「2005年度お誕生日ミッション・光Ver.」
指令内容「壬生をお持て成ししなさい※衣装指定」
「って、これは」
指令書の内容に従って、とある衣料品店で受け取ってきた紙袋の中身を見て、光は絶句する。
「本当に、これを着るのか?俺が?」
逡巡してガクリと肩を落とした。
うな垂れた後姿を、朋恵がふすまの陰からほくそ笑みながら見詰めていた。
壬生宅にて。
「やあ、よく来たね、光」
「誕生日おめでとう、紅葉」
ドアが開いて、開口一番の笑顔に、紅葉は満足げに微笑み返す。
それほど寒い季節でもないはずなのに、光は丈の長い黒のコートを着込んで、手には紙袋、それと。
(ストッキング?)
よく見ないと分からないけれど、とにかく素足ではないようだ。
靴を脱いで、家に上がると、紅葉が何事か言う前に「ちょっと洗面所かして」と行ってしまった。
目の前でパタンと閉じた浴室兼洗面所のドアを眺めながら、少し訝しく思う。
壬生は暫らく立ち尽くした後、紅茶を入れるためにキッチンへと向かった。
それから、十五分後。
カップを琥珀色の液体で満たして、光を待ち焦がれていた紅葉は、ドアの影から現れた姿に呆然とする。
「光?」
目の前に立っていたのは―――
「細かい事は、聞いてくれなくていいから」
黒のワンピースに、白いフリルのエプロン。
同じく白のフリル付きのカチューシャに、ウエストを黒いサテンのリボンで締めて、足元は黒の、やはりストッキング、俯いた表情は燃え上がりそうなほどに赤い。
「と、とにかく、今日はこの格好でご奉仕します、その」
ご主人、様。
微かな声を聞いた瞬間、紅葉は手元のカップを思い切り倒していた。
テーブルの上に景気よく広がった紅茶の海に、慌てて布巾を取りに行こうとすると、先に動いた光が戻って来て紅葉を覗き込む。
「だ、大丈夫か紅葉、じゃなくて、大丈夫ですか、ご主人様」
「君こそ大丈夫かい?」
「う」
光は慌ててテーブルの上を拭き始める。
その様子をなんともいえない気持ちで見詰めながら、紅葉の視線はやがて、彼の白く細い腕や、脇のライン、スカートを履いても何の違和感もない体全体に向けられていた。
光は、本人にその自覚は殆どないけれど、恐ろしく綺麗な人間だ。
普段は男の格好をしているし、身長も177センチメートルもあるから、とりあえず性別の判断はつく。
けれど、今、こうして女性の、しかもメイドの格好などしていると―――
(これだけ身長があるにもかかわらず、女性にしか見えないな)
例えるならモデル級の美女、といった所か。
それが、目の前でアワアワと慌てながら、頬など染めてテーブルを拭いている。
―――可愛い、と。
男なら当然の生理現象を、紅葉も例外でなく催していた。
胸も一応気持ちばかり膨らんでいるところを見ると、パットでも入れているのだろうか。
どういう心積もりなのかは知らないが、現状を見て、総合判断を述べれば、今、限りなく楽しい。
妙な興奮が沸き起こってくるのを感じる。
自分にこんなマニアックな趣味は無いはずなのだけれど、やはり光が、だからだろうか。
(まあ、細かい理由は聞かないで欲しいって、他ならぬ本人が言った事だからね)
紅葉はスッと腕を伸ばした。
掌を重ねると、光がビクリとして振り返る。
真面目な彼だから、この状況はきっと彼が提案したものじゃない。
とすると誰かに言われてしているのだろうけれど、それなら尚更、彼の精神は平常でないはずだ。
間違いなく、外見以上に相当恥ずかしいだろう。
後で提案者を探し出さなければねと胸中で呟いて、紅葉はニッコリ微笑みかけた。
「わかったよ」
「え?」
「光、お茶を淹れなおしてくれないか」
光はすぐに察したらしく、僅かに目を見開いて、それから赤い顔を少しだけうな垂れた。
「はい、ご、ご主人様」
「うん」
布巾をもって流しに戻る。
一挙一動を、紅葉は楽しそうに眺めている。
暫らくして、いい香りが漂ってきて、紅葉の分だけ紅茶を持った光が戻ってきた。
「どうぞ」
差し出して、傍に佇んでいるので、念の入った事だなと紅葉は少しだけ感心してしまった。
光の実家には手伝いの人間がたくさんいるから、給仕の仕事を多少理解しているのだろうか。
紅葉はわざと気にかけないそぶりで、そのまま紅茶を口に運んだ。
「ああ、美味しい」
「―――お口に合いまして、その、光栄です」
「光」
「はい」
「肩を揉んでくれるかな?」
「は、はい」
しなやかな両手が、ふわりと紅葉の肩に触れる。
ぎこちない動作で揉み解されながら、さて次は何を命じようかなと、考えをめぐらせていた。
最終的にはこのまま縺れ込むつもりだけれど、その前に色々と楽しませてもらわなければ。
せっかく、彼が恥を忍んで、捧げてくれた誕生日プレゼントなのだから。
紅葉は光の手を掴んだ。
