Starry Shooter DAY Before8年前』

 

 光り輝くシャンデリア。

贅を尽した会場内で、着飾った人々は思い思いに遊び、生バンドの心地良い音楽が緩やかに流れる。

活気溢れる華やいだ雰囲気を素直に楽しめたのは最初の数十分程度、その後は、とにかく、退屈で、退屈で、退屈しかなくて―――父に連れてこられたパーティーは、暇を持て余す我慢大会でしかなかった。

見た事もない料理やキラキラ輝く照明、たくさんの大人たち、全て味気なく、白々しい。

けれど自分は母の名代でこの場にいるのだから、ちゃんと良い子にしていなければ。

そういった分別がつくほど白羽天人は大人の事情を理解した子供だった。

多忙を極める両親は不在が多く、天人は父や母と過ごした記憶が極端に少ない。

派遣されて訪れる手伝いの人も仕事外の労力を惜しむから、そもそも大人に甘える機会が殆どない。

その割に愛嬌のある性格は、実を言えば寂しさの裏返しでしかなく、幼い心の根底には常に不安と恐れが渦巻いていた。

いい子にしていなければ、大人に好かれる子供でいなければ、見捨てられてしまう。

独りで眠る夜、独りで目覚める朝、独りで過ごす休日。

―――駄々をこねても仕方ないと理解したのは随分早かった。

以来、生来の聡明さも幸いして、天人はほぼ完璧に両親や周囲の望む『理想的な子供』を務め上げている。

特別秀でてなくても、媚を売る必要もない。

大人の望む『良い子』とは『問題を起さない子供』だ。

両親は天人に多くを望まない、ごく平均的な学力、身体能力、人間性―――重要なのは手を煩わせないこと、面倒を掛けないこと、あと少しばかり可愛げがあれば、充分満足して問題無いと判断される。

自慢の息子と紹介する父の言葉を他人事のように聞き流しながら、天人はさっきからずっと料理を取りに行くタイミングを計り続けている。

子供の礼儀作法は親の評価に直結する、迂闊な行動は控えなければ。

欲しがれば大概の物は与えてくれるけれど、自分達の時間だけは決して割いてくれない、天人は両親に多くを望まなくなって久しい。

父が髭の偉そうな男と話し始めたので、そろそろいいかと判断して、傍を離れる許可を取り、料理の置かれたテーブルに近付いていった。

手伝いの人が作り置いていくものより随分美味そうだ、何より、電子レンジを使わずに済むのが嬉しい。

給仕の男が取りましょうかと愛想良く聞いてくれたので、有難うございますと礼をして、いくつか選んだところで何気なく視線を風景に移した。

―――あの時、もしそうしていなかったら、いずれ訪れる未来はどのように様変わりしていただろう。

大人達の間からちらちら覗く赤色。

最初に気付いたのはその色だった、そして、直後に色の正体が、背の低い振袖姿だと気付いてハッとする。

(子供だ)

自分以外にも子供がいた。

取り分けた皿を渡そうとする給仕に、申し訳ないと思いつつも断りを入れて、すぐに足が動き出す。

淡い期待に胸が躍る―――見上げるばかりの空間で、同じ目線を見つけたことが単純に嬉しかった。

あと数歩の距離まで近づいた所で、思い余って天人は「ねえ君」と声をかけた。

振り返った姿が怪訝な様子を滲ませる。

サラサラと流れる銀の髪、朝焼け前の空を思わせる灰色の瞳、滑らかな白い肌。

人形のように整った容姿の、愛らしくも何処か鋭い気配をまとった少女は、じっと天人を見詰めたまま微動だしない。

咄嗟に息を呑み、けれど気後れしかける自身を奮い立たせるように、天人は精一杯の親しみを込めて「初めまして」と微笑みかけた。

「君もいたんだ、オレ、子供はオレだけかと思ってた」

少女は何も語らない。

無感情な眼差しは、一見天人を映しているようで、実は何も見ていない。

その瞳に強い興味を覚えた。

間を置いてフンと鼻を鳴らすと、少女はクルリと踵を返してつまらなそうに立ち去ろうとする。

天人は咄嗟に少女の振袖を捕まえていた。

待っての呼び声に応えたわけでも無さそうな雰囲気で、少女は再び振り返ると、今度はまじまじと天人を見詰め返した。

―――ようやくちゃんと見てくれた、しかし、少々驚かしてしまったらしい。

気遣って急いで手を離しても少女が変わらず凝視し続けるので、居心地の悪さにまごついていると、思いもよらず―――少女は、とてもとてもキレイに、天人に微笑みかけたのだった。

