ジプス東京支局。
天井から射す光の正体は、自家発電による人工照明の灯だそうだ。
施設を丸ごと巨大な外殻で覆った完全独立機関、国内にあと五箇所、同じような場所が存在するらしい。
本局は大阪にあると大和手ずからの治療を受けつつ簡単に説明された。
前回訪れた時、通された部屋とは明らかに雰囲気の違う一室。
出入り口でまず大和は扉脇の装置に手を翳し、最初の扉はセンサーを覗き込んで、二枚目の扉は「私だ」と告げることで開錠していた。
これだけのセキュリティ、恐らくVIPルームに違いないと推察する。
天人にソファを勧めた大和は、備え付けの救急キットを取り出すと、隣に掛けて手際良く怪我の治療に取り掛かった。
「痛むか?」
問う声の気遣わしげな様子に若干の違和感を覚えながら、平気だよと答えて天人は笑う。
再会を喜ぶ半面、戸惑いを拭いきれない。
八年も交流の無かった相手に、こうも親しげに振る舞うものだろうか。
気安い性分でもない印象の大和は、天人がすっかり忘れていた約束まで律儀に覚えていた。
記憶力が良いだけかもしれないけれど、どちらにせよこちらとしては後ろめたさと相まって若干気後れしてしまう。
内心の葛藤を隠して周囲を伺いながら「この部屋は?」と尋ねる天人に、大和は軽く笑って「私の執務室だ」と事も無げに答える。
「機密を保持するため相応のセキュリティを施してある、基本私以外立ち入れん部屋だ、気兼ねなく過ごすといい」
「そんな場所に俺を入れていいの?」
「君ならばこそ、さ」
救急キットを片付けながら「味方なのだろう?」と問う声に、返す言葉もない。
子供時代の他愛ないやり取り程度の認識しかなかった自分と違って、大和は真実揺るぎない誓いとしてあの日の言葉を胸に刻んでいたのだろうか。
だとすれば、互いの見解の相違は偏に不幸でしかない。
今まさにゼロ距離の触れ合いを求められても素直に応じることのできない天人と、それでも構わず近づいてくる大和との間には、恐らく互いに意識する以上に大きな隔たりがある。
再び隣に腰かけて、親しげな眼差しを向ける大和に対して、天人は僅かな罪悪感と共に落ち着かない気分を持て余していた。
濃灰色の瞳がすうと眇められる。
「天人」
「うん」
「改めて説明しておこう、我々は気象庁所属の指定地磁気調査部、英訳の頭文字を訳してジプスと呼称される、古来より国家の霊的防衛の要を担う組織だ」
「国家組織なの?」
「そうだ」
「それって誰の話?」
「無論、私と、私の統括する組織の話だが、何故そのような事を尋ねる」
「だって、その、大和って幾つ?」
「君と変わらん」
「十八?」
「いいや、十七だな」
年下じゃないかと返す天人に、一年くらい見逃せ、と大和は苦笑した。
「国家組織に私のような歳若い者が君臨するのは奇妙か、だがまあ、おかげで君は恩恵にあやかれているのだから、感謝しろとまでは言わないが、受け入れて欲しいものだ」
「別に、今更常識非常識の話をするつもりはないよ」
もう十分に自分の認識は覆されてしまったのだからと暗に告げて、天人は小さく息を吐く。
大和は悪戯を仕掛けたような顔でクスリと笑った。
「ジプスは形式上国家組織を名乗っているが、指揮系統はその括りに囚われない、つまり、現在は私の指揮下において独自の活動を行っている」
「それは、悪魔とか、そういうこと?」
「流石に聡いな」
含むように笑う姿の、肩にかかる銀の髪がサラサラと揺れる。
「理解が早くて実に結構、まさにその通りさ、天人、霊的防衛とはすなわち物理的に処理しきれない案件、俗な言い方を借りるなら、悪魔、幽霊といった霊体に干渉可能な力を行使し、障害となるようであればこれを排除する、そうした特殊な任務を担う組織、それが我々ジプスなのだよ」
「じゃあ、俺の携帯にいつの間にかダウンロードされてた召喚アプリも」
