茜色の世界で舞う漆黒の翼のように、コートの裾が翻る。

背後から迫り来る切っ先をひらりとかわし、正面の敵に一撃食らわせて、男がくぐもった声と共に半身を折り曲げた所で腹にもう一撃、背を狙い繰り出された刃を手刀で叩き落し、男の顔面に裏拳で一発見舞い、仰け反った胸を蹴り飛ばすと、そのまま正面でふらついている男をも繰り出した膝で突き飛ばした。

騒動が収まると、地に伏す二つの影以外はまるで何事もなかったかのように、大和も軽くひと息フッと吐き出して、僅かに乱れた襟元を軽く正す。

そうして改めて振り返った。

今、呼びかけてきた誰かの姿を、多少性急に捜し求める。

 

ぽつんと佇む白い姿。

 

いつの間に現れたのだろう。

少年は、黒く柔らかそうな癖毛を風に遊ばれながら、じっと大和を見つめていた。

恐らくは同年代、暮れゆく日に彩られて、鮮烈な印象を醸し出している。

大和が声をかけようとした矢先、騒動に気づいた運転手兼警護の者が血相を変えて飛び込んできた。

今更遅いと呆れて、主人を気遣いつつ叱責を恐れる様子を適当にあしらい、改めて少年の元へ足を運ぶ。

 

「君」

 

呼ばれた瞬間、少年は僅かに瞳を眇めた。

どこか懐かしむような眼差しが僅かに気にかかり―――けれど、初対面であることに間違いはない。

だが、どうしてだろう。

(苦しい)

胸が締め付けられるように痛い。

「君」

改めて呼ぶと、少年はかすかに笑って「何?」と答えた。

その声が夢で見た誰かの声と重なり、瞬間鼓動が爆ぜる。

身じろぎする大和に少年は再び軽く肩を揺らした。

「大丈夫だった?」

「ああ」

「そうか、良かった」

―――動揺している。

けれど理由が分からなくて、大和は混乱する。

「協力感謝する、見ていたのか?」

「うん」

「何故通報しなかった」

「だって、ヤマトならあれくらい、簡単にどうにか出来ただろう?」

「何故そう思う」

「お前は凄く強いじゃないか」

メディアを通して顔と名前が知られている、自分が誰か、この少年が理解していても、何ら不思議はないだろう。

しかし初対面であるにも関わらず、これほど砕けた態度を取られて、なのに嫌悪どころかむしろ親しみを覚えている理由が皆目分からない。

更に言えば、彼が大和を『強い』と評価した根拠についても、実に不可解だった。

世間一般に知られている『峰津院大和』にそのようなポテンシャルは存在しない、だからこそ先ほどの男達も不用意に飛び込んできたのだろう。

(何故、一般人が、初見で私の力を見抜いた?)

深い海の色に似た青い瞳に見詰められていると、どうにも落ち着かない。

それでも目を逸らせずにいる大和に、少年はどこか楽しげな口調で「何?」と尋ねてきた。

「いや」

傍らを不意に風が通り過ぎていった。

少年の着衣のフードから伸びているウサギの耳の様な飾りがヒラヒラとなびく。

いつの間にか東天には宵の明星が眩い光を放ち、藍に変わりつつある空を渡る鳥の影ももうない。

「君は、誰だ?」

少年は小さく息を吐き出した。

「白羽天人」

「しらは、あまと」

「そうだよ」

―――再び、ヤマトに名を呼んでもらえるなどと、思いもしなかったと。

天人が心中に帯びた甘い熱を、大和が知ることはない。

大和は聞いたばかりの名前を胸の内で繰り返していた。

いくら記憶の底を浚ってみても、やはり思い当たる出会いは存在しない。

けれど、心が、体が、魂が―――彼の声を、気配を、温もりを知っていると、訴えている。

根拠もなく沸き起こる歓喜に多少の戸惑いを凌駕するほどの興奮が膨らんでいく。

知らず差し出していた手を、天人にそっと掴まれた。

ハッとした大和は繋がれた手に瞳を留めると、再び天人を見て、そして―――笑った。

ストンと何かが腑に落ちる。

これだ、と、天啓の様な想いが閃いた。

世界が一新されて、欠けていた最後のピースがようやくはめ込まれたような予感が胸を満たす。

「天人君、か」

大和は「ありがとう」と天人に殊更丁寧に礼を返した。

「フフ、おかげで命拾いをした、良ければ少し話をしないか?」

「何の話?」

「さて、何だろうな」

沸々と起こる期待と興味に、久しく失われていた情熱が蘇るようで、思わず苦笑してしまう。

「まずは君のことを知りたい、そして、私を知って欲しい、だから君の時間を幾らか貰えないだろうか」

この手を離してはいけないと本能が告げている。

『今度』離したら、二度と繋ぐことはないだろう。

(何故、そう思う)

分からない、以前があった記憶はない。

けれど本能の様な部分が告げている―――答えは、天人が握っている、と。

もう見送りたくはない。

夢の続きをもう一度。

考えるそぶりの後に浮かべた笑顔は眩しくて、大和は思わず瞳を眇めた。

「いいよ」

世界が俄に輝きだす。

「そうか」

衝動に突き動かされるまま、かつてない興奮と共に一歩踏み出す。

「では、行こう」

現の夢は幻、けれど魂は在処を覚えている。

世界は転寝の間に生まれ変わり、代償として自分は記憶を失ったのかもしれない。

それでも、見えない糸を手繰り寄せて、再び巡り会えた。

僅かに残る疑念も恐らく長くは持たないだろう。

圧倒的な天人の存在感が全てを凌駕し、大和の現実に深く刻まれる。

白羽天人は、峰津院大和にとっての変化の象徴。

鬱々とした日々もこの出会いで変わっていく。

予感と呼ぶにはあまりにリアリティのある、半ば確信に近い想いを噛み締めながら見詰めれば、天人は何も言わず意味深な微笑を浮かべるばかりだった。

今、この瞬間から、ゆっくり君を知っていこう。

失ったものなら取り戻せばいい、幸い、年若い自分と彼に時間はたっぷり用意されている。

こうなってくると局に残してきた迫が役に立つなと、スケジュール調整を全て彼女に押し付ける腹積もりで、大和は人の悪い笑みを口の端ににじませた。

勝手に同行を辞退したペナルティとでもしておこうか。

ふと天人から手を解かれた瞬間、咄嗟に真意を伺う様に青い瞳を覗き込んでしまったけれど、歩き出せば傍らに添うようにしてちゃんと着いてくる。

大和は安堵した自身に微かに苦笑しつつ、再びデジャヴの誘うまま天人を振り返り見た。

何?と、柔らかな音の声に返された。

「いや」

また少し笑ってしまう。

何も不安がることはない―――全ては、ここから始まるのだから。

新しい世界の幕は開かれた。

二人でどんな未来を創ろう。

ふと視界の端に光を捉えて、振り返れば公園の外に警察車両の赤いランプが見える。

駆けつけたジプス局員の中には迫の姿もあった。

大和は、改めて天人の腕を取ると、そのまま連れ立って歩き始めた。

傍らの温もりがクスリと笑い声を立てる―――

 

星図の彼方で、洞明星の淡い光が数多の縁を優しく照らす。

それは、この地に生きる全てのものへ、何度でも破滅の運命を打ち払う力となって続いていく。

 

二人で紡ぐ世界には、きっと何より眩い希望が降り注ぐだろう。