「私に」

「えっ」

唐突に花開いた可憐な姿に目を奪われていた天人は、そのままポカンとしてしまう。

「何か用か」

「あの」

「用があって呼び止めたのだろう、何だ?」

コクンと喉を鳴らし、沸き起こった動揺と困惑を腹の底へ押しやって、天人もニコリと笑顔を返しながら、何気ない仕草で庭の風景を指し示した。

「ちょっと外に出てみない?」

「何故だ」

「退屈だから」

そのまま軽く肩を竦めて見せる。

「大人は皆忙しそうだ、俺の父さんも知らない人と話すばっかりだし、誰かの足なんか見てても退屈でしょ?だから、面白いものを探しに行こう」

「フッ、では外には何か気の紛れるようなものでもあると?」

「だからそれを探しに行くんだってば、あるかないかは行ってみないと分からないよ」

少女は間を置いて、何故か急にクスクスと笑い出した。

「なるほど、確かにそうだ、君はなかなか面白い物言いをする、少し興味が沸いた」

いいだろう、と僅かに首を傾げる仕草が可憐で、天人は内心大いに奮い立ち、微笑む。

そのまま勢いで手を取っても拒まれなかったので、「行こう」と少女を連れ行くように前を歩き出した。

触れた瞬間はヒヤリと冷たかった少女の手は、繋いでいる内に天人の体温に馴れて、心地良い温もりの伝わりあう感触につい浮かれそうになる足が、やがて、毛足の長い絨毯の床から手入れの行き届いた青芝をサクサクと踏むまで、それほど時間はかからなかった。

 

 しかし、連れ出した少女が何故か自分を観察してばかりいるので、徐々に募る気まずさと共に見上げた空は、瑣末な困惑をからかうようにどこまでも青い。

心の底を探るような少女の眼差しは地味に辛いし、話しかければ応えるけれど、自分から会話することも無く、更に周囲の風景など全くどうでもいいかのような振る舞いが、天人にジワジワと後悔という形で判断ミスを突きつけるようで、思わず零れそうになった溜息を慌てて飲み込めば、見透かしたような吐息が聞こえる。

(これじゃ、いけない)

責任を意識するような年齢ではないけれど、それなりに誘った側の義務のようなものを意識して、天人はあえて明るく振舞うことで、楽しくあろうと務めていた。

「あの花の名前、分かる?」

「金木犀」

子供の足でも三十分もあれば一回りできそうな規模の庭園は、様々な季節の花木が植えられ、一年を通して何かしら楽しめるよう作られている。

盛り土で造られた丘の上に洒落た造詣の噴水があり、流れ出した水が斜面に刻まれた小川を流れ、麓の溜め池に注ぐ。

どこか甘い花の香りを孕んだ風が、少女の髪をフワリとなびかせた。

絹糸のようにしなやかで目を引く銀の髪は一筋ごとに光を反射してキラキラ輝くようで、端正な横顔と共に、天人も時折目を奪われてしまう。

すると振り返った少女から何だと尋ねられるので、その度照れ笑いで何でもないよと答えた。

(なんか、変な感じ)

天人ばかり喋っているのに、時折目が合えば、お互いなんでもないと繰り返して、妙な空気になる。

もっとも少女はあまり頓着している様子もなく、恐らく普段どおりの振る舞いなのだろう。

着ている物や仕草、話し方、その全てに品があり、落ち着いていて、聞かずとも良家の子女と理解できた。

天人はふと両親を思っていた。

―――褒めてくれるかな?

父も母も、平均よりレベルの高い友達を作るととても褒めてくれる。

しかし天人は意図的にそういった友人を作ろうとしたことはなく、今も、たまたま出会った目の前の少女の育ちが良さそうだなと思ったついでで、そんな事を考えただけだった。

だからすぐバカバカしくなって、フフッと笑ったら、「おい」と呼ぶ声が聞こえて振り返る。

「何を笑っている」

軽く型眉を吊り上げる少女に、天人はつまらない事だよと答えた。

「何故、君は私をここへ誘った?」

僅かに呆れたような表情がそう返すので、機嫌を損ねたかもしれないと急いでちゃんと向き直る。

「おもしろいことがあるかも知れないって思ったから」

「それで?」

「特になかったかな」

フン、と唸る少女に、天人は少しだけ肩を竦めた。

「あのね、でも、俺は楽しいよ―――君はどうか分からないけれど、俺は今日母さんの代理でここに来て、さっきまで全然楽しくなかった、大人しかいないし、大人の話はつまんないし」

