階段を上りきった先、扉を開くと、まるでそれがわかっていたかのように白岐が佇んでいた。
「玖隆さん、あなたに会えそうな気がしていたわ」
「白岐」
「あなたはきっとここへ来ると―――でも、どうして?私など放っておいてもよかったはずでしょう?」
揶揄などではない、本心からの台詞に、玖隆は僅かに苦笑を洩らす。
近づくと、そのままの表情で白岐の顔を覗き込んだ。
「そういう事を、言うものじゃないよ?」
不思議そうな瞳が見詰め返す。
「少なくとも、八千穂は君を忘れて悲しんでいた、俺も、辛かった、だから放っておいてもなんて、言っちゃダメだ」
「玖隆さん」
白岐は少し戸惑って、不意に柔らかい微笑を浮かべた。
「ありがとう、私を捜してくれて」
「お安い御用さ」
「白岐、怪我は無いか?」
隣の皆守を振り返って、首を振ると、それより彼女達の話をと指し示された先の景色が不意に淡く発光した。
凝視する玖隆と皆守の目の前で、光は二つの人型を取り、やがて輝きの代わりに色づき、質感を持ち始める。
現れたのは二人の少女だった。
姿を確認して、玖隆は目を見張る。
「君たちは」
―――王の意識が強まっていく、わたしたちにはもうこれ以上、どうすることも出来ない
以前、男子寮の傍で見かけた、まるで双子のようによく似た二つの姿。
少女達は以前と同じように、寂しげな顔をして佇んでいる。
「彼女たちは誰よりも古くから、この学園の地下に広がる墓を見守り続けてきた者」
白岐は真摯な眼差しでその姿を見つめていた。
そういえば、と玖隆は思う。
この少女達と、白岐はどこか似ている。
外見もそうだが、何より雰囲気が非常に近いのだ。
―――胸の奥に、奇妙な感情が沸き立つようだった。
「器物百年を得て、化して精霊を得るという、太古にこの遺跡に仕えた巫女の持ち物が、長き時を経て人の形を得たもの、それが彼女たちよ」
二人の少女は寄り添いあい、対存在のように同じ色をした四つの瞳で玖隆をじっと窺っている。
―――わたしは小夜子
―――わたしは真夕子
声ではなく、頭に直接響く音だ。
名前の文字がちゃんと漢字変換されているので、玖隆は変なところで驚いていた。
「君たちには、名前があるのか」
―――遠い昔に、一人の幼子が私たちをそう名付けてくれました
―――正しき姿かたちを持たぬ私たちを
「そうか」
―――玖隆、あなたは今までの盗掘者たちとはどこか違う
盗掘者、か。
フッと苦笑が漏れる。どのみち、同じようなものなのだろう。
少女達は、玖隆ならたどり着けるかもしれないと語りかけてきた。
―――墓守たちにさえ、真の開放をもたらしてきたあなたならば
―――この遺跡に眠る秘宝、九龍の秘宝に
「九龍の秘宝?何だ、それは」
皆守が隣で目を丸くしていた。
九龍の秘宝。それが、協会から依頼された、対象物の名前なのか。
―――『九匹の龍の力を得たものは富と栄光を手にする』今尚そう語り継がれる幻の秘宝
―――それは、この遺跡に封印された古代の叡智です
叡智。
玖隆の中の何かが反応する。
(もしかしたら、この仕事は―――)
―――けれど、私たちとは違う、今の世を生きるあなた方にその力を託す事が本当に正しいことなのか
―――まだわからない
―――玖隆、あなたにとって大切なものとは何ですか?
皆守が、白岐が、同じようにこちらを振り返っていた。
彼らは答を聞きたがっているようだった。
玖隆が欲し、命をかけて遺跡に潜る理由。大切な何か。それは、何なのか。
「一言ではいえないけれど」
玖隆は笑う。
そう、大切なことなんて一言ではとても言い表せない。
人は欲張りな生き物だ。生きている以上、欲は、ただひとつである事などありえない。
けれど、多く移ろう願いの中で、一つきり、普遍であるものがこの身の中にあるとすれば、それは。
「自分の信じたものを、信じ続けること、かな」
それは生きていくための情熱だ。
宝捜し屋として、いや―――玖隆晃として、存在し続けるために、一番強く望むこと。
今朝の夢が、あの人の声を伴って蘇っていた。
諦めたとき、信じる事をやめたとき、きっと俺は俺でなくなる。
皆守が僅かに、視線をそらして俯いた。
―――人の欲望が、王を目醒めさせる
少女達の声が、時計台に吹き込む風と一緒に気持ちをざわめかせている。
―――怒りと憎しみに満ちた王を封じるために、この墓があるのです
―――あなたはここまで、知らずとはいえ、その箍を壊して進んできた
―――墓守たちの力と、その魂によって力を得た神名を持つ化人たちの存在が、この墓を今日まで厳重に封じてきました
―――ですが、そのために多くの墓守たちが人としての幸せな生を犠牲にしてきたことも確かです
執行委員一人一人の姿が蘇ってくる。
彼らの心や記憶を食いつぶして、ここには何が眠っているというのだろう。
墓を守るものにかけられる呪いと、それを力にして存続する牢獄。
誰も彼も繋ぎ止めて、輝く未来まで冷たい石室の奥へと封じ込めて、そんなものが箍?封印?
