「R-style 8」
HRが終わって、自分が声をかけようとするより早く晃が教室を飛び出していくので、甲太郎は怪訝にその後姿を目で追っていた。
よく見れば、片手に深紫の布に包まれた細長い何かを掴んでいる。
わずかな思考の後で、それが木刀だと気付いた時には彼の姿はすでになかった。
「皆守君」
振り返ると明日香が立っていた。
「何だ」
彼女はいつもの癖で鼻の下を擦り、エヘヘと悪戯小僧のように笑う。
「晃君ねえ、今日は部活なんだって」
「あいつが?」
そうだよと頷かれて、甲太郎はへえと意外な声を洩らす。
「あの幽霊部員が、一体どんなやる気を起こしたってんだ」
「うん、それがね」
明日香は手短に、ことの次第を話して聞かせてくれた。
そもそもの原因は昨晩の遺跡探索にあるらしい。
そこで出くわした化人の何体かを日本刀で切りつけている様子を、隣で監督、指導していた真里野にあれこれ注文をつけられて、結果、今日道場で剣術の稽古をつけてもらうことになったということだった。
「真里野君が、晃殿は磨けば光る玉の原石、腕を錆び付かせていては勿体無い、とか言ってね」
ご丁寧に口調まで真似している。
「明日、道場にて拙者がご指導いたそうって、誘われちゃったんだ」
「それでか」
「うん」
甲太郎は舌打ちする代わりにアロマをふかす。
昨夜の「夜遊び」に、自分の元へ連絡は来なかった。
出かける時にはいつでも声をかけろと言ってあるはずなのに、なんで他の奴らなんか誘うんだ。
この頃頻繁に連れまわされているので疲労が溜まっていないわけではないが、それでも頼まれれば一緒に遺跡探索してやれるだけの気力は十分残っている。
どうせ晃のことだろう、余計な気を使われたんだと、勝手に憶測して何となくイラついていた。
「皆守君」
明日香が笑っている。
「ねえ、道場に見に行ってみようよ」
「何を」
「またまた、晃君だってば!皆守君も気になってるんでしょ?」
「も、ってことは、お前が気になってんだな、八千穂」
「エヘヘ、ばれた?」
甲太郎は呆れていた。
何のことは無い、結局は自分が見に行きたいだけなのだろう。
「今日は部活、顧問の先生が遅れるから、開始時間も少し遅いんだ」
自主トレはあるんだけど、それくらいは休んでも平気だからと、誰宛かわからない言い訳めいた一言を付け足す。
「だからさ、一緒に行ってみようよ?」
「めんどくせえ、行くなら一人で行ってくれ」
心にもない事を言いつつ、甲太郎はアロマを燻らせる。
本当はそこそこ、いや、かなり気になってはいるのだが、その程度の事でいちいち道場に行くのもなんだかバカらしくて嫌だ。
それじゃあまるで俺が晃の事を気にかけてるみたいじゃないか。
冗談じゃない、誰が野郎の心配なんて好き好んでするものか。
(俺にそっちの趣味はねえぞ)
胸中で吐き捨て、そしてそんな考え自体が異常だと気付いて、甲太郎は少しへこんだ。
全く、晃のこととなると、俺もどうかしてる。
突然腕を掴まれて、驚いて見上げると明日香はそのままぐいぐいと無遠慮に引っ張り続けた。
「おい、こらっ、放せ!」
「ねえねえ、考えてるくらいなら行こうよ、ね?」
「行かねえって言ってるだろ、行くならお前一人で」
「いいからさあ、行こうよ、行こうよ!」
「ああもう、わかった、わかったから、だからやめろ、引っ張るな!」
仕方無しに立ち上がると、今度は視線の位置が逆転した明日香が下から見上げて笑う。
「ホラ、早くしないと試合が始まっちゃうよ、行こう!」
「お前なあ」
人の話を聞かない人種だとは思っていたけれど、まさかここまで厚かましい奴だったとは。
