「クッ」

裂けたベストの脇腹を押さえて、横様に飛びのきながら、打ち込んだ弾丸が標的の正面で衝撃波に変わり、砕ける。

けれどそれは決して効果を殺がれたわけではなくて、現に夕薙は苦悶の声を上げながら膝をついた。

―――まだだ。

一瞬ぶつかった視線の強さに、玖隆は腰から荒魂剣をすらりと引き抜く。

叫び声を上げながら、気合一閃、刃は炎を吹き上げて夕薙を弾き飛ばし、壁に背面を強打した彼は今度こそ本当に、その場にグッタリと崩れ落ちたのだった。

天香学園遺跡、第7階層にて。

通例の如く最奥で待ち構えていた神鳳と交戦して、勝利した後、これも毎度のことで出現した黒い砂が形を作った巨大な化人、八俣遠呂智と交戦、勝利、そこまではお決まりのパターンだった。

だが。

「さあ、かかって来い、全力でな」

突然意識を失った神鳳に取り憑いた、何者かの存在と、割り込んできた夕薙。

神鳳に憑いたものは、その威圧的で背筋の凍るような雰囲気からして―――昼間、七瀬の口を借りていた、あの存在と同じものだろう。

自身をアラハバキと名乗った、あれは紛れもない、双子が語り、墓守が守る墓の奥底に潜む『王』だ。

遥か太古からいまだ怨嗟の声を上げ続ける、救われない魂。

この地に封じられた過去の記憶。

―――そして夕薙。

唐突に姿を現した彼は、自分か、玖隆か、いずれかに先に進む資格があるのか知るために、戦いを挑んできた。

自分にそのつもりは無いとはっきり答えたにもかかわらず、夕薙はそぶりすら見せなかった彼の―――まるで墓守たちのような、超人的な力をもって、有無を言わさず襲い掛かってきたのだった。

