NO-Title12

 

 暗い。

見渡す限り黒一色で塗りたくったみたいだ。

ここに確かに僕はいるのに、誰もいないような気がする。今考えているのも僕では無いような気がする。

体も、確かにあるのによくわからない。

立っているはずだけど、本当は座っているのかもしれない。

僕は直立して、僅かに差し出した両手を見ている。

両手のあるはずの闇を見ている。

指の感触はどことなくおぼろげで、擦り合わせてみると僅かにヌルついている。

これは、赤い。

これは、血だ。

手だけじゃない、体のあちこち、服を着ているのかもしれないし、そうでないのかもしれない全身に同じような感触がある。

僕は血まみれで、闇の中に、ただ一人きりで立っていた。

何も見えないし聞こえない。

ただ瞳が捉える闇と、吸い込んだ肺いっぱいに広がる鉄錆の匂い。血の匂い。

前髪が視界にかぶさっている気がするけれど、定かじゃない。

手のヌルヌルした感触と、ほとんどない僕自身の息遣い、機械仕掛けのように単調な心臓の音だけが闇にある。

これじゃあ僕じゃなくても、僕がいなくても、どちらでもそう変わりは無い。

今こうして考えて認識している分、これは僕なのかもしれないけれど、違うかもしれない。

よくわからなかった。

ただ、ひどく角ばった四角い箱が、胸の中に埋め込まれてしまったようだった。

暗い。

闇の中で動いたって無駄だ、それも、どちらでもそう変わりないのだから。

暗い。

暗くて、深くて、何もない。

どこへも行けない。

感じているものは全ておぼろげで、真実味なんてどこにもない。

だれも、こない。

 

そう思っていたのに。

 

「っう?!

一瞬だけキラリと光った、その途端、心臓がドクンと跳ねた。

僕は今見えたものが幻ではなかったと思って、夢中になって意識を集中させる。

また光った。

鼓動が跳ねる。

やがて、そこからうっすらと、しかし確実に、輝く何かが溢れてくる。

霞みたいな光は中央に何か出てきた途端、目を開けられないほど強くなった。

これが光の原因なのか?

何かは、手だった。

光の中から僕に向けてするりと伸びる。

もう一本、するすると伸びてきて、やがて頭が見えた。

僕は目を開けていられなくて、手をかざすとそこはやはり赤い血にまみれていた。

ああ、という失望は一瞬だけ、それ以上に強い光が僕の目や、口や、体中に差し込んでくる。

かざした手の裏から必死になって見つめていると、やがて彼の顔が見えた。

優しげな瞳、整った鼻梁、僅かに微笑むような口元と、柔らかな髪、穏やかな表情。

見間違える事なんてありえない。

僕は眩しいのも忘れて、血塗られた手を思わずそちらへ伸ばす。

唇が、久しく忘れていた声を上げた。

「光・・・」

口に出してみると、それは泣いているような響きを伴っていた。

僕の伸ばした手を捕まえるように、光が光の中からどんどん姿を見せる。

「紅葉」

それと一緒に、僕の体を覆っていた闇がどんどん消えていく。

肩から腰、そして、片足を踏み出して、僕へ近づいてくる光はもう全身が見えていた。

僕の周囲に闇は無い。

ただ足元に、そして背後に、長い影ができているだけ。闇はそこに追いやられて、それでも消えずに僕と共にあった。

「紅葉」

無邪気に伸びてきた手を捕まえようとして、僕は僅かにためらう。

彼の手を捕らえようとする僕の手は、血で赤く汚れていたから。

赤黒く、誰かの命を奪った証がここにある。

こんな醜い、穢れた手でふれようとする彼の手は、眩く神聖な光に満ちていた。

この手を汚していいのか?

