皆守に連絡を取って、部屋を訪れた彼は、まず何よりも初めに双樹がいることに驚いたようだった。
寮の自室に戻った玖隆は、やむを得ないと割り切って、彼女の水着を脱がせて、処置を施した。
白磁のような素肌の裸体は神秘的なほどに美しくて、もしこれが常時に遭遇した状況ならば、おかしな感情を抱いていたかもしれない。
けれど、実際はそんなのん気な事をいっている場合ではなかったし、治療に専念していた玖隆は、直後は安堵と疲労しか感じていなかった。
ベッドに横たえた双樹の体に上掛けを被せて、ホッと息を吐く。
そしてすぐ、遺跡へ先行したらしいファントムの動向が気になり始めていた。
双樹の事はまだ心配だけれど、とりあえず処置は施した。後は彼女の回復力次第だろう。
懸念がなくなれば、優先すべきは仕事だ。早急に遺跡へ向かわねば。
少なくともファントムが鍵を使う前に追いつくことができなければ、ここ数ヶ月の苦労が水泡に帰するかもしれない。
(あれが本物だっていう確証は無いけど、とにかく動くだけ動いてみないと)
皆守と、あともう一人。考える間もなくとりあえず彼にだけ連絡を取った。その後、現れた皆守が部屋の中の光景に唖然と立ち尽くした様子を見て、玖隆は初めて状況の指し示す所に思いあたっていた。
「晃、これは」
「詳しい説明は後だ、とにかく、時間がない」
淡々と答えながら、裏腹に、皆守の顔を直視しづらいのはどうしてだろう。
多少困惑を覚えつつ、勘ぐるような眼差しの彼を促して部屋を出る。
「悪いな」
何に対して謝ったのか、それすらよくわからずに、言葉が口をついてでていたのだけれど―――
「いいさ」
わかってると、後から小さく付け加えて、ポンと肩を叩かれた。
「とにかく行こう、お前、事情はわからないが、急ぎなんだろう?」
「ああ」
「だったら他は後でいい、行くぞ」
夜の闇の中、墓地へ向かって走り出す。
ついてくる足音はなぜかひどく耳に響くようだった。
そして―――
砕かれた仮面の下に現れた素顔。
学園の闇を彷徨う幻影、ファントム。
しかしてその正体は―――
「夷澤!」
先ほどまで人外の気配を漂わせていた、今は知っている、気性の激しい後輩が、ふらつきながら片手で顔を覆い、その指の隙間からまだ朦朧としている瞳を向けてくる。
ファントムの正体は、生徒会副会長補佐役、夷澤凍也だった。
「そう、だ、オレの名前は、夷澤凍也―――生徒会副会長補佐役、この墓を守るのが役目」
玖隆の背後には皆守が立っている。
ほのかなラベンダーの香りを鼻腔に感じていた。
先ほどの戦闘で、鍵爪に切り裂かれた肩と頬から出血していた。脇腹も、再び開いてしまったらしい。鈍い痛みと滲むような熱が患部をズキズキと疼かせている。
天香学園地下遺跡、砂塵舞うフロアにて。
その先へ進もうとしていたファントムに一歩手前で追いついたものの、凶爪を振りかざして戦いを挑んできた彼にかろうじて勝利した直後、いつの間にか手元から小箱ごと鍵が失われていた事に気づいたファントムは、悔しげな声と共にその場に崩れ落ちた。
同時に玖隆の攻撃でヒビでも入っていたのだろうか、割れた仮面の下に、彼の姿が現れたというわけだ。
夷澤はまだ呆然としている。状況把握がうまく出来ていないらしい。
今更、操られていたのだと、説明も要らないだろう。ファントムは去った。それだけは事実だ。
以前七瀬が、遺跡の奥に潜む悪意によって、自分以外にも鍵を捜させられている人間がいるだろうと言っていた、あの言葉はまさに的を射ていた。
マシンガンを脇に抱えたまま、玖隆は様子を伺っている。
「まだ、頭がフラフラする、アンタは誰だ?何で、ここに」
「俺は玖隆晃、宝捜し屋だ、ここには仕事で来た」
「玖隆、晃?」
ああ、そうか。
ようやくしっかりと両足を踏みしめて、夷澤は破れたマントを鬱陶しげに脱ぎ捨てた。
直後、彼の姿が一瞬ぶれて、ファントムの装束は学生服へと変わる。
あの装いは彼に取り付いていた何者かが意図的に見せていたホログラムのようなものだったのだろうか。
足元のマントもいつの間にか消えていた。夷澤がコキコキと肩を鳴らす。
