大和が執務中、あまりに何も食べないものだから、見かねておにぎりを握ってやった。

梅干、昆布、鮭の三種類、疲労回復やらストレス緩和やらの効果を狙ってのチョイス。

皿を持ってノックすると、すぐに扉が開かれて、どこか嬉しそうな大和が顔を覗かせた。

「良く来たな、私に何か用か?」

「何かもなにも、これ」

「ああ、私のために用意してくれたのか」

「そうだよ、真琴さんがお前のこと心配してたから」

途端、サッと大和の表情が曇った。

本当に微妙な変化だったから、他人の感情の機微に聡い自分でなければ気づかなかったかもしれない。

いや、そうじゃない。

多分―――大和は俺に気を許している。

だから咄嗟に本音を露呈してしまったのだろう。

そんな風に都合よく考えつつ、苦笑いで「違うよ」と付け加えた。

「違う?」

「正確には、真琴さんから話を聞いて、心配になって、こうしておにぎりを握ってきたって状況」

「弁明は不要だ」

「そうだね、まあ、とにかく食べてよ、いくら忙しいって言ったって、食べなきゃ持たないよ、邪魔にならない大きさにしておいたから」

「フフ、確かにそうだな、事情はどうあれ、事実は変わらん、君手ずからの料理ならば喜んで頂こう」

入りたまえと促された天人は、執務用の机におにぎりの乗った皿を置いてからソファに腰掛ける。

机に戻った大和がおにぎりを一つ手に取り、行儀よく齧って「うまい」と笑顔を見せるので、そうか良かったと微笑み返して、再び執務に没頭する姿を眺めていた。

単調な物音だけが響く屋内は適温に保たれていて、足元から沼底に引き込まれるように眠気が這い登ってくる。

そういえば、昨晩も明け方近くまでつき合わされた。

出逢って数日後にはもうそんな関係になっていて、どさくさに紛れた感は否めないけれど、だから何だという気もしている。

結局、早いか遅いか、その程度の問題だったのだろう。

机の向こうで難しい顔をしている大和はとても年下に見えない、大人びた様子を素直に魅力的と感じる。

今は背格好もそう変わらないけれど、来年辺りには恐らく追い越されているだろう、それはちょっと癪だなと思いながらソファに横になった。

傍に気配を感じているだけでこんなにも落ち着ける、それは多分大和が気を許してくれているからだ。

ゆっくり目を閉じた天人は、蕩けるように眠りの縁へと落ちていった。

 

―――うさみみずきんは森の小道を歩いておりました。

お家でゴロゴロしていたうさみみずきんに、お母さんが命令したのです。

「うさみみずきん、すまないが、このバスケットを、おばあさんの所まで持っていってくれないか」

おばあさんは高い山の上にある青い屋根のお家に一人で暮らしています。

その昔、お母さんはシンクロの選手をしていましたが、うさみみずきんの誕生を機に第一線を退き、今は秘密結社で働いています。

おばあさんは、その秘密結社の総帥でもあります。

バスケットの中身はなんでしょう?

うさみみずきんは「いいよ」と気安く答えて、お母さんからバスケットを受け取りました。

おばあさんに逢えるのが嬉しくて、小道を辿る足取りは軽やかです。

青々とした梢の緑を渡る澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込むと、仄かに花の香りがしました。

