ポケットから取り出したコーヒーのプルトップに玖隆が指をかけた瞬間、皆守が振り返っていた。
玖隆もコーヒーを開けるのを止めて辺りを見回す。
「今、何か音がしなかったか?」
「した」
「だよな」
ガサガサという音に続いて、聞こえてきたのは低い振動音だった。
「な、何だ、この音は」
急に慌てて周囲を見ている。
皆守は、何故だか酷く動揺しているようだった。
「うッ」
視界を眩い閃光が襲った。
僅かに瞳を見開くと、周囲を光源のわからない光が包み、どこからともなく濛々と白い霧が立ち込めている。
皆守が咽ながら、この煙は何なんだと呻いていた。
玖隆も身体を屈めて口元を押さえた。
体内に刺激を感じないから、有毒である可能性は低い。
多分煙幕の一種だろう、喉に引っかかるいがらっぽさと、微量の花の香り。
(薔薇?)
確認する暇も無く、何かに気付いた皆守が隣で硬直していた。
玖隆も同じ方向に視線を転じる。
「お、おい!晃!あれを見ろッ」
そこに現れていたのは、人のような形をした何かのシルエットだった。
周囲を照らす光のせいで詳しい形状は窺い知れないけれど、それでも随分背の高い『何か』がこちらをじっと見詰めている。
肌に突き刺さるような視線が、微妙に悪寒を誘うようだ。
何故か肌が粟立って仕方なかった。
この状況、そして、この影、今朝の八千穂と七瀬の話といい、これはもしかして―――
(第三種接近遭遇、か?)
隣で皆守が唖然と口を開いている。
―――自分で散々盛り上げておいて、直後に玖隆は溜息を吐きつつ、醒めた笑いを唇に滲ませていた。
こんなペテン、引っかかる人間がいたら見てみたい。
半ば呆れながら、あのシルエットは誰のものだろうと考えていると、急に肩を揺すられた。
「晃、やっぱりこの宇宙に異星人はいたんだ―――七瀬たちのいってた事は正しかった」
え、と振り返って、真剣な表情の皆守と、指先を食い込ませて肩を掴んでいる彼の手を交互に見る。
―――見てしまった。
返す言葉もなくて、もう一度シルエットに目を向けると、お粗末な異星人は機械で合成したような声で喋り始めた。
「ワレワレハ、コノ惑星カラ六九万光年ハナレタ星カラヤッテキタ、ワレワレヲ探シテはナラナイ、ワレワレノ調査ヲ邪魔スレバ」
もういいだろうと思って振り返っても、皆守はまだ異星人を凝視していた。
溜息が漏れる。
「晃、今、俺達は地球人の歴史的瞬間に立ち会っているんだ!」
皆守は、案外空想好きなのかもしれない。それか本物のバカか、どちらかだ。
結構可愛い所もあるんだなと考えて、玖隆は慌てて首を振っていた。
いけない、俺まで何乗せられているんだ。
何だか色々とどうでもよくなってきて、コーヒーでも飲もうかとプルトップに爪を引っ掛けた瞬間、バチンと大きな音と共に周囲の煙も光も一斉に消えてしまった。
途端、真っ暗になった更衣室から女生徒達の悲鳴が聞こえてくる。
二人の目の前で立ち尽くす、先ほどのシルエットの主であろう人物は、もはや異星人という名の神秘のヴェールを剥ぎ取られた、天香学園高校の男子生徒だった。
ただ、異様に頭部が大きい。
先端にゆくにつけ尖っているような、非常に華奢な体型をしている。下肢だけは鍛えられているようだった。
唇に薔薇を咥えて、硬直していた男子生徒は、今度は肉声を震わせて異星人の声真似をした。
「ワレワレヲ」
皆守が持っていたコーヒー缶を投げつけた。
缶は見事に顔面中央にあたって、彼は低い呻き声と共にその場にうずくまる。
「あぐおおお、か、顔に、缶が」
「あ、悪い悪い、つい投げちまった」
全く詫びるつもりの無い皆守の隣で、玖隆は今度こそプルトップの蓋を開けていた。
コーヒーは温くなってしまっていたけれど、ミルクと砂糖が比較的多めでまだ結構飲みやすい。
暖かいのが、何より嬉しかった。
「ちょっと、アンタ!痛いじゃないのよ!そんな中身の入った缶を投げて当たり所が悪くて死んだらどうすんの?!」
