「NO-Title14」
暮れなずむ校舎を後にして、校門に差し掛かった紅葉の目の前に突然人影が飛び出してくる。
驚くまもなく「あの!」という大声と一緒に、差し出された一通の封書。
何事かと見ていると、受け取ってくださいと小声で付け足された。
「お願いします」
見るところ刺客や害意ある存在というわけでもなさそうだ。
目の前の少女は硬直して、肩などは小刻みに震えているようだ。怯えているような、何かを堪えているような、そんな具合に見えた。
紅葉は少し考えて、彼女の手から封筒を何気なく引き取った。
途端、顔を上げて、こちらを見つめる輝いた瞳が誰かのものと重なる。
「よ、読んでください・・・失礼しました!」
そのまま踵を返して、全速力で去っていく後姿と封筒を見比べていた。
こんな事、自分らしくない。
以前の僕なら間違いなく、彼女を無視しただろう。
この封筒にどんな意味があるのかよくわからないが、それはともかくあの時彼女を少しだけ同情していたことは確かだ。必死の様子で手紙を差し出してきた少女。それを受け取った僕。
以前は知らなかった、そんなものすらなかった、妙に温かで柔らかい感情が芽生えつつある。
(それはやはり、光のおかげなんだろうか)
疑う余地は無いようだった。
人を愛する事で、自分が変われるのならば、それも悪くないと思えることに驚いていた。
裏、表と見返して、封筒を鞄の中にしまおうとした時、背後から呼ぶ声がする。
「紅葉」
今度は聞き覚えのある声だった。
驚いて振り返ると、少し離れた場所に光が立っていた。
「光」
呼びかけると彼は妙な具合に笑い返す。それが僅かに引っかった。
「どうしたんだ、こんな所まで来て・・・」
「ん、あー、いや、夕飯でも一緒にどうかなと思ってさ」
歯切れも悪い。
いぶかしんで顔をしかめる紅葉に、光は困ったように眉を寄せる。
「どうしたの?」
「それは、僕の台詞だ」
初めから様子がおかしかったのは君の方じゃないか。
暗になじると、光は俯き加減に口を閉じてしまった。
「あの、さ」
少しだけ間を置いて、唇が動く。
「さっきの」
「何?」
「さっきの、あれ、さ」
あれ、と聞き返そうとして、手紙の事を言われているのだと気付いた。
件の封書は鞄の中にしまわず、まだ紅葉の片手に持ったままだった。
「これのことかい?」
見せると、光はコクンと頷いた。
「紅葉、やっぱモテルのな」
「え」
「まあ、男の俺から見ても格好いいし、それも当然か」
急に顔を上げてアハハと笑って見せるので、紅葉は益々困惑していた。
そうして気付いてしまう。
彼の笑顔が、無理に作られたものであることに。
光のことならいつだって、一挙一動見逃さないように細心の注意を払っているのだから間違いない。
様子に混じるかすかな影に、紅葉は改めて彼を見詰めていた。
「何か、気に食わないことでもあるのかい」
何となくそんな気がして尋ねると、光は顔を真っ赤に染めた。
「は?何言って」
「それは、もしかしてこれのせいなのかな?」
封筒を振りつつ金茶の瞳を覗き込むと、慌てて視線をそらされる。
それで、確信した。
紅葉はなんともいえない気分で光を見ていた。
この場合、どういう言葉が一番妥当なんだろうか。
手紙に非は無いし、中の文章などはっきり言って興味の対象外だ。
けれど僕がこれを受け取った事で君がなぜか不機嫌になっている。
(それなら)
考えて、最善と思われる決断をした。
「光」
ばつの悪そうな視線がこちらを向いたのを確認して、紅葉は手紙を両手の指でつまむ。
そして
「あっ」
光の目の前で、それを細かく破いて捨てた。
「く、紅葉?!」
今度はひどく狼狽した様子で、非難がましい瞳が紅葉を凝視した。
紅葉はますます困惑していた。
「どうしてこんなこと」
「どうして?」
言われて思わず繰り返す。
どうして?そんなことこちらが聞きたい、どうしてこんな手紙一つに、そんなに気を乱されるんだ。
君は一体何を不安がっている?
僕の何を疑っているんだ?
突然猛烈に腹立たしくて、紅葉は押し黙ったままくるりと背を向けた。
そして光を放ったらかしにしてどんどん先に行ってしまう。
「く、紅葉!」
慌てた声が背後から追いかけてきた。
無視して歩き続けていると、隣から心配そうに光が覗き込んでくる。
「紅葉、紅葉ってば!」
返事は無い。
「紅葉、ごめん、俺、馬鹿だった」
紅葉は無視を続けている。
「勝手に怒ったり、機嫌悪くなったりして、ごめん」
ふと足が止まった。
振り返った紅葉は、僅かに困り顔で光を見ていた。
「・・・わからない」
「紅葉」
「僕にはわからないことが多すぎる、君の事も、僕自身のこともよくわからない」
夕日に染まる光の綺麗な金色の瞳を見ていると、胸の奥からこみ上げる感情が熱くてもどかしい。
この気持ちをなんといえばいいのか。
君が不安がったり、怒ったり、それは全て僕に直結しているというのに、そして訳も分からず腹が立った原因は一体なんだったのか。
無意識に伸びた手が、光の頬に触れていた。
柔らかくて滑らかな感触。
指先からいとおしさが全身に染み渡っていくようだ。
そうするといつでも色々な事が受け入れられそうな気持ちになってしまって、今もそれは例外でなかった。
光の手が、触れたままの紅葉の手にそっと重なった。
「ごめん」
長いまつげを伏せる。
「全部俺のせいだ、紅葉が怒ったのも、あの子の手紙があんな事になったのも、俺がバカみたいにヤキモチ焼いたからなんだよな」
「ヤキモチ?」
唖然とする紅葉に、光は再びばつの悪そうな笑みを浮かべて頭を掻いた。
「うん、みたい」
そうだったのかと思うついでに、どうして自分が腹を立てたのか理解して紅葉は苦笑していた。
本当にバカらしい、こんなつまらない茶番まで演じてしまうほどに、僕らは恋をしている。
頬から放した手で光の頭を軽く叩いて、やれやれと溜息をこぼした。
「まったく」
本当に、君には振り回されっぱなしだよ。
「今日は貸しだよ、光」
光は今度こそいつもと同じ笑顔でわらう。
「夕飯おごりでチャラになるかな?」
「デザートもつけてくれたら、それで納得してあげるよ」
「デザート?」
紅葉、甘いもの好きだっけ?と聞き返してくる彼の耳元で所望の品を囁くと、途端に光は真っ赤になって紅葉を睨み上げてきた。
「ば、バカ、何言ってんだ」
「僕はそれ以外、認めない」
「ななな、なんだ、それっ」
あたふたする姿が可愛らしくて、やっぱり参ったなあと胸の奥で呟いていた。
あの封筒がよくある例の内容だったとしても、やはり僕は捨てただろう。
彼女には悪いけれど。
いつも、今だって、これからだって、僕には唯一人の人しか見えていないのだから。
「なら僕も許さない、今日はこのまま帰らせてもらう」
冗談めかして言うと、光は本気で困ったように眉を寄せていた。
「嫌かい?」
「・・・嫌では、ないけど」
「なら、決まりだね」
「ちょ、だからちょっと待ってくれってば!」
和む帰り道も、全部君がくれたもの。
二人で歩く道のりは、綺麗なオレンジ色で輝くようだった。
(完)