何という素敵な日でしょう。

ふと見れば、森の仲間たちも楽しげに過ごしておりました。

彼らを見てホッコリしたうさみみずきんは、改めて目の前に聳える山を見上げると、不意にキュウッと痛む胸を押さえます。

「おばあさん」

独りぼっちのおばあさん。

寂しくはないのでしょうか。

俄かに気持ちが逸り、うさみみずきんは駆け出しました。

「おおい、天人〜」

そこへ幼馴染のポチが声をかけてきます。

「どこ行くんだよう、一緒に遊ぼーぜぃ!」

「悪い、急いでるんだ」

「おやおや〜ん?天人君じゃないか、どこへ行くのかな?おじさんに話してご覧?」

「あ、天人君、もしかして、山の上に行くの?」

帽子と巨乳も現れたので、うさみみずきんは面倒臭くなって、まとめてうんと頷き返すと、それじゃあと手を振って走る速度を上げました。

それでもポチだけが追いすがってきたので、バスケットで一撃見舞い、沈めて走り去ります。

道すがら仲間たちの声があちこちからうさみみずきんを呼びました。

「あ〜天人や、どこ行くん?」

「ちょっと、天人!どこ行くのよっ」

「天人、どこ行くの?」

「待てやゴラ、どこ行くんかて聞いとるじゃろがい!」

「あんれ〜天人、どこに行くのさ」

「あらあら、天人君、そんなに急いでどこへ行くの?」

全部片っ端から聞き流して、一途山頂へ駆け上ります。

漸くおばあさんの家が見えてくると、もう声も聞こえなくなっていたので、改めて息を整えながら、バスケットを抱えてゆっくり歩いていきます。

扉の前に立つ頃にはすっかりいつもの調子を取り戻して、ノックを数回、中から落ち着いたトーンの声が答えました。

「どうぞ」

開いた扉の向こうでは、銀色の狼がベッドに横たわっていました。

「よく来た」

嬉しそうに微笑んだ姿の、銀の髪がサラサラ零れてとても綺麗です。

「おばあさん?」

「そうだ、私だ、病を患いこの体たらくさ」

見違えただろうと笑う様子が寂しげで、うさみみずきんはベッドサイドにそっと腰を下ろしました。

スプリングが軋み、体を起こした狼の両腕がうさみみずきんを抱き寄せます。

「天人」

静かに抱き返すと、服の下に引き締まった体躯を覚えました。

でも、前より随分痩せています、きっとご飯を食べていないに違いありません。

この人はもうずっと何も食べていないのです。

それは多分おばあさんが以前毒を盛られた事と無関係ではないでしょう。

それからずっと毒見がついていたそうですが、うさみみずきんがご飯を作るようになってからは、うさみみずきんのご飯だけは遠慮なくモリモリよく食べます、それは信頼の証に他なりません。

「何か作ろうか?」と尋ねると、こっそり笑った声が「おにぎり」と答えるので、うさみみずきんは「分かった」と頬を擦り合わせるようにして頷きました。

ラブです、ラブとラブが組み合わさってラブラブです。

おばあさんが食べるのは、うさみみずきんが手ずから持って来たものか、自分でうさみみずきんから受け取った食べ物だけです、他の誰かが「ウサミミが作ったにょん」と持ってきても、まずお前が食ってみろとけしかけて、決してすぐ口にしようとしません。

危ないものは食べさせられない、食育の一環で、うさみみずきんもきちんとしたものを与えるよう心がけています、栄養のバランスは愛情のバランスなのです。

台所借りるねとうさみみずきんが立ち上がろうとした、まさにその時でした―――残念な狩人、名古屋ロナウジーニョが飛び込んできたのでした!

「騙されている!」

開口一番、ロナウジーニョロは叫びました。

「天人君!君は騙されている!そいつは孤独なフリをした獣だ、君の同情を引いて、ゆくゆくは思いのままにしようと企んでいるんだぞ!目を覚ませ!そいつは見た目どおりの悪魔だ!」

