「お待たせ」

ワゴンを押しながら入ってきた天人の姿を一番に見つけた大地が即座に歓声を上げる。

「おお〜!待ってた待ってた!オレ腹ペコペコちゃんですよ〜っと」

「コラ、何する」

駆け寄ってきて皿に手を伸ばしたハム泥棒の手を、しかし天人は容赦なくひっぱたいて追い払った。

何だよう、の恨み節にデコピンで追い討ちをかけて、行儀が悪いと叱りつけられたハム泥棒は涙目で「お前はオレのかーちゃんか」と対抗するが、目力勝負に負けてすごすごと引き下がった。

―――終末の日は着実に迫りつつある。

人類を脅かす悪魔や侵略者の襲来、そして世界のそのものの消滅という、およそ人知の及ぶ所でない絶望に抗い、日々命懸けで戦い続ける自分達の、意志の源となる精神の摩滅を危惧し、何か出来ることはないかと試しに料理を振舞ってみた天人だったが、予想外に好評を博した結果、時折乞われて腕を振るう羽目になってしまった。

親が料理研究家なんて仕事をしているものだから、小さな頃から包丁を握らされてきたけれど、どうやら案外適性があったらしい、男の中では出来るほうだと自負していたが、蓋を開けてみたら自覚以上の技術が身についていた。

