ようやく地上に戻ってみれば、遠方に飛んでいく軍用ヘリコプターの群れが見える。
案の定疫病神どもは去っていったらしい。
お家に帰ったら、さぞかしママに叱られるだろう。
笑顔を浮かべる玖隆の肩を叩いて、皆守も微笑んでいた。
「ったく、あんなのを一人で追い返しちまうなんざ、全く大したタマだぜ、お前ってヤツは」
「惚れ直すだろう?」
「―――ああ」
そのまま口づけしようとするので、玖隆はハッと横様に飛びのく。
皆守はパイプを咥えなおしながら声に出して笑っていた。
「何だよ、誘ったのはお前じゃないか」
「さ、誘ってなんかないぞ!」
「サンタは俺に、キスをくれるんじゃなかったのか?」
「気が早い!今日はまだクリスマスじゃねえよ、もう一晩寝ろッ」
「なら」
言いかけた皆守が口を噤む。
視線の先を振り返ると、夜の闇を抜けて、近づいてくる漆黒のコートの姿が見えた。
「玖隆晃」
阿門は少し離れた場所で立ち止まり、玖隆に視線を留めた。
「どうやら―――鍵は戻ったようだな、さすがは宝捜し屋といった所か」
「どうも、生徒会長自らお褒め頂いて、光栄至極」
冗談めかした仕草でお辞儀をしてから、ふと手にしていた桐の箱を掲げて見せる。
「コレ」
紫の紐で縛られた、いかにも重要物の入っていそうな箱だ。
振ると、内側からカタカタ音がした。
「巡り巡って俺の手の中だ、どうする、会長?」
鋭い眼差しが玖隆と箱に交互に注がれて、やがて―――阿門は、嘲るような表情とともに口の端を僅かに吊り上げていた。
「その箱を開けてみるがいい」
彼がそれ以上何も言わないので、紐を解いて蓋を開くと、中には紫の布に沈んだ重厚なつくりの古めかしい鍵が一つ収められていた。
「―――それは、封印を解く『鍵』ではない、ただの古びた何の価値もない鍵だ」
再び蓋を閉じて、紐を結びなおす、玖隆の動作を気遣うように皆守が目で追っていた。
「お前たちはこの墓を狙う者を排除するために俺が仕組んだ罠に嵌ったという訳だ」
玖隆は桐箱をもう一度振って、直後にそれをポイと足元に投げ捨てる。
湿った土の上で、箱はカタンと軽い音を立てた。
「まあねえ」
晃、と呼び声に、肩をすくめる。
「多分、こんな事じゃないかなあとは、思っていたんだけどさ」
「ほう?あえて俺の罠に嵌ったとでも言うつもりか」
「そんなんじゃないさ」
暗視ゴーグルを外して、鬱陶しそうに首を振ると、漆黒の髪が星明りを受けて流れる。
―――皆守は一連の仕草にこっそりと見惚れていた。
「けど俺、別にこんなものが欲しくて駆けずり回ってたわけじゃないから」
輝く瞳はダークグリーンだ。
阿門は再び表情を硬くして、眼光鋭く玖隆を見詰めていた。
「よく聞くがいい―――この墓の封印を解く『鍵』など、この学園には存在しない、形の無いものを手にすることなど誰もできはしない、ここまで苦労して進んできたようだが、残念だったな」
コートの背中がくるりと向けられる。
「では、さらばだ」
歩いていく阿門を、引き止めるものは誰もいなかった。
背後で物音の後に、小さく舌打ちが漏れていた。
「晃、火」
玖隆は振り返って苦笑する。
「ったく、この期に及んでマイペースな奴だな」
ポケットから取り出したライターを手渡す。
受け取った手元を少し眺めて、それから玖隆の姿を見て、皆守は表情を暗くする。
「血」
「ん?」
「お前、血まみれだな」
「ああ、これ」
臭くてかんべんなと苦笑いを浮かべた。
それ以上何も言わないので、二人はお互い黙り込んだ。
北風が頬を撫でて、帰り道で拾いなおしてきたコートの裾が翻っている。
汗の匂いと、血の匂いは、殆ど一緒だ。だからあまり気にならない。