一体この部屋のどこに悪魔がいるのでしょう。

もしそれが本当なら、悪魔は目の前の空気読めない太郎に違いありません。

咄嗟に籠の中の龍脈に手をかけようとしたうさみみずきんを制して、おばあさんが呆れた様子で綺麗な濃灰色の瞳を眇めました。

「やかましい、人様の家に土足で踏み込んだ挙句の狂言、貴様こそ恥を知れ」

「何だとっ」

プラズマガンを向けるジーニョに驚いて、うさみみずきんは咄嗟におばあさんの前に躍り出ていました。

「天人!」

「あ、天人君!」

「やめろ天人、君が怪我をする、私に構うな!」

「構わずになんていられるものか!」

叫びながら思いきりおばあさんに抱きつきます。

「お前がどうにかされるくらいなら、俺がどうにかされてやる!」

「あ、天人君、ゴクリ」

「下郎が!その腐った思考ごと貴様を葬り去ってやる!」

「やれやれ、喧嘩はいけないよ?」

唐突に床をにゅうと抜けて、めでたい配色の白っぽい人が姿を現しました。

「皆仲良く」

「できるかっ」

「できるものか!ゴクリ」

「ええい不愉快だ!貴様はもう天人を見るな、その腐れた双眸刳り貫いてやろうか!」

「それがリリンの望みかい?」

「え、それって」

「天人!」

キュッと顎をつままれると、強引に唇が塞がれます。

するとうさみみずきんはすっかり参ってしまって、呆気に取られる外野に構わずおばあさんに抱きつきました。

「配色だけなら」

「え?」

「―――配色だけなら、私も同じだ、生憎と目の色だけは異なるが」

「それはそれで問題ないよ、夜明け前の空の色だもん」

「フフ、君の瞳はまるで海の色だな」

「そうだよ」

スルリとバスケットに差し込んだ手で龍脈に触れても、今度は何も言われませんでした。

咆哮と共に飛び出す金色の光に呑まれて名古屋は見えなくなり、死兆星の人はちょっぴり寂しげに「君たち人類はもう私の手を離れたんだね」と呟きながら消えてしまいました。

もう、誰も必要でないし、大和以外要らないとうさみみずきんは強く想います。

それはおばあさんも同じの様でした。

抱きしめられると伝わる温もりから想いがダイレクトテレショップです。

「天人」

「はい」

「これから、毎日私だけのために、おにぎりを握ってくれないか?」

勿論答えはイエスだと口付けで伝えます。

鐘の音と共に鳩が飛び交い、また「天人」と呼ばれました。

 

天人、天人、天人―――

 

「天人」

視界に映る姿を見上げて、寝ぼけ眼が「大和」と呟く。

目を擦り、つる草のように伸ばした腕で姿を捕らえて引寄せると、フフと笑う声が耳朶を掠めた。

「―――どうした?」

甘く柔らかな囁きが、伸ばした手で勝手に天人の携帯の着信音を止めるので、コラと呟いた唇を塞ぐように口付けされる。

「なにやら寝言で私を呼んでいたが、どんな夢を見ていた?」

「大和に」

「ああ」

「おむすびを握る夢」

不意に大和が妙な表情を浮かべた。

俺、と呟く天人は、眠気に溺れてあくびを一つ漏らす。

「お前の」

「何だ」

「おさんどんになるよ」

「何?」

「おむすびおいしかったか?」

「あ、ああ」

「うん、良かった」

寝ぼけているのかと問う怪訝な声に、そうかもしれない、まだ眠いと、再び瞼が落ちてくる。

「天人」

天人は生返事を返して、そのまま目を閉じた。

最近の睡眠不足は全部こいつのせいなんだからもう暫く寝たって構わないだろう。

スルリと腕を解いてボスンとソファに落ちた姿を眺める大和は、呆気に取られた様子で暫く硬直していた。

間の抜けた姿を幸い誰に見られることもなく、我に返った直後、盛大な溜め息を漏らして、額を抑えながら低く唸った。

「おさんどん、だと?」

気持ち良さそうにスカスカと寝息を立てる天人の姿が癪だ。

「何だ、それは」

聞いた事の無い言葉だけれど、なる、と言うからには、何らかの役なのだろう。

蟠りが解消できなくて、悔し紛れに天人の鼻を軽くつまんでやった。

身じろぎする天人に名残惜しく唇を触れ合わせて、すごすごと席へ戻っていく。

邪魔になるでもなし、急ぎの案件も無い今、暫く放置しても何ら問題はない。

(だが、やはり釈然としない、この埋め合わせは後で必ずして貰うぞ、天人)

まずは天人が目覚めるまでに『おさんどん』の意味を調べておかなければ。

意図は不明だが言質を取っておく必要がある、惚けたりなどさせるものか。

そうして、漸くいつも通りの薄笑いと共にソファで眠る天人の姿を暫く眺めてから、大和は仕事に戻った。

 

つまんで食べたおにぎりは、ホッコリ優しい愛の味がした。

 

 

愛の味はお好みで、あと『おさんどん』っていうのはご飯作ってくれる人の事です。