俺は、一箇所に長く留まった事が無い。

物心つく頃にはすでに、母に連れられて西へ東へ。

時折父も一緒だったけれど、二人はあまり長く行動を共にしなかった。

それでも、母は父を愛していたし、父も母を愛していた。

どちらかがどちらの話をする時も、とても誇らしげであったし、愛しげでもあり、それは子供の俺でも十分に感じる事のできるストレートな愛情表現だった。

俺は両親から深く愛されて育った。

それが―――どれだけ幸福なことなのか、理解したのはもう少し大きくなってからのことだったけれど、二人から注がれた愛情が俺という人間の根底をなしているのだと、俺は断言できる。

愛が星をつなぎ、命をはぐくむ。想いが人の心をつなぐ。

愛されているのだと知るだけ、感じるだけで、人は自分の命を尊いものだと知ることができる。

俺は幸福な人間だ。

だからこそ強欲なのかもしれない、俺は、俺の欲しいものを、欲しいままにねだる事を罪と思わない。

そして与えて欲しいなら、俺のできる範囲で、幾らでも差し出してやりたいとも願う。

愛する事の意味を考えるようになった時、そんな想いが俺の中で自然と生まれていた。

それまでの俺は、何も知らない世界の中で遊ぶ、ただの無邪気な子供でしかなかった。

 

 ハンターになるつもりだと告げた時、両親は反対も応援もしなかった。

ただ、俺に覚悟の程を確認した上で、それが望んだ道ならば、精一杯やってみろとだけ言ってくれた。

俺は父親経由で協会にアポイントを取って、受講資格の有無を図る簡単な試験を受けて、協会のハンター育成スクールに晴れて入学する事ができた。

そこで学んだ事は、生き抜く事、死なない事、そして、生きるために必要なこと。

それは技術であり、力であり、知恵であり、そして、心だった。

どれか一つが欠けても、この世界ではやっていけない。

スクール、といっても、安全に何かを手取り足取り教えてくれるような場所じゃなくて、受講者は最初に必ず誓約書を書かされた。

―――訓練中、何らかの原因により受講者が死亡もしくは著しく身体及び精神機能を損なったとしても、当協会は一切の責任を負わないものとする。

酷い話だ。

つまり、宝捜し屋としてのスキルは教えてやるけれど、モノになれるかどうかは全部お前達のやる気と運にかかっている、協会はあくまで有望な人材を育成することだけが目的であって、主旨に見合わない人間にまで労力を割くつもりは無いと、そういう事をまず初めに宣告されてしまうのだ。

そうして理解と、誓約を求められる。何もかも自分ひとりきりの責任であると断言させられる。

事実、訓練中に体の一部を失ったり、精神に異常をきたしたり、最悪死んだ人間も何人か知っている。

俺がスクールにいた頃、そういった理由で結構な数の人間が志半ばにこの道を諦めていった。

俺も、噂は聞いていたし、実際色々あったから、もちろん不安もあった。恐れもあった。

けれど、それでも俺は、両親が昔語りで聞かせてくれたハンターの話しが忘れられなくて、腹をくくってサインをした。

それは俺が生まれるずっと以前、俺の父は協会認定のバディでもあり、とあるハンターと専属契約を結んでいたそうだ。その頃の、彼と父の思い出話の数々だ。

父が母と出会って俺が生まれ、専属バディを引退するまでの間、彼と二人で様々な遺跡を渡り歩いていたらしい。

何度も命を救われたと言っていた。彼の冒険譚は、父親がらみだったせいもあってか、俺の心に強いインパクトと影響を与えてくれた。

彼の話をする両親の姿を見ていれば、彼がどれ程魅力的な人間だったのか、容易に想像がつく。

現役時代の父が、どれだけ楽しく彼と旅をしていたのかも。

彼の力なくしては、今俺はここに存在しないかもしれないと、そんな事まで言われた。

父と母の出会いは、半分は彼の力によるものらしい。

そんな事もあってか、彼の存在は半分憧れで、半分父や、兄の様でもあった。

人生の先輩だとも思っていた。

俺には、夢がある。

それは父や母の姿を見ているうちに自然と抱いていた夢。

世界の秘密を知りたい。歴史の奥に潜む謎を、この手で解き明かしたい。

ハンターと旅をしていたような父親が、特殊な環境で育った母親と出会い、その結果生まれた俺がいつかの再現のようにハンターを目指すなんて、まるで物語じみてるじゃないか。

