ふと目が覚めた。
辺りは深遠なる闇に包まれている。
いや―――仄かな湿り気を帯びた闇だ、母体の様な温もりと安心感に居心地の良さを覚えて、そうっと頬を摺り寄せた。
すると、規則正しい寝息の合間に、微かな声が混ざる。
衣擦れの音と共に伸びてきた腕が、まるで子供をあやすように、大和の背中をトントンと叩く。
それがどこか滑稽で、思わずクスクスと笑い声を漏らすと、今度は背中の表面をスルスルと擦られた。
「いい、やめろ、天人」
「ん」
額がコツンと触れ合って、目を閉じたままの天人から「どうしたの?」と問いかけられた。
正確な時刻は分からないが、恐らくは、まだ夜明け前。
こんな頃合いに何故目覚めてしまったのか、自分でもよく分からない。
「夢でも、みた?」
「何だと」
「夢、怖い夢、みたのか?」
「違う」
手を伸ばして天人に触れる。
就寝用の簡素な衣服の下にある肉の触感、体温、それらを確かめるように、表面をなぞっていく。
「くすぐったいよ」と天人が笑った。
この声が好きだ。
大和もクスクスと笑いながら、そのまま背中に腕を回して抱き寄せた。
一つ年上の天人は、大和の腕の中に納まって、身体を寄せるようにしながら丸くなる。
「寒いか?」
天人の癖毛に鼻先をうずめて尋ねると、ううん、とくぐもった声が返ってきた。
「ヤマト、寝てるときはあったかいな」
「恒温動物なら大概そうだ、就寝中は体温が上昇する」
「ん、確かにそうだ」
「君は熱いくらいだ」
「俺、平熱高いから、男で平熱高いの珍しいって前に言われた」
「誰に」
「彼女じゃないよ」
クスクスと笑う。
声色からささやかな嫉妬を察せられたらしい。
「俺、家族以外とこんな風に寝るの、ヤマトが初めてだから」
畢竟、体の関係も初めてだという告白に他ならなくて、大和は微かに微笑んだ。
既に知らされた事実だけれど、改めて天人から告げられるとやはり心踊る、まるで降ったばかりの白雪に足跡を残していくような感覚だ。
私が最初で、あとは要らない、私が最後になればいい。
「母さんに、言われた」
大和は不意に黙り込む。
「母さん、俺の事こうして抱きしめて、あーくんはあっついねって、体温高いの、男の子は珍しいのよって、いつの話だったかな、随分前」
「―――男子の高体温は特別珍しくも無いだろう」
「あれ、そうなの?でも、男は体冷やしておいた方がいいんだろう?」
「生殖に関してはな、だが生体的に見れば、高体温である方が免疫力は高い、君も丈夫な方だろう?」
「そういえば、あんまり風邪とかひかないかな」
「低体温は様々な弊害を引き起こす、体温は高いに越したことは無いさ、まあ、程度はあるが」
「そうなんだ」
笑いながら天人の腕が背中に回される。
「じゃあ、大和が冷たいときは、俺がこうして温めてやろう」
「フフ、有難い、では君を専属に任ずる」
「ヤマト専用のカイロ担当?」
「随分と性能のいいカイロだ、暖を取るだけに留まらん」
「歌って戦えるカイロだよ、ついでに食事も作れる、セックスまで出来る」
「君の歌声をまだ聞いたことが無い」
「じゃあそのうち歌ってあげる、ただし高いよ、二曲も聞いたらスッカラカンだ」
「家財を投げ打つだけの価値はあるさ、少なくとも私にとっては」
ふと顔を上げた天人と、唇が触れ合った。
ジプスの重要施設区画内部、最奥にある局長室は、常に快適な状態に保たれている。
人が最も居心地良く感じる室温、湿度、清浄な空気、だからこうして密に身体を寄せ合い、まるで外敵や環境から守るように抱擁する必要はない―――理屈の上では。
闇の中でも青く輝く天人の瞳に見惚れていると、不意にクスクスと笑われた。
至高の宝を手にした思いで胸が躍り、大和の唇にも自然と笑みが滲む。
「ヤマト」
再び胸元に額を擦りつけて、天人の声が僅かに愁いを帯びた。
「―――分かっているんだけどさ」
「どうした」
「話したら、思い出した」
大和は天人の姿を見つめる。
黒く柔らかな癖毛の髪、白いうなじ、自分と同じ程度の肩幅。
同年代の少年、なのに、今は酷く儚くて、庇護欲を掻き立てられる。
「親の事」
背中に回されている天人の指先が、着衣の表面を握り締めた。
「多分死んでるよな、この状況じゃ、生きてるって考えるほうが無理がある」
―――数日前、世界は未曾有の大災害に襲われた。
予め未来の託宣を授かっていた大和には織り込み済みの出来事でも、遍く日本国民、如いては世界中の誰もが予期せぬ週末の訪れに戸惑い、今この瞬間も多くの死と慟哭が彼らを苛み続けているだろう。
