伯父との同居は全く居心地のいいものではなかったが、一年程度で彼は直哉に関して一切口を出さなくなった。

出せなくなった、と言ったほうが正しいだろう。

妹夫婦との同居に際して、元より神童と誉めそやされていた直哉は更に優秀さに磨きをかけ、周囲に過剰な期待を抱かせることに成功した。

今や直哉を否定するという事は、今後の日本を背負って立つであろう、ひいては、彼らの老後を約束してくれるであろう輝かしい可能性を否定する事と同義であり、すなわち悪であるといった状況を作り上げ、伯父を黙らせたのだった。

そうして住みやすい環境を整えたところで、永く待ち望んでいた時が漸く訪れた。

 

この世に弟の因子を受け継ぐ存在は数え切れないほど存在している。

(けれど、そのどれもが真に弟足り得るわけではない)

理由はただ一つ。

魂の宿らない器など、単なる模造品でしかない。

その魂は長らく神が掴んで離そうとしなかった。

 

―――だが件の神とて世の摂理全てを掌握できるわけではないのだ。

 

生とは本来、水の様なもので、形を変え、流れを留め、一つ場所に集めたとしても、その本質は変わらず、またいつまでもそのままにしておく事は叶わない。

神が行える奇跡など精々が自分に課した呪縛程度のものだ。

いずれ、硬く閉ざした指の隙間から零れ落ちた雫が、血に惹かれて自ずと肉親に転ずるだろう事はわかっていた。

 

美和の腹に魂が宿った夜、あまりの歓喜に直哉の胸は震え、同時に時が訪れたのだと悟った。

(戻った)

今一度、この兄の元に。

―――かつての因縁すら縁の一つとして。

(今度こそは還さんぞ)

これまでに弟の魂が因子と結び付き世へ転じたことは何度かあった。

けれどそうだと気付くや否や、神は即座に魂のみを自らの元へ連れ戻し、転生の輪に戻さず留めた。

もぬけの殻となった骸を抱き、尽きた筈の涙を流しながら、何度怨嗟の呪言を天に向かい咆えただろうか。

その発端を紡いだのは、ほかならぬ、愚かだったかつての自分自身だ。

(だが、今生こそは)

手放すものか。

―――この苦しみと絶望と、同じだけの嘆きを貴様に与えてやる。

直哉はまず、伯父の強い反対を押し切って、美和の腹に宿った『弟』に和哉と名づけるよう迫った。

それは、美和への労いと、名を介した束縛の呪いをこめて。

美和は戸惑っていたが、それでも、甥のあまりに必死な様子を酌んで、生まれる子供はその通りに名づけられる事となった。

(弟よ)

お前は何も知らず、魂の惹き合うままに俺の元へ生まれ来るのかもしれないが。

(それでも俺には、神代の頃から、ずっとお前だけなのだ)

神に寿がれ、神を愛し、神に愛された、弟が神を求める事が赦せなかった。

(手に入れるためならなんだってするさ)

美和の膨らんだ腹に手をあて、閉じた瞼の裏側で黄金の麦畑がさざめいていた。

 

 

「直哉はさぁ」

そして今―――

「時々、俺の事、変な目で見るよな」

卓の向かいで洗濯物を畳む従弟の姿を、直哉はコーヒー片手に読んでいた新聞から顔を上げて見た。

「どういう意味だ?」

ここは青山にあるアパートの一室。

一年ほど前から直哉は独りで暮らしている。

理由は幾つかあるのだけれど、まだ語るべき段階でもなければ、必要すらない事だ。

ふざけた理由で協力を申し出てきた北欧神話の神にすら黙秘を貫き通している。

従弟の和哉は時折こうして直哉の身の回りの世話をするため、頼みもしないのにやって来る。

美和の言いつけとの事らしいが、実際は一人暮らしの気兼ね無さを好んで遊びに来ているだけだろう。

まあ、言葉どおり来るたび溜め込んだ雑事を片付けさせているが。

和哉は手を止め、直哉に視線を向ける。

「何だか知らない目をしてる」

「解らないな」

「俺じゃない誰かを見てる気がする」

間をおいて、直哉は「馬鹿な」とフッと微笑んでいた。

我が弟ながら本当に察しがいい。

(だがそれは根本的な勘違いというものだ、和哉)

何故なら俺は、今、かつての弟としてではなく、蓮見和哉としてお前を見ている。

弟の面影を重ねる事は間々ある、それは、どうしようもない。

けれど今は和哉の従兄、蓮見直哉でもあり、だからこそ直哉として和哉を見ることもあれば、兄としてかつての弟を見ることもある、ただそれだけの事だ。

(どちら、とは、言いかねるのだが)