けれど、俺は俺の意志でこの生き方を選んだ。

誰に言われたわけでも、望まれたわけでもなく、自分自身の意志で。

気づけば俺は、俺にとっての生きる道はこれしかないと、そう考えるまでに至っていた。

 

一つ所にとどまっていられない性分の俺が、世界に羽ばたくための翼を手に入れた場所。

 

―――そこで俺は、何より大切な出会いを果たした。

 

きっかけは偶然。

彼女は、俺が初めて受講した模擬訓練のチームメイトだった。

「初めまして、あら、東洋人ね?日本人?」

「はい、玖隆晃です、よろしくお願いします」

「まあ、礼儀正しいのね、ウフフ、その年齢じゃ殊勝なことよ」

「貴方は?」

「失礼、私はジョーゼット、今日は味方同士だから仲良くしてちょうだい」

協会では誰もお互いの素性や本名を知らない。それは俺も然りだ。

ジョーゼットは本名だといったけれど、他には誕生日くらいしか教えてくれなかった。

彼女は、輝くブロンドと健康的に日焼けした肌に、深い海の底のようなブルーの瞳をしていた。

綺麗な、女神のような人だと思った。

訓練終了後に、俺より二年先輩だと教えてくれた。はにかんだ笑顔がとてもチャーミングで、多分そのときから俺の中には彼女に対する特別な感情が生まれていたのだろうと思う。

けれど、その時の訓練中の俺といえば、それはもう散々だった。

チームの足を引っ張り、躍起になって立ち回ろうとすれば空回りで戒められ、半ば自暴自棄になって飛び出した直後、危うい所を彼女に助けられた。

「玖隆、慌てなくていいのよ、最初は誰も初心者なのだから」

「す、すいませんッ」

「過ぎた事はもういいわ、けれど、二度とこうならないようによく考えて行動してちょうだい、それは貴方だけでなく、私達にとっても必要なことだから」

それだけ言って駆け出して行った彼女の背中はとてもまぶしかった。

俺は、結局最後まで何の役にも立てなかったし、訓練終了間際にジョーゼットを庇って攻撃をまともに食らい、判定は死亡、結果訓練は思い切り赤点だったけれど、ジョーゼットは俺に微笑んでくれた。

「けど、私は貴方のおかげで助かったわ、ハンターとしてまだまだ甘い所もあるけれど、貴方は一番大切な事をちゃんと知っている、教官は赤点かもしれないけれど、私は貴方に満点をあげる、だから胸を張りなさい、晃」

その一言で俺はどれだけ勇気を奮い立たせられたか分からない。

人生で、自分自身より大切な存在に出会う日が来るなんて思いもしなかった。

彼女と俺はそれからよく顔をあわせるようになって、言葉を交わして、気付けば

―――恋に、落ちていた。

想いを伝え合ったのは、俺の十六の誕生日。

生まれて初めて友達でないキスをして、貴女が欲しいと囁いた俺に、ジョーゼットは優しく微笑み返してくれた。

それから、彼女は俺にとってかけがえのない、何より価値のある人になった。

同じ名前の百合の花を見つけて、リリーと愛称で呼ぶようになった。

彼女はまさに大輪の百合の花のような女性だった。

美しく、凛々しく、強く、気高い、俺にとっては恋人であり、母親であり、姉であり、妹のような存在。

何より誇らしくて、誰より愛しい。

父親が母親に向けていた視線の意味を、俺はようやく実感として理解することができた。

彼女の何もかもが心地よく、傍にいるだけで癒されていく。

笑顔を見るだけで嬉しくて、触れ合えばその喜びは例えようも無い。

彼女を守りたいと思うし、守って欲しいと思う。

ジョーゼットは何より自由を愛し、平等を愛する女性だった。

俺達は朝まで明日の事、将来の事、未来の事を語り合って、時々少しだけ昔の話をした。

ジョーゼットは両親がハンターで、二人とも遺跡探索中に命を落として死んだと聞いた。

だから、この道しか考えられなかったのだという。

俺より四つも年上のくせに、時々あどけない少女の面影を漂わせる。

休日、街に出ると、彼女と同い年くらいの女性は誰も着飾って綺麗に装っていたけれど、ジョーゼットはその誰よりもシンプルで飾り気も化粧気も何も無かった。

実際肌も荒れていたと思うし、手だって節くれてささくれだらけだったように思う。

けれど、俺にとってはこの世のどんな女性より、一番綺麗で輝いて見えた。

俺より身長が高くて、デニムのシャツにジーンズと、ボロボロのスニーカーを履いて、長い髪を無造作に後ろで束ねただけの、まるで太陽のような女性。

彼女の語ってくれる言葉の一つ一つが、心の奥に刻まれて俺という人間を形成していく。

そう告げた時、ジョーゼットも笑いながら「あら、奇遇ね、私もそうなの、何だか晃になっていくみたいで困ってるのよ」と言ってくれた。その言葉がひどく嬉しかった。

 