そして、それは、いち早く状況に順応した天人も例外ではなかろうと、内心密かに気にかけていた。
ただの学生に過ぎなかった天人の環境適応力に、実のところ大和は感服している。
彼よりずっと経験豊富であるはずの、いい年をした大人達が現状把握で手一杯な中で、彼は理性的に状況を捉え、自らに可能かつ最適な行動を迷う事なくやってのけている。
事実を事実としてありのままに受け入れる事を恐れず、自らの変化すら厭わない。
適者生存、それは天人の稀有な才だ。
こうして自分と出会い、そして行動を共にするようになった経緯すら、今では必然のように思う。
しかし、それでも、天人はまだ若い。
同年代ではあるが、彼よりずっと多くの物事に通じている自分でさえ割り切れない想いを持て余すことがあるというのに、数日前まで世俗に甘んじていた彼に遍く許容することなど土台無理な話だろう。
大和は天人を抱く腕に力を込めた。
ここに居る、確かに在るのだと知らしめるように、背中に指を食い込ませる。
「俺さ」
ぽつんと闇に声が響いた。
「親の事、好きでも、嫌いでもなかった」
喉元に触れる柔らかな髪の感触。
癖毛が甘く肌をくすぐる。
「俺の両親は俺に何でもくれたけど、時間だけはくれなかった、三人で過ごした記憶なんかほとんど無くてさ、俺も、いつの間にか期待しなくなってた、でも、それで問題なかったんだ、平和だったんだな」
そういう暮らしは、平和だったんだ。
大和は再び天人の髪に鼻先をうずめる。
「―――今更、思い知った、でも遅いよね、いつだって失くしてから気付く、ああしておけば良かった、こうしておけば良かったって、そんなの意味無いのに」
「辛いか?」
「多分」
腕の中で丸くなった肩が小さく笑い声を立てた。
「実感ないんだ、多分死んでる、もういないんだろうって、それでも、考えると悲しくなってくる」
「そうか」
「死体でも見たら、ちゃんと理解できるのかなあ」
大和は腕に一層力を込めた。
恐らくは痛みを感じるほど強く抱きしめているのに、天人は何も言わない。
ただ、背中に触れる手の、指先が布越しに食い込む感触だけ伝わってきて、まさか泣いているのではと懸念が胸を掠める。
「天人」
呼ぶと微かな震えが伝わってきた。
目を閉じて全ての感覚を天人へ向ける大和の耳に、悪い、と囁く声がする。
「何故だ」
「そんなに気にしてくれると思わなかった、てっきり笑うだろうって思った」
「確かに私は君の両親に個としての価値を見出していない、だが、君にとって意義を持つ存在を嘲りはしないさ」
「それって俺を尊重してくれているってこと?」
「―――ああ」
クスクスと笑い声が響いて、漸く「ヤマト、痛いよ」と天人が文句を言った。
大和は僅かにホッとすると、腕の力を抜きながら改めて覗き込んだ眼差しと視線が繋がり、鼓動が一つ爆ぜる。
闇に紛れることなく強い光を放つ瞳。
美しいなと、また魅入られてしまう。
「大丈夫だよ」
天人は頬笑んでいた。
「親の事は俺の問題だ、ちゃんと自力で乗り越えてみせる」
「そうか」
「ヤマトは」
言葉を一区切りして、「お前の両親は」と、呟く天人の瞳が揺れていた。
「いつか聞かせて欲しい、ヤマトの、小さかった頃の話」
「楽しめるような逸話など何もないぞ」
「いいよ、お礼に俺も家族の話を聞かせるから、あんまり多くは無いけれど」
「分かった」
目を閉じた天人が額を寄せてくるので、大和も小さく笑いながらコツンと表面を触れ合わせた。
睫が重なりそうなほどの距離で互いの吐息を感じあう。
連なる血は悉く死に絶え、それでも互いにこうして今確かに存在している。
それだけで充分だ、私は事足りる。
君がいれば全て満たされる。
―――君もそうであってくれないだろうか。
生憎と他を望まずにいられるほど無欲ではないけれど、私にとって君の価値はそれほど重いのだと、より深く理解して欲しい。
頬に触れる天人の手の甲に掌を重ねながら「あと少し眠れ」と静かに告げた。
明日を生き抜くため、今、我々に何より必要なもの。
天人の両足を足の間に挟みこむようにして抱き寄せると、天人も大和の胸にそっと身体を摺り寄せてくる。
眠りについた天人は亡くした命の夢を見るかもしれない。
ならば私は―――夢の中で、現実と同じように君の手を取ろう。
何度でも必ず取ってみせようと瞼を閉じる。
胸に懐かしい気配を伴う感傷が過ぎり、けれどそれはすぐ微睡みの内に消えていった。
※当方では大和さんのご両親は既に他界していることになっています、だってそんな雰囲気じゃん。