「親の名代で訪れていたのか、君は」

「そう、だからちゃんとしないといけないんだ、大人は俺を見て俺の父さんと母さんを見る、でもそんなの俺の責任じゃないのに、なんでだろうね?不思議だけど、大人はそういうものみたいだから」

こんな話を少女にしても仕方ないと思いつつ、何故か止められなかった。

少女はただ黙って天人の話に耳を傾けている。

「あそこにいても、俺に出来ることっていったら、良い子にしてるだけだったから、でも、今はこうして君と外の空気を吸って、鳥を見たり、花を見たりしている、こっちのほうが断然楽しい、君は違うかもしれないけど、俺は今のほうがいいな、のんびりしててさ」

フフ。

少女が笑った。

「暢気だな、君は」

「えっ、そうかな」

天人が慌てると、利発そうな眼差しの湛える鋭い雰囲気が僅かに和らいで、私もまあ、今の方が悪くない、と、躊躇いがちに言葉を綴る。

「しかし意外だ」

少女の声が風に響いた。

「このような時に、このような場所で、意外な出会いもあるものだな」

フワリと銀の髪も揺れる。

「正直、私は君と会話が成立して驚いている、よもや俗世に稀な人材が埋没していようとは、分からんものだな」

唐突に語られて、思わず天人は面食らってしまった。

難しい言葉はよく理解できなかったけれど、とりあえず褒められたのだろうと、少女の様子から理解する。

「おい、口が半開きだぞ」

微笑んだ少女の指摘で、天人は慌てて口を閉じた。

「全く、馬鹿面をするな、折角の容姿が台無しだ」

「ご、ごめん」

「謝罪には及ばんが、君は格好をつけている方が様になっている」

今度は急に優しげな表情になるものだから、ついほだされそうになる。

呑まれかけた天人の理性を引き留めたのは、内から発せられた疑問と警戒する声だった。

少女の言葉は甘い。

けれど巧みに操られた内に潜む意図は、自ら思い通りに事を進めようとする企みと、侮りだろう。

殆ど無意識で少女の毒を嗅ぎ分け、意図せず無邪気を装い「ありがとう」と返す天人に、不意に口を噤んだ少女は間を置いて本音の笑顔を見せた。

「面白い、やはり君は逸材だ」

「えーっと、じゃあ、何かして遊ぼっか、そしたらもっと楽しくなれるよ」

「遊び?」

「うん」

パチンと手を叩いて仕切り直す。

天人の提案したかくれんぼを少女は知らないと答えた。

そういう事もあるかと遊び方を教えて、いざジャンケンの段階になった地点で、ジャンケンまで知らないと聞いた時は流石に驚いたけれど、教えれば少女は僅かな言葉ですぐ仕組みを理解する。

試しに数回じゃんけんして、問題無いようなので、今度は本番と拳を突き合わせてみれば、少女が鬼に決まった。

ムスッとした表情が物語るのは、鬼に決まった不本意より、勝負に負けた悔しさだろう。

結構負けず嫌いなのかと天人は了解する。

「さっさと始めるぞ」

少女はその場で目を閉じ、構わず十から数を唱え始めるので、急いで天人は隠れ場所を探した。

すぐ見つかってはつまらない。

けれど、なかなか見つからなくて、飽きさせてもいけない。

愉しませることを念頭に置きつつ手頃な茂みにそっと身を潜ませた、その時だった。

 

「―――さんでいらっしゃいますね?」

 