「阿門さんの言っていた転校生だな、オレは、いつの間に戦ったんだ?」
どうやら―――彼に、正気に戻るまでの記憶は無いらしい。
その直前の出来事、恐らく三ヶ月前の、最後の遺跡での記憶を辿りながら、今目の前に広がる光景とあわせて、彼は自分なりに状況を整理したようだった。
俄かに瞳の奥が、ぎらついた光を湛える。
「玖隆晃!もう一度、オレと戦えッ、オレの力はこんなもんじゃない、この音速の拳を見切れるヤツなんていないんだからな!」
「夷澤」
「オレの拳が通った後は、空気さえ凍りつく―――アンタのようなタダの人間が、勝てるワケないんだ」
それを証明してやると、夷澤は改めて拳を握りなおす。
玖隆もマシンガンを構えなおしつつ、やるしかないのかと顔をしかめる。
「死んでくださいよ、センパイ」
薄くニヤついていた笑みが、不意にグッと引き締まった。
銃口を構えた玖隆の元へ、夷澤が殺到する。繰り出されるジャブを避けつつ、引き金を引くと、打ち出された弾丸は全てこれまでの執行委員や役員、夕薙のときと同じ様に、彼らを覆う薄い皮膜のようなものによって衝撃波へと変換されてしまう。
その際ダメージは大分軽減されているものの、消滅まではしないようで、夷澤は苦悶の声を上げながら弾切れを待って再び連打を打ち込んできた。
後一歩の所を、引き抜いた荒魂剣で受け流す。
こちらは生身だ。夷澤に言われたとおり、アーマーとゴーグルと火器で武装しているだけで、特殊能力など何一つ持ち合わせていない。
日々訓練をつんで鍛えた体一つが頼みの綱。だから、一撃でも喰らえば、ダメージは彼らの比では無い。
攻撃を防ぐ事、かわす事が最重要課題であり、事実玖隆の戦闘スタイルは常にそうだった。
後一歩で引いて、余裕を持って攻める。無理はしない。無茶も、時々しかしない。
今度もギリギリで交わした夷澤の、拳が生み出した衝撃波が、玖隆の喉元を掠っていた。
血の滲む感触と共に制服が裂けて、喉から胸元にかけてが露になる。
玖隆は舌打ちして、夷澤の足を狙ってトリガーを引いた。
「くっそ」
背後の皆守は―――いつもと同じ様に、戦う玖隆の姿をただ見ている。
多くいるバディの中で、彼だけいつも何のアクションも起こそうとしない。
時折見かける姿はアロマを吹かしているか、もしくは―――
「っつあ!」
ドンッと押される衝撃で、玖隆は不意によろめいていた。そのすぐ傍を夷澤の攻撃がすり抜ける。
ぶつかってきた何かを確認もせず、マシンガンを連射しながら距離を取った。
誰が何をしたかなんて、見なくてもわかる。いつだって気配を感じる。
昼も、夜も、すぐ傍にいる温もり。かぎなれた花の香り。見つめられている視線。
玖隆は引き抜いた荒魂剣を振って、夷澤の姿を吹き飛ばした。
そのまま、再び駆け寄ろうとする彼に、ありったけの鉛弾を両足めがけて打ち込んでやった。
「ぐあっ、あっ」
到達する前に、呻き声を上げて、夷澤はその場に倒れていた。
蓄積されたダメージのせいで、両足が動かなくなってしまったらしい。
いや、まだだと、火器の種類を変えながら、抜かりなく様子を伺う。
途端―――夷澤の体から吹き出した大量の黒い砂状の何かと、その中から現れた巨大な異形の影。
そして。
数十分に及ぶダンスの後、玖隆は一人で砂の降る玄室の中に立っていた。
傍で、皆守がアロマを吹かしている。
倒れていた夷澤の傍へ歩み寄って、片手を差し出した。
生意気な後輩は少し恥ずかしげにその手を握り返してきた。
立ち上がらせると、化人が消えた後に残されていたスニーカーを手渡す。
夷澤は笑っていた。
オレの負けっす。
やけに爽やかな彼の言葉に、玖隆は微笑と共に頷き返していた。
「晃くん!」
先に上がると言って聞かない皆守がロープを登攀して、いらないと断った玖隆を半ば強引に手助けして引き上げて、後から夷澤が呆れながら、墓地の侵入口から姿を現した、その直後の事だった。
薄闇の奥から現れた姿に、玖隆はビックリして目を丸くする。
「双樹?」
夷澤も双樹さん?と呟いて、驚いているようだった。
双樹は制服姿だった。一度寮に戻って着替えてきたのだろうか?