「光、君の手は綺麗だね」
「え?あ、その、あ、ありがとう、ございます」
指先にキスを落とすと、困った声がご主人様と小さく聞こえた。
そのまま触れる感触を楽しんで、手放すと、気配が少しだけ後ろに下がる。
「光」
「は、はい」
「空のカップを片付けて」
「かしこまりました」
「それと、今日は僕の誕生日なんだが、知っているよね」
「―――存じております」
「材料はあるから、ケーキを焼いてくれないか?」
「はい、かしこまりました」
その、ご主人様、と、また小さな声が壬生を呼ぶ。
光はどうも「ご主人様」と呼ぶ行為に抵抗があるようだと、壬生は声に出さずに笑っていた。
まあ、運命そのものともいえる龍の星の定めを持った人間が、こうして他者に傅くのは違和感を伴う行為なのだろう。
そうでなくても彼は、一族の宝物として大切に育てられてきたお坊ちゃんなのだから。
「ケーキはいかがなものがよろしいですか?」
「君が考えてくれて構わない、僕の好みは知っているね?」
「存じております」
「なら、お任せするよ」
ただし。
紅葉は忘れずに、大切な言葉を付け足しておく。
「物足りなかったら、その分奉仕してもらうからね?」
「奉仕って」
「―――ご奉仕」
「ご、ご奉仕とは、如何なことなのですか?」
慌てて言い直す様子が可愛らしい。
振り返って、ニッコリと微笑みかける。
「メイドの務めは?」
「え」
「知らないのか?」
「あ、その」
「僕をもてなしてくれるつもりで、その格好をしてきたんだろう?」
「そうだけ―――や、そうです」
「仕方ないな、それじゃ、教えてあげるよ」
―――光は、なんとも嫌な予感を察知したような顔でこちらを見詰めていた。
怯えている様子を見ると、少し可哀相な気もしてしまう。
けれど、同じくらい興奮している事も確かだ。
紅葉の中で珍しく、欲望の炎が滾っていた。
普段一緒にいても陽だまりの中でまどろむような、そんな温かな想いしか沸き起こってこないというのに。
(僕もまだまだ、未熟だな)
そんな自身を僅かに苦笑いで横に追いやって、紅葉は今日一日を満喫しようと心に決めていた。
何といっても、光は可愛らしいし、まずありえないシチュエーションだから、堪能しつくさなければ損だ。
「メイドは主に仕えるもの、その主な仕事は、主の身の回りの世話」
「あ、ああ」
「はい、だろ?」
「あ、はい」
「うん、それで、世話って言うのは有象無象を問わず、全部のことなんだ」
「ぜ、全部って?」
紅葉は紅茶を一口飲み込む。
「全部って言うのは、全部だよ」
小首を傾げた光を、片手で呼んだ。
近づいてきた姿の、腕を掴んで更に引き寄せて、至近距離から僅かに金色に染まりかけている瞳を覗き込んで、まず見せる事のない意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「例えばこういう事も」
動揺して隙だらけの彼の後頭部に手をあてて、そのままぐいと近づけて唇を重ねた。
僅かにビクリと震えた体が、やがてそろそろと手を伸ばして紅葉の服を掴む。
暫らく唇を重ねて、ついでに口腔内の感触を舌先で楽しんだりして、ようやく離れると光の顔は真っ赤に染まっていた。
落ち着き無く瞬きを繰り返しているので、その仕草にまた微笑が浮かんでしまう。
僕なら、とうの昔に頭がおかしくなっているのだろう。
光と出逢って以来、彼の全てが愛しくて堪らない。
こんな馬鹿げた事を真面目に受け止めて実践しようとするその律儀な所も、真に受ける世間知らずな所も、全部が全部、僕にとっての強力すぎる媚薬であり、麻薬だ。
「メイドの仕事だ」
「ほ、本当なのか?」
「ですか、光はまず言葉遣いからかな」
「あ、ご、ごめ、いや、申し訳ありません」
「今度間違えたら、お仕置きするからね」
「お、しおき?」
最後に慌ててですかを付け足すので、紅葉は再び笑っていた。
「そう、お仕置き、だよ」
「それは、一体」
「キス以上のことかな、キスだけで逃がしてあげるのは、今回だけだからね」
一つ間を置いて、それこそドカンと音がしそうなほどに赤くなりながら、光は台所へ小走りで逃げていった。
メイドの仕事も、ご奉仕の意味も、お仕置きのことも、さっきのキスと今の一言で察しがついたらしい。
あたふたする様子が実に可愛いと、テーブルに頬杖をつきながら、紅葉は瞳を細くして見つめていた。
「可愛いメイドさんだね」
こちらを向いていた背中が、ビクリと肩を震わせる。
紅葉はたまらなくて、クスクスと声に出して笑っていた部屋を満たす甘い雰囲気と、漂い始めたバニラエッセンスやクリームの香りに、彼だけが今日が間違いなく楽しい誕生日になるであろう事を強く予感していた
ミッション結果:半ば成功、ミッションハーフコンプリート?