思いがけず聞こえた大人の声に、天人は気づかれないよう注意深く様子を窺う。

何故そうしたのか天人自身にすら分からなかった。

殆ど本能的に取った行動だった。

少女は振り返って、知らないスーツ姿の男二人と向き合っている。

華奢な背から漂う剣呑な雰囲気に、天人は息を呑んだ。

「誰だ」

男たちは顔を見合わせると、一つ頷き合って、ご同行願えますでしょうかと慇懃な態度で伺う。

「断る」

少女の声は小気味よく響いた。

直後、片方の男が無造作に少女へ腕を伸ばし、もう一人は背後に回るような動きをする。

「仕方ありません」

「それでは、多少ご無礼いたしますが、なんとしてもご一緒に」

挟まれる前に素早く逃れた少女の姿を視線の先に捉えたまま、天人はわざと勢い良く茂みを飛び出した。

驚き、意識が逸れた隙を狙い、少女を奪取して猛然と駆ける。

「こっち!」

僅かに遅れて反応した男たちが案の定追ってきた。

しかし、子供ならではの小回りの良さを生かして、木々の間をあちらこちらへ逃げ回る動きに、大人たちは翻弄されて思うように動けない。

少女は下駄を履いているにもかかわらず、驚く程身のこなしがいい。

自身もかくやというほどの軽やかさに少し驚きながら、天人はこの先どれだけ逃げられるだろうかと考え始めていた。

「―――どうする?」

不意に問われて驚き、ちらりと伺った少女の表情は僅かに笑んでいるように見えた。

まさかと首を振って見据えた先の風景が、天人の脳内に閃きを起こす。

「どうにかするけれど、お願いがある」

「何だ」

「俺の事、信じてくれる?」

―――答えはない。

当たり前だ、知り合ったばかりで信じるも何もない。

それに具体的な説明もしていない。

弾む息が重なり、背後には迫りくる大人たちの影、肌を擦る枝や葉の感触が鈍痛となり体中を巡って、四肢が悲鳴を上げ始めていた。

「信じて」

祈るように唱えると、良かろう、と返される。

「君を、信じよう」

うん、と答えた天人の内側で熱い何かが激しく滾る。

必ずできる、絶対やれると、強い確信に体がブルリと震えた。

天人は少女と共に斜面を一気に駆け下りていく。

直線距離では歩幅の差は歴然、あっという間に距離が縮まり、腕を伸ばせば捕えられそうなほど近づいた。

その時、天人は勢いよく少女を引き寄せる。

ふわりと浮かんだ体を易く抱え上げて、見切りをつけた位置から思い切りよく地を蹴った。

全身で風を切る。

男たちの気配が遠のく。

眼下に広がる、静かな水面―――あっという間に近づいた。

天人は少女を対岸へ向けて放り投げた。

そのまま落ちていく。

水を割る音がして、全身を冷たくまとわりつく感触に捕えられる。

けれどこのまま、沈むわけにはいかないと、必死にもがいて水面を目指した。

まぶしい光と共に止めていた息を吐いて、直後に池の水を飲みながら、対岸にあるはずの姿を求めた。

岸に、少女が座り込んでいる。

「逃げろ!」

叫ぶ。

「俺はいいから、早く、逃げて!」

半ば懇願するように告げても、少女は動こうとしない。

「早く!」

そのとき、少女がすっくと立ち上がった。

見惚れるような容姿にかかる銀の髪を風がさらさらと揺らして、赤い晴れ着が一層目にまぶしい。

ゆっくりと近づいてくる姿に行ってくれと懸命に繰り返せば、おもむろに踏み切った側の岸を指差すので、天人は立ち泳ぎのまま首を向けた。

(あれ?)