駆け寄る勢いのまま、玖隆に抱きついてくる。慌てて受け止めた途端体のあちこちがずきりと痛んで、気づかれない程度に顔をしかめながら、眼下の姿を見つめ返す。
「どうしたんだ、こんな所まで来て、具合は?」
「もう平気、あなたの処置が適切だったから、痛みも殆どないわ」
毒も中和されているようだった。玖隆は改めてホッと胸を撫で下ろしていた。
「よかった、双樹、あまり無茶をするなよ」
「ごめんなさい、でも、有難う」
「無事なら俺には気遣い無用だ、元気になって良かった」
晃くんと瞳を潤ませる、様子を見ていた夷澤が、へえと声をあげた。
「センパイと双樹さんって、そういう関係だったんすか?」
直後に彼は強烈な一撃を背中に喰らって、近くの墓石に突っ込んでいた。
双樹がまあと身を寄せてくる。
彼の姿が消えたそのすぐ後ろで、何食わぬ顔で皆守がパイプを燻らせていた。
「なっ、何するんスか、アンタ!」
勢いよく起き上がる、元気な後輩の姿にむしろ玖隆はおおと感心する。
さっきまで、本当に辛そうにしていたのだ。
連戦で相当ダメージが蓄積していたのだろう、事実、歩く事がやっとの状態だった。
見かねた玖隆が肩を貸そうとしたら、馬鹿の一言と共に皆守に止められて、結局二人一緒に彼に支えられて、ロープのある場所まで戻ってきた。
もっとも、夷澤は皆守に借りを作ってしまった事が、心底屈辱であったようだけれど。
皆守は相変わらず気のない素振りで夷澤を見下ろしている。
吠え掛かる後輩と、眠たげな先輩は、まるで何かの対比のようだ。
笑う玖隆の胸元で、双樹があらと呟いていた。
「晃くん、そんなものを身につけていたの?」
ん?と答えた玖隆は、直後にサッと鎖骨の辺りを掌で覆い隠す。
その端から首にかけて、金色のチェーンが覗いていた。
「それ、なあに?」
察しのいい彼女は、そのアクセサリに何かしら意味があることに、それとなく勘付いた様子だった。
わざと無邪気に問いかけられて、玖隆は、苦し紛れの笑顔を浮かべる。
「これは―――お守りなんだ」
「お守り?」
「そう、人に見せたら効果が減るの、だから双樹にも見せてやれないんだ、ゴメンな」
ふうんと呟いた彼女の向こうで、夷澤がハアと気の抜けた声を洩らしていた。
「そんなもん信じてるんですか、センパイはもっとリアリストかと思ってたんすけど」
「ダメだなあ夷澤、男はロマンだよ、ロマン、ロマンなくしてイイ男は語れないってね」
「センパイって案外オヤジだったんっすね」
「お前はガキだよな」
「ハア?!何言ってるんスか!」
ハハハと笑った、玖隆の様子を伺って、双樹も笑う。
どうやら誤魔化されてくれたようだ。胸の内側をホッと撫で下ろしていた。
夜闇が深々と満ちる、墓地の空気は湿っている。寄り添った双樹がブルリと身体を震わせていた。
「さて、じゃあそろそろ帰ろうか」
彼女の肩を抱くようにして、装備の下に着込んだ軍用コートの裾を翻す。
ゴーグルではうっかり街灯を見たとき目がとんでもないことになってしまうので、ヘッドギアも外して首から下げた。
「ねえ、晃くん」
「どうした?双樹」
「あたしも晃くんにお守り作ってあげたいわ、いつもお疲れ気味なあなたが、安らげるようないい香りのお守り」
「センパイ、やめておいたほうがイイッすよ、双樹さんの作るお守りなんて、どんな効果があるやら」
「お黙り、夷澤」
ぴしゃりと言い捨てられて、憤慨した夷澤が身を乗り出す。
双樹も、いつの間にか玖隆の傍から離れて、ムキになって言い争いを始めていた。
そこまで反論する所をみると、もしかして本当に一服盛るつもりだったのだろうか?