「いや、君が所有するツールは、我々の用いるプログラムと似て非なるもの」
一瞬こわばった大和の表情を天人は見逃さなかった。
気安い笑顔と共に携帯電話を見せて欲しいと頼まれて、ためらいがちに差し出した機体を受け取ると、あちこち弄りながら召喚アプリの入手経緯を尋ねてくる。
分からないと素直に答えたら、そうかとやけに淡々とした声が返ってきた。
呆れられたのだろうか―――
しかし天人はすぐ懸念を捨てる。
大和はむしろ残念がっている様であり、恐らく召喚アプリに関する情報を天人から得たかったのだろう。
「有難う」と携帯電話を戻すと、美麗な微笑みと共にじっと天人を見つめる。
「よもや君がこうも易く悪魔を統べる技を使いこなすようになろうとは」
「大和も悪魔を喚べるんだよね?」
「ああ」
濃灰色の瞳が僅かに細くなる。
「だが修練なく扱える力ではない、君の得たツールは確かに異界への扉を易く開こう、しかし召喚の精度や対象の制御、魔力の具現化といった行為は全て個人のセンスが大いに影響する、つまりドゥベを下した戦果は紛れもない君の実力というわけさ」
「訓練なんてしてない、さっきも言ったけど、このアプリはいつの間にか勝手にインストールされていたんだ」
「遍く事象に連なる因果など常にそのようなものだよ」
「神の見えざる手って言いたいの?」
「随分と詩的な表現を好むな、まあ神などというものは概ね気まぐれで身勝手だ、無暗に信を置かぬよう」
「神頼みなんて柄じゃない」
「結構」
天人の髪をスルリと撫でる。
そのまま大和の腕に抱き寄せられた。
「聞け、天人」
戸惑う天人を見つめる眼差しには、どこか愉しんでいるような気配が滲んでいる。
「恐らく君は疑問に思っているのだろう、何故私が君を気に懸けるのか、と」
「約束したから」
「無論それもある、だがもっと明確な根拠を知りたいのだろう?子供時代の契約の履行を私ばかり言及しても無意味だからな、君にも理解してもらわねば」
なんだ、と、天人はポカンとしてしまう。
一方的かと思えば、妙なところで義理堅い。
(説明する気もあったんだ)
不意に大和が怪訝な表情を浮かべて、咳払いを一つした。
「天人」
指先がそっと天人の頬に触れる。
「かつて、私は孤独だった」
肌を緩やかに撫でられて、えも知れぬ気配に天人の全身が総毛だった。
落ち着かない。
―――妙に鼓動が早くなる。
「信頼する者も、私を理解する者もなく、恥すら知らない愚か者共の中で緩やかに朽ちていく絶望、君に分かるか?」
「いや」
「君だけだ」
夜明け前の空を思わせる大和の瞳。
「―――君だけが、私に光を見せてくれた」
底深く昏い灰色の奥で、今は分かりやすい感情が揺らめいている。
欲しい、欲しいと、声が聞こえてくるようで、堪らず視線を逸らそうとしても、大和の瞳は天人の瞳を捉えて逃さない。
「可能性を示し、私の期待に応えてくれた」
「そんな大げさな話かな」
「君のような人物を、他に知らない」
濃灰色の双眸に映る自分の姿を見つけて、天人は思わず喉を鳴らしていた。
峰津院大和に興味を抱き始めている。
彼のカリスマ性に呑まれているだけかもしれないが、少なくとも好意に偽りは無く、それが素直に嬉しい。
近過ぎる今の距離を受け入れてしまえるほどの親近感を覚えて大和を見つめれば、ふわりと微笑む姿に遠い昔を思い出す。
「あの日」
赤い晴れ着姿の少女は今、漆黒の衣服に身を包んだ端正な容貌の青年として、天人の傍らに寄り添い語る。
適温に保たれた室内で、時間の流れはどこか緩い。
「君が見せてくれた輝きは、今も私の胸に鮮烈に残っている」
「輝き?」
「守ると誓い、果たしただろう」
おぼろげな糸を手繰り寄せた先に浮かび上がった当時のヒロイックな自分に、天人は内心苦笑した。
ずぶ濡れでくたくたになっている姿を抱きしめて、父の代わりに「よくやった」と褒めてやりたい。
