掃除を終えてマミーズを出ると、外で皆守が悠々とアロマを燻らせていた。

「よう、遅かったな」

ムッとする玖隆を見て、待っていてやったんだから機嫌を直せと苦笑いされる。

のん気な調子に怒る気も失せて、玖隆はすぐに諦めてしまった。

どうせごねた所で、鬱陶しいと突っぱねられて終わりだろう。

皆守は、他人と係わり合いになる事を毛嫌いしているようだから。きっと自分も例外じゃない。

校内に戻ってすぐ、二人は大柄な男子生徒に声をかけられた。

「よう、甲太郎じゃないか」

「この声は―――

皆守の反応を見て、二人は比較的付き合いの長い顔見知りだろうと判断する。

実際推察は当たっていた。

男子生徒の名前は、夕薙大和。

学年こそ同じだが、一年前から天香学園に在籍する、二歳年上の留年学生であるらしい。

その辺りに厳しいツッコミを入れる皆守に、夕薙はやれやれと困り顔で応じていた。

「まあ人にはそれぞれの事情ってのがあるものだ、そうだろう?転校生君」

玖隆は苦笑いで頷き返す。

事情だらけの自分などからすれば、耳の痛い話だ。

同じ様に海外生活が長かった所為もあってか、夕薙は親しみやすい人物だった。

それは、彼も同じように感じたらしく、初対面にも関わらず、やたら好意的な態度で接せられた。

「それで、これから授業が始まるってのに、どこへ行くんだ?」

サボり番長のお前が言うなと玖隆は言いたい。

皆守はきっと怒るだろうから、余計な言葉は飲み込んでしまったが。

「ああ、五時限目は久し振りに授業を受けたんだがな、やはりまだ体があまり本調子じゃないらしい」

情けない話だといって夕薙は表情を曇らせていた。

壮健に見えるのに、案外そうでもないらしい。それが先程話していた彼の事情というやつだろうか。

去り際、振り返って玖隆にまた話をしようといってくれた背中を見送って、隣で皆守が独り言のように呟いていた。

「何を考えてるかわからないって点じゃ、あいつも白岐並みに謎な奴さ」

それは、確かにその通りだと思う。

―――もちろん言わなかったが、皆守自身も含めて。

行こうぜといって踵を返す皆守に、玖隆は再び後について歩き始めた。

 

教室付近で立ち止まって話していた二人の姿を見つけて、八千穂が声を上げながら怖い顔で駆けて来る。

「こらッ、そこの二人!」

うるさいのに見つかったと、皆守はさっさと姿を消してしまった。

「もう、あんなダルダルなのに逃げ足だけは速いんだから!」

アッサリ捕まった玖隆は、同じように呆れながら、二人は一緒に次の授業の行われる理科室へと移動した。

今日のメインは薬品調合実験だ。混ぜても発火も爆発もしない、もちろん実用性も無い。

見慣れた名前の貼り付けてある茶色の小瓶を眺めつつ、相変わらず眠たい説明を右から左へ聞き流していく。

この程度、半分寝ていてもできる調合内容だ。

「試験官とかビーカーとか、秤とか分銅とか、なんかちょっと可愛いと思わない?」

卓上に並べられた器具を見ながら八千穂が瞳を輝かせるので、そんな彼女の方が可愛らしくて玖隆はそうだなと頷き返していた。

八千穂は純粋に自分の意見に同調してくれたのだと思ったようだった。

何だか微笑ましくて、少しだけ眠気が薄れていた。

「ん、何だ、この箱」

覚えのある声が聞こえて、玖隆はふと首を向ける。

「おい、これ、さっきも見なかったか?」

向かい合っている男子生徒二人は知っている顔だった。さっきマミーズで見かけた。

墓地を探索してみようと話していた生徒達だった。

「えッ」

彼らの顔からさっと血の気が引いた、その直後。

(ドン!)

