「やはり生き残ったか、転校生よ」
校舎の屋上に、黒い影が見える。
距離がありすぎてはっきりと判別できないが、多分男だろう。仮面をつけて、マントを羽織っている。
「あれは」
玖隆は思わず呟いていた。
あの姿には、見覚えがある。
「思っていたとおりだ、お前こそが我の正体を知るにふさわしい」
夕闇の中、まるで闇が凝縮されたかのように、瞳に映るシルエットは果てしなく黒かった。
その手に着けた長い鍵爪だけ、時折光を反射して、鈍色にチラチラと輝いている。
「我はファントム」
やはり―――以前真里野の名を騙って雛川をさらい、墓地で亡霊のようなものをけしかけてきた男だ。
「呪われし学園に裁きを下す者」
玖隆は身構える。
隣で、皆守の気配も僅かに強ばっているようだった。
「玖隆晃、我が求めていたのは、お前のような純然たる強さと欲の持ち主だ、力を持つとはいえ、所詮スミキも生徒会に属する者、あのヒゴといいマリヤといい、魂なき者は肝心な所で役に立たぬ」
「つまり、お前が執行委員達を唆していたという訳か」
ククク。
ファントムは癇に障る笑い声を洩らす。
「忌々しい墓守共、その墓守がわが意のままに働く姿は、さながら地の誘惑に負けた天若日子のようではないか、やがては自らの信じた天に裁かれ、五匹の鳥に葬送される哀れな者よ、だが、それでいい」
鍵爪がふわりと宙を掻いた。
「天の意思を汲むものなど、全て滅べばいいのだ」
風が吹いた。
秋も終わりの冷たい風だ。肌をキリキリと、引き裂くように駆け抜けていく。
「我に力を貸せ、玖隆」
ファントムの喋る言葉は、まるでまがい物のように心に違和感を残す。
「あの忌まわしき生徒会を倒すのだ」
「―――断る」
玖隆は別に、生徒会と対峙しようというつもりは初めから微塵も持ち合わせてなどいない。
ただ、たまたま、仕事の障害として立ちはだかってきた者達が彼等であったから、打ち倒してきただけだ。
目的はあくまで、ここの地下に眠る古代遺跡の際奥に隠された秘宝だけ、他には無い。
そして玖隆は、まるで阿門の言葉の再現のようだなと胸の内で呟いていた。
結局俺達は、それぞれが信じる理想のために戦っているのだろう。
ならば、正義とは、実は個人の信念であるのかもしれない。
宝捜し屋と墓守という立場でなければ、もしかしたら互いに手を取り合えたのかもしれない。
「俺は別に、生徒会を敵とは思っていない」
はっきりそう答えた。
隣で皆守が、じっとこちらを見詰めている。
「ククク、では、今までお前がしてきた事は何だ?結果的には同じことではないか」
「違う、俺は闘い自体を望んでいるわけじゃない」
やむを得ず武器を取ってしまったことに対して、取れる限りの責任を負う覚悟はある。
それが遺跡を探索するということであり、誰かを傷つけても尚前に進もうとする自身の咎だと思うから。
「我は鍵を探さねばならない」
ファントムはマントを翻す。
「忌々しい墓守共の相手はお前に任せるとしよう、これを使うがいい」
何かを放り投げてくる。
受け止めると、それは鍵だった。
「それがあれば暮れた後も校舎に入ることができる、この学園の秘められた夜をその手で思う存分暴くがいい」
我は幻影―――この地の開放を、はるか太鼓より待ち望む者
ひときわ強い風が、その声をかき乱す。
「また会おう、闇に魅入られし人の子よ」
メチャクチャに吹き荒れる風に腕をかざし、ようやく治まって顔を上げると、ファントムの姿はもうどこにもなくなっていた。
「あれがファントムか」
皆守が乱れた髪をいじりながら、忌々しげに呟いている。
「あの仮面は、どこかで見た事がある気がするが―――ここで考えていても仕方ないな、おい、晃」
「うん?」
「さっきの話の続きだ、怪我はどこだ、見せてみろ」
「え?」
唐突な話題の変更に、玖隆はちょっとだけ目を丸くした。
「あ―――ああ、いや、いいよ、別に、本当に大丈夫だから」
「うるさい、お前は人のことにいちいち首を突っ込むくせに、自分の事は放っておきすぎる、いいから見せてみろ、早く」
玖隆は渋々と、制服の裾を持ち上げた。
撃たれたのは左腕の外側、手首の少し上だった。
おかげで誰にも気付かなかったようだけれど、今では結構出血して指先から血が伝っている。
「ああ、案外切れてたんだなあ」
アハハと苦笑すると、皆守はあからさまに嫌そうな顔をした。
「バカか、お前、これは案外とかそういうレベルの話じゃないだろう」
