「NO-Title2」
立春を迎えても風はまだ冷たい。
冬より今頃雪が降る事の方が多くて、今日もそんな朝だった。
目が覚めて、寒くて、ヒーターをつけていても気休め程度にしかならなくて、隣で眠る体を腕の中に抱きしめて暖を取る。
光は小さく丸くなっていて、抱き寄せると不満げに鼻を鳴らしながら顔を上げた。
「寒い」
紅葉の呟く声に、無造作に伸ばされた腕がギュッと抱き返してくる。
胸元に顔をうずめて、小さく息を吐く体はとても温かかった。
彼自身がいつも気にしていること。体温が人並み以上に高いこと。
子供体温で恥ずかしいと彼はいつも照れるけど、こうして寒くて抱き合う時には非常に心地よいアンカ代わりになる。
鼻先をくすぐる柔らかな黒髪に顔をこすり付けるようにすると、クスクスと笑い声が聞こえた。
「光」
「何?」
「シャンプーのにおいがする」
「うん」
「僕と同じ匂いだ」
エヘヘと笑った指先がシャツの背中を握る。
「寒いね」
「そうだね」
このままずっとくっついていたいような、そんな気持ち。
でもしばらくすると本格的に目が覚めてきて、仕方なく紅葉は体を起こした。
光は眠そうに目をこすっていたけれど、結局つられて起き上がる。
起きる前に何度もシーツの上で伸びをしていたせいで、やっと半身だけ起きた頃にはベランダに出るサッシの前に立った紅葉がカーテンを少し開いて外を見ていた。
「光、来てごらん」
朝の陽に照らされた彼が振り返ったので、光はベッドから足を下ろした。
フローリングの床が素足に非常に冷たい。
ヒャッと声を洩らして、それから見上げると目が会った途端に笑われて、照れながら隣に立った。
「ほら」
「うわあ」
やっぱり。案の定歓声を上げる彼に、紅葉はまた少しだけ笑ってしまう。
ベランダの外に広がる街は、一面の銀世界。
屋根も、路地も、車の天井や、塀の上、木の上、ガラスの淵、ベランダの上、どこもかしこも雪まみれで、一晩で世界が白く塗りつぶされてしまった。まるで誰かが魔法を使ったみたいだ。
たまらず錠を開き、寒いよと制止する紅葉の声を振り切って、光はベランダに出た。
雪に埋もれたサンダルを探し出して、それを素足に履いたまま外にでて、また感嘆の声を上げる。
部屋の中から紅葉は笑っていた。
朝の陽にキラキラ光る、黒い髪や、白い肌、白く縁取られた華奢な輪郭がまるで誘っているようだ。
すぐ後ろから抱きしめたい衝動に駆られて、自分も外に出ようとした紅葉の目の前でサッシがいきなりパタンと閉じられた。
驚いて立ち尽くす紅葉を見て、ガラスの向こうの光が何か企んでいる様な笑みを浮かべている。
ガラスに近づけた口から白い息を吐き出して、サッシの向こう側を白く曇らせた。
そして、そこに指で何かを書いていく。
ハートだった。
途中で気付いて顔を上げた紅葉に、書き上げた光も視線だけ上向けてまたニッコリと微笑んだ。
唇が、その意味するところの二文字を形作る。
こみ上げる思いにたまらず顔を背けた向こうから朗らかな笑い声が響いてきた。まるで春の日差しのように柔らかで暖かい、その、声。
サッシを開いて出迎えた光の鼻も指先も赤く染まっていて、紅葉は腕を伸ばして室内に彼の体を引きずり込みながら抱きしめた。
冷たい髪に頬を寄せて囁く。
「冷たいよ」
「うん」
光が鼻をすすって笑う。
「バカだね、君は」
「そうかな?」
「そうさ」
笑い合うとようやくお腹が減ってきたようだった。
「ご飯食べよう、紅葉」
「うん、今朝は君の当番だったかな?」
「そう、ホットケーキ」
「・・・せめてコーヒーはブラックで頼むよ」
判ったと笑う光は結構甘党だと知っているので、紅葉は今朝の食事が間違いなくハチミツヒタヒタのパンケーキだろうと予測していた。
ブラックのコーヒーで程よい甘さにして食べてしまおう。
君に溺れて甘くなったこの心が、もっともっと甘くなりすぎて胸焼けをおこさないように。
(完)