(ああ、そういえば、大和だけは分かってくれたんだっけ)
その後も具体的な内容までは把握していないけれど、大変だったという感覚だけ残っている。
だから忘れてしまったのかと、天人は不意に気が付いた。
「君をして私は人の可能性を知り、世界に希望を見出した、それは、私が何より望む未来でもある」
「抽象的だな、それにやっぱり大げさだよ」
「そんなことはない、事実、君はドゥベを下して、今また価値を示したじゃないか」
蘇る戦いの記憶に、怖れを呼び起こした体が僅かに震える。
肩を包む大和の腕が強く天人を抱いて、伝わる熱に安堵を覚えた。
「待ったぞ、天人」
子供時代の他愛ない思い出を大切にしていた純真さが、胸に暖かい。
「長かった」
「ごめん、約束忘れて」
「いいさ、思い出してくれたなら構わない」
近過ぎる距離にまだためらう天人の心中を見透かすように、大和は腕を緩めようとしない。
服越しに伝わり合う温度が互いに溶け合って、吐息が、鼓動が、こんなに近い。
「万物は必然により成り立っている」
耳元に囁かれて、再び肌が粟立った。
天人は肩をすくめて身を凝らせる。
「私と君の出会いは必定、故にいずれ戻ると確信していた」
「そうなの?」
「では君は、全てを偶然の一言で片づけてしまうのか、つれないな」
実際、大和が言うほどロマンティックな出来事は起きていない気がする。
保護を必要としていたけれど、対象がジプスだったわけではない。
それでも結果だけ見れば同じだろうかと天人は思う。
(こんなにも好意的なんだし、俺も素直に受け取っておくべきかも)
八年ぶりの邂逅に、偶然も必然も関係ない、ただ喜べばいい。
(それに、俺なんかたぶらかしたって、得することなんかないんだから)
大和が微かに笑った気がした。
「やはり君は、私が見込んだ通りの人物だったな、天人、嬉しいよ」
「そうかな」
ふむ、と呟き、天人を覗き込むように見つめる濃灰色の瞳が、不意に含みのある気配を滲ませる。
「天人」
「なに?」
「君に今一度訪ねたい、あの日の誓いは真実だろうか」
「誓い」
「君が私に語ってくれた言葉は、今も君の内に刻まれているだろうかと訊いている」
ゆびきりげんまん。
うそついたら―――
天人は態度と裏腹に切実な気配を大和に覚えつつ、間を置いて小さく息を吐いた。
「うん」
濃灰色の瞳がキラリと輝く。
「本当だよ、俺は、守れない約束はしないって決めてる」
「殊勝な心がけだな、信じていいのか、天人」
「いいよ」
するりと腕を解いて、大和が居住まいを正す。
真摯な眼差しを受けて思わず天人も背筋を伸ばすと、そっと手を握られた。
「私は裏切りを許さない、もし君が騙ったと知れたなら、真実針を千本呑ますぞ」
「うん、呑むよ、でも俺もウソは嫌いだから、きっとそんなことにならない」
「そうか」
もう片方の手が天人の頬を包むようにして触れる。
間を置かず唇を塞がれた。
啄むようにして繰り返した後、硬直している天人を、大和が恍惚と見つめる。
「これで、もう君は逃れられん―――決して私を裏切るなよ」
「そんなこと、しない、と、思う」
「そこははっきり無いと言え」
天人は口元を押さえて、大和を思い切りぐいと押し返した。
「そんなことより、なんで今キスしたんだ」
「何だ」
「キス、しただろ、なんで」
ふむ、と呟き、大和が腕組みする。
「誓いを立てる時に口付けを交わすのではなかったか?」
「け、結婚式じゃないんだから、何の知識だよ、それ」
「成程、そうか、上手い例えだな、参考にしよう」
「はぐらかすなよ!」
素知らぬ素振りで追及をかわす大和に、天人は深々と溜息を漏らす。
これからうまくやっていけるだろうか。
―――頑張らないとな。
不意に大地と維緒の姿が脳裏をよぎった。
大和の好意は嬉しいけれど、ただ甘んじているわけにもいかない。
