「R-style 6」
紫煙に煙る視界の向こう、ああ、今は体育なのかとぼんやり考えている。
ジャージ姿の晃が走ったり飛んだりするたび、何人かの生徒がいちいち動作を止めて注目していた。
それもそのはずで、彼は見かけ以上に運動神経が良い。
詳しい事情を知っていれば納得いくようなことでも、普通は珍しいものなのだろう。
もっともあの程度、軽くこなせなくては、とてもあのような危地に赴くことなど出来はしまい。
何が面白いんだかと、甲太郎は少し不機嫌気味に顔をしかめていた。
晃の目的は学園地下に広がる遺跡だ。別に、真面目に授業を受けたり勉学に励んだりする必要は無い。
そのはずなのに、彼はごく標準的な学生として日中の殆どを過ごしている。
世界を股にかけるトレジャーハンターも今は一般の民間人のようで、様子を目で追いながらアロマを挟んだ金属部分を噛んで落ち着かなく上下に揺らしてみたりした。
煙が揺れる。
その向こうで晃が笑う。
クラスメイトの何人か、話しかけて一緒に笑っている。
甲太郎は―――何となく面白くない。
特に、数人の相手が妙な視線を向けている様子はひと目で見抜いていた。
(しかも野郎まで混ざってんのか)
クソ、と毒づいて、軽く睨んだりしていると、背後で蝶番が擦れる耳障りな音がする。
「皆守クン!」
突然呼びかけられて甲太郎はビクリと震えながら慌てて振り返った。
「―――八千穂か」
いかにも面倒気に顔をしかめる様子も構わず、体操着姿の明日香はすぐ傍までやってきた。
「こんなところでまたサボり?たまには授業出ようよ」
「余計なお世話だ、お前こそ一体何しにきやがった、その授業はどうしたんだよ」
明日香は曖昧な返事を返しながら甲太郎の隣に立つ。
そして、そのまま屋上を囲む柵に手をかけ、体を少し乗り出すようにして運動場をぐるりと見回した。
「おい」
怪訝に思って声をかけても明日香は聞こえていないようだった。
その様子から察するに、どうやら―――何か、探しているらしい。
熱心に辺りをうかがっては首をかしげ、思案して、不意にアッと小さな声が聞こえた。
「わかった!」
何がだと問う前に、笑顔の明日香と目が合った。
「さっき運動場からね、珍しく皆守君の姿が見えたんだ、ほら、いつも寝転がってるからどこにいるのかわかんないじゃない?」
言われて甲太郎は唸る。
「悪かったな」
「そんでね」
明日香は意にも介さない。
「なんだかこっちをじっと見てるんだけど」
アロマの先がピクリと揺れた。
「どうも、私達じゃないみたいなんだよね、何ていうか、誰か一人をずっと目で追ってるっていうか」
甲太郎は視線を逸らしていた。
特に、思うところあっての行為ではないのだが。
しかし―――まずい。
こいつは何を言い出すつもりなんだ。
「そしたらなんだか気になっちゃってさあ、いてもたってもいられなくなっちゃって」
「それで、わざわざ授業を抜け出してきたってのか」
エヘヘと笑って明日香は鼻の下を擦る。
「うん!」
「―――そりゃまた、ご苦労なことで」
甲太郎はアロマをふかした。
無関心を装って柵にもたれかかりつつ、上を見上げて煙の行き先だけを目で追う。
「ねえねえ、皆守君?」
「何だよ」
「皆守君さ、ずっと見てたの、晃君のことでしょ?」
むせた。
激しくむせた。
そのものずばりの物言いに、アロマの煙がまともに喉に絡んだ。
柵につかまって、ゴホゴホと体を折り曲げる甲太郎を明日香が慌てて気遣う。
「だ、大丈夫?!」
答える間もなく咳を繰り返して、ついでにアロマの紙巻がパイプからボロリと落っこちてしまった。
勿体無いと腹を立てながら、ようやく復活した甲太郎は明日香を睨み上げる。
「八千穂!」
「え?」
「え、じゃねえ、バカも休み休み言え!誰が野郎のことなんか―――」
余計なことなど言わない方がいいと、そこまで判断している余裕が今の甲太郎には残念ながらなかった。
取り繕うように言葉を重ねる様子を唖然と眺めて、明日香は不意にくすっと笑みをこぼしていた。
「皆守君、皆守君」
ちょいちょいと、制服の裾を引っ張られる。
「な、なんだよ」
「大丈夫だよ、私、言わないから」
「は?」
うんうんと頷いて、なにやら勝手に納得されてしまった。
冗談じゃない、なんだか知らないが、どうせろくでもないことだ。
甲太郎はいよいよ焦った。
「おいお前、何考えてるか知らないが、俺は」
「私、応援してあげるから!」
「は?」
急に両手を握られて、大きく上下にブンブンと振り回された。
甲太郎はなすがままになりながら、唖然と目の前の笑顔を見詰めている。
「頑張ってね!」
「な、何を」
「きっと上手くいくよ、私も手伝ってあげるから!」
「だから、何を」
「いやーん、明日香なんだかドキドキしてきちゃった!」
気持ち悪く身をくねらせて、やたら興奮しているようだった。
嫌な予感がムクムクと頭を持ち上げている。
甲太郎は大いに動揺して、これ以上何を言ったものかとますます言葉を見失っていた。
「私も頑張るから、頑張ってね!」
急にパッと手を放されて、踵を返した明日香はそのまま屋上の出入り口まで駆けていってしまう。
「おい、八千穂!」
慌てて呼び止めようとした甲太郎を振り返り、最後に大きく手を振りながら駄目押しのような声があたりに響き渡ったのだった。
「うまく行くといいね!皆守君!」
きしむ扉を勢いよく開くと、そのまま校舎の中に飛び込んでいってしまう。
まるで竜巻のようだった。
蝶番が耳障りな音を立てながら隙間を潰し、最後にガチャンと閉ざされると、屋上はようやく平素の静けさを取り戻していた。
―――ただ一人、呆然と立ち尽くす甲太郎だけを残して。
足元で落ちた紙巻がまだくすぶっている。
立ち上る煙に鼻先をくすぐられて、ヨロヨロと背中を柵に預ける。
そのまま首だけ振り返った先、トラックを走る晃の姿が見えた。
伸びやかな手足に一瞬だけ視線を奪われ、やがて大仰に溜息が漏れた。
「最悪だ」
それが何に対しての言葉なのか、甲太郎にすらよくわからない。
グッタリと額を掌で押さえつつ、そのまま座り込んで、懐から紙巻用の乾燥ラベンダーと巻紙を取り出して一本巻いた。咥えて、火をつける。
慣れ親しんだ香りで肺を満たすと、ようやく少し落ち着くようだった。
嵐の後の胸中に、まだ散らばる意識の合間から言葉が勝手に口をついて飛び出していた。
「参った」
そのままガックリと首を前に倒す。
こんなことになっては、そして、明日香の様子があれでは、当分面倒なことになるだろう。
具体的にどのようかといえばそれは想像つかないが、とにかく面倒に決まっている。
しかも、是正に親切といった顔で振舞われるのかと思うと心底嫌気が差すようだった。
「あー」
悲哀の篭ったうめき声は空に飲み込まれた。
アロマの煙だけがただゆらゆらと立ち昇るのだった。
(了)