僕の、くだらない感情で、彼を捉えてしまっていいのだろうか。

そう思うと急に怖くなって、触れられなくなってしまった。

彼の周りには光が満ちている。

これは彼からあふれ出すもので、彼を愛するみんなのものだ。

でも、僕が触れたら、彼はきっと穢れる。

そうなれば、この光も失われてしまうかもしれない。彼はその事を嘆くかもしれない。

恐れていると、光が笑った。

いつものような優しい、包み込むような穏やかな笑顔で。

ためらう僕の手を、少し強引に捕まえて引き寄せる。

「あ、いけない」

慌てて放そうとしたけれど、光の指は僕の手をがっちり掴んで放そうとしない。

つながれた部分は、同じように血の色に染まっていた。

「紅葉、いいんだ」

え、と見ると、光が笑う。

「いいんだ、俺、そんなこと気にしない、紅葉が汚れているなら、俺だって汚れてやる」

「なにを、言っているんだ」

「俺はそんなこと気にしない」

そうして更に伸びてきた両腕が、僕の体ごと抱きしめてしまう。

光は光り輝く姿のまま、血まみれの僕の胸に額を押し当てる。彼の体のあちこちに、汚い血のしみができるのが見えた。

「光」

衝撃に困惑したまま固まる僕に、顔を上げた光は真剣な瞳で僕を見つめる。

「それより、紅葉に触れられない事の方がよっぽど辛い」

光が泣いているように見えて、僕は更に慌ててしまう。

「血まみれだって構わない、汚くても、ボロボロでも、なんでもいい、紅葉なら、何でもいいんだ、俺は、紅葉が好きだから、一緒にいたい、ずっとこうしていたい」

「光・・・」

そんな彼が愛しくて、それでもやはりまだ迷ってしまう僕に光が言った。

「紅葉にとって、それは、迷惑?」

言葉で答えるより早く、僕の両腕がしっかりと彼を抱きしめていた。

気付けば、泣いているのは僕のほうだった。

泣きながら、それでも捕らえた輝きを手放したくなくて、温もりを必死に胸に押し当てて思いを吐き出す。

「迷惑なんかじゃ、ない」

「紅葉」

「迷惑なんかじゃ、僕は、僕の方こそ、君が必要なんだ」

その時背中をポンポンと叩かれて、優しい声が耳元で囁いた。

「それじゃ、俺は紅葉のものだよ」

ドクンと鳴った鼓動の音に、気付いた様子でクスリと笑って

「これは俺の望みでもあるんだ、そして紅葉は俺のもの、いいよね?」

僕は深く頷いた。

そしてまたきつく彼を抱く。

きつく、強く、一つに混ざり合ってしまうほど、深く。

「光・・・」

 

と、そこで小さく「苦しいよ」と聞こえたので、ふと開いた視界にはシーツ越しに部屋の景色が見えた。

視線を下げると柔らかな黒髪が見えて、声に応じて反射的に力を緩めた腕の中にいるのが光だと気づくのに少しだけ時間がかかる。

「紅葉、朝から大胆だなあ」

顔を上げてくすくすと笑う姿に赤面してしまう。

僕と光は一緒に寝ていて、僕は抱き癖もないのに隣にいる彼の体を無意識に抱き寄せていたらしい。

もう秋も終わり頃だし、いくら布団の中とはいえ裸は少し寒いから、多分手ごろな温もりを求めての行為だろう。

そう分析して、光は笑っていた。

笑い声の屈託のなさと、今見た夢の都合のよさに我ながらあきれ返って、それでもやっぱり僕も少しだけ笑ってしまった。

「ごめん、痛かったかな?」

聞かれた光は平気と答えてから、気持ちよかったと小さな声で付け足す。

「暖かかった?」

今度は僕がうんと答える。

「なら、いいや、俺も暖かかったから、問題なし」

そう言ってまたギュッと抱きついてくるので、まだ夢の続きを見ているようだった。

幸福な時間が僕をうぬぼれさせようとしている。

そのせいで、君が傷つくようなことだけは絶対にあってはいけない。

(今日の夢はその教訓か)

思って、君が隣にいる幸福に少しだけ気を引き締める事を、僕はこっそり僕自身に誓う。

それでもぬくもりはやっぱり愛しさが溢れてくるようなので、気付けば彼の耳元に囁いていた。

「光」

「なに?」

「・・・少しなら、うぬぼれてもいいかな?」

光はクスリと笑って答えてくれた。

「いいよ、思い切りうぬぼれたっていいよ」

「それじゃ君に悪い」

また笑い声が聞こえる。

「なあ、じゃあ、俺もうぬぼれたら、おあいこだよな」

予想外の提案に少しだけ驚いて、僕は笑って答えていた。

「そうだね・・・うん、そうだ」

うぬぼれてくれるなら好きなだけうぬぼれたっていい。

僕もうぬぼれるから。

君も、僕の夢を見てくれているといい。

 

ひかりの中にいる君の見る夢の、僕が少しでもやさしい顔をしていると、いい。

 

(完)