あの頃は本当に毎日が天国みたいだったように思う。

俺はメキメキと実力を身につけていって、それはジョーゼットがいてくれたからだと今でも断言できる。

守りたいものができたとき、誰かを守る時、人は本当に強くなれるんだと、以前父親が話してくれた。

俺にとってその全てが彼女に集約されていた。

彼女を守りたいと思う、守れるような男になりたいと思う、そのために、俺は早く一人前になりたい、先輩で、憧れで、目標でもある彼女を越えていかなければいけない。

ジョーゼットはスクール内でも特に優秀なグループに属する人だった。

女性は何かと身体的制約が多いけれど、そんな事をものともせずに重火器を使い、壁を登って、段差を飛び越え、刀剣を振るう。

探索作業もまったく無駄が無くて、手早く、精確に、的確な行動をいつでも冷静に行うことができる。

俺はつい突っ走ってしまうことが多くて、その度によく彼女に諌められた。

「晃、慌てる事は無いのよ、あなたがこれから訪れる様々な場所は、もう何百年も何千年もそこにあるのだから」

人の一生は短い。

その、ほんの僅かな瞬きの間にどれだけのことができるのか、どれ程の思い出を、どれだけの人の中に焼き付けることができるのか。

「秘宝を見つけるという事は、先人の思い出を受け継ぐということ、そしてそれを正しく役立てれば、私の思い出はまた次の人の中に残るわ」

そうして、思い出をつなぎ合わせて、未来へ、更にその先へ。

私はどれだけの人の心にあり続けることができるのか。

「思い出を継ぐものがあれば、それは永遠になる、私は私の両親の想いをこの胸の中に継いでいる、だから、この思い出ごと、今度は私の事を次に継ぐものへ託したい」

「なら、俺が継ぐよ、思い出ごと全部受け止めるから」

「晃が?」

「ああ」

うふふ。

「私の思い出は重いわよ?体は軽いけど、内側にあるものまで全部貴方が受け止めきれるかしら?」

「その気になって叶わない事は何もないって、言ったのはリリーだろ?」

あのときの嬉しそうな彼女の笑顔を、俺は一生忘れない。

「そうね」

ジョーゼットは、キスと一緒に言ってくれた。

「なら、貴方の思い出ごと全部、私も受け止めるわ、それならきっとお互い重みで潰れたりなんてしない、ね?」

俺達は幸せだった。

俺達は、互いを互いの半身として、疑いもしなかった。

―――少なくとも、俺は。

そして彼女もそうであったと、信じている。

 

出会いから丁度一年経って、ジョーゼットはスクールの最終検定に合格して、晴れてハンター資格を手に入れた。

支給されたHANTを誇らしげに見せて、コードネームも申告したのだと話してくれた。

「リリーよ、貴方がつけてくれた名前、それが私のコードネーム」

嬉しかった。

まるで自分の事のように。

「俺もすぐに追いつく、次の検定は来年だから、それまでには受験資格を手にして、絶対合格してみせるから」

「そうね、貴方の事は教官達も期待しているし、何より私が信じているもの、きっと合格するわ」

「そしたら―――その時は、渡したいものが、あるんだ」

「なあに?」

もう注文してあった。

数日後に届く予定の、揃いのリング。

俺が一人前になったら、彼女に渡そうと決めていた。

「うふふ、秘密なの?」

じゃあ一年後の楽しみに取っておくから。

「そのかわり、あんまり長くは待ってあげられないわよ?一年が限界、私も忙しいもの」

「わかった」

「約束ね」

「ああ、約束だ」

指切りをして、別れて。

 

彼女はリングが届くより先に、初任務を受けてスクールを飛び立っていった。

 

―――死亡報告を受けたのは、それからたった一ヵ月後の事だった。

 

