NO-Title21

 

 黒衣の男が立っている。

片手に紙の束を持ち、もう片方の手には金色の輝きをまとう剣。

剥き出しのコンクリートの屋内は広く、恐らく以前は倉庫か何かに使われていたのだろう。

がらんとした空間の、ところどころが朽ちて綻び、そこから夜の闇が覗いている。

『守人め―――』

男の正面にソレはいた。

瘴気が凝り固まって出現した存在、混沌とした漆黒は、巨大な異形の姿をとり、その中央に大きく開いた口腔、内部を覆う大小無数の牙、そして、周囲に開いた無数の目。

明らかにこの世のものでないその化け物を目の前にして、しかし男は一切恐れてなどいない。

双眸は静かに見開かれ、呼吸は整っていた。

全身に漲る力が、徐々に膨れ上がっていくのがわかる。

化け物の闇が広がって、突如噴出した無数の触手が、男めがけて殺到した。

「はッ」

男は素早くかわしつつ、残りは剣で薙いで捨てていく。

『ゥゴルああアアあッ』

開かれていた口腔が、巨体ごと男に迫る。

男は口の中で何かを唱え、化け物めがけて紙片を投げた。

紙片は、その一枚一枚がまるで意思を持っているかのように、弾丸のような速さで真っ直ぐ口腔内に飛び込んでいく。

目の前で、ばくん、と、口が閉じた瞬間、化け物のあちこちから光の筋が噴出した。

ひらりと後方に飛びのいて、持っていた剣を両手で青眼に構えながら、男は真っ直ぐ化け物を見据える。

『ぉ、ゴ、ゴ』

無数の瞳が、ぎょろりと開かれる。

「終わりだ」

一気に駆け寄って剣先で貫いた。

途端、刀身が眩い光を発し、化け物の姿は見る間に消滅していく。

苦悶する気配と、おぞましい絶叫、やがて―――辺りが再び静寂に包まれると、男は衣服の裾を翻しながら、部屋の奥へ行き、隅を確認した。

「迷える者たちを惹きこみ、心と命を食らっていたか、外道め」

積み上げられた屍に、僅かに表情をしかめて、携帯電話型の端末を開く。

「―――認証、コードレクイエム、現地点を持って任務完了、事後処理を要請する」

パタン、と端末を閉じて、踵を返すと、歩き始めた。

今は邪な気配も消えて、ただの闇となった空間に、足音が響いている。

建物の外へ出ると、風が僅かに冷たかった。

夜だ。

周囲には倉庫群と、コンクリートの先は暗い海、対岸に、街のネオンと、船の警笛がどこかから響く。

不意に周囲を見回すと、男は海の方角へ向かった。

コンクリートの大地でできた埋立地の、淵からなんとも危うげに両足を投げ出して、少年が一人、海を見ていた。

淡い暖かな茶色のパンツに、真っ白い長袖のシャツ、肌の色も透けるように白く、闇の中に浮かび上がる姿はまるで全身からほのかに光を発しているかのようだ。

艶やかな黒髪が風に揺れて、睫の長い双眸は随分優しげだ。

少年は、神々しいまでに見目麗しい外見をしている。

「光」

男の呼び声で、その綺麗な顔が、くるりとこちらを向いた。

「紅葉」

重力を感じさせない動きで、ぴょんと地面に立ち上がる。

光はそのまま優しく微笑んでいた。

紅葉も、滅多に人に見せることのない笑顔を惜しげもなく浮かべながら、ゆっくり歩み寄っていく。

 

―――現在、紅葉の年齢は、35歳。

随分経験を積んだし、それなりに歳もとった。

外見も年齢相応、研ぎ澄まされて隙がない。

18の頃よりはるかに熟練された、大人の姿をしていると思う。

漆黒のコートを夜の闇に翻して、腕を伸ばした。

大きな掌で、光の頬を包むように触れる。

その手に重ねられる、細い指先は、華奢な印象を残したままだ。

目の前に佇む光は、18歳の少年の姿をしている。

 

「お疲れ様」

「うん、待ったかい?」

「平気だよ」

「海を見ていたのか」

「そう」

くるりと振り返って、黒い波間に瞳を眇めた。

光の、細い首筋や、耳の辺りを、風が気まぐれに露にさせる。

「光」

「何?」

こちらを向いた光に、紅葉は剣を差し出した。

「ああ」

気付いた様子で笑い、受け取った途端、剣は眩い光を発して消える。

「今回の相手は、結構大物だったみたいだね」

胸の辺りをポンポンと叩いている仕草に、紅葉は頷き返した。

「君の剣のおかげだ、助かった」

「いいよ、紅葉の手伝いって、これくらいしか出来ないからさ」

「君の存在自体が、僕の生きる意義だよ」

肩を抱き寄せると、ほんの少し冷たい。

紅葉はコートを脱いで、光の体を包むようにかけてやる。

「いいよ、いらないよ」

「ダメだ」

「紅葉、寒いだろ」

「僕なら大丈夫、心配要らない」

「だって」

「君の事を放っておけない」

「心配性だなあ」

クスクス笑う声ごと、引き寄せて、キスをした。

見詰め合う眼差しだけは、何も変わらない。

胸元に凭れてくる姿をしっかり抱きしめて、紅葉はそっと目を閉じていた。

「君だけいてくれたらいい、他のものは、何もいらない」

同じ言葉を、どれほどの数、口にしただろうか。

その度に光は頷いてくれて、今も、シャツの上で前髪が縦に擦れた。

「俺も、いらない」

これから先、二人の間に横たわる時間がどれだけ離れたとしても―――

(ずっと傍にいるよ、光)

囁く代わりに、抱く腕に力を込めて、紅葉は波の音を聞いていた。

内側から満ちる強くて暖かな何かが、変わらないものの存在を確かに伝えてくれるようだった。

 

(完)