NO-Title3

 

 チャイムを鳴らして、少し待つとドアが開いた。

「やあ、よく来たね」

出迎えた紅葉は何故かエプロンをつけている。

光が不思議そうにしていると、そんなことはどうでもいいような素振りで普通に室内に招き入れられた。

「どうしたの?」

「え、ああ、今日は何か用事でもあったのかい?」

それはこっちの台詞だと思いながら靴を脱ぐ。

昨日の夜、急に電話がかかってきて、光は紅葉の家に呼び出されたのだった。

「別に、何にもないけどさ」

不意に鼻先をくすぐる甘い匂いに、入ってすぐの居間兼台所をきょろきょろと見回した。

紅葉の家は玄関から連なるように台所の備え付けられた居間が広がっている。

そこから板作りのふすまで仕切られた部屋がもう一つあって、そちらは寝室として利用しているのだった。トイレや風呂場に通じるドアも、この居間兼台所にあった。

「何か作ってるの?」

小さなステンレス台の上にはボウルが乗っていて、それ以外にも流しに大小幾つかの汚れたボウルと、泡だて器、ヘラ、軽量カップやスプーンなどが無造作につっ込まれている。オーブンレンジの中では何かが回転しているようだった。

「うん」

居間の中央に置かれた食卓兼雑記用のテーブルに散らばった皿や粉ふるいを流しに移して、辺りを簡単に片付けながら紅葉は答えた。

「ここに座っていて、今お茶を入れるから」

光は座布団を引き寄せ、おとなしく言われたとおりに腰を下ろす。

「何作ってるの?」

「うん、もう少ししたら出来上がるから」

やかんをコンロに置いて火をつけて、空のカップを一つ用意して、紅葉は洗い物を始めた。

後姿が妙にせわしなく感じられて、それ以上質問するのも悪いように思い、光は仕方無しに口を閉ざす。

特にやることも無くて、でもこの家にはテレビがないから、オーディオのスイッチを入れて音楽をかけることにした。

「紅葉、CD聞くからね」

「うん、好きなのをどうぞ」

側にあるラックの中を探してもクラッシックか洋楽しかない。しかも、曲調の激しいものはほとんど無くて、バラードかブルース系がほとんどを占めていた。比較的最近の歌手の曲もあるにはあるものの、やはりこちらもビートの利いた曲はほぼ無いといっていい。

適当に選んだ曲を何曲かかけて、気に入ったものをそのまま聞く事にした。

ジャケットに書いてあった名前は聞いたことも無い外国人歌手の名前だ。

その後で、隣の寝室にある本棚を物色しに行く。

「紅葉、本読むよ」

「どうぞ」

棚にあるのは純文学から歴史物、ミステリーに果ては娯楽物まで、これだけは種類が多い。紅葉の数少ない趣味の一つで、ここにある見たこともない本に目を通すのが光の密かな楽しみだった。

「こんなのまである・・・」

小声でポツリと呟いた視線の先、背表紙には貴方に贈る100の名言とあった。おおよそ作者が無作為に選んだお気に入りの言語集だろう。面白そうなので今日はこれにしようと決めて、居間に戻ると座布団に腰を下ろした。

部屋の中は無言で、リズムに乗った英語の歌詞だけが邪魔にならない程度に室内を満たしている。

テーブルにはいつの間にか紅茶が置かれていた。

気づいた光はそれを手に取り、猫舌なので冷ましながら飲む。

片手に本を持ち、紅茶をすすり、時々様子を見ると紅葉はまだ背中をこちらに向けたままだった。

(ちえ)

ちょっとつまんないなと思いつつ、仕方なくまた本を読むを繰り返した。

しばらく時間が過ぎて、CDが止まったので光は顔を上げる。

次はどの曲を聴こう、それともラジオの方が面白いかな、そんな事を考えながら四つんばいになってオーディオに近づいていくと、背後から声がした。

「光、出来たよ」

「え?」

振り返って見ると、紅葉がテーブルの上に置こうとしていたのはチョコレートケーキだった。

12インチほどの小さなもので、ブラウニーのようにざっくりと焼き上げてある。上面に生クリームで綺麗にデコレーションが施してあって、その上から更にココアパウダーが降りかけてあった。ハート型のクッキーが飾り付けに四枚、まるで四葉のクローバーのように乗っている。