しかし、天人は調理そのものを特別視していない。

自分のささやかな行為で皆が笑顔を見せてくれる、それが嬉しくて誇らしいから、期待に応えたいだけだ。

食べることは生きることと同義だと天人は考えている。

美味しい食事は心を育み、命を育み、明日への活力に繋がっていく。

しょぼくれるハム泥棒、もとい、泥棒未遂の大地がめげずに「なあなあ」と天人の肩に顎を乗せてきた。

「今日は何?何?」

「いつも通りの有り合わせ、贅沢は言えないから」

「いやいや!天人先生にかかればフルコースっしょ!こういうの有り合わせって言わねーもん、すでに」

「確かにそうだな」

いつの間にか傍に来ていた真琴がワゴンを覗いて深々と頷いた。

「君の料理の才は誰もが認めるところだ、私も素晴らしいと思っているよ」

「料理だけちゃうやろ、イケメンやし、腕も立つし、お陰でこっちは色々と立つ瀬ナシやわ、困るっちゅうねん」

緋那子が苦い顔をする。

匂いを嗅ぎ付けたのだろうか、他の仲間やジプスの局員達も続々と集まりつつあるようだ。

呼ぶ手間が省けたと早速テーブルに準備を進める天人に、すぐ方々から手伝いの手が差し伸べられる。

「困る?何がだ」

皿を運びつつ不思議そうにしている真琴の言葉を受けて、緋那子が仰々しく溜め息をついてみせた。

「付け入るスキがないやろ、なあイオちゃん?」

話を振られた維緒の顔は赤い。

「えっ?えっ!わ、私は、その」

「どういう意味だ?」

「ちょっとちょっと、まだ分かんないって、まこっちってばどんだけドンカーン!ねね、そんな事より天人、今日もおいしそーね、これ何?」

寸胴を覗き込んだ史に、振り返った天人が「缶詰と野菜のスープ」と答えた。

「ホールトマトの賞味期限切れかけてたから、他にも痛んできた野菜とかをまとめて適当に煮てみた」

「ワオ、それでこのクオリティ?天人、アンタこれから厨房も担当しない?」

「こらフミ、馬鹿を言うな、これ以上白羽に負担はかけられん、こうして食事を作ってくれるだけでも」

「でも、マコトさんも天人君の作ったお料理、毎日食べられたら幸せよね?」

「せや!手伝ったらええねや、料理を通して育まれる愛情!アリやろ、これ、どう思うイオちゃん!」

「えええっ」

「ちょっと、いい加減にしなさいよ!困ってるじゃないの、このエロヒナ!」

女性陣は相変わらずかしましい。

その様子をどこか切なげに眺めていた大地が天人に視線を向ける。

「天人やーい」

「ん?」

「お前ってば相変わらずズルイよなあ、神さまってばマジ不公平だろぉ」

「そんな事より手が止まってる、手伝いサボったら飯抜きだからな」

「うそおお何それ!イジメ?イジメなの?ドSデスか天人先生!ちゃんとお手伝いしてるでしょおお!」

「天人、お皿、ここでいい?」

「待てーいジュンゴ!今俺が話をってジョーさん!アンタも何さり気につまみ食ってんの!」

「ありゃ、ダイチくん、ハハハ、これは味見だよ味見、ほら、君もお一ついかが?」

「うえ?じゃあ、ちょびっとだけ」

「コラ」

「痛い!何でオレだけ叩くの!天人のバカ!暴力反対!」

「お前がアホやろ、シジマ」

やがてテーブル狭しと湯気を上らせる料理が並び、同時に部屋中が賑やかな雰囲気で満たされていく。

大勢の笑顔に満足していた天人は、不意に一人足りない姿に気がついて、またかと小さく息を吐いていた。

「マコトさん」

振り返った真琴の顔は何故か少し赤い。

「ど、どうした、白羽」

「ヤマトは?」

「ああ、局長なら―――」

 

その後、天人は皆に軽く謝って、もう一台のワゴンを押しながら一人部屋を後にした。

 

ノックすると気兼ねない声が「どうぞ」と答えるので、遠慮なく開いた扉の向こうに大和の姿を見つけた。

局長専用の執務室、周囲にカメラは見当たらないけれど、恐らく何らかの方法で来客の姿を確認しているのだろう、既に誰か知っていた様子で、執務机の向こうから和やかな笑顔と共に「どうした?」と訊いてくる。

天人がワゴンを部屋に引き入れると、扉は音もなく自動的に閉じた。

「食事」

書類束を卓上に置いて、大和は立ち上がった。

「そうか、また作ってくれたか」

「皆の分もね」

「フン、それで、今日は何だ?」

「有り合わせ、大したものじゃない」

「構わんさ、有難く頂こう」

天人の傍までやってきて、ワゴンに乗った料理をしげしげと、どこか嬉しそうに覗き込み、笑う。

「君の料理の腕は本物だな、思いもかけない才能だ」

「勉強とかしてないんだけどね」

「天賦の才とはそういうものさ、フフ、全く侮れん、大したものだよ」

手伝ってと、天人に乞われるままに、大和は応接用の机の上に積み上げられた本や書類の片付けを始めた。

平素偉そうに薄笑いを浮かべ、直轄の組織を手足のように使い、強引で傲慢で冷淡な帝王気質の局長が、素直に民間人の指示に従っている今の様子をジプス局員や仲間たちが目にしたらどう感じるだろうと、いつも思う。

しかし、実際大和は強引だけれど、傲慢でも冷淡でもない。

極めて合理的で理性や自制を失わないだけだ、それが時折傲慢に映り、冷淡に見えるのだろう。

必要とあれば一切の手間を惜しまず、今も同様の理由で行動しているに過ぎない。

―――そのような思考に強く共感を覚える。

だから大和が好きなんだと改めて実感して、天人は気付かれないようにクスリと笑った。

「ヤマト」

「何だ?」

「たまには皆と一緒に食事してみない?」

「何故だ」

「何か面白い発見があるかもよ」

卓に二人で皿を分けて、料理を並べていく。

「ほう?それはどんな発見だ、具体的に話してみろ」

それぞれシルバーをセットする。

「そうだな、考え方とか、性格とか、色々理解が深まるんじゃない?お互いに」

「彼らの個性に興味など無い」

「でも楽しいよ」

「何がだ」

「大勢で取る食事」

大和がわざとらしく溜め息を吐いた。

まるで気取らない態度は天人と二人きりの時だけだ、そのまま、呆れた眼差しが向けられる。

ナプキンを整え、向かい合って席に座り、両膝に肘をかけた大和は軽く両手の指を組み合わせた。

「いよいよもって不要だな、賑やかな食事は性に合わない」

「仕方ないなあ」

大和は初回に一度だけ食事会に姿を見せた。

恐らくは様子を見に来たのだろう、しかし、以降頑なに同席を拒み、だからこうして天人から通っている。

放っておけと言う者もいたが、どうしても容認できなかった。

繰り返すようだが、天人にとって、食べることは生きることに等しい。

皆が命を謳歌している最中、別室で独り腹を減らしている奴がいると、実際空腹でなかったとしても想像するだけで耐えられない、ましてそれが大和であるなら尚更放置できるわけがない。

