら、お前がインド人なら、カレーが一番だろう?」

「は?」

「いいアイディアだと思わないか、甲太郎」

「な、何言ってんだ、いいから落ち着け、な?」

「ヤダ」

「おいッ」

「さすがに―――むかっ腹立ってんだよ、俺だってな」

グググと先端を近づけながら、晃はまだ微笑んでいる。

目だけ笑っていない。

甲太郎の掌に変な汗が滲んでいる。

「まあ、この程度だったら、すぐ消えちゃうから」

「や、やめ、や―――

「あとでちゃんと痕の残らない手当てをしてやるよ、な?」

「な、じゃ、なくて!」

そして、最後に見えたのは、これまでに見たこともない、非常に黒い晃の笑顔だったとか。

 

―――その後の事は、カレーの神様のみぞ、知る。

 

(了)