「うわあ」

急いでテーブルに戻った光は感嘆の声を洩らした。

その間に紅葉が皿を二枚、フォークを二本用意して、いつの間にか片付いていた流しに用意されていたカップに紅茶を注ぎ込む。二つ用意したそれを持ってテーブルに座り、パンナイフでケーキをカットする正面から光は彼の顔を覗きこんだ。

「これ、どうしたの?」

「うん」

切り分けたケーキを皿に乗せて、差し出しながら紅葉は微笑む。

「今日は何日だったかな?」

「ええと、3月13日、だったかな」

「14日だよ」

「そっか」

日にちの感覚なくなってたみたいだ、そう言って笑う光に、やれやれと紅葉が溜息を洩らす。

「それで?」

「え?」

「今日は3月14日だ、一般的にこの日はなんと呼ばれていたかな?」

光は考えて、アッと声を上げた。

「もしかして、ホワイトデーか?」

「そうだね」

立ち上がってCDをかけに行く後姿を眺めて、それからケーキを振り返って、両方を何度か交互に見交わしてから、戻ってきた紅葉をまじまじと見つめる光の頬に朱がさしていた。

「もしかして、これは、バレンタインのお返し?」

柔らかな笑顔が質問を肯定する。

フォークの持ち手を差し出して、ついでのように言葉が付け足された。

「一緒に食べようと思ったんだ、色々考えたんだけど、これ以上いい方法が思いつかなかったから」

待たせてごめんと謝られて、受け取ったフォークでケーキの端を崩して口の中に運ぶ。

アーモンドにくるみ、大きなチョコレートのかけらが混じったしっとりとしたスポンジは、生クリームと混ざり合って丁度いい甘さで舌を楽しませた。

「本を見ながらだけど、初めて作ったものだからうまく出来たかどうか」

バレンタインチョコレートを紅葉にあげたことすら忘れていた光にとっては、もう十分すぎるお返しに感激もひとしおだった。味は二の次、それでも、ケーキはとても上手に焼けていたので、心からの笑顔と感謝をそえて感想を贈る。

「凄く美味しい、有難う、本当に嬉しいよ」

うん、と頷く紅葉も珍しく赤いようだった。

「そういえば」

「うん」

「ホワイトデーはクッキーを返すらしいね」

「そうなの?」

「他にも色々あるらしいけど、クッキーを返す意味は特別らしい」

どんな意味?と聞こうとして、正面から見つめる視線と光の視線がぶつかった。

自分の分までクッキーを取り分けて、全部光の皿に載せながら、なんでもない風を装った口調がぼそりと答えを洩らす。

「貴方が、好きです」

途端に真っ赤になる光から、避けるように顔を背けた紅葉の顔も更に赤みが増していた。

しばらく訪れた沈黙に、何だか馬鹿らしいような、くすぐったいような妙な気がして不意に笑いがこみ上げてきた。

二人してクスクス笑った後で、堪らずに大声で笑い合ってしまった。

またしても珍しい彼の姿に、ますます嬉しい気持ちがあふれ出してどうにも困ってしまう。

今日の紅葉はどっか変だ。

俺も少しおかしいようだけれども。

「ホワイトデーってさ、バレンタインにかこつけた、お菓子業界の陰謀らしいね」

「そう、聞くね」

「でもこんなんだったらそう悪いもんでもないよなあ」

そうだねと答えて、ケーキを食べる紅葉はまだ微笑んでいるけれど顔はもう赤くない。

光も自分の頬が余分に熱くない事を確認した。

それでも部屋の雰囲気はいつもより随分楽しげに変わっていて、さっきより更に温かい気配が心と体を満たしている。

誰かの陰謀だって、こんな時間がもてるならそれも悪く無い。

赤いハートのお返しの日がホワイトデーだなんて、まったくうまいこと考えるじゃないか。

白色よりずっと鮮やかな気持ちで満たされた胸でそんな事を考えたりして、来年の今日がまた少しだけ楽しみになるようだった。

「紅葉?」

「なに」

「俺もね、紅葉にクッキーをあげたいのですが」

ちょっと驚いた顔はすぐ笑顔に変わった。

「よろこんで」

そう答えるので、貰ったクッキーを一枚差し上げる。

楽しい気持ちがまた少し増えるようだった。

「なあ」

「うん?」

「来年は一緒にクッキー焼こうな」

「それもいいかもしれないね」

 

たまにはこんな日でもいいじゃないか。

だって、今日は年に一度のホワイトデーなのだから。

 

(完)