R-style 9

 

 扉を開いた先、差し込んできた陽の光の眩しさに、甲太郎はわずかに瞳を細くしていた。

秋晴れ広がる屋上には、わずかに冬の気配を漂わせた風が吹いている。

「晃?」

呼びかけてみても、答えは無い。

「っかしいなあ」

後頭部をぼりぼりと掻きながら、見晴らしのいい辺りを歩き回ってみた。

昼休みに一緒に昼食を取った後、一人でフラフラと出ていってしまった彼の消息はその後ようとして知れない。

カレーを食べながら、眠い、眠いと連呼していたので、多分どこかで休んでいるはずなのだけれど。

「しかし、ありゃ俺の台詞だよなあ」

とりあえず教えてやったサボりスポットは全部回ってみて、ここが最後の場所だった。

教室に戻っていないところを見ると、多分校内のどこかで寝ているのだろう。

学園内を自分よりも把握しているとも思えないのに、脅威の隠遁術だと感心すら覚える。

「俺も教わっておくべきか?」

呟いてみて首を振る。

どうも、一人きりで考え事をしているとついぼやいてしまう。端から見たら危ない男だ。

寮に戻っているのか、もしくは、学校外のどこかで休んでいるのか。

まさか、墓地にいっているなんてことは無いだろう。

そこまで無茶をやらないと、彼に限っては言い切れないような気もした。

ともかく、晃の動向がすぐ読み取れるだけの情報を甲太郎は持ち合わせていない。

それが何故か非常に悔しく感じられた。

誰が、どこで、何をしていようと勝手だけれど、晃のことだけは把握しておきたい。

それこそ勝手な言い分なのだが。

「晃ァ」

もう一度呼んでみて、やっぱり首をひねってみた。

おかしい。

どうも―――この辺りに慣れ親しんだ気配を感じているのだが。

もう一度辺りを見回して、甲太郎の目は自分がさっき出てきた扉の取り付けられている、四角形の出張った部分で止まっていた。

そういえば、確かここには。

裏側に回ってみて、やっぱりあったと確認する。

コンクリートの壁面に無骨な鉄の梯子が取り付けられていた。

見上げると灰色の縁の向こうに青空が広がっている。

まさかと思いつつも、やっぱりちょっと覗いてみるかと考えて、甲太郎は梯子に手を駆けた。

一段登るたび、青空が近づく。

梯子は十数段程度しかなくて、登りきるのにそれほど時間はかからなかった。

縁から首を伸ばして眺めた先、甲太郎は思わず溜息を漏らしていた。

「晃」

その、狭い空間に、両手足を伸ばして寝転がる晃の姿があった。

風にそよそよと前髪を揺らしながら、目を閉じて安らかな呼吸を繰り返している。

甲太郎は梯子を上りきり、少し屈みながら傍へと寄った。

顔の脇に腰を下ろして、やれやれとぼやきつつ寝顔を覗き込む。

「こんなところで寝てたのか」

落ちたらどうすると呟いて、見上げると空が近かった。

ここは、下より更に何もない。

なるほどだからかと妙に納得して、見下ろした晃は何だか平和そうだった。

「なかなか眼の付け所がいいじゃないか、気が向いたら俺もここでフケるか」

アロマに火をつけなおして咥えると、煙の向こうで遠い景色がゆらゆら揺れた。

風が吹いている。

胸の内をざわつかせる風だ。

この空の下、閉じ込める檻もなく、どこまでも続く風景と、果てしない蒼。穏かなひととき。

急に苦しくなって晃を見ると、少し癒されたような気がした。

甲太郎は前髪に触れてみた。

指先をかすめる、細い髪の毛が少しくすぐったい。

全体で見ると漆黒の、一筋ごとはこげ茶色をしていて、量が多いから真っ黒に見えるのかと何となく感心した。

形のいい額に指先を移す。

滑らかな感触だった。

甲太郎の眼は、ただ晃だけを見つめている。

打ちっぱなしのコンクリートの上で、その周囲だけほのかに輝くようだった。

指先が、こめかみを伝って頬に触れる。

一瞬顔を覆うように掌ごと移動して、顎に触れる。

陰になった晃の睫毛は随分長い。

もっと傍でよく見たくなる。

近づくと、規則正しい呼吸が唇から漏れているのがわかった。

晃は寝ている。

背中を照らす正午の日差しはひどく暖かい。

なんだかこちらまで、ついうとうとしてしまう。

目を閉じて、もう殆ど唇に吐息が触れていた。

パラリと落ちた前髪が、晃の額にかかった。

瞬間。

「甲太郎?」

ぎょっと目を見開くと、間近で見つめ返す黒い瞳がある。

「う、わ、ああ?!