立ち上がって金切り声を上げる男子生徒に、皆守も負けずに怒鳴り返している。
「やかましい!この野郎、驚かせやがって、紛らわしい登場すんじゃねェッ」
この場合、男子生徒ではなく皆守の反応の方が玖隆にとってはある意味驚きだったが、あえて言及は控えておこう。
コーヒーが美味い。
とりあえず、一段落したら遺跡探索に行くかと、湯気を吹いてぼんやり考える。
「オーホホホホ!」
甲高い笑い声の跡で、男子生徒が玖隆をビシッと指差した。
「そこのアナタ!」
「え、俺?」
「アタシの華麗なる演出に感じちゃったでしょ?」
玖隆はとりあえず笑顔で手を振り替えしておいた。
もう何だっていいから、早く帰って探索準備をしよう。
男子生徒は喜んだように、ウフッと笑ってウィンクを投げてくる。
「まァ、素直なのね」
皆守は不快極まりない様子だった。
男子生徒を激しく睨みつけながら、ずいと一歩前に踏み出していく。
「さてはお前が異星人騒動の犯人だな?大人しくそのマスクを取ってもらおうか」
「あ、お前、それは」
「キィィッ、地顔よ、地顔!」
案の定、男子生徒は怒りを露に示している。まあ、どちらも無理も無い。
しかし、怒ったり喜んだり騒がしい奴だ。口調が女性のようであるから、彼は多分そっち系の人種なのだろう。
気を取り直して彼は、自身を朱堂茂美と名乗った。
「アナタたちは、皆守甲太郎と、そっちは転校生の玖隆晃」
「何で俺達の名前を」
「フフン、この学園のイイオトコは全員このすどりんメモに網羅してあるの」
朱堂は豪奢な装飾の手帳をポケットから取り出して、得意げに見せびらかす。
同じ学園で暮らす者同士、彼がこちらの名前を知っていても何の不思議もないけれど、メモに網羅というのが空寒い。きっと、あの中には男の名前しかないのだろう。
朱堂は項をめくりながら、メモの中に記載されてあるらしいいくつかを読み上げていく。
「キレイな眉の描き方でしょう、小顔に見せる化粧でしょう、リバウンドしないミクロダイエットとか、着痩せする服選びとか、あとは、そうね―――天香学園における女性との生態と傾向、でしょ?」
二人はハッと朱堂を見ていた。
「お前が―――八千穂や他の女生徒達を監視していたんだな?」
八千穂が懸念していたように、異星人の仕業ではなかったらしい。
―――当たり前だけれど。
「そうよ、何故ならアタシはビューティーハンターだから!」
朱堂はますます訳の判らないことを言っている。
とりあえず事の真相が解明されたので、玖隆は成り行きを見守ることにした。
八千穂には、捕まえて欲しいとまでは言われていない。
それに、自分が口を出さなくても、すでに不満で爆発しそうな皆守が詳しい話を聞きだしてくれるだろう。
「さあ、貴方達もアタシを呼びなさい!ビューティーハンターと!」
「ビューティー」
「晃ッ、お前何乗せられてんだ!」
「あ、悪い、何か勢いに巻かれて」
「素直なオトコはスキよ」
ウフフ。
朱堂が気味の悪い笑みを浮かべる。
皆守はガシガシと髪を掻き毟っていた。
「この変態野郎、まァいい、こんな馬鹿らしい事は今夜限りでやめにしてもらうぜ」
「ご苦労な事ね、女生徒の事なんて放っておいて、寮で寝てればいいものを」
全くもってその通りだ。返す言葉も無い。
コーヒーをすするようにして一口飲んだ。
「言われなくともお前を捕まえたらそうするさ、なあ、晃?」
「え?」
急に話を振られて、晃は驚いて皆守を見詰め返した。
「あ、ああ、そうだな、戻って寝ようぜ、でもお前さえ頑張れるならその前に俺と」
一緒に探索を、と続けるつもりだった。
皆守は唖然として、片手のアロマパイプをうっかり落としそうになっていた。
「―――お前、それはどういう意味だよ」
「は?」
「あら?アナタたち、そういう関係なの?実はアタシも馬刺しとイイ男には目が無いのよ、趣味が合うわね」
いったいどうして遺跡探索が馬刺しや朱堂の趣味と関係してくるのだろう。