「嘘だ」

通常ハンターの死亡は事務局内だけで処理される。告知されるのは肉親だけだ。

けれど、俺と彼女の関係を知っていた担当官が、親族の誰もいない彼女のために、特例として教えてくれたのだった。

「嘘だ」

ジョーゼットは笑いながら旅立っていった。

俺よりずっと腕の立つ、意志の強い、聡明な人だった。

「嘘だ」

彼女が死ぬはずが無い。

多分、探索中に何らかの事故に遭って、連絡が取れなくなっているだけだ。

いや、支給されたHANTが欠陥品だったのだろう。

どちらにせよ命に別状があるはずも無い。

きっと生きている。

生きて、助けを待っている。

早く助けに行ってやらなければ、早く、早く、早く―――

 

担当官は、告知と一緒に遺留品を見せてくれた。

それは、血まみれの、ボロボロに壊れた彼女のHANT

内部に残されていた音声記録によれば、どうやら同行していたバディが途中で裏切ったらしい。

激しく言い争う声と、銃声。

そこで記録は終わっていた。

異変に気付いた探索隊が最深部で見つけ出した姿は、死亡後、墓守の獣達に食い荒らされて、何とか本人と判別できるほどの姿に変わり果てていたらしい。

秘宝も持ち去られた後だったと聞いた。

 

それから一ヶ月ほどはどうやって暮らしていたのかよく覚えていない。

朝も、昼も、夜も、全てが千切れてなくなってしまいそうな苦しみが俺を襲った。

彼女の思い出が体中を貫いて、心は絶え間なく血を流し続けた。

いっそ狂う事ができたなら、どれだけラクだろうと、そんなことばかり考えていた。

食事もろくに摂っていなかったと思う。

訓練の最中、ついには大怪我をして、このまま死んだらリリーは怒るだろうかと、俺は動かない四肢を眺めながら思った。

 

俺の心は一度死んだ。

彼女と一緒に。

埋葬した墓すら教えてもらえなかった。遺体なんて無論見せてもらえなかった。

思い出だけが空っぽの底にこびりついて残された。

半ば抜け殻のようになりかけていた俺を、初めのうちこそ同情の眼差しで見ていてくれた同僚や教官たちも、次第にその眼を諦めと蔑みの色へと変えていった。

俺の元に協会から退校通告が来るのも時間の問題だろうと、俺も含めた誰もが考え始めていた。

 

けれど、一年後に開こうと決めて、仕舞い込んでいた箱を開けて。

二つ並ぶリングを見たとき。

俺は。

思い出の中のジョーゼットの笑顔をようやく思い出していた。

 

「思い出を継ぐ人がいれば、それは永遠になる、私は私の思い出をどれだけの人の中に残せるか、それを知りたい」

 

俺は―――こんな所で立ち止まってなどいられない。

彼女はいなくなってしまった。

もう二度と会えない。

ジョーゼットは、もう願いを叶える事ができない。

それなら。

俺が。

 

「俺が、想いを継ぐ、約束どおり、君の分まで世界の全てを見てくるから―――」

 

死ぬことに意味を持たせてはいけないと、教えてくれたのはジョーゼットだ。

人はいつか必ず死ぬ。

だから、死自体に意味など持たせてはいけない。

残された者にできる事は、現実を乗り越えて、死んだ人が見る事の叶わなくなった明日へ、更にその先へ、命を繋いでいく事だけだ。

それすら欺瞞かもしれないけれど。

俺は、何より俺自身が、彼女の死で彼女が教えてくれた大切な事を放棄してしまう自分など許せないから。

 

「俺は生きるよ、生きて生きて、生き抜いてやる、二人分の願いを叶えるまで絶対に死んだりしない、だから、見ていてくれジョーゼット、思い出は全部俺が引き継ぐから」

 

――― 一年後、俺は、約束どおり協会の最終認定試験に合格した。

HANTを支給されて、晴れてコードネームも申請した。

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渡り鳥の中でも、特に千鳥の種類は敏捷性に優れて、何十時間も無休憩で飛ぶタフな鳥もいるという。

いつだったか彼女が教えてくれた。

俺は渡り鳥だ、世界中をめぐって、埋もれた秘密の全てを網膜に、心に焼き付ける。

ジョーゼットの記憶を胸に抱いて。

帰るべき場所は、いつでもここに―――彼女と共に、あるから。

 

翼は失くさない。

俺が地上に降りるときは、きっと死ぬ時だけだ。

 

最初の任務は―――アラブ連合国、首都カイロ。

ここから、俺の一歩が始まる。

風の向こうで、大切な笑顔が微笑んでいるような気が、した。

 

続く