「うん、俺も意外だった」
「しっかりしろよ」
「弾が食い込んだり抜けたりするよりずっと痛みが少なかったから、大したことないと思ったんだ、掠った程度じゃ気にならないよ」
暫らく黙り込んだ皆守が、不意にバカ野郎と小さく呟く。
「お前はそうやって、いつでもどうってことない様な顔をして」
「甲太郎」
「なあ、晃、お前は―――死を、恐れたことはないのか?」
玖隆は真っ直ぐに皆守の目を見詰めた。
険しさを孕んだ眼差しの、奥だけがユラユラと揺れている。
赤い雫が地面にポタリと落ちた。
「怖いよ」
掛け値なしの、本心だ。
死ぬのは怖い。
痛いのも怖い。本当はそんなものに慣れたりなんて出来ない。ただ、鈍感なフリをしているだけ。
そうやって自分を欺いていれば、苦しみも辛さも、最小限で済むから。
「そうか」
皆守は視線を落とし、傷口を眺めながらぽつりと呟いた。
「それでもお前は、今夜もあの遺跡に行くんだろう?」
死の危険を冒して、と、言外に彼の姿が言っている。
赤く濡れた手を取られて、そこから伝わってくる体温が少しだけ愛しかった。
「己の身の危険も顧みずに、な、いくらなんでももう俺にだってわかる、この学園の全ての答えはあの遺跡にあるんだろう」
ぎゅうと握り締められる様子を見詰めながら、玖隆は、俺こそそれを知りたいんだと胸の内で呟いていた。
あの場所に何が眠っているのか。
一体誰が、どんな思惑で、この舞台に登場している者達を躍らせているのか。
あのファントムでさえ『真実』では無いような気がする。
底深い闇は、今もこの地面の下で息を殺して俺達を窺っているんだろうか。
制服の裾を、もう少し上までまくられた。
「え?」
握った手をそのまま持ち上げて、傷口を、皆守がぺろりと舐める。
「こ、甲太郎ッ」
ギョッとすると、もう一度舐められた。
皮膚が裂けて露出した肉を、先端でなぞるように。
ビリッと痛みが走る。
―――これは、生きている証だ。
「帰ろう」
ぽつりと呟いて、皆守は口元についた血液をぐいと手の甲でぬぐった。
「少し冷えてきた、お前の手当ても、しなくちゃならないからな」
「あ、ああ」
並んで歩き出す風景は、殆ど茜から群青へと塗り替えられている。
寮の入り口が見えた所で、何か聞こえた気がして、玖隆はふと足を止めていた。
(鈴の、音?)
振り返ると薄闇の中、ぼんやり浮かび上がる影がある。
―――行ってはだめ
白い、おぼろげな姿。
―――行ってはだめ、どうかこれ以上、この学園の平穏を乱さないで
霞がかった同じ顔の少女達。
双子、だろうか。
―――玖隆晃、何故、あなたは墓を荒らすのですか?それはあなた自身の欲のためではないのですか?
「俺は」
確かに、その事実は否めない。
けれど今は―――それだけでは無いような気がしている。あくまで目的は依頼の遂行。だけど。
「そうじゃない」
―――違う、と、そういうのですか?
―――決して己のためだけではないと?
「そうだ」
まだ自分自身の気持ちが確信できているわけじゃない。
けれど、ここで暮らすうちに宿った『何か』が玖隆に違うと告げていた。
この感情をなんと表現すればいいのだろう。
うまい言葉すら、俺は見つけられずにいるのだが。
―――わからない
少女達は悲しげな顔をしている。
―――あなたという存在が、何を意味するのか
ただのハンターだと、今の玖隆には答えることができなかった。
俺はロゼッタ協会から派遣されたハンターで、今は天香学園の生徒の一人としてここにいる。
―――ここは哀しき王の眠る、呪われた地
―――わたしたちはこの場所を守らなくてはならない、どうか、もうこれ以上扉を開かないで
―――もうこれ以上、誰の血も流さずに済むように
指先がヌルヌルとぬめっている。
出血は収まりつつあるようだけれど、相変わらず痛みは続いていた。
少女達の姿がぼんやりと闇の中へ消えていく。
「晃?」
まるで夢でも見ていたように、玖隆はビクッと身体を震わせていた。
寮の入り口で、皆守が怪訝な顔をしている。
「そんなところにいつまでも突っ立ってると風邪ひくぞ、早く来い」
「あ、ああ」
もう一度闇を振り返ってみたが、鈴の音も、二人の姿もどこにも残ってはいなかった。
(今のは一体、何だったんだ)
木枯らしが髪を揺らす。
玖隆は踵を返すと、入り口の照明に照らされて影になっている皆守の元へ走り出していた。