生きるため、臆せず手を伸ばさなければ。
大和もただ懐かしい、約束したというだけで、天人を構うわけでもないのだろう。
(でも、それだけって訳でも、なさそうなんだけど)
さてと唱えて大和が立ち上がった。
「そろそろ休むべきだな、隣室は簡易の宿泊施設になっている、生憎一人用だが、我慢してくれ」
「まさか、同じベッドで眠る気?」
「ここは私の私室のようなものだ、天人、部屋の主を差し置いて、君は設備を独占するつもりなのか」
「そんなことしないけど」
「疲労困憊している君をソファで休ませるのは忍びない、まあ、君の寝相がどうあれ責めたりせんよ、安心して休むといい」
「寝相は悪くない」
ムッとする天人に、大和は声を立てて笑う。
「部屋はあちらだ、天人、携帯電話を出せ」
書架の間の扉を指し示した後で、大和は自身も手にした携帯電話を天人に向けた。
「何?」
「キーコードを送信する、専用キーとして持っていたまえ」
画面上に受信の表示が現れて、言葉通り鍵のアイコンが増えている。
開くと認証中のアナウンスから、アイコンの色がグレーから金へと変化した。
「ジプス関連施設内の扉であれば端末をかざすだけで開錠できる、君以外には扱えない仕様だ」
「いいの?」
「ああ、既に君には私と同等の権限をいくつか与えてある、信頼ゆえの判断だ、おかしな気を起してくれるなよ?」
「しないって言ってる」
いい加減しつこいと暗に告げた思いを汲んでか、大和は苦笑いして、そのままゆっくりと部屋の奥に見える重厚な机へと向かう。
数台のディスプレイが主の接近を感知して起動し、液晶の青白い光の中心に漆黒の姿は鎮座した。
「ゆっくり休め、天人、状況はまだ何も解決していない」
天人はびくりと肩を震わせる。
「君に、期待している」
「努力するよ」
ふふ、と、静かな笑い声が部屋に響いた。
天人は扉に向かい、携帯電話をかざすと、一般的にドアノブが付いている辺りに点っていたランプが赤から緑に変わり、自動でスライドして開く。
中は言葉通り、ベッドと簡易机、戸棚の類の置かれた、寝室のような作りになっていた。
扉が二枚あって、一つは手洗い、一つはシャワールームが備えてある。
「篭って仕事するための施設って事なのかな」
同年代の少年が、こんな設備を所持して、大人でも易く預かれない様な権限を有している。
改めて峰津院大和とはどういう人物なのだろうと思いを馳せつつ、天人はベッドに寝転がった。
途端、様々な記憶や思いが去来し、あっという間に意識を呑まれてしまう。
(大地と新田は、今どうしているんだろう)
ジプスが保護してくれているのだろうが、果たしてどのような扱いを受けているか、不安は無いけれど、気がかりではある
(食事とか、食べさせてくれたかな)
真琴の姿を思い出して、天人はホウッと息を吐いた。
彼女が一緒なら、多分問題ない。
(父さん、母さん)
おぼろげに浮かぶ両親の面影。
お台場方面には維緒の自宅もある、結局たどり着けなかったけれど、果たして被害はどれほどの範囲に及んでいるのか。
(国内だけで、済んでいるのかな)
ただの災害ならここまで不安にならずに済んだ。
悪魔―――そして、ドゥベ。
天人はギュウッと体を屈める。
込み上げてくる恐怖を懸命に振り払い、まだ大丈夫、と呟いた。
(生きるんだ)
半臓門線のホームで、ただのナビゲートキャラに過ぎない筈のティコから問われた、命の選択。
悪魔召喚アプリとは一体何なのか。
どうしてこんなことになってしまったのか。
(峰津院、大和)
不敵な微笑みを浮かべた、ジプスの主。
天人の意識は闇に呑まれていく。
緩やかに脱力した掌から携帯電話が転がり落ちる。
無音の室内で、天人は誰かの叫び声を聞いたような気がしていた。
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