まさか早速今日のアレを使うつもりだったのかなと考えていた玖隆の傍に、さりげなく皆守が寄ってきた。
「晃」
「ん?どうした甲太郎」
「肩と足、それから脇腹」
グローブを嵌めたハンターの指先がピクリと揺れる。
「―――また開いたみたいだな、平気か?」
「やっぱり、気づいてたのか」
苦笑いを浮かべる。
皆守は、こちらを見てはいなかった。
ただ、気遣う気配だけが伝わってきて、玖隆は双樹等に聞こえないように大丈夫だよと小さく返事をした。
「だからさっき肩を貸してくれたのか、登る手助けをしてくれたのも?」
「当たり前だ」
当たり前。
呟いて笑う。
いい言葉だ。皆守が俺を助けてくれるのは当たり前なのか。
「アレは、もう大丈夫みたいだな」
視線の先が双樹と夷澤に向けられているので、同じ様に振り返ってそうだなと頷き返す。
「なら、このままお前の部屋に邪魔するぞ」
「どうして?」
皆守は何も言わない。
ただ、傷ついている方の肩をポンポンと叩いて、意図を伝えた。
玖隆は再び苦笑を洩らしていた。
「ありがたいけど、包帯の腕は上がったか?」
「フン、何とかするさ」
「何とか、ねえ」
オイと低い声でようやくこちらを見た皆守に、笑いかけた玖隆の腕を、不意に双樹が捕まえていた。
「もう、晃くんッたら、何の話?」
「んん?双樹、夷澤はやっつけたか?」
「当然よ」
「ふッ、双樹さん、言うに事欠いてあんた、人の気にしている事をッ」
顔を真っ赤にして怒っている夷澤は、一体何を言われたのだろうか?
得意げに胸を張って、ねえそれより何の話なのと、双樹は身体を摺り寄せてくる。
「ああ、甲太郎がね、今凄くいい事を言ったんだ」
「いい事?」
「そう、何とかするってさ、俺、その言葉が―――」
僅かに振り返った先、皆守の視線とぶつかった眼差しが、不意に真摯な色を浮かべた。
「好きだよ」
ドクン。
鼓動が跳ねる。
玖隆はそのまま双樹に振り返る。
「ってね、褒めてあげようと思って」
―――皆守は僅かにパイプの端を噛んでいた。
「ズルいわ晃くん、あたしにだってそんな事言ってくれたこと無いのに」
「アハハ、ごめんごめん」
不満気な彼女の耳元で、玖隆は咲重も好きだよと囁いていた。
ついでに夷澤も引っ張り寄せて、お前も好きだと笑うものだから、気味が悪いっすよ、勘弁してくださいセンパイと、それでもまんざらでもない表情で夷澤はわざとらしく掴まれた腕を振り解こうとしている。
目の前で無邪気にじゃれあう姿を眺めながら、一人きり、皆守は言葉もなく後をついて歩き―――口元のパイプを指の間に挟んで、気づかれないように、そっと顔面を押さえていた。
「―――卑怯だぞ、晃」
声は本当に小さすぎて、本人以外の誰にも届くことはなかった。
もちろん、玖隆にも聞こえていなかった。
さっき一瞬見た、金のネックレス。
下げられたリングが一つしかなかった事が、やけに気になっていた。
寒空の下、場違いな騒々しさを繰り広げながら、つかの間の雰囲気に誤魔化される。
そぶりも見せないお互いの内側でだけ、同じ想いが、同じ形で、いまだもどかしく渦を巻き、出口を求めて膨張を続けているようだった。
そして、その時は、近い。