ばらっと床になだれ落ちた包みの山を見て、うん、と呟く。
傍らでは呆れ顔の大和がムッスリと黙り込んでいる。
本日2月14日はバレンタインデー
いつの頃から始まった風習か知らないが、女性が意中の相手に愛を告げる日として国内に広く知られたイベント・デイであり、また、何故かその際チョコレートを贈るのが習わしとなっている。
他の物でも構わないけれど、一般に普及しているバレンタインデーの贈り物と言えば、チョコレート。
甘いもの、苦いもの、すっぱいもの、個性的なもの、巷には各種多様なチョコレートが存在する。
それらを綺麗にラッピングしたカラフルな小山が、今、二人の前の卓上に出現していた。
新世界開闢と共に人類のカーストの頂点に上り詰めた大和と、その補佐役として同等の地位を抱くに至った天人の元へは、折に触れて大量の贈答品が届く。
賄賂と思しき品が殆ど見当たらないのは、流石、実力主義というべきか、笑顔で手渡してきた皆の顔は覚えているけれど、添えられたメッセージカードなどに個人を特定できる情報は無く、またメッセージ自体当たり障りない内容程度に留められていた。
しかし配達で届いた分に関して、天人が確認する前に、大和の判断ですべて焼却処分されてしまったので、実際はこの倍以上の量が贈られていたのだろう。
基本的に大和は贈り物の類を嫌う。
故に現状を忌々しく思っているだろう心中を察しつつ、天人は端麗な横顔をちらりと伺い見た。
「くだらん」
大和は包みの一つを手に取り、ぞんざいに床へ投げ捨てる。
軽い音を立てて拉げた包みに目を向けて、天人は少しだけ顔を顰めた。
「何のつもりだ、天人、私は君にデリバリーの真似事を許した覚えはないが」
「俺も許された覚えなんてないけど、大和は受け取らないでしょ」
「当然だ、取引無く物を受け取る趣味など無い」
些事であっても借りを作りたくないという、理由はいかにも大和らしい。
しかしこれはただの菓子や小物ではない、贈り物は質量を伴う相手の想いとも言える。
受け取ってやることで目的を達成した相手は行為に伴う諸々の感情を抱く、これらの贈答主は後に良い駒となり良く働くだろう。
当然、持ち込む前に入念なセキュリティチェックを行い、怪しげな物品は解析班に回して雑魚の一掃にも役立てた。
しかし―――現状、大和の反応を見る限り、そもそも選別自体に意義があったかどうか、天人は内心密かに溜息を漏らす。
補佐役の務めと敢えて大和の意に背いた結果がこれでは、あまりにお粗末すぎる。
依然不機嫌極まりない姿をどうにか取り成そうと、天人は軽く笑いかけた。
「いいじゃない、お祭りなんだし」
「良くはない」
大和はふいと片腕を掲げる。
「天人、君はまるで分っていない」
宙で軽く一振りすると同時に、彼の足元に光の方陣が出現する。
かつて召喚アプリと呼ばれたオーバーテクノロジーは、人の手により解体され、より高度に洗練されて、現在は超小型生体機器化されたツールを体内に埋め込み、まるで物語の魔法使いのように異界の住人を呼び出すことが可能となっている。
しかしこの力の所有は世界規模の統治機関である大和が束ねる者達の中でも、彼自身を含めた数名のみが許されている特権。
他は今でも端末を使用した召喚を行っているため、身分の証明ともなる。
次席に名を置く天人は、当然、状況を理解して軽く目を見開いた。
方陣の中央にむくりと隆起した緑の小山が、体半分もあろうかという大口を開き、天に啼く。
「アバドン?」
濃灰色の瞳がちらと天人に視線を向ける。
呆気にとられている様を構うことなく、行け、と命じる主の声でアバドンはずるずると動き出した。
深淵の王の名を関する神のしもべもこう小さくては元の威圧感など見る影もない。
何をさせるつもりだろうかと見守っていた天人は、途中で大和の目的に気付き、慌ててアバドンを制止しようとしたけれど間に合わなかった。
卓に至ったアバドンのばくりと開かれた奈落へ、太く長い舌に巻き取られた包みの小山はあっという間に飲み込まれてしまう。
カラフルな色は瞬きの間に消え去り、僅かに大きさを増した深淵の王はそのままずるずると方陣へ向かうと、どこか満足げな様子で自らあるべき世界へ還っていった。
用途を達した陣が消えて、腕組みした大和が天人をじろりと睨めつけながら軽く鼻を鳴らす。
「全く、手間だな」
「―――大人げない」
呆れかえった天人から、大和はプイと顔を背けた。
「大和」
「うるさい」
人類社会を根底から変革させた新世界の王が、補佐役と二人の時にだけ見せる年相応の姿。
天人は仕方ないなあと胸の内でぼやく。
いずれ、物は必要ない、受け取った実績のみあれば済む問題であり、味は使用感はと感想を求められたなら微笑み返すだけで済む。
