「To you」
携帯電話にメッセージが入っていたのが昨夜11時頃。
それから約13時間、君と会うことが待ち遠しくて、夢にまで現れたというのに。
駅前に佇んでいた壬生紅葉は、携帯電話の着信音に気付いて通話ボタンを押した。
電話口から聞こえてくる声色すら愛しい、大切な彼からの、それはつれない内容だった。
「紅葉?もう駅にいるんだよねえ」
「ああ、君はまだ来ていないみたいだけれど、今どこだい?」
さりげない皮肉に声は笑う。
「ごめん、ちょっと立て込んでて、もうちょっと待たせそうなんだ」
先に誘っておいて、立て込んでいるとはどういう了見だ。
そういう予定の有無も含めての待ち合わせ時間じゃないのか?
喉まででかかったそれらの言葉をぐっと飲み込んで、かわりに紅葉は溜息を吐いた。
「それで、後どれくらい僕は待てばいい?」
「あ・・・うん、えっと、その」
口調が急にしどろもどろになったので、嫌な予感が胸をよぎる。
「ごめん、一時間か、もうちょっとくらいどこかで時間を潰してもらえるとありがたいんだけど」
もう一度聞こえてきた溜息に、電話の向こうの光はすっかり困窮しているようだった。
「ご、ごめん、本当にごめんなさい、なるべく急ぐから・・・」
いいよ、と答えると、慌てた声が間髪入れずに返ってくる。
「悪いと思うけど、頼むから帰らないで、絶対急ぐから!すぐまた電話するから!」
その様があまりに必死なので、仕方ないなと紅葉は内心苦笑を洩らしていた。
これも惚れた弱みというやつだ。
普段なら間違いなく反故にするだろう約束を、不承不承に頷きながら、電話を切ってもう一度溜息を吐く。
さて、どうしたものだろうか。
時間を潰すだけなら如何様にでもなる。本屋でなにかめぼしい書籍を漁るのもいいし、最近の陽気にあったコートを新調するのもいいだろう。そういえばそろそろ袖の短いシャツが欲しいと思っていたことだし、それを探しに行くのもいい。靴を見るのもいいだろう。
問題はそんなことでは無い。
(待ち時間は一時間程度で済むんだろうか・・・?)
紅葉の心配は、むしろそちらにあった。
光は、大体の時間遅れる事がない。
いつも待ち時間の5分前には到着しているタイプの人間だ。
その彼が、どのくらいかかるか分からないような曖昧な表現をしていた事がひっかかっていた。
当人に時間の目測がつかないということは、彼個人の事情ではなく何か要因があっての遅刻だろう。
引きとどめている「何か」が原因なら、彼に非は無いけれど、そのかわり彼の頑張りでどうにかなることでもない。それならば、最悪約束自体をキャンセルされる可能性だって十分にありうる。
つまりが、ここで待っている事自体、無駄になるかもしれないということだった。
光は真面目だから、これ以上待たせられないと判断すれば断りの電話をよこすだろう。
散々時間を潰した結果、結局待ち合わせが流れたらそれこそ時間の無駄だし、何より光に会えなくなるというのが辛い。昨日電話を貰ってからずっと心待ちにしていたのだから、その分ガクンと落ち込むだろう。
そんな姿が想像できて、不安になりかける自分を軽く叱責する。
「待って欲しいって、頼まれたんだろう?」
彼以外の頼みなら、こんなこと引き受けたりしない。
光だからこそ待つ。いや、待っていたい。
紅葉は携帯をバックに入れて、とりあえず駅のショッピングモールで暇を持て余す事にした。
それから、そろそろ二時間近く。
面白そうな単行本を買った。新しいコートは次の機会にまわすことにした。手触りのいい七部袖のシャツを買い、新しい革靴を買った。コーヒー専門店で美味しいブルマンも飲んだ。光に似合いそうな帽子を見つけて、悩んだ末彼は平素帽子などかぶらない事を思い出してやめにした。その代わり靴下を買ってプレゼント用のラッピングをしてもらった。
電話は、まだ、こない。