叫びながら仰け反った途端バランスを崩して、甲太郎は危うくそのまま落下しかけていた。

飛び起きた晃が両腕を伸ばし、制服の裾を捕まえる。

宙を掻く掌で必死に肩を捕らえて、引き戻そうとする晃の方へ転がるように倒れこんでいた。

腕の中で、荒い呼吸を繰り返しながら、冷や汗が背筋を伝う。

「あ、危なかったな」

顔を上げた途端、まともに目が合って、そのまま硬直する甲太郎を見詰める晃も変な顔をしていた。

「あ、その」

急にしどろもどろになる、その両頬がほんのり染まっているように見える。

甲太郎は思わず違うと叫んでいた。

「あ、わ、悪い、大声出して」

晃は益々驚いたように、目を見開いて甲太郎を見詰めている。

動悸がどんどん早くなっていくようだった。

「ち、違うんだ、何つうかな、本当に」

何をしているんだ。

俺は、今、何をしようとしていた?

それを考えるととても落ち着いていられなくて、疑問詞から強引に意識を逸らす。

そうだ。

日差しが暖かかったからだ。

何もかも、この天気のせいだ。違いない、そうに決まってる。

俺はつい眠くなって、ちょっと前のめりになって、偶然に偶然が重なって、それで運悪くあんなことに―――

(マジかよ)

わずかに頭痛がするようだった。

なんてバカな言い訳だ、これじゃ子供だって騙せやしない。

実際あのまま晃に何をするつもりだったんだ。自分の事だって言うのに、考えがサッパリ読めない。

しばらく唖然としていた晃が、不意に微笑むと甲太郎の肩を叩いた。

「なあ、甲太郎、もしかして、俺のこと探してたのか?」

「ん、あ、まあな」

一応と、小さく付け足すと、晃は笑う。

「そっか、なら行き先教えてから行けばよかったかな」

「なんだよ、最初からここに登るつもりだったのか?」

「うん、いや、初めは屋上で寝るつもりだったんだけど、何だか空が青くてさ」

「で?」

「もっと近くで見たくなって、ここに登ってみたら、眠くなってきて」

なるほど、それで、こんな場所で寝ていたというのか。

事情は大方予想通りだったというわけだ。

なら、こいつも不可抗力で寝ていたことになる。

天気が良かったから、暖かかったから、だから。

(なら、俺だって)

たとえここで晃と同じように眠くなったとしても、それは決して―――

(俺の場合は滅茶苦茶胡散臭いな)

溜息を吐いて、額ごと両目を覆いながら俯くと、耳障りのいい笑い声だけが聞こえていた。

「まあ、新たな昼寝ポイントが見つかったんだし、良かったじゃないか」

「のん気なお前が羨ましいよ」

「ここは甲太郎に譲ってやるから、よく感謝しろよ?」

―――そりゃ、どーも」

遠くで鐘の音が鳴っている。

午後の授業の半分が終わってしまったようだった。

短い休み時間中にわざわざ屋上まで上がって来るような物好きは多分いないが、それでもこんな場所にいる姿を人に見咎められたら何かと厄介だ。

「そろそろ降りようか?」

同じ事を考えていたので、甲太郎は素直に頷いた。

まったく、とんだ災難に行き当たったもんだ。

誰かに関わったりなんてするもんじゃない。

ましてや、捜し歩くだなんて、それこそ俺のすることじゃないじゃないか。

うんざりしながら梯子に手を駆けて、降りていく様子を晃は上から眺めていた。

緩いウェイブのかかった髪が揺れて、登ってくるアロマの香りに思わず小さい声が漏れる。

 

「もう少し、寝たフリしてればよかったかな」

 

甲太郎が上を向く。

「なんだ、今なんか言ったか?」

晃は瞬きをして、そしてニッコリ笑って答えたのだった。

「いや、別に」

見つめ返す瞳が眩しげに細められる。

穏やかな風が吹いている。

この胸にも、彼の胸にも、そこにあるものはきっと同じ。

眠くなるほど温かな、想いは大気に満ち溢れていた。