どうしてあいつにこんな力が、と、正直驚きを隠しきれない。

たしかに、くわせものだと思ってはいた。けれど、異能の力を秘めていたとは。

やむを得ずホルダから銃を抜き、セイフティを外して、引き金に指をかけた。

「悪く思わないでくれよ、俺は―――やるからには勝つ主義なんだッ」

そのままなだれ込むように場面は転じて、後は―――お決まりのダンスの時間だった。

生死をかけたダンス。

最後まで踊りぬいて、ただ一人立っている事ができたら、俺はまた明日の朝日を拝める。

仕事には一切手を抜かない主義だ。

夕薙の言葉どおり全力で立ち向かい、そして。

「くッ、夕薙!」

荒い呼吸を短く繰り返しながら、痛む身体を引きずって、玖隆は夕薙の傍へ駆け寄っていた。

スコープが表示する生命反応は限りなく小さく、状況はグリーン、彼はすでに戦意を喪失している。

すぐ後からついてきた皆守が背後に立つ。双樹も、傍で様子を伺っているようだった。

玖隆は夕薙の怪我の具合を見て、取り合えず命に別状は無いようだとホッと胸を撫で下ろしていた。

「俺を、倒してくれたんだな?」

痛ましい姿に苦笑いを洩らす。

直後に、神鳳の身体を借りた王が意味深な言葉を吐き、神鳳もガクリと膝をついていた。

双樹が慌ててそちらへ駆けていく。

タイミングを計っていたように、皆守が、しゃがみ込んで強引に玖隆の探索装備の前を開いた。

―――こちらは、裂けたベストの隙間から覗く箇所が、半ば止まりかけているとはいえ派手に出血していた。

言わなかったし、このまま誤魔化し続けるつもりだったけれど、正直目の前がくらくらしている。

それでも玖隆が「俺の事はいいから夕薙を見てくれ」と言ったら、皆守は鬼のような形相で睨みつけてきた。

「馬鹿野郎!そういうわけにいくかッ」

強引にベストを脱がせて、手当てを始めようとする様子を、夕薙は苦笑いで見ている。

「甲太郎、包帯はそんな風に巻くもんじゃない」

「黙れ、誰がこんなにしやがった!」

憎まれ口の彼に溜息を漏らして、玖隆の顔を申し訳なさそうに窺うと、急に手を伸ばして、皆守から包帯を取り上げ、結局玖隆の手当ては夕薙がしてしまった。

見事な手際で綺麗に巻かれた包帯を見下ろして、少しビックリしながら、玖隆はありがとうと笑顔を浮かべる。

隣で、不満げに顔をしかめていた皆守にも、同じようにありがとうと言って微笑みかけた。

「フン―――別に」

お前が無事ならと、続く言葉はとても小さくて聞き取れない。

玖隆は僅かに苦笑する。

―――鍵を探せと。

何処かへ退散する前、王は、確かにそう言った。

神鳳と双樹が玖隆の傍へやってくる。

腹部の状態を見た途端、あからさまに表情を歪めた双樹に、玖隆は大丈夫だよと笑って見せた。

心持ち安堵したようで、しゃがみ込んだ彼女は包帯に触れて、それから少しだけ夕薙を睨んでいた。

―――こういう仕草が、とても女性らしくて好みだといったら、変わっていると笑われてしまうだろうか?

皆守はいつの間にか再びそっぽを向いていた。

「玖隆、さっきの霊は、自身をアラハバキと名乗っていたが、君は―――荒吐神というのを知っているか?」

知識の引き出しをひっくり返しながら、玖隆はああと頷き返す。

「確か、縄文末期から弥生初期にかけて、東北地方で信仰されていた神だろう?」

日本の歴史は、必要だと思ってあらかた調べた。主に、神代の頃から稲作が伝わった前後までだ。

遺跡の造詣もその辺りをなぞらえてあるらしいから、文献を片っ端から読み潰していった。

朧な記憶に正確な骨組みを張り巡らせて行くように、夕薙は更に続けて荒吐神という言葉の語源諸説、そこから発展させて、九龍という意味深な単語にまで話をつなげた。

九龍。

その名前には聞き覚えがある。

以前あの―――器物が時を経て魂を宿した姿だという、双子が話していた。

九龍の秘宝。

それは、この遺跡の地下に眠るらしい、超古代の叡智。

という事はやはり、今回の仕事の最終的な目的は、その九龍の秘宝とやらを手に入れることなのだろうか?

急に背筋が総毛だって、玖隆は誰にも気付かれないように溜息を漏らしていた。

やっとゴールにあるものの姿が見えてきたじゃないか。

けれど、まだ完全ではない。それに。

(叡智、ね)

なんとも言えない気分で、目の前の夕薙と神鳳のやり取りを窺っていた。

夕薙は、彼自身が言うには、件の力は『病』であるらしい。

超人的な力を与える病。

そんなものがこの世に存在するのだろうか。

この目で見たものを否定するわけでは無いけれど、俄かには信じがたい―――病だとは。

「では、この学園の呪いが、あなたの病の謎を解く鍵になるかもしれないと踏んだのですね、そして秘宝の存在に気づき、それを追い求めてここへ来た玖隆君を利用しようと近づいた訳ですか」