ショッピングモールの脇に設けられた椅子に腰掛けながら、買い込んだ荷物を傍らに置いて、紅葉はぼんやりとマン・ウォッチングをする。
誰も忙しそうに行き交っていて、何らかの目的のために時間を惜しんでいるようだった。
僕は何をしているのだろう。
一時間ほどして、電話がなくて、ああやっぱりと思った地点で帰ればよかったのだろうか。
それでも、その直後に申し訳なさそうな顔をした光がここへ来て、あちこち自分を探して歩くのかと思うと、どうしてもこの場を立ち去る事が出来なかった。
あと少し、あと十分だけ、あと二十分だけと思っているうちにもう一時間経って、更に秒針は時を刻み続けている。
光は、多分今日はこられなくなったのだろう。
それならばどうして電話の一つもくれないのかと思うが、それすら出来ないほど忙しいのかもしれない。
忘れられているとは・・・考えたくなかった。
思いの分量はいつだってこちらの方が少しだけ重い。それが苦痛だと思ったことは無いけれど、目方は同量より少し上くらいであると信じていたかった。
携帯電話を取り出して、連絡してみようかと思い、何となくそれを元に戻す。
まあ、いいか、という言葉が脳裏をよぎった。
荷物の持ち手を掴み寄せて、億劫気に立ち上がりながら、それでもまだ迷いが生じる自分に少しだけ苦笑が漏れた。
帰るか。
重い足を踏み出そうとした、まさにその時。
「紅葉!」
途端、はじかれたように顔を上げた自分に少しだけ赤面する。
道の向こうから駆けてくるのは間違いなく光だった。
どれだけ人がいても、どんなに距離が離れていても、彼を見つけられないわけがない。
すぐ側まで来て、紅潮した頬で息を整える姿に、自然と微笑んでしまいそうだった。その筋肉をぐっと引き締めて、紅葉は彼を睨みつけた。冷たい声で事情を尋ねる。
「確か約束は12時と聞いた気がするのだけれど」
「ご、ごめん、本当にごめんなさい!」
光は涙目だった。
多分本当に心配して、心の底から申し訳ないと思っているのだろう。正直な彼はいつでも感情が表面に現れてしまう。意図する所かどうかは別として。
それが分かるからこそ、内心では半分ほど許していた。
それでも遅刻は遅刻。きちんと咎めなければ、今後もまた同じような気を揉ませられるかもしれない。
「僕も、それほど暇な身じゃないんだよ?」
「はい、わかってます」
「電話するって言ったよね、どうして連絡がなかったのかな?」
「そ、それは」
「忘れていたとは言わせないよ?」
光の表情が全てを物語っていた。
やっぱりそうだったのかという脱力感が、今更ながらに紅葉を襲う。
「ごめんなさい!」
光は深々と頭を下げた。
「わかっていたつもりだったんだけど、急いで準備しなきゃって、そのことで頭がいっぱいになってて、気づいたら凄い時間が経ってて、だから」
「準備って、君、出かける準備を?」
一気に怪訝な表情をする紅葉に、光は慌てて手を前で振った。
「違う違う、そうじゃなくて、その」
もう片方の手に握っていたものを差し出してくる。
それは、半分崩れた花束だった。
多分最初はちゃんとした形をしていたのだろう、それが、走って来る間に崩れたに違いない。
しおしおの花に今更気付いたようで、光はいきなりシュンと落ち込んだ顔をした。
それでも何とか気を取り直して、苦し紛れのような笑顔を浮かべる。
「こんな、こんな風になって、ごめん」
紅葉は分けがわからない気持ちで花束と光を交互に見つめていた。
「本当はもっと大喜びさせたかったんだ、でも俺がうっかりしてたから、結局花束もボロボロだし、紅葉も散々待たせたし」
「これは、一体?」
「うん」
光の頬にほんのり朱が射す。
「誕生日おめでとう、紅葉」
一瞬何を言われたのかよくわからなかったので、紅葉はきょとんとしていた。
誕生日?誰の?そういえば今日は何月何日だったか・・・?