「きャッ」

八千穂は一瞬身体を小さく丸めて、それから何が起こったのと慌てて周囲を見回していた。

玖隆は身動きもしないで彼らのほうをじっと伺っている。

男子生徒の苦悶の声が理科室内に響いた。

直後、その場にいた全員が、何事かとそちらを振り返っていた。

「どうしました!」

担当教員も青くなって動揺している。

不意に、この場に酷く不似合いな、クスクスと笑う可愛らしい声がどこからか聞こえてきた。

「何?」

駆け寄ろうとしていた八千穂も足を止めて振り返った。

半分ほど開いていた理科室の扉の向こう、見覚えのある栗色の髪の少女が屋内を見て微笑を浮かべている。

玖隆と目が合った途端、くるりと踵を返して歩き去っていった。

「あの子、A組の椎名さん―――なんでウチのクラスを覗いてたんだろう?」

言葉の最後まで聞かず、玖隆は教室を抜け出して、少女の背中を追いかけていた。

八千穂が慌てて後を付いてくる。

―――どうにも、嫌な予感がしていた。

直感、とでも言ったほうが正しいだろうか。

マミーズからずっと、澱のように胸の奥でわだかまっている。

彼女にはどこか以前の取手にあったような仄暗さがある。

何がどう、とまではっきりとは言えないが、あの状況で笑える人間はとりあえずまともじゃないだろう。

少女にはすぐ追いついた。

「ね、ちょっと待って!椎名サン、だよね?」

ビスクドールがくるりと振り返る。

「あら、リカの事をご存知なんですかァ?」

鼻にかかった甘ったるい声だ。

幼い外見とは裏腹に、その瞳に映る虚無に玖隆は僅かにゾッとしていた。

「はじめまして、A組の椎名リカと申しますぅ」

椎名はスカートの裾をつまんで丁寧にお辞儀をした。

まるで中世の姫君のようだ。

玖隆が名前を名乗ると、仲良くしてくださいと可愛らしい顔が微笑を浮かべた。

本当に人形のような少女だった。生きている感触が、まるでしない。

閉口する玖隆に代わって、八千穂がさっき教室を覗いていた理由を彼女に尋ねた。

「悪い人が罰せられるところを見ていたんですゥ」

「悪い人?」

「あの人は、校則を破った悪い人なんですのォ、だから、罰を下さなくてはならなかったんですゥ」

まるで、致し方なく行ったかのような、どこか被害者めいた台詞。

聞いているだけで不安を覚える。

害意や悪意のようなものがまるで見当たらないから不気味なのだと、あらためて気付いた。

「あの爆発は、あなたがやったの?」

八千穂も僅かに動揺しているようだった。無理も無いだろう。

「ええ、そうですわ」

椎名は何でもない様子でニコリと笑い返した。

「リカはァ、なんでも爆発させることができるんですの」

ガラス玉の瞳が玖隆を振り返る。

「試しにあなたたちもバーンってなってみますかァ?」

間違いない。

椎名は、二人目の執行委員だ。

人形のような少女は相変わらずニコニコしながら、怖いんですの?と嘲るように唇の端を歪めた。

「だ、ダメだよ、そんなっ、だって、もし死んじゃったらどうするつもりなの?」

「死、ですかァ?」

とろんとした瞳が急に淀み、色を失う。

―――まるで、悪い魔法にかかっているかのように。

「それだったら別に構わないと思いますゥ」

「えっ」

八千穂が椎名を凝視した。

「だって、それならお父様がいくらでも代わりを用意してくれますもの、死なんて全然大したことでは無いですわよねえェ?」

玖隆は返す言葉も無い。

例えるなら、嫌悪感のような何か―――言いようの無い感情が、全身を駆け巡っていた。

彼女は本当に知らないのか?

―――理解していないのだろうか。

死という名のもの。それ自身が内包する、あらゆる全ての意味について。

取手の時といい、誰かが塞がれたパンドラの箱に爪を立てようとしている。

あの日、誓いを込めて閉じた感情を再び揺すろうとするのは誰だ。

どうして今更思い出させようとする。

あの、痛みや、苦しみ、冷たく青白い腕を。

心まで凍りつく暗闇を。

何故だか急に悲しくて、玖隆は僅かに顔を伏せていた。

唇が勝手に動いて言葉を紡ぐ。

「そんな事を、簡単に言っちゃいけないよ」

「え?」

「死なんて大したこと無いだなんて、誰から教わったんだ?それとも君は知らないのか?もしそうなのだとしたら、冗談でも口にすべきじゃない」

「何を言っているんですのォ?」

椎名の声は相変わらず薄っぺらで、胸の痛みはますます酷くなるようだった。

知らないこと、それ自体は罪ではない。

けれど人間は己が無知ゆえに、あとで想像を絶する後悔に苛まされることになる。

「死は、君が思っているようなものじゃないよ」

「玖隆クン?」

不安げな八千穂の声に顔を上げると、背後から近づく気配に不意に気付いた。

「人の死ってのはな、そんなもんじゃない」

振り返ると西日の差し込む廊下を皆守が歩いてくる。

いつの間に来たのか、これほど近づくまで存在に気付かなかった。

それは、今、俺が酷く動揺していた所為だろうか?