―――そういう事だ、玖隆」

夕薙が、らしくもなく怯えた表情を瞳の奥に浮かべている。

「俺を、軽蔑したか?」

玖隆の様子を伺っているのは、彼だけではないようだった。

―――人は誰も、心の奥に闇を飼っている。それは俺とて例外ではなく。

「いいや」

玖隆はゆっくりと首を振った。

「動機や、目的なんてどうでもいいさ、ただ、お前はこれまで俺にとっていい友達でいてくれた、だから、俺は感謝しているよ」

与えられた好意は、自分にとっては嘘偽りを含まない。

ならどうして憎む事ができるだろう。

目を瞠った夕薙は、とたんに破顔一笑して、片手を伸ばして玖隆の頭をクシャクシャとかき回していた。

「まったく、とんだお人よしだな、君は」

玖隆は声に出して笑う。

双樹も、神鳳も笑っていた。

皆守は―――複雑な顔をしていた。それだけ、わざと見えていないフリをする。

「俺は超常的な力など信じない、必ず、何か人為的なカラクリがあるはずだ」

力強い言葉に、誰よりその事実を欲しているのは夕薙自身なのだろうと、気づいて胸の奥が僅かに痛んだ。

この世に起きていることで、仕組みのないものなど存在しない。

今『ある』ものなら、必ず由来があるのだから。超常現象の類も然りだ。

五感で知ることのできる現象に、必要以上に恐れを感じる必要は無い。

不思議など、この世のどこにもありはしない。

対象を正確に把握する事ができれば、解体も構築も可能だろう。

そして、夕薙は恐らくそれを追い求めている。

(けど)

玖隆は僅かに暗い表情を浮かべていた。

一般的に人智の及ばないとされている範囲。それには、もちろん理由があって、彼の望むものは、もしかしたら人の短い生涯ではとても―――たどり着けない事かもしれない、と。