「今日は、紅葉に贈り物を用意したんだ」
「贈り物?」
「家にパーティーの準備してきた、紅葉は和菓子大丈夫だよな?」
ぼんやりしたままうんと答える。
光は微笑んだ。
「よかった、色々作ったんだ、料理は和食、俺、和食が一番得意だから、頑張って懐石っぽいのを作ってみた」
「僕のために?」
確認を取ると、目の前の笑顔がますます深くなった。光は嬉しそうに大きく頷いて答えた。
「もちろん!」
紅葉は言葉も無かった。
自分ですら忘れていたというのに、光はちゃんと覚えていてくれたのか。
だから仕度をして、でも、予定に手違いがあったのだろう、想像以上に時間がかかって、だから僕は散々待たされて。
しっかりしているようで、案外間が抜けていて、でもそれも魅力の一つで……
光ははっとしたように真顔に戻ると、すぐまた申し訳なさそうに視線を落とした。
その様子がしおたれた犬のようで、気付けばさっきまでの気分はすっかり消えて無くなっていた。
紅葉は大きく溜息を吐いた。
思えば彼に会ってから溜息を吐くような事ばかりだ。
振り回されているのだと思う。けれど、過去、他人にそこまで深入りを許すような事はなかった。
変われたのは僕のせいか、君のせいか、分からないけれど、今は昔より色々なものがこの手の中にある。
その中の一つ、一番大切な宝物の頭にポンと手を置くと、柔らかな黒髪が掌にくすぐったい。
「光」
隙間から窺うような金茶の瞳が見上げてきた。
「随分待ったよ、もう帰ろうかと思っていたくらいにね」
「ごめんなさい」
「そもそも君の計画の主賓だったらしいじゃないか、僕が帰っていたら、今頃君はどうしていた?」
「ごめんなさい、本当にゴメン」
「しかも電話は忘れていたし」
「ごめんなさい」
「約束から二時間以上も過ぎているし」
「ごめんなさい」
紅葉はそこで言葉を切った。
一息吐いて瞳を細める。
「・・・ちゃんと、責任とってくれるんだろうね?」
「え」
「祝宴が設けてあるんだろう?僕のために」
途端、光があんまりにも可愛らしい表情をしたので、今すぐ口づけしたい衝動に襲われた。
けれど辺りには人目もあることだし、精神力を総動員させてひとまずぐっと我慢する。
差し出されたままの花束に触れると、それは自然に手渡された。
預かって覗き込んだ彩の中で、花弁の大きな桃色の花が特に目立つようだった。
「綺麗だね」
呟くと、目の前の彼が優しく微笑む。
「大きくて桃色の花はアルストロメリア、南米産の四季咲きの花だよ」
「随分詳しいな」
勉強したんだと答えて、光の瞳にイタズラっぽい色が揺れた。
「4月9日の誕生花」
告げられた言葉に、改めて驚き、そして、紅葉はようやく笑ったのだった。
まったく、僕は本当に振り回されてばかりいるな。
さっきまであんなにしょぼくれていたっていうのに、それがもう昔の事のようじゃないか。
そして多分、いや、きっと明日にはそうなってしまうのだろう。君がかける魔法の一つ一つが、僕の思い出を甘やかに塗り替えてしまうのだから。
らしくもなく馬鹿げた考えなど浮かべて、自分は今間違いなく恋に溺れているというのに、それが全く不快でないものだから正直困ってしまう。
そろそろ我慢も限界だったので、紅葉は光の肩を軽く叩いて言った。
「料理が冷めてしまうよ、早く、家に帰ろう」
それ以上に、この身の内から押し寄せる熱の抑制が効くうちに。
贈り物の多くは物質であるのだろうけど、その中でも一番嬉しいものは手に触れることも、見ることもできないもので出来ている。
でもそれは確実に今、ここにある。
目の前で、笑って頷く君の姿こそが、僕にとっての喜び。
だから、人目を忍んで手をつなぐくらいは許してもらいたい。
指先を絡めると、光はちょっと驚いた後で恥らうように笑った。
「誕生日だからな、特別」
その言葉を聞いて、ならば今日はその権利を最大限に利用してやろうと、紅葉は微笑みながら思うのだった。
季節は春、桜の頃。
誕生日を迎える、君に乾杯。
(完)