男たちの姿は、もうない。

逃げ出していったよと後ろから涼しげな声が聞こえる。

「今は君の方が大事だ」

池の淵から白い腕を伸ばして、少女は不意に微笑んだ。

「全く無茶をするものだ、だが助かった、礼を言う」

「ええと」

「よもや水の中が好きだなどと言わんだろうな、風邪をひくぞ、早くこちらへ来い」

「うん」

何となく気まずい思いと共に泳ぎ、手を借りて天人は池から上がった。

意外に少女は力が強くて、天人を易く引き上げると、やれやれと肩をすくめる。

「本当にどうにかしてしまったな」

「あの人たちはどうしたの?」

「君が立てた物音に怖気づいたのだろう、騒動のおかげで間もなく人も来る、しかし使えん、まったく呆れる」

「何が?」

「君の方がよほど価値あるという話だよ」

ふわりと微笑む姿がまるで花のようで、天人は思わず赤面してしまう。

やっと本当に笑ってくれた。

助かった以上に、少女の笑顔が嬉しい。

不意に大勢の足音が聞こえて目を向けると、こちらへ向かい駆けて来る黒服の集団に気づいて、天人ひとり硬直する。

傍らで少女は冷ややかな眼差しを送っていた。

二人はあっという間に取り囲まれて、天人を気遣う黒服たちと、少女に何かしら話しかけている黒服たちによって、互いの間は分断された。

そのまま立ち上がり、黒服たちを引き連れて去ろうとする少女へ、天人は咄嗟に「ねえ!」と呼びかける。

「名前!」

振り返った少女の、銀の髪が揺れた。

「教えて!」

薄い唇に笑みが滲む。

「そうか、まだ名乗っていなかったな」

ホウツインヤマト。

「ヤマト?」

首を傾げる天人に、そうだと少女は答えた。

「俺は、白羽天人!」

「では天人、後ほど会おう」

踵を返した姿は、今度こそ振り返ることなく行ってしまう。

そして天人はやっと自分が傷だらけでびしょ濡れになっていることに気が付いた。

(さっきまで全然痛くなかったのに)

急に戻った感覚に、うずくまる天人を黒服の一人が抱き上げて、医務室まで運んでくれた。

そこに、医者と、そして父親が青ざめた姿で待っていた。

手当されている間、何が起きたのか、どうしたのかと、根掘り葉掘り聞く父に、疲労を堪えて懸命に話し、用が済んだ途端出ていく背中を天人はただ見送った。

今更寂しいと思わない。

そんな気持ちは随分前に無くしてしまった、今は、少女がどうなったかだけ気がかりで仕方ない。

(でも、父さん)

頑張ったんだよと、呟いた声は誰にも聞かれることなく消える。

それきり天人の意識は途切れた。

 

―――冷たい。

 

浮遊するような感覚と共に瞳を開くと、目の前が薄暗い。

まだ水の中なのかと瞬きを繰り返すうちに視界が開けて、燕尾服姿の子供が顔を覗き込んでいた。

「誰?」

「おや、薄情な奴だ、もう私を忘れたか」

あっと呟く天人に、ヤマトはわざとらしく「やれやれ」と肩を竦める。

「服装で人を判別しているのなら、改めた方がいい、非効率的だ」

「そうか、着物、やっぱり汚れたんだな」

「ああ」

「ゴメン」

やむを得ない事情があったとはいえ女の子の服を汚してしまうなんて、と、気に病み黙り込む天人に、ヤマトは投げやりな溜息を漏らした。

「不要だ、君のおかげで私は危地を逃れたのだ、服ごときを理由に腹を立てられる謂れが君にあるか」

「でも、似合ってたから」

「まったく」

不意にクスリと笑い、濃灰色の瞳が間近に近づいてくる。

「聡明かと思えば案外お惚けだな、天人、君は不思議だ、慎重かと思えば大胆、勇敢だが臆病でもある、非常に興味深いよ、君をもっと知りたい」

「九月十日生まれのB型、小学四年生、だよ」

「そういうことじゃない」

だがまあ、覚えておこうとまた笑う。

何度見てもヤマトの笑顔は綺麗で、天人は改めて見惚れた。

(そういえば、ヤマトって、なんだか男みたいな名前だ)

ねえ、と囁くような呟きに紛れて小さなあくびが漏れる。

まだ眠いのかと訊く声に、頷き返すと、そうっと髪を撫でられた。

「君はクセ毛だな、それで、何だ?」

「うん、ヤマトは、よくああいう事があるの?」

髪に指を絡めるような手の動きが止まる。

「何故?」

「あまり怖がっていないような気がしたから」

「フフ、なるほど、よく見ている」

大和の吐息が天人の睫を僅かに震わせる。

「そうだよ天人、あの程度、日常茶飯事だ、私は敵が多い、だからこうして狙われることも間々ある、しかし、ただそれだけのことだ、取り立てて騒ぐ必要も、相手をしてやる義理もない」

「イヤだね」

「面倒ではあるな」

「そうじゃなくて、敵が多いって、嫌だね」

僅かに歪められた口元が、言いかけた言葉を飲み込むように結ばれる。

天人はパシパシと瞬きを繰り返し、目を擦ってから、ヤマト、と名前を呼んだ。

「何だ」

「俺が、味方になるよ」

「何?」

―――我ながらとても良いアイディアだと興奮していた。

眠気からくる高揚だったのかもしれないが、ドキドキする胸を押し殺すように両手を握り締めて、ニコリとヤマトに微笑みかける。

「味方になる、俺が、ヤマトの味方になる、敵が多いなら、味方も多いほうがいいよ、だから、なる」

「正気か?」

コツンと額を弾かれて、起きてるよと頬を膨らませながら返した。

確かに眠いけれど、考えはまともだ。

むしろいつになく頭が働いている気がする。

たぶんヤマトと一緒にいるからだろうと天人は考えていた。

(不思議だな、何だか、何でもできそうな気がしてくるんだ、なんでだろうね、分からないけど、でも)