玖隆は掌を握り締めていた。
そこに捕らわれているものは何だ。
王か。
人か。
―――あなたは墓守たちをその強さと優しさで解放に導いてきた
―――それは、あなたであったからこそ叶った事だと、わたしたちはそう信じています
彼女を守ってください。
少女達は白岐に視線を移す。
悪しき者の眼から、隠してください。白岐がそっと瞳を伏せた。
―――わたしたちは、ここまで辿りつくことのできたあなたを信じます
―――墓守たちも策を講じてくれています、ですが、彼らにも王の僕の魔の手が迫っている
「王の僕?」
ファントムのことだろうか。
あの幻影は、生徒会とも違う目的で、彼らと玖隆が互いに食いつぶしあう事を望んでいるようだった。
王と、俺と、生徒会。
―――そこまで考えて、ちらりと脳裏を喪部の姿が掠める。
(あいつも、何か裏があるのかもしれない)
ここで過ごしているうちに得た、幾つかの常識に照らし合わせてみても、彼の存在は少し異常だ。
勉学以外の目的があると思うほうがずっとシンプルだろう。特に、この天香学園では。
―――玖隆、どうか、どうか
少女たちの姿が、段々輪郭を失い始めた。
苦悩の表情で消えていく様子を、玖隆たちは見送ることしかできない。
―――この地の平和を守って
微かな鈴の音と、冷たい北風。
それに紛れるようにして、彼女たちは完全に消えてしまった。
隣で呆然と、皆守が「消えた」と呟いている。
「白岐」
振り返ると、彼は白岐を見詰めていた。
「お前は一体何者なんだ?」
玖隆もそれが知りたい。
華奢な肢体を硬い鎖で拘束された、いつも寂しそうに窓の外を見つめている少女。
今朝は存在まで消されかけた。
どんな理由があろうとも、個を没して全を取るようなやり方は好きじゃない。
二人の視線から逃げるように、白岐はどこか困惑した表情を俯けた。
「私にも、まだよくわかってはいない、私という存在がこの学園に何をもたらすのか」
けれど、とスッと顔を上げて、真っ直ぐに玖隆を見詰める。
初めてこんな風に視線を交わしたなと思う。
双樹と見詰め合っていたときとは違う、不思議な感覚に鳥肌が立っていた。
「晃さん、あなたが何を成し遂げるのか、私には見守る義務があるのかもしれない」
―――初めて名前で呼ばれた。彼女の心の岩戸が、少しだけ開かれたのか。
「白岐」
間を置いて、玖隆は深々と頭を下げていた。
「ゴメン」
「晃?」
「一時的とはいえ、君を忘れた、だから、その事を謝らないと、俺の気がすまない」
僅かに驚いたような気配と、晃さん、の優しげな声。
ラベンダーの香りが漂ってくる。
今、ここに確かに存在する、二人分の温もりだけ、強い想いが満ちてくる。
足元に広がる無機質な床を眺めながら考えていた。
この地の平穏を、なんて、はっきりいってピンとこないし、柄じゃない。
俺は正義の味方なんかじゃない。ただの宝捜し屋で、ここには仕事で来ただけだ。
―――けれど
「今日はもう寮へ戻りましょう」
顔を上げる。
皆守が、やれやれと笑いながら、髪をクシャクシャと撫でてきた。
目の前で白岐も微笑んでいる。
(俺は、この笑顔を守りたい)
八千穂の笑顔も、取手も、七瀬も、夕薙も、黒塚も、椎名も、朱堂も、肥後も、真里野も、墨木も、トトも、雛川や、劉だって。
それに―――
(双樹)
これから待ち受けているだろう、生徒会役員達。神鳳、夷澤、そして、阿門。
おこがましいなどと、考えるのはやめだ。
それが願いなら、どんな事をしてでも叶える。そうやって生きてきたのだから。
吹き込んでくる冬の風が、肌を撫でるたび冷たい感触を残していく。
それでも、胸の内の炎は決して消える事がない。
「あなたを信じてよかった」
ありがとうと、そっと笑いかけてくる白岐に視線で答えて、玖隆も笑っていた。
「きっと、守ってみせるから―――」
屋外にはすでに、暗い夜の帳がおろされていた。