微妙な雰囲気になってしまったので、とりあえず玖隆は曖昧な笑みを浮かべてごまかした―――つもりだった。
なにやらすっかり勘違いしたらしい朱堂と皆守は、朱堂の方は慌てふためきながらもっとお互いを知るべきだとか何とか訳の判らないことを口走りつつ、何故か頬を赤く染めていて、皆守には複雑な表情でじっと見詰められてしまった。
彼らは別に、怒ったり呆れたりしているわけでは無いらしい。
ただ、それぞれが向けてくる妙な熱の篭った視線に、空寒い気持ちにさせられただけだった。
俺は、何か失敗したのだろうか。
コーヒーをすすりながら玖隆は少しだけ身を引いた。
「とにかく」
収拾のつかなくなった場を収めるように、皆守が低い声で朱堂に凄む。
「俺たちと一緒に来い、何で女生徒達を付けまわすのか、理由をたっぷりと聞かせてもらおうじゃないか」
朱堂はフンと鼻で一蹴する。
「アナタたちにアタシが捕まえられて?」
「勿論だ」
答えた玖隆に潤んだ眼差しを向けて、自信に満ちたオトコの顔って素敵などと言われてしまった。
どうやら朱堂は自信があるようだ。
鍛えられた両足は伊達では無いらしい。彼は、陸上か何かをしているのだろうか。
コーヒーの残りを飲み干して、玖隆は改めて朱堂を睨みつけた。
後の予定も詰まっていることだし、さっさと捕まえてしまおう。
そう思った矢先、更衣室の方が俄かに騒がしくなる。
見上げると照明が点灯していた。
どうやら大声でいがみ合っていたせいで、女生徒達に気づかれてしまったらしい。
なにやら剣呑な雰囲気が外まで伝わってきて、男子生徒達は各々閉口してしまった。
「じゃあ、アタシはこの辺で」
朱堂が背中を向ける。
「おう、またな」
皆守が気安く片手を上げた。そして。
「ってな訳にいくか!」
駆け出す瞬間、朱堂は明後日の方向を指差して叫んでいた。
「雛川先生が着替えてるッ」
玖隆は気にせず地面を蹴る。
すぐ傍で、皆守が満足げにその方向に彼女の家は無いと告げていた。
振り返るも何も、今はそんなことに気を取られている場合じゃないだけだったのだけれど。
それに、どうせ見るなら着替えより、雛川自身のありのままの姿を見て見たい。
どうでもいい事を考えるなと、玖隆は首を振っていた。
引っかからなかった二人に捨て台詞を残して、朱堂は猛烈な勢いで走り出した。
「茂美、ダアアアッシュ!」
「逃がすかよ!」
驚異の速力に追いつくべく、二人も全速力で駆け出す。
途中、見失いかけた彼の、叫び声で方向を見極めて、皆守が苛々と玖隆を振り返った。
「オイ、晃ッ、俺があいつを追いかけるから、お前はなにか武器になりそうな物を取って来い、あのオカマが大人しく捕まるとは思えないからな」
「武器?」
「詳しくは、後でメールを送る、頼んだぞ、じゃあな」
皆守はこちらの答えも待たずに駆け出していた。
遠くなっていく後姿を見送りながら、一人残された玖隆はいつのまにかコーヒー缶を投げ捨てていた事に気付いた。
「何だかなあ」
本当に嵐のような一夜だ。
急に夜風が身に染みる。
大騒ぎになってしまったけれど、具体的なことに関してまだなにもわかっていない。
どうして朱堂は女子寮を覗いていたのか。彼の場合、境と違って性的興味云々では無いと思うのだけど。
とりあえず部屋に戻って、装備品の確認ついでにロープでも持ってこようかと考えていた玖隆のH・A・N・Tから着信音が聞こえてきた。
開いてみると、皆守からのメールだった。
朱堂はどうやら―――遺跡の中へ、逃げ込んで行ったらしい。
「まさか」
一番認めたく無い疑惑が急浮上する。
「朱堂って、あいつ、執行委員だったのか?」
直後に彼の姿が思い出されて、ぞくりと肌が総毛立つ。
あんなのと戦うとなると、正直気が重い。色々な意味で。
再び大きく溜息が漏れていた。
ただの異星人騒動が、また随分とおかしな方向へ転がってしまったものだ。
皆守の無事を案じながら、玖隆はとりあえず、寮に戻る道を歩き始めた。