普段大和が孤立しがちなのは彼自身がそう望んでいるから構わないのだと天人も理解している。

しかし食事だけは別だ、それだけは譲れない、独りにしたくない。

多分、大和は食事を単なる栄養補給程度にしか捉えていないのだろう、その感覚は天人にもよく理解できる、以前の自分がそのようであった。

両親共に忙しく、だからこそたまに揃う家族の食卓で笑顔が見たいと、もしかしたらそれが全ての切欠だったかもしれないけれど、普段天人にとって食事は腹が膨れれば済む程度の意義しか持ち得なかった。

しかしそれでは目的の半分も果たせていない。

食べることは生きること、生きるためだけに費やす人生は味気ない。

大和から一度「気を遣わなくても良い」といった趣旨の言葉を告げられたことがあったけれど、天人も「それならお前から食いに来い」と引き下がらず、話は平行線を辿り、最終的に空中分解してそれきりだ、以来大和は何も言わなくなったし、天人はしつこく通い続けて、折を見て繰り返し誘っているが、未だ良い返事はもらえない。

―――多分、大和にはもう自主的に皆と卓を囲む意志はないのだろう。

千切ったパンをスープに浸していると、不意にそうして食べると美味いのかと尋ねられた。

「あれ、スープの最後はパンでお皿を拭くんじゃないの?」

「そのように行儀の悪い真似はしない」

「じゃあ試してみなよ、結構美味いよ」

「君が言うのであれば」

大和は一片のパンをスープに浸し、上品な仕草で口に運んだ。

「どう?」

「ふむ、何とも言えん食感だが、悪くはない」

「パン入りのグラタンスープみたいな感じじゃない?」

「グラタンスープ?そのような食べ物があるのか」

「知らないか、マミーズのオニオン入りグラタンスープ、うまいんだから」

今度作るよと笑った天人に、大和は満足気に頷いて、また少しパンを浸して食べた。

「庶民の味覚は粗野だが味わい深いものがあるな」

「じゃあ、そっちはどうかな、食べてみてよ」

一切れ食べたヤマトが唸る。

「味付けが絶妙だ、しかし、これは肉ではないな?」

天人は軽く肩をすくめて見せた。

「当たり、高野豆腐だよ、工夫すれば肉みたいな食感になる、一発で見抜くなんて流石だね」

「フフ、侮ってくれるな、しかし君の技術は賞賛に値する」

「ダイチなんか毎回教えてやらないと気付かないんだよ」

「ほう」

「皆も今頃肉と勘違いして食べてるかな」

ふと手を止めた大和の濃灰色の瞳がじっと天人を見詰める。

「気になるか」

「まあね」

僅かに不満げな素振りを装って、天人はクスリと笑った。

「でも、ヤマトは一緒に食べたくないんでしょ?」

「まあ、端的に言えば、そうだな」

「で、俺はヤマトを一人にしたくない、だから必然的にこうなってる」

「退屈か?」

「そう見える?」

「―――いいや」

浮かんだ笑顔がいつに無く楽しげで、ふと、大和は気付いているのかなと思った。

大人びたジプスの局長は、それでも自分より一つ年下なのだと今更のように気付かされる。

天人は和やかに笑いかけた。

「スープのおかわりいる?」

「頂こう」

今頃は仲間たちも思い思いに食事を楽しんでいるだろう。

二人分の声と物音しか聞こえない部屋で、スープを注いだ皿を手渡しつつ、天人はなんともなしに「楽しいね」と声をかけてみた。

大和は暫く天人を見詰めて、「ああ」と答えると、僅かに綻んだ口元へスプーンを運ぶ。

―――共に食べることは、共に生きること。

分かち合うだけ満たされていくのだと、微笑を交わし、つかの間の平穏が執務室を満たしていた。

 

 

※うちの天人はお母さんが料理研究家なもんで、ちっさい頃から包丁握ってた設定があります。