ただいまーと元気に声を上げながら、扉を開いて玄関に入る。

靴を脱ぐ間、ランドセルがカチャカチャと音を立てていた。

六年間使うものだからいいモノを、という父の心遣いによって選ばれた牛本革製の黒いランドセルは、ランドセル自体が結構な重量を持つ代物で、小学校入学したての頃はよく「ランドセルが重い」と不満を漏らしたものだ。

その和哉も、もう小学四年生。

流石にランドセルの重さにも慣れて、寧ろよく振り回したり、放り投げたりしている。

それでも壊れず丈夫に持っているのは、さすが本皮製といったところか、友人が使っていた軽さが売りのランドセルなどは三年生の地点で二つ目に買い換えたらしい。

廊下をパタパタと走りぬけて、居間の扉を開くと、この家で暮らすもう一人の学生が制服のままソファに掛けて寛いでいた。

「にーちゃん!」

呼ばれて振り返った姿がフッと笑いかけてくる。

「おかえり、和哉」

「ただいま!」

駆け寄ってソファに飛び乗る。

ランドセルを降ろしながら隣に近づくと、甘い匂いがフワリと鼻を掠めた。

「あっ」

兄の手は皿を持っている。

「シュークリームだ!」

皿の上には大振りのシュークリームが乗っていた。

もう片方の手で上品に持ち上げて、パクリとかぶりつく様子に、和哉は再び「あーっ」と声を上げる。

「いいな!いいな!何で?」

「新作だったからな」

「俺も食べたい!」

「一つしかない」

「ええーっ」

勢いシュークリームに食いつかんばかりに身を乗り出す。

すかさず兄がサッと皿を除けた。

「ずるいー!ずるい!ずるい!にーちゃんずるい!」

「ずるくなどない」

つんと顔を背ける兄に、どうしてと尋ねると、切れ長の横目がチラリと和哉を見て、フフと笑う。

「俺の金で買ったからだ、だから、俺のものだ、ずるくはない」

「おこづかいで買ったの?」

「そうだ」

「そうか」

和哉はぺたんとソファに座り込んだ。

「そうかあ」

溜め息が漏れてしまう。

兄は、和哉より七歳年上の、十七歳。

小遣いも自分より多く貰っているだろう、それは、兄だから仕方のない事だと、一応理解はしている。

和哉の小遣いではシュークリームなど夢の買い物、贅沢過ぎてとても手が出ない。

そのシュークリームを、自分の金で買って食べている兄。

文句のつけようもなければ、反論の余地すらない。

ショボンと項垂れて、ソファから漸く床に着く程度の両足をパタパタと動かす。

今日も一日遊びに勉強に大いに励み、小学校から自宅までの往復間を重いランドセルと共に歩んで、自分だってまったくもって腹ペコだ、夕飯までとても持ちそうにない。

ふとキッチンに目を向けても、母の姿は見当たらなかった。

今頃いないという事は、買い物に行っているのかもしれない。

オヤツになりそうな何かを、冷蔵庫に入れてくれてはいないだろうか。

「和哉」

兄の声に振り返ると、兄が割ったシュークリームの半分を差し出してくる。

「ほら」

最初キョトンとしてから、ワッと歓声を上げて手を伸ばしかけて、和哉は動作を止めた。

「抹茶だ」

「ん?」

シュークリームから覗く緑色のクリームを一瞥して、兄が「ああ、そうか」と呟いた。

クリームは何でも大体好きだけれど、和テイストだけはどうしても受け入れられない。

再びショボンとする弟に、兄はやれやれとため息を吐いて、緑色のクリームの隣、白いクリームだけを指先にスッと掬い取る。

「ほら」

あ、と呟いて、和哉は兄を見上げた。

目が合うと兄は優しく笑い返してくれる。

「仕方のない奴だ、ワガママばかり言う」

和哉は満面の笑みと共に、兄の指にパクリと食いついた。

生クリームの蕩ける甘みが口いっぱいに広がって、まろやかな食感と共に歓喜が沸き起こる。

「おいしい!」

兄は更にシュー皮で生クリームだけを上手に掬い取ると、「こぼすなよ」と和哉に手渡してくれた。

「ありがと、にーちゃん!」

「フン、抹茶の美味さが分からんとは、お前もまだまだ子供だな」

「ヘヘ」

ぽてりと兄に凭れ掛かって、また両足をパタパタと交互に上下させる。

こぼすぞと注意されても、気にせずそのままの格好で生クリームの美味さを存分に味わった。

兄はいつでも、結局最後は自分に甘い。

それが嬉しくて堪らない。

シュークリームは勿論美味かったけれど、兄から貰って、兄と一緒に食べたことで、格別甘く、格別に幸せだった。

食べ終わった後の指を舐めていると、顔を覗き込んできた兄が「和哉」と笑って頬を舐める。

「口の周りにクリームがついているぞ、もっと綺麗に食べられないのか」

「ん」

唇が触れ合い、手渡されたティッシュで口の周りを拭いながら、和哉は首を傾げた。

「にーちゃん、抹茶の味がした」

「クリームを全部お前に食われたからな、味見させてもらった」

「そっか、うまかったよ!」

「そうだな」

笑った兄から頭をわしゃわしゃと撫で回されて、和哉もキャッキャと声を立てて笑う。

抱きついた制服の胸に顔を埋めると、仄かに砂糖の香りがしていた。

次はお前の分も買ってきてやると言ってくれる、兄の言葉が嬉しくて、うんと大きく頷いた和哉の背中を、大きな手があやすように撫でる。

「今度は団子だな、そろそろ季節の商品が出ると」

「ケーキがいい!ケーキか、プリン!」

「やれやれ、あつかましいぞ和哉、俺は和菓子が食べたいんだ」

「じゃあクリームが入ってるヤツがいい、甘いの」

「和菓子も甘いんだが―――まあ、いい、だったらお前も買い物に付き合え、いちいち選ぶのが面倒だ」

「うん、一緒に行こうね、にーちゃん」

「分かった、分かった」

―――やっぱり兄が大好きだ。

どこで買いものをしよう、今度は何を兄と一緒に食べようか。

口の中で甘く残る生クリームの気配と共にフワフワした幸福で満たされた和哉は、もう一度、兄の温もりに顔を埋めた。

 

 

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補足:ちっちゃいネコちゃんはあずかり知らない事ですが、おにいやんはお小遣いなんて貰っていません。

それは全部和哉にあげてくれと言ってお母さんを困らせています(笑

おにいやんが持っているお金は株やら何やらで儲けたポケットマネー、正真正銘の自腹。