神代の記憶のない弟には、兄としての眼差しが身に覚えなく感じることもあるのだろう。

直哉はコーヒーを一口飲んで、紙面に視線を戻した。

それでもまだ和哉がこちらを窺っている気配があったので、不意にカップを卓に置き、手を伸ばして従弟の髪をクシャクシャと無造作に撫で回してやった。

「わッ、な、何するんだよ!」

慌てて逃れる様子を横目で窺い、喉を鳴らすようにして笑う。

「くだらん、そんなことより早く片付けてしまえ」

「だからって何でグシャグシャするんだ、大体これ直哉のパンツだぞ!」

「母さんに言われて手伝いに来ているんだろう?俺に文句を言うな」

「直哉がどんなパンツ穿いてるかアツロウにバラしてやる」

「それで奴が何か得をするのか?」

「するわけないだろ、でも、アツロウは会うたび当分直哉のパンツのこと考えるぞ」

「それで被害を受けるのは篤朗というわけだな」

「うッ」

「ついでだからお前の下着も教えてやったらどうだ?」

途端、和哉は顔を真っ赤に染めて、黙って下着を畳み始めた。

その様子をつまらない気分と若干の呆れと共に眺めて、直哉は活字を追い直す。

(手塩にかけて育てたつもりなんだが)

―――それこそ、神の御手に引き戻されないよう、ある程度の年齢までは過剰なほど密に接して過ごした。

今の和哉は既に運命の輪の中だ。

まさか無茶はされまい。

(しかし、いずれ役立つようにと人材を求めた結果がこれとは)

思わぬ誤算だったな、と、思いながらコーヒーを飲もうとしてカップが空だと気がついた。

途端、ひょいと手元から奪い取られ、立ち上がった和哉がそのまま台所へ持っていく。

「気が利くじゃないか」

台所で振り返った和哉は反抗的な態度で舌を出し、背中を向けるとコーヒーを淹れ始める。

洗濯物の片付けはあらかた終わったようだった。

「和哉」

「何?」

「―――俺が憎いか?」

ふと動作を留め、再び手元を動かして、湯気の立ち上るカップを手にした和哉が戻ってきた。

かたん、と、卓にカップが置かれる。

再び台所へ戻る姿を目で追いながら、直哉は和哉の淹れ直してくれたコーヒーを啜った。

今度は別のカップを手に持ち、湯気を噴きながら直哉の斜め向かいに和哉は腰を下ろす。

「直哉は意地が悪いよ」

「ほう?」

薄手のカーテン越しに正午の光が差し込んでいた。

今朝の妙な気分がまだ蟠っていたようだ。

何故今更涙など、と、自身を諮りかねて無意識に弟に答えを委ねようとしているのだと、ふと気がついた。

「捻くれてるし、性格悪いし、教えてくれたのは嘘ばっかりだし、正直感じ悪い」

「随分な言われ様だな」

「でも、憎くはない」

和哉はカップに口をつける。

中身を少し啜り、再び表面をフウフウと吹いた。

「ムカつくけど、キライじゃない」

直哉もコーヒーを啜る。

和哉の淹れるコーヒーは、他の誰が淹れるものより自分好みの味がする。

「兄弟だからな」

―――思わず目を瞠った。

「従兄だけどさ、でも、にいちゃんだから、そういうの、できるわけないだろ」

仄かに頬の赤い、今の和哉の纏う気配は、かつての弟と何一つ変わらない。

(ああ)

どれほどの時間を経ようと、お前だけはそのままで在ってくれるのか。

こちらを見ようとしない和哉は黙り込んで、ひたすらカップの中身を吹いては飲むを繰り返している。

直哉は何を飲んでいるのか聞いてみた。

紅茶、と返された。

「味覚は依然子供のままか」

「ほっとけ、コーヒー飲めなくったって死なないだろ」

「ククク、仕方のない弟だ」

「悪かったね、性格悪い兄さんに口出しされたくない」

漸くこちらを見た瞳が、まだ照れたように笑った。

直哉は再び腕を伸ばすと、今度は乱してやるつもりで和哉の髪をさっきより乱暴に撫で回してやった。

やめろよ、と怒って仰け反り、和哉は文句に口を尖らせる。

(甘い奴め)

兄弟でも憎しみ合い、殺し合うこともあるだろう、けれど。

(和哉)

胸の奥で呼びかける―――神代の名ではなく、今の名で。

(もうすぐ時が満ちる、その時、果たしてお前は俺の望みを叶えるだろうか)

あの時のように、手の届かない遠くへ行こうとはしないだろうか―――もしそうであるなら、再び俺は。

(いや、二度は違えまい)

少し開いた窓から春の香りが漂ってくる。

カップの中から唇に触れた温もりは、多少感傷的な味がしていた。

 

彼方より、遠い記憶の向こうで、懐かしい声が兄の名を呼んでいた―――

 

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※大人設定により反転、子供はみちゃダメ!

※カズ君とおにいやんはカズ君が10歳の頃からペッティングする仲でしたが、中学卒業間際にとうとう最後までヤッちまいました…っていう要らない裏設定アリ。

うちのネコちゃんはアツロウさんが初めてじゃないのよ〜

エロい関係ですが、恋愛感情というより肉親の情で繋がってる二人です、なんなのさ。