「死んだ奴には二度と会えない、誰もそいつの代わりになんてなれない」

「皆守クン!」

―――お前は本当に死の意味が解らないのか?」

玖隆と、その隣に立った皆守に見詰められて、椎名の顔に初めて動揺のようなものが浮かんでいた。

「嘘、ですわ、そんなの」

「嘘なんかじゃないさ」

片腕がそっと玖隆の背中に触れる。

そこから制服越しに温もりが伝わってきた。

―――この腕は、温かい。

「なあ、玖隆?」

玖隆は振り返ることができなくて、俯く耳元で『お前もその痛みを知っているのか』と小さな声が囁きかける。

も、というのであれば。

(皆守も、もしかして)

「一体何ですの?」

椎名は制服の裾を握り締めたまま、じりじりと後退り始めていた。

明らかな不安が瞳の奥に滲み出している。

「急に出てきて、訳の解からない事ばかりいって―――あなたたちのいう事は全部デタラメですわッ、リカはちゃーんと知ってるんですの!死んだ人を死の国に迎えに行くことができるって、あの遺跡の中にちゃんと書いてあったんですもの!」

伊邪那岐神は、死んだ伊邪那美神を迎えに黄泉国へ旅立ったという。

椎名がとっさに口走ったそれは、古事記の綴りの一節だ。

島々の生成から黄泉の国までの下り。そこに件の話は記されている。

では彼女もまた、あの遺跡に心を捕らわれている者の一人なのだろうか。

以前の取手の様に。

玖隆の中に苦い感情が生まれた。

「あなたたちなんて、リカ、大ッ嫌いですわ」

直後にくるりと背を向ける。

最初に感じた不気味さは無くて、それはとても小さな背中に見えた。

失礼しまァすと言い残して、去っていく姿は必死に強がって、無理をしているようにも見える。

彼女は一体何を奪われてしまったのだろうか。

呆然と見送る玖隆の隣で、八千穂が訳わかんないっと地団太を踏んでいた。

「どうしてあの子はあんな事するの?どうしてあの爆発―――まさか、あの子も!」

「玖隆」

呼びかけられて玖隆は振り返った。

「お前が何をしにこの学園に来たのかなんて、俺にはどうでもいい事だ」

だがな。

皆守は、多分不安げな今の自分の表情に気づいていない。

「死にたくなければ、もうあの遺跡の事は忘れろ」

―――それは、できない相談だ」

小さくても確かな声だった。

玖隆の胸の奥から、蘇りつつあった感情が丸ごと醒めて消えていく。

こんなところで立ち止まるわけには行かない。

たとえ、何が待ち構えていようとも。

「俺は手を引くつもりは無い」

逃げ出すことなんてできない。

天香遺跡はハンターとしてプライドをもって請けた仕事だ。

中途放棄はできない。絶対に。

―――指先が無意識に胸の辺りを探る仕草に、皆守は気付かないフリをした。

「嫌なんだよ、面知ってる奴が死ぬってのは」

その想いを真摯に受け止めながら、玖隆も同じように考える。

先ほどの言葉といい、皆守は―――彼も、もしかしたら、誰か大切な誰かを亡くしているのかもしれない。

漂う厭世観はその所為なのか。

必要以上に他者と距離を置いて、彼は、一体何を恐れているのだろう。

―――何言ってんだかな、俺も」

舌打ちと共に背中の体温がスッと離れた。

「チャイムが鳴ったらいつまでも校舎に残ってないでさっさと帰れよ」

皆守は踵を返して、元来た廊下を歩き出していた。

「皆守クン!」

呼び声に重なるようにして、授業終了の鐘の音が校舎に鳴り響いた。

授業、終わっちゃったねと呟く八千穂にどこか上の空で返事を返しながら、玖隆はいつまでも、去っていく皆守の後姿から目を逸らすことが出来なかった。

黄泉路のように黄昏に暮れる、翳りゆく景色に見えなくなった彼はどこか寂しげで、いつまでも網膜に残り続けるようだった。

 

続く