大和は心底不満げに、ならば、と、形の良い唇を開いた。
「君は、あれらをどうするつもりだったのか、食品ならば食ったのか、日用品なら使ったか、嗜好品なら試したのか、有象無象の好意を易く受けるな、馬鹿者め、見え透いた魂胆などかまける暇すら煩わしい、お前の価値を見くびられるだろう」
「それは、相手が勝手にすればいい話じゃない、俺に応える意思は無いんだし」
「そういう話をしているのではない、分かっているだろう、天人!」
語気を強くして大和が拳を握りしめる。
「私が気に入らないんだ、民衆の娯楽など興味は無いが、今日が何の日であるか、君が以前教えてくれたのだろう!」
えっと、と呟いて、天人は閉口する。
大和から向けられる剥き出しの嫉妬と執着に、自分も大和宛ての贈り物を受け取る度、微妙な心地がしたことを思い出していた。
お互い様だなと少し反省しながら、すっかり拗ねてしまった様子の大和についクスリと笑ってしまう。
途端、一層気分を害したように目の端を吊り上げる大和がなおのこと愛しい。
しかし迂闊に口を滑らせて、それこそ合意を得たとばかりに以後の贈答の一切を禁じられてしまっては元も子もない。
ここは慎重に、と、胆を据えつつ、そうだねと天人は頷いた。
「けど、俺だってそこまで節操なしじゃないよ、受け取ったのは付き合いだから、やっぱり、好意を無碍にはできない」
「それで見境なく愛想を振りまくのか」
「愛想くらいはね、本当に大切な気持ちは、一人にしかあげないよ」
濃灰色の瞳に燃え盛っていた悋気が僅かに鎮まる気配があった。
大和が簡単に切り捨ててしまうものを、拾い上げて再び大和の力として還元するための補佐役と思えば、なおのこと今の怒りを収めなければ。
手がかかるのは相変わらずかと、天人はふいに終末の日々を懐かしく思う。
「ねえ、大和」
何だと答える声はぶっきらぼうで、どこか拗ねたような気配がある。
分かりやすいなあと内心呟いた。
「あのね」
「言い訳はこれ以上聞かん」
「違うよ」
クツクツ笑う天人に、では何だと訊く大和は訝しげに瞳を眇める。
「バレンタインがどういう日か知っているなら、さっきのチョコレート、大和は食べなかっただろうからさ」
「君は食べたのか」
「まあ、おいしそうだなとは思ったよ、甘いもの嫌いじゃないし」
「惜しいのか」
ギラリと目を剥く大和に、天人は軽く首を振って返す。
「惜しくないよ、俺はいらない、それに、大和が食べるのはこのチョコだけでいい」
傍に置いていた書類用カバンを開いて、取り出した包みを大和に差し出した。
「改めて、俺からもバレンタイン」
はたとした様子の大和が一瞬で毒気を抜かれたように天人の手元を見つめる。
周囲が落ち着いて始めた趣味の菓子作りは好評で、最近は「また作るのか」「いつ作るのか」とよく声を掛けられるようになった。
天人も平素は皆に色々と振る舞っているけれど、今日、天人宛ての贈り物を渡してきた人々から受ける期待の眼差しに緩い微笑みだけ返しておいた。
今日だけは、誰にも、何もあげられない―――たった一人を除いて。
皆も理解したのだろう、残念そうな顔に共通していたのは、ああやはり、といった気配。
彼らの主がそうあるように、補佐役の執心がどこにあるか、自分と大和の周囲に知らない者はいない。
受け取った包みをよくよく眺めて、ふむ、と呟き、包装も凝っているじゃないかと強張っていた大和の口の端が僅かに緩む。
「中身もそれなりだから、開けてみてよ」
「謙遜するな、君の腕前を知らぬ私ではないよ」
スルリとリボンを解いて、蓋を開いた大和は改めてほうと声を漏らした。
「成程、なかなか面白い趣向じゃないか」
「たこ焼き風チョコだよ」
丸くくりぬいたスポンジの中央に、タコに見立てたイチゴのコンフィチュールを詰めて、外側をカラメルでコーティング、バーナーであぶって軽く焼き色も付けた、その上から、ソースに見立てたブラックカラントのジャム、青のり代わりのシュガーチップ、ごく薄くスライスしたミルクチョコレートの削り節をかけた渾身の一品、遊び心あふれるスイーツが木目調の箱に行儀よく詰められている。
完成度の高さに唸る大和の隣から、体を寄せるようにして力作を覗き込みつつ、それだけじゃないんだよ、と、天人はクスリと肩を揺らした。
「実は、この中に一つ、本物のたこ焼きが紛れ込んでいます」
「何?」
振り返った大和と目が合う。
距離の近さに爆ぜる鼓動が同じ想いの視線と通じ合って、互いの頬に僅かに朱が差す。
「そのまま、それだけじゃ、面白くないからね」
気恥ずかしさを誤魔化すように笑った天人を、大和はじっと見つめている。
「当然中身はリアルにたこ焼きだよ、タコやネギが詰まってる、俺の持てる限りの技術を駆使したから、食べるまで絶対に分からない」