呆れる様子に気付きもせずに、まだ腕を引こうとするので甲太郎はつい声を荒げてしまった。
「いい加減にしろ!ったく、変な目で見られたらどうすんだ!」
「あっ、ゴメン!」
突然大声で謝られて、逆にこちらのほうが驚いてしまう。
「な、何だよ急に」
しおらしくなった明日香を見て、甲太郎は柄にもなく慌てた。
「ゴメンね皆守君、私、気付かなくて」
「だから何が」
「変な噂、流れたら困るもんね」
「ああ、まあ―――」
「晃君に聞かれでもしたら」
甲太郎は思わずむせて、なんでそこで晃が出てくると明日香を睨みつけた。
何故か明日香の頬は赤い。
「いいから、いいから」
笑顔のままなだめすかされて、結局何がどういいのか訳のわからないまま、甲太郎は半ば引きずられるようにして道場へ足を向けたのだった。
校舎と寮の間、他の施設と併設されている道場は、比較的大きな建物だ。
扉近くまで来ると中から竹刀のしなる音と気合の篭った掛け声が聞こえる。
まるで覗きでもするようにこっそり窺う明日香の隣に立って、壁にもたれながら甲太郎はアロマをふかしていた。
グラウンドを走り回る健康優良児達は自分とは人種から違うように思う。
紫煙に煙るその先、汗水たらしてボールを追ったり走行練習をしたりする様子を眺めながら、何が楽しいのやらと声の代わりに溜息が漏れた。
「あっ、晃君!」
明日香の声で、思わず振り返りそうになってしまった。
イカンイカンと気のないそぶりでまた明後日の方角を見ようとすると、後ろ手に制服の裾を引っ張られる。
「ほらっ、皆守君、晃君、胴着着てるよ!」
「何だと」
ついうっかり明日香の頭上から首を覗かせて、しまったと甲太郎は後悔していた。
本当に俺は何をしているんだ。そんなものがそれほど興味をそそるものなのか。
それでも、見てしまったものは仕方ない。
観念して視線をめぐらせると、晃の姿はすぐに見つけられた。
「へえ」
案外様になっている。
袴と上着を着て、その上から更に胴あてを身につけ、小手の嵌った両手で晃は竹刀を構えていた。
すらりとした立ち姿に甲太郎は思わず感心していた。
普段実戦中の彼はなりふり構わず刀剣を振り上げ、さながらその姿はまるで獣のようであるというのに、どうやら基本はちゃんと身についているらしい。
門外漢の自分から見ても、とても綺麗な姿勢をしていた。
襟首から覗くうなじや、肩から腰にかけてのライン、見慣れないその格好が、妙に心をざわつかせる。
「皆守君、皆守君」
「んあ、ああ?」
見下ろすと明日香がニコニコ笑っていた。
「晃君格好いいね」
「まあ、そこそこだな」
「エヘヘ、見惚れてた?」
「ば、バカ言うな」
笑いながら視線を戻す明日香を、甲太郎は少しだけ睨みつける。
先ほどから晃が竹刀を一振りするたび、横から剣介が注文をつけていた。
「あっ」
明日香の声だ。
剣介が、背後から晃の両腕を支えて、直に振り方の指導をしている。
甲太郎の指先がピクリと動いた。
真剣そのものの晃の頬に顔を寄せて、耳元で何か話しかけながら動きの矯正をしているようだった。
合間に腰の辺りに手をやって、立ち位置がどうとか言う声が聞こえてくる。
わき腹から手を差し込んで支えられて、晃は足捌きを気にするように体をずらす。
剣介がそのたび、いちいち晃の耳元に顔を近づけるので、甲太郎はどうにも気が気ではなかった。
道場の扉の縁を掴む手にいつのまにか力がこもっている。
晃は振り返り様ニコリと笑いながら何か話しかけて、顔が急接近した剣介の頬に一瞬だけ赤みが差す。
「野郎っ」
思わず声に出てしまっていた。
驚いた様に見上げた明日香が、次の瞬間にはなにやら嬉しそうな含み笑いを浮かべていた。
