「R-style 50」
「なあ、晃」
「うんー?」
静けさが深々と窓から忍び込んでくるような、2人きりの夜。
ここはスイス。
巨大な森に囲まれた湖畔を望むロッジで、晃は銃の手入れを、甲太郎は端末に集積した情報の分析と整理を行っている。
暖炉では火が赤々と燃えて、辺りに満ちる空気は平穏そのものだ。
今は仕事の最中、というわけでなく、中休みのようなもの。
数日後には次の依頼に取り掛かる。
移動ルートを少しだけ変更してミニ休暇を取らないかと、提案したのは晃だった。
(珍しい事もあるもんだ)
いつも呆れるほど仕事バカなこの男が、自分から休みたいだのと、そんな言葉はあまり聞かない。
しかも、2人で、などと。
(どういう風の吹き回しだ?)
晃は「お前と2人きりでのんびりしたい」と言ってくれたのだった。
驚いた反面、嬉しくて、少し興奮した。
これでも自分は心底彼に惚れ込んでいるから―――多分、想われているよりずっと深く。
だから、不意に気になってしまった。
何か別の思惑があるんじゃないか。
特別な話をするつもりなのではないか、と。
「は?」
しかし、予想に反して晃の返事はまずその一声だった。
「これといって何かある訳じゃないけれど」
「だが」
「おいおい、俺ってそんなに薄情か?まいるなあ」
実際そうじゃないかと甲太郎は思う。
普段から、あまり実感が湧かないのだから、仕方ないじゃないか。
心を疑うわけじゃない。
けれど、晃は、何にも囚われることのない風と同じで、留めておくことなどとてもできはしない。
それはもう随分前に悟った現実だった。
こいつと一緒にいるためには、自力で羽ばたき、付いていくしかない。
どれだけ抱き締めても、その体を欲しいだけ貪ったとしても、例えば四肢の骨を折り、言葉でがんじがらめにして、強固な檻を組んだとしても―――きっと心だけは縛れない。
二人の想いの形はあまりに違っていて、それが少し辛く感じる時もある。
だから、今も素直に楽しめない。
甲太郎は端末の液晶画面から顔を上げて、じっと晃の姿を見つめていた。
暖炉の前の敷物の上で胡坐を組んで、分解した銃の部品を布で綺麗に拭いている、その姿はオレンジの光に照らされて何とも言えない雰囲気を醸し出している。
美しくて、フッと幻のように消えてしまいそうで、また不安が胸で揺らめいた。
「晃」
振り返らない背中が、何、とだけ答える。
「お前、俺のこと、好きか?」
「好きだよ」
「なら、愛してるか?」
開きかけた唇が一度閉じて、不意に晃が歌い始めた。
「オイ」
聞いたことがある、これは確か、北欧の古い歌だ。
「晃」
若い娘が花を摘むときに歌う歌。
「晃」
―――恋人を想って、歌う歌。
「なあ、甲太郎」
歌が途切れた。
晃は銃の手入れを続けている。
「言葉っていうのは、案外厄介なものだよな」
「何?」
「言わなきゃ言わないで、伝わらないし、言いすぎれば今度は薄っぺらくなる、用途と分量が要な訳だが、これがまた想いに比例しちまうもんだから、難しい」
暖炉で炎が爆ぜる。
「何を、どこまで、どうやって伝えればいいのか、迷うんだ」
どうすればちゃんと伝わる?
どうすれば足りる?
「感性なんてのは、個人由来だから、例えば俺の見るこの暖炉の火のイメージと、お前のイメージとじゃ、全く一緒って訳には行かない」
俺とお前が別の固体である以上、それはどうしようもないことなんだと、晃は呟いた。
「今、お前が欲しい言葉を言って」
顔を上げる。
「どこまでちゃんと、お前に伝わる?」
暖炉を眺める晃の横顔を、甲太郎は見詰めていた。
鼻筋の通った、綺麗な顔。
黒い髪、翠の瞳、その中で揺れる、赤い炎。
いつだって魅入られてしまう。
もちろん、彼の声も、心も、何もかも。
「言葉は、呪だ、文字は、楔だ、けど、歌は俺の―――心、だから」
そして再び歌い始めた。
止めていた手を動かしながら、耳に心地よい歌声で。
少女たちが花を摘みながら想い人に捧げる愛の歌。
甲太郎はただ聞いていた。
歌声は何よりも、晃の気持ちを表しているようだった。
(お前って)
唇にフッと笑みが浮かぶ。
「―――ズルイぜ」
そのままくるりと背を向ける。
ため息一つ漏らして、再び眺めた端末の液晶画面には、うっすらと幸せそうな男の顔が映っていた。
違う形のハートでも、同じ色ならいいじゃないかと、自分自身に囁きかけて、甲太郎は満ち足りた気分をそっと胸の奥で抱きしめた。
(了)