「大した自信だな」
「まあね」
「しかしそのサプライズ、必要だったのか」
「刺激がマンネリを防ぐんだよ、大和」
成程、と呟いて、大和は箱に目を向ける。
緊張が解けてホッとした瞬間を突いたように、不意に肩を抱き寄せられた天人は、驚く間もなく唇を奪われた。
深く探るように求めてくる大和に、一瞬戸惑った天人も、そっと大和の背に片腕を縋らせて目を瞑り存分に応じた。
水音を立てて銀糸を引きながら離れた唇の先、熱烈な眼差しが、まだ足りないといった様子で更に天人に迫る。
天人は困ったように笑いながら大和の胸を押して「ダメだよ」と囁いた。
「何故」
「食べてよ、カラメルが溶ける」
「そう易く溶けまい、今、私は君を優先したい」
「ダメ、リアクション期待してるんだから、先に食べて、でないとお預け」
ムッとした表情を浮かべて、大和があからさまに溜息を吐く。
「君はどうあっても私に仕組んだ悪戯を成功させたいわけか」
「当然でしょ」
「仕方のない奴め」
クスリと笑う。
大和がようやく見せた笑顔に、天人は内心うまく事が運べたと安堵する。
―――しかし、やはり一筋縄ではいかないのが峰津院大和であると、補佐役はすっかり失念していた。
そのまま不敵に笑った大和が、ならば賭けをしようじゃないかと唐突に持ち掛けてきた。
「賭け?」
「そうだ」
仰々しく頷き返すと、意地の悪い気配を秘めた濃灰色の瞳を僅かに眇める。
「お望み通り、今から君のチョコをいただこう、しかし、最後の一つまで私が君の想定を覆したなら」
話の流れで何を言い出すか察した天人が顔色を曇らせる。
大和は嬉しそうに然りと微笑み、そうだ、と、聞かれもしない返答までよこす。
「君が、その一つを食べるんだ、天人」
「俺があげたチョコレートだよ」
「許す、確かホワイトデーだったか、来月同日に返礼のイベントがあるのだろう?期待してくれていい、今日の借りはそれで相殺しよう」
「貸し借りの話なの?」
まさかと大和が笑う。
「私の気持ちの話だよ、天人、君ほどのサプライズは用意できないだろうが、私の出来得る限りで今日の想いに応えよう、十倍程度で良いだろうか」
「市場相場は三倍」
「ふん、そこらの俗物と一緒にするな、では大負けして五倍だ、これ以上一切まかりならん」
「なんだそれ」
クスッと肩を揺らして、天人は、返礼とはまさか悪ふざけに対しての制裁という意味ではないだろうなと僅かに懸念する。
心中を酌んだらしい異体同心の伴侶は、天人の髪をそろりと撫でて、唇を指先でなぞった。
「私が君に贈るのは、愛情以外の何ものでもない、悪戯などせんよ、多分な」
「多分なの?」
「君の困り顔を見たくなったら、その限りではない」
「大和って時々そういう事言うよな」
ため息交じりの天人にまた笑い、さて、と、大和は小箱を覗き込む。
「頂こうか、君と私、果たしてどちらが真に強者か、成程興味深い試し事ではあるな」
「運試しってわけ」
「君が持ち掛けたのだから、覚悟したまえ」
「さっさと食べてから言うんだね」
フンと鼻を鳴らした大和が菓子を一粒摘まみ上げる。
指先で押された表面がパキと小さく音を立てて、辺りに甘い香りが広がった。
口の中にそろりと運び、じっくり味わうように食べる大和を眺めながら、天人は本日上がってきた情報を脳裏に思い返していた。
世界各地で同好の徒による有志のイベント、峰津院大和を敬う会なるものが開かれているらしい。
民衆の頂点に手の至らない者達は、そのようにして今日という日を楽しんでいる。
果たしてどれ程の数の贈り物が届き、焼かれてしまったのだろう、人の意識の変わった新たな世界で大和は多く愛を受けるようになった。
しかし、そんなものとばかりに構うことなく、たった一人を相手に一喜一憂する、人間臭い姿を天人の前でだけ晒す大和がこんなにも愛しい。
一つ目では流石に無理かと、満足げな大和の様子に天人は小さく苦笑する。
「天人」
「何?」
「喉が渇いた」
「分かった、お菓子に合わせて茶葉も用意したから、紅茶を淹れるよ、いい?」
「上出来だ」
白い指先が上品に二つ目をつまみ上げる。
大和も楽しんでくれているようだと、天人は再び書類用のカバンに手を伸ばした。
今年のバレンタインはどのような結末を迎えるのだろう―――残り数個のどれが当たりだったか、詰めた天人ももう分からない。
負ける気がしないなと呟いて、茶葉を片手に天人はティーセットを取りに向かった。
背後から「私もしない」と答える声を聞いて、思いがけず吹き出してしまう。
心地よい緊張感と、互いに通じる温かな想いを胸に抱きながら、幸福なひと時はいつになく緩やかに流れるのだった。
結局どっちが食べたかはご想像にお任せ。