「そんな眠たげな様子で、熱弁を振るわれてもな」

笑った気配がまた額を弾いた。

やめてよと手で防いで、天人はもう一度「味方になるよ」と繰り返す。

「約束する、ヤマトが困っていたら、俺は絶対に助ける」

「そうか、心強い限りだが、君は何を以て契約と成す?私は口約束など信用せんぞ」

「ゆびきりしよう」

ゆびきり。

復唱した大和に、天人は片手の小指だけ立てて差し出した。

「こうして、お互いの小指同士を絡ませて、振りながら約束するんだ、ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのます、って」

「不履行時に針を千本も飲ませるのか、恐ろしい契約だな」

天人に向けられた眼差しが僅かに毒を孕む。

「いいのか?そんな誓いを軽々しく立てて」

「うん」

「先に言っておくが、私は有言実行を常としている、故に真実、君に針千本飲ませるぞ、その覚悟あっての上で私に誓うというのだな?」

「飲まないよ」

なに、と剣呑な様子を滲ませるヤマトに、天人はケラケラと声を立てて笑う。

「だって約束は破らない、だから、俺は針を千本も飲んだりしない、俺もね、ヤマト、一度した約束は絶対に守るって決めてるんだ、心配なんていらないよ」

笑うなと口を塞がれた。

その掌が離れると同時に、ヤマトの唇と触れ合って、濃灰色の瞳に呑み込まれる。

「では信じよう、天人、君の言葉を受け入れよう」

「うん」

「どうすればいい?」

やり方を教えて、互いに小指を結び合い、牧歌的な歌を唱えながらゆっくり上下に揺らす。

歌を知らないヤマトは無言で天人の動作を見守っていた。

ゆびきった、と、小指を解けば、その手がスルリと天人の頬を撫でて、再び唇が塞がれる。

二度、三度と繰り返すうちに、流石に耐え切れなくなって天人が顔を背けると、かすかな笑い声と共に名残惜しげな唇が、最後に一度だけ額に押し付けられた。

「何で、こんな事するの?」

体の芯に帯びた熱を持て余す天人の上目遣いを、ヤマトの眼差しが絡め取って「約束さ」と返す。

「私からも誓った、君に何かあれば必ず駆けつけて、あらゆる災厄から君を守ろう」

「そっか」

「感想は、それだけか」

「えっと、何て言えばいいの?」

おもむろにシャツの胸元に頬を摺り寄せて「ありがとう」と唱えれば、掌がスルリと天人の癖毛を撫で下ろした。

「私と君との出会いは必然、君は暗愚の群れに没するべきではない逸材だ、天人、それをいずれ私手ずから理解させてやろう」

「うん」

「―――まったく」

いよいよ押し寄せる眠気に抗えず、目を閉じた天人の体がフワリ途中に浮いた。

わけも分からず為すが侭にされていると、柔らかな上に横たえられて、瞼に暖かな感触を覚える。

「今は休みたまえ、君はよくやった」

まるで子守唄のように降る声が心地良い。

ようやく褒めてもらえたと、嬉しくてふやけた口元に、何かが押し当てられる。

僅かに吸い上げられた唇を軽く開くと、滑った先端が舌に絡みついて、水音と共に離れていった。

「私は、いつでも君を見ている」

時が満ちるその日まで。

軽く癖毛を梳かれた。

「約束だ、天人」

必ず守ってもらう―――

 

睡魔に連れ去られる直前の意識が捉えたのは、ゆっくりと立ち去っていく足音だった。

部屋を出た大和は何処かへと向かう。

スッと現れて傍らに従う姿に下知する様子は酷く楽しげで、子供らしからぬ企みの気配を漂わせていた。

その胸に宿った想いを知る者は、今はまだ―――いない。

 

糸車を手繰る女神の指先が二つの道を縁り合せた八年前。

運命は巡り始めた。

1人はまだ『自分』を知らない、可能性の子。

1人はまだ『世界』を知らない、因果の囚人。

傍観者はいずれ訪れる未来に思いを馳せる。

満ち往く想いの至る先に待ち受ける結末は如何なるものであろうか、と。

 

―――それは、神すら及ばない、運命という名の物語の始まり。

 

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