確かに、墓守たちや夕薙の持つ異能の力にだって、きっと仕組みがあるのだろう。

けれど真理を掴む事は容易では無い。

そしておそらく、長年の闘病生活で、夕薙も気づいているに違いない。

彼の苦悩はそこにこそある。

これは呪いだ、だから辛い、いずれこのまま死んでしまうのだと、受け入れる事ができていたら、苦しみも嘆きも最小限で済んだはずだ。

先の事を思うとより辛いようで、そんな彼の心中など推し量れるわけも無い。

「この体のおかげで、ここまで生徒会を欺き、誰にも気付かれずにこの学園の謎を探る事ができた」

立ち上がりかけてむせこむ夕薙に、玖隆は慌てて肩を貸す。

重圧がかかった途端ズキンと腹部に痛みが走り、顔をしかめたのは一瞬だったのに、直後に皆守が退けと玖隆を押しのけていた。

「俺が支える、お前は、自分の面倒でも見てろ」

神鳳が意外そうに両目を見開いていた。双樹は、柔らかく微笑んでいる。

夕薙はすまないと皆守にもたれかかり、四人は地上を目指して歩き始めた。

「夜の墓地を、生徒会公認で自在に歩き回る事ができたのは、俺くらいなものだろう」

「まさか、では、あなたは」

恰幅のいい大男は衰弱した表情でまたむせこみ、苦笑した。

「そうだな、地上までは長い道のりだ、昔話をするには、ちょうどいいだろう」

そうして語られ始めた、夕薙の―――遠い思い出。

ハイチの山奥にひっそりと存在していた、小さな村で起こった、悪夢のような出来事。

悲劇なのか、呪詛なのか。

運命という安っぽい言葉でなど、とても片付けられない。

それは重く、深く、苦しい、夕薙の全てを奪った炎の記憶。

覚えのある痛みに疼きだした心を隠しながら、玖隆はひたすら無言だった。

皆守も、神鳳も、双樹も何も言わない。

ここにいる人間は、誰も、あの苦しみを知っている。

心を、身体を引き裂くような、命すら奪い去ろうとする、深い絶望と、果てない虚無を。

「玖隆」

視線を向けると、夕薙の瞳の奥で闇がわだかまっていた。

「君は、どうだ?神や超自然的なものの大いなる意思とやらが、二人の死を、村人達の死を必然と定めたのだと思うか?」

「いや―――俺も、そんな風には思わないよ」

「そうか」

闇が、ふうっと薄くなる。

―――ありがとうな、玖隆」

俺は超自然的な力など信じない。

夕薙はもう一度、今度はさっきよりもはっきりと言い切った。

「何が祟りだ、なにが、生贄だッ―――父も、彼女も、あんなところで死ぬべきだったなどと、俺は絶対に認めない」

玖隆はそっと視線を伏せる。

気づいた皆守がちらと様子を伺う。

「夕薙さん」

振り返ると、ずっと話を聞いていた神鳳が、少し神妙な顔をしてこちらを向いていた。

「君の言う事は、半分くらいは正解ですよ」

―――どういう意味だ」

「僕たち墓守の持つ力も、恐らくは根拠のない、超常的なものでは無いということです」

確かに、玖隆もそう思う。

「ですが人の想いは」

石室に足音が響いている。

「その魂は、肉体が滅んでも尚、生ける者の近くにあり、時としてその心身に影響を与える事さえあります」

胸元で、カチャンと玖隆にしか聞こえない音で、リングが鳴っていた。

「例え、その姿は見えずとも、今も君を案ずる声が、僕にはすぐ近くに聞こえる気がしますよ」

―――まやかしだ、そんなものは」

「そう思うのは君の勝手です」

ふわりと、覚えのある香りが漂ったような気がして、視線を向けた先に扉が見える。

大広間に続く扉だ。

軋む石版を押しのけると、その向こうにはだだっ広い空間と、濛々と舞う土埃の先に蜘蛛の糸が降りていた。

あれこそが、俺たちが輝ける地上という名の天へ至るための、ただ一つの命綱だ。

「大和」

歩きながら皆守が、アロマの煙を燻らせていた。

「ブードゥーの呪いってのは一体何なんだ?お前はどんな報いを受けた」

ちらと視線を向けて、夕薙はフッと笑う。

「今夜も―――いい月が出ている、出口はすぐそこだ、外へ出れば、すべてわかるさ」

四人はロープの下に立つと、まず玖隆が登攀していく。

遥か地上から合図があって、次に双樹が身体を端にくくりつけて引き上げられて、再び落ちてきたロープを神鳳が、その後で、皆守が夕薙を助けながら登る。

遺跡の外は木枯らしが吹き荒れていた。

もうすっかり寒々しい十二月の、清んだ空気が吐息を白く染める。

天上には星と、煙るような雲の御簾。そして、その向こうに隠された月の光。

「月が出るな」

北風に煽られて、スルスルと割れていく御簾の向こう、暗天の支配者が、その姿を現し始めた。

「玖隆、見ているといい」

淡い輝きが夕薙の姿を照らす。

「これが、俺の―――正体だ」

まるで潮が引いていくように。

彼の内側から、満ちていた若さが見る間に失われていくように。

「お、お前ッ」

「その姿は!」

皆守と神鳳が瞠目している。双樹も口元を押さえて硬直していた。

玖隆は、目の前の出来事に息を呑む。

鍛えられ、がっしりと逞しい夕薙の体躯は見る間に枯れ、しぼみ―――ごわごわとした白髪と、しわだらけの姿、折れ曲がった腰、彼は―――

「墓守の、爺さんッ」

皆守が息を呑む。

声は衝撃に満ちていた。

見覚えのある不気味な老人―――夕薙は、いまや完全に変態した身体を辛そうによろめかせながら、玖隆を見上げた。

「月の光を浴びると急激な老化が始まる、今まで俺がこの姿で墓守の老人になりすましていたという訳さ」

「夕薙」

「これが、俺の背負った業だ」

ううと呻き声を洩らして、倒れかけた姿を玖隆は慌てて抱きとめた。

直後に皆守も手を貸してくれる。神鳳と、双樹だけまだ唖然と立ち尽くしている。

「晃、とにかく大和を寮まで運ぶぞ、おい、神鳳!」

「は、はい」

「何突っ立ってやがる、早くカウンセラーを呼んで来い」

走り出す神鳳を見送って、振り返った双樹に、玖隆は大丈夫と頷き返した。

「双樹は帰っていい、後は、俺たちが何とかするから」

「晃くん、でも」

「咲重」

皆守が、はたと振り返っていた。

「心配いらない、戻るんだ、いいな?」

逡巡していた双樹は、わかったわ、と頷いて、そのまま寮の方角へ歩いていった。

「さて甲太郎、俺たちも急ぐぞ」

「あ、ああ」

両側から夕薙を支えて歩き出す。

三人の背中を、朧な月光が照らしていた。

遺跡の奥から這い出してくる何者かの悪意が、影に紛れて、寮までの道のりを、延々と這って憑いて来るような―――いい様のない悪寒が、彼らの足を更に急かしていた。

 

続く