「―――何だよ、その顔は」
気配に気付いた甲太郎は不機嫌に顔をしかめる。
別に、と呟いて、明日香は再び視線を戻した。
イライラしながら様子を伺っていると、剣介はいよいよ体を密着させてより詳細に指導を行おうとしているようだった。
剣術指南だなんて、もっともらしい理由つけやがって、あの野郎、晃に何してやがるんだ。
腹立ちまぎれに睨みつけた視線に幾ばくかの殺気でもこもっていたのだろうか、甲太郎の鋭い眼光に、突然剣介がこちらを振り返ったのだった。
「あ、ヤバっ」
明日香は甲太郎の腹の辺りからひゅっと引っ込んで姿を隠した。
一拍子遅れて晃もこちらに目を向ける。
まるで一人で覗いていたような塩梅になってしまって、甲太郎は大いに慌てふためいた。
「お、おい、八千穂っ、てめえ」
「甲太郎じゃないか!」
気付いた晃が嬉しそうに傍まで駆け寄ってきた。
明日香は、すでに脱兎のごとく逃げ出して、もう殆ど姿が見えなくなっていた。甲太郎は舌打ちを洩らす。
「どうしたんだよ」
真っ直ぐ見詰められて、正直困り果ててしまった。
この状況をなんと説明したものだろうか。どう言い訳しても、覗いていた事実は打ち消せないと思う。
しかし、と甲太郎は少しだけ瞳を細くした。
目の前で息を弾ませる晃はとても―――魅力的だと、思う。
遠目でもなかなかのものだったが、近くで見ると良さが際立っていた。
普段制服に隠れて見えないしなやかな鎖骨のラインや、顎から喉にかけて、汗ばんだ肌と、白い胴着がやけに眩しい。
甲太郎は見惚れていた自身に慌てて喝を入れて、いつものようにやる気のない声でうんとかまあとか適当にお茶を濁した。
「その、八千穂がな」
「うん?」
「八千穂の奴が、お前が今日は部活だって言ってたからさ」
「明日香ちゃんが?」
そうだと答えて甲太郎はアロマをふかす。
「だから、ゆうれい部員の活躍でも見てやろうかと思ってな、気が向いたから来てやったんだ」
まるで感謝しろとでも言いたげな言葉に、晃は笑顔でありがとうと答えていた。
「嬉しいよ、甲太郎が見に来てくれたなら、やる気倍増だ」
「そ、そうか」
「うん」
晃殿と呼ばれて、振り返った晃は剣介にすぐ戻ると告げてから改めて甲太郎を見詰めた。
素直な視線が心地良い。
漆黒の瞳の奥に映る、お前から見た俺はどんな顔をしているんだろうと、ふと思った。
「甲太郎」
「なんだ」
「俺、あとちょっと真里野に指導してもらったら帰るからさ」
「おう」
「だから、面倒じゃなかったら、それまでここで待っててくれよ、な?」
晃の頼みを断れる甲太郎ではない。
仕方なく、不承不承に頷いてみせると、晃は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、俺、頑張るから、ちゃんと見ててくれよ」
「ああ」
「寝てるんじゃないぞ?」
「わかってるよ」
手を振って早く行けと促すと、踵を返した後姿は真っ直ぐに駆けていってしまった。
その向こう、剣介が複雑そうな表情でこちらを窺っている。
甲太郎はアロマをひと吸いして、悠然と笑ったのだった。
「あんたにゃまだ100年早い」
指導も、先ほどより密着する部分を控えて教えているようだった。
そうだ、それでいいと、心のどこかで誰かが囁く。
「まったく、めんどくせえ」
ああと声を上げながら、甲太郎は道場の中の壁にもたれかかって腕を組んだ。
今更隠れてコソコソする必要もない。
本人公認なのだし、ここはじっくり眺めさせてもらおうじゃないか。
懸命に竹刀を振り回す晃の姿はなんだか面白くて見ていて飽きなかった。
甲太郎の口元に、満足げな笑みがかすかに浮かんでいた。
(了)