ふと玖隆は皆守の傍によって、彼の胸元に顔を近づける。
「お前も汗臭いな、人の事いえないぜ」
「俺は何も言ってない」
手が、するりと髪を撫でる。
そのままごつんと額を押し付けて、暫らくじっとしていた。
寒空の下、耳障りのいい声がラベンダーの香りとともに「お疲れさん」とだけ囁いてくれた。
(まだ、だ)
コートの襟を握り締める。
俺とお前の運命は、まだ何一つ始まっちゃいない。
顔を上げると、皆守と至近距離で目が合った。
そのまま何かをねだるような視線を無視して、踵を返し、玖隆は歩き出す。
遅れて、皆守も無言でついてきた。
二人の間を夜の漆黒が隔てている。
けれど。
見上げれば、あの向こうからは確実に朝が近づいているんだ。
明けない夜など決して無い。
それは、醒めない悪夢が無いように。
誰も告げないのなら、俺が朝を告げてやる。勇ましい雄鶏みたいに、仰々しく、派手に。
―――まったく俺らしいやり方じゃないか
「いよいよ正念場、だな」
唇を微かに震わせて、玖隆の声は皆守には届かなかった。
校舎の方角から大勢の人間のざわめきが遠く響いていた。
仲間達と再会を果たす前にこの姿を何とかしておこうと、二人は墓地から真っ直ぐ男子寮に帰ってきた。
もっとも、皆守に関しては、単純に眠かっただけのようで、二人きりで浴場を使用した後、脱衣所で眠い、眠いとやたら腕を回して凭れかかってきた。
コラコラと甘える彼に苦笑いを洩らしつつ、自室まで連れて行って、ベッドの上に捨ててきた。
今頃はもう夢の中だろう。皆守も、彼なりに色々と疲れ果てていたらしい。
「明日香ちゃん、どうしてるかな」
双樹も、取手も、七瀬も、夕薙も、いや、バディ達は皆無事だろうか。
怪我など負ってないだろうか?
心配過剰な自身に気づいて、玖隆は微かに苦笑を洩らす。
「ちょっと甲太郎に似てきたかな、まいったなあ」
頭をタオルでワシワシ拭きながら、チェストから代えの制服を引っ張り出す。
さっきまで着ていた分はボロボロだけど、修繕すればまだ使えるから、とりあえず洗濯機の中だ。
アーマーもあとで繕っておこう。
刀剣や銃の手入れもしなくては。それと、弾薬と爆弾の補充も。
「そうか、明日はクリスマスイブか」
なのに物騒な事だなと、小さく独り言を洩らす。
ズボンを穿いていると、ドアの方から物音がした。
振り返る動作の素早さに、まださっきまでの興奮が抜けきっていないのだと気付かされる。
だから神経過敏になっているんだ。
一人納得して、チャックを上げつつ近づいていく。
ドアの下の隙間から差し込んだのだろう、一枚の紙片が、そこに置かれていた。
「何だ?」
拾い上げて文面に目を通す。
『今夜、零時、温室で待っています』
「白岐?」
最後の署名を見て、直後にドアを開いて廊下を確認したが、彼女の姿はすでに見当たらなかった。
玖隆はもう一度手紙を読み返す。
―――どういうことだろう?
「まあ、いい」
机の上に置いて、チェストから取り出した上着を羽織る。
留めきっていないシャツのボタンが三番目まで開いたままで、そこから、肌の上で輝く華奢なチェーンにはリングが二つ下げられていた。
玖隆はそれをシャツの中に隠して、一番上までボタンを留める。上着のホックも全部閉じた。
コートはやむを得ず軽く埃を払って着込む。血と、硝煙の臭いはどうにも誤魔化しようが無い。
クシャミが出て、冷たくなった髪を触って、まあいいかとそのまま部屋を出た。
「風邪、ひいたら、膝枕でカレーだもんな」
呟いた口元が寂しく微笑んでいた。
鍵をかけて、広い背中はどこか悲哀